第二十三話:王都に蠢く影と、勇者の(意図せぬ)聖性
シルヴァラント公国の公女セレスティナが、満足げな、そしてどこか楽しげな表情でロムグール王国を後にしてから数日。
彼女との会談は、我らが勇者、田中樹の起こした「フルーツタルト強奪事件」という、外交儀礼上ありえないアクシデントに見舞われはしたものの、結果として両国の同盟関係はより強固なものとなった。
(あの公女、俺の言葉だけでなく、フィンやロザリアの才能、そして樹というとんでもない爆弾を抱えながら国を運営している俺の『器』……その全てを総合的に判断し、信頼に値すると結論付けたのだろう。慧眼の持ち主だ。おかげで、対魔王大陸戦略会議への大きな一歩を踏み出すことができた……)
国王執務室で、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、セレスティナ公女との間で交わされた協力協定の細部を詰めながら、今後の大陸情勢に思いを馳せていた。
胃の痛みは相変わらずだが、それでも確かな光明が見え始めていた。
だが、平和な時間は長くは続かない。
この世界が、そんなに甘くないことは、元社畜の俺が一番よく知っている。
「王様、ちょっとヤバい金の流れを見つけちまったかもしれねえ」
執務室に現れたフィンは、目の下に濃い隈を作りながらも、その瞳は鋭く、一枚の羊皮紙を俺の前に広げた。
そこには、先日粛清したゲルツ騎士団長一派の不正蓄財の調査結果が、びっしりと書き込まれていた。
「ゲルツの奴らが横領した金の一部が、マーカス辺境伯領内のダミー会社を経由して、最終的に国境を越え、ガルニア帝国や中立都市を拠点とする正体不明の『黒曜石ギルド』って闇商人ギルドに流れてる。ここまでは、まあ、よくある腐敗貴族の資産隠しだ」
フィンはそこで一度言葉を切り、先日、勇者が偶然入手した暗号めいた羊皮紙の解読結果を重ねて置いた。
「問題はこっちだ。勇者が拾ったこの羊皮紙の断片……これを解析した結果、この『黒曜石ギルド』が、魔族が使う特殊な呪詛の触媒や、高純度の魔鉱石なんかを取引している記録が見つかった。マーカス辺境伯自身が魔族と直接通じているっていう直接的な証拠はねえ。だが、奴が自分の野心のために利用している資金ルートの先に、魔族の影がちらついてやがるのは間違いない。あの狸爺、自分が王になるためなら、触れちゃいけねえ闇にまで手を出したのかもしれねえな」
(……マーカスは魔族と通じてはいない。だが、彼の権力欲が、結果として魔族を利する事態を招いているというのか……!)
俺の背筋に、冷たい汗が流れる。
そこへ、今度はロザリアが血相を変えて駆け込んできた。
彼女は、王都近郊の試験農場の管理と並行して、貧民街の衛生改善にも協力してくれていたのだが、その顔は青ざめていた。
「へ、陛下! 大変です! 王都の貧民街で、ここ数日、奇妙な病が流行り始めています! かかった人は、高熱と悪夢にうなされ、数日でみるみる衰弱していくんです。お薬も、ほとんど効きません……!」
「なんだと? 伝染病か!?」
「い、いえ……ただの病気じゃありません……」ロザリアの声は震えていた。
「病気になった人たちの寝床の土や、飲み水を調べさせてもらったんですが、すごく……すごく嫌な、邪悪な気を感じるんです。まるで、大地の力が、無理やり穢されているような……。これは、古文書で読んだことがある『魂蝕み』の呪いに似ています。邪気に汚染された土地や水に触れた者の魂を、少しずつ蝕んでいく……とてもおそろしい呪いです……!」
彼女の持つ、大地と生命に対する特異な感受性が、この異常事態の本質を捉えていたのだ。
不正な金の流れの先にいた『黒曜石ギルド』。
そして、王都で広がる奇妙な呪い。
この二つの事件が、俺の頭の中で、一本のおぞましい線で結ばれた。
(……闇商人ギルドを通じて、魔王軍の工作員が王都に潜入し、呪いを広めている……! そして、マーカス辺境伯は、その事実を知らぬまま、彼らの活動資金の一部を供給してしまっている……これが、真相に近い形か!)
「リリアナ! 貧民街の封鎖と、住民への食料配給の準備を! ロザリア、これ以上被害が広がらないよう、浄化の方法を探ってくれ! バルカス、騎士団に命じ、病の発生源の特定と、不審者の捜索を!」
俺が矢継ぎ早に指示を飛ばしていると、執務室の扉が勢いよく開き、バルカスに腕を掴まれた田中樹が引きずられてきた。
「離せ、このクソジジイ! だから、俺は病人がいるような汚ねえ場所には行きたくねえっつってんだろ! うつったらどうすんだよ!」
「うるさい、この大馬鹿者が! 陛下は国の危機に心を痛めておられるというのに、貴様はまだそんなことを! 勇者ならば、病に苦しむ民の一人や二人、その気合で治してみせんか!」
どうやらバルカスは、樹のあまりの体たらくに業を煮やし、貧民街に連れて行って現実を見せようとしたらしい。
「絶対ヤダ! 俺は勇者だぞ! バイ菌とかマジ無理だし!」
樹が、駄々をこねて執務室の床に突っ伏した、その瞬間だった。
貧民街からロザリアが持ち込んだ、呪いの宿る土のサンプル。
それに樹の体が(ほんのわずかに)触れた。刹那、土のサンプルから、黒い靄のような邪気がふわりと立ち上り、そして、まるで何かを恐れるかのように、パッと消え失せたのだ。
「「「え?」」」
その場にいた全員が、その不可解な現象に息を呑んだ。
「……今……邪気が、勇者様を避けて……消えました……? なんで……?」
ロザリアが、信じられないといった表情で呟く。
俺は、すぐさま【絶対分析】を発動させた。脳内に、困惑に満ちた情報が流れ込んでくる。
【現象】原