第二十四話:王都に響く断末魔
シルヴァラント公国との同盟締結から数週間。ロムグール王国の王都カドアテメには、停滞していた空気を吹き払うような、新たな風が吹き始めていた。俺、アレクシオス・フォン・ロムグールの下、新体制は驚くべき速度で機能し始めていた。
「王様、例の腐敗貴族どもから差し押さえた資産の再分配計画、第一稿ができたぜ。これを元手に、ミレイユ平原への水路拡張工事と、王都と地方を結ぶ街道整備に即時着手できる。物流が改善されりゃ、経済も少しはマシになるだろうよ」
国王執務室で、フィンが目の下に濃い隈を作りながらも、どこか楽しげに報告する。 彼の立案する改革案は、常に的確で、そして大胆だった。
「ロザリア殿の試験農場も、素晴らしい成果を上げております。彼女が育てた日持ちのする新しいお芋は、既に食料が不足している村々へ送られ、多くの民を飢えから救っておりますわ」
リリアナの報告にも、確かな希望の色が浮かんでいる。 腐敗の膿を出し、新たな血を入れる。国が、確かに良い方向へ向かっている。その手応えが、俺の慢性的な胃痛をわずかに和らげてくれていた。
そう、全てが順調に進んでいるように、見えていたのだ。
その日、事件は王都の最も暗く、そして貧しい場所――貧民街から始まった。
「う……うわあああああっ!」
「水が……水が、苦い……! 体が……熱い……!」
井戸水を飲んだ一人の男が、突然血を吐いて倒れたのを皮切りに、呪いの連鎖は爆発的に始まった。以前ロザリアが発見した「魂蝕み」の呪い。 それが、何者かによって王都の主要水源の一つに投げ込まれた強力な『呪詛の触媒』によって、一気に増幅・活性化したのだ。
呪いは、水を通じて瞬く間に広がり、抵抗力の弱い者から次々とその餌食にしていった。人々は理性を失い、瞳から光が消え、飢えと渇き、そして純粋な破壊衝動に突き動かされる、おぞましい『呪われ人』へと変貌していく。
「ギィィィアアアアアッ!」
もはや人語ではない獣のような叫びを上げ、彼らは、光を、富を、そして生命を求めて、王都の中心部、貴族街へと雪崩を打って押し寄せ始めた。王都は、内側から崩壊を始めたのだ。
「陛下! 大変です! 貧民街で大規模な暴動が! いえ、あれは暴動などでは……!」
執務室に転がり込んできた衛兵の報告に、俺はすぐさま立ち上がった。
(ただの暴動か? いや、このタイミングで、これほどの規模は不自然すぎる。何かの引き金が……?)
俺が冷静に状況を分析しようとした、まさにその時だった。手元に置かれていた魔力伝書用の水晶が、立て続けに二つ、緊急の光を発した。
一つは、貧民街の衛生改善の指揮を執っていたロザリアからだった。
『へ、陛下! 大変です! 以前ご報告した「魂蝕み」の呪いが、水源から、ものすごい勢いで……! 皆さん、正気を失って……!』
そしてもう一つは、別の部屋で不正蓄財の調査を続けていたフィンから。
『王様、ヤベえぞ! 今、王都で起きてる暴動の発生源、俺が追ってる『黒曜石ギルド』の連中が使ってたアジトの位置と完全に一致する! この規模の呪いを引き起こすにゃ、奴らが扱ってた『呪詛の触媒』が必要不可欠だ!』
呪い。闇商人ギルド。二つの情報が、俺の頭の中で瞬時に結合する。俺は、迷わず【絶対分析】を発動させた。
【状況】王都貧民街にて、魔術的呪詛による大規模パニック発生。
【原因】『魂蝕み』の呪いを、『呪詛の触媒』により意図的に増幅・拡散。
【実行犯】闇商人ギルド『黒曜石ギルド』の工作員。
【背後関係】魔王軍である可能性:95%。
(……やはり、そうか!)
脳内に叩きつけられた結論に、俺は奥歯を噛みしめる。これは、単なる暴動などではない。明確な敵意をもって仕掛けられた、大規模な魔術テロだ。
「魔王軍の仕業か……! このタイミングで、王都を内側から破壊するとは……!」
俺の呟きは、もはや推測ではなく、確信に満ちていた。その場の空気が一変する。
「バルカス! 新生騎士団の精鋭を率いて、暴徒の鎮圧にあたれ! ただし、相手は元市民だ。決して殺すな、あくまで『制圧』に留めろ!」
「はっ!」
「リリアナ! 魔法部隊を率い、王城と貴族街の防衛線を構築! 呪われ人を決して中に入れるな!」
「御意!」
「フィン! 作戦司令室を立ち上げ、暴動のパターンと被害状況をリアルタイムで分析! 敵の狙いと、首謀者の位置を割り出せ!」
「へっ、面白くなってきたじゃねえか!」
「ロザリア! 浄化薬の散布準備を! 一人でも多くの民を救うんだ!」
「は、はいっ!」
俺は矢継ぎ早に指示を飛ばし、自らも執務室の壁に掛けてあった儀礼用ではない、実戦用の長剣を手に取った。
「陛下、どこへ!?」
「決まっている。最前線だ。王が、民を見捨てるわけにはいかんだろう!」
王都は、地獄絵図と化していた。呪われ人の群れは、その数、数百。騎士団は盾を並べて防衛線を築くが、元市民である相手に戸惑い、思うように動けない。
「怯むな! 盾で押し返せ! 決して武器を直接当てるな!」
バルカスの怒声が飛ぶが、じりじりと後退を余儀なくされていた。そこへ、俺とリリアナが到着した。
「リリアナ! 広範囲の束縛魔法を! 動きを止めるだけでいい!」
「かしこまりました! 【大地の腕よ、かの者らを捕らえよ! アース・バインド!】」
地面から無数の土の腕が伸び、呪われ人たちの足に絡みつく。だが、彼らはその腕を怪力で引きちぎり、なおも前進してくる。その時、全ての混乱の中心、暴徒たちの群れの奥から、ゆらりと一つの影が現れた。
黒いローブを纏い、その顔は深いフードで窺い知れない。だが、その影から放たれる圧倒的な邪気と威圧感は、その場の誰もが肌で感じ取れるほどだった。
俺は即座に【絶対分析】を発動させる。
【名前】???(強力な魔力障壁により解析不能)
【称号】呪詛を撒く者、魔王の使徒
【スキル】
【魂蝕み(広域支配)】
【呪詛増幅】
【影潜み(シャドウ・ダイブ)】
【???(解析不能)】
【???(解析不能)】
【総合評価】魔王軍に仕える高位の魔族。極めて危険な存在。
(……こいつが、今回の事件の!)
俺が身構えるのと、相手が口を開くのはほぼ同時だった。
「初めまして、ロムグール国王アレクシオス殿。我が主、偉大なる魔王様からのご挨拶です。このささやかな『祭り』、楽しんでいただけていますかな?」
その声は、静かだが、脳髄に直接響くような不気味な響きを持っていた。
「貴様らか……! この罪なき民を弄んで、何が目的だ!」
「目的? ふふ、これはただの挨拶ですよ。貴方が、我らが主の復活を邪魔するに値する王か、試させていただいているのです」
幹部がそう言って、手を掲げた瞬間、呪われ人たちの動きが一斉に止まり、そして、一斉に俺たちの方へと向き直った! 奴は、この暴徒たちを完全に支配している!
絶体絶命かと思われた、その時だった。
「うっっっせええええええええんだよ、外はああああああっ!!!」
王城の方角から、そんな絶叫が響き渡った。見れば、我らが勇者、田中樹が、寝間着姿のまま「外がうるさくてゲームに集中できねえ!」という、どこまでも自己中心的な理由で城を飛び出し、あろうことか、この暴動の真っ只中に突っ込んできたのだ!
「うわあああああああ! ゾンビだ! ゾンビの大群だあああああっ!」
樹は、目の前の光景にようやく気づき、顔面蒼白になってパニックに陥る。だが、彼が呪われ人の群れに足を踏み入れた瞬間、奇妙な現象が起きた。
それまで凶暴な唸り声を上げていた呪われ人たちが、樹の姿を認めるなり、ピタリと動きを止め、その唸り声が、まるで苦しみが和らいだかのような、かすかな呻き声に変わったのだ。彼らは、樹を襲うでもなく、ただ、その存在に何かを感じ取ったかのように、わずかに後ずさりさえしている。
「「「なっ……!?」」」
俺も、リリアナも、バルカスも、そして魔王軍の幹部までもが、その信じられない光景に言葉を失った。
「へ? な、なんだこいつら? 俺のこと、怖がってんのか?……そ、そうだ! そうに違いねえ! 俺様の勇者オーラが強すぎて、こいつらビビってやがるんだ! どうだ、見たか! 俺こそが真の勇者イトゥキ・ザ・ブレイブハート様だ!」
樹は、相変わらずの勘違いで、腰を抜かしそうになりながらも虚勢を張っている。だが、彼のその存在が、この絶望的な戦況に、千載一遇の『間』を生み出したのは事実だった。
「……ほう。あれが、勇者……。なるほど、面白い。実に面白い。人の子の王よ、貴方も、そして貴方が抱える『勇者』も、我が主の計画を狂わせるに足る『変数』やもしれませぬな。……良いでしょう。今日の『挨拶』は、これくらいにしておきます」
魔王軍の幹部は、不気味な笑い声を残し、すっと闇に溶けるように姿を消した。すると、彼を失った呪われ人たちは、一斉にその場に崩れ落ち、深い眠りについたかのように動かなくなった。
後に残されたのは、破壊された街並みと、力なく倒れる元市民たち、そして「どうだ! 俺が睨んだだけで、全員倒れちまったぜ! 俺、最強すぎ!」と一人でガッツポーズをする勇者の姿だった。
暴動は、終わった。だが、王都は深い傷を負った。俺は、眠る民の姿を見下ろし、唇を噛みしめる。
(これが、魔王軍のやり方か……。なんという、狡猾で、残忍な……)
魔王の脅威は、もはや噂や兆候ではない。明確な敵意となって、我々の日常を破壊しに来たのだ。
「……もはや、一刻の猶予もない。リリアナ、バルカス! 大陸会議の開催を、可及的速やかに進める! 全ての大陸諸国に、このロムグールの惨状と、魔王軍の脅威を伝えるのだ!」
俺の決意は、もはや怒りを通り越し、鋼のような冷たい覚悟へと変わっていた。この戦い、絶対に負けるわけにはいかない。俺の胃がどうなろうとも。




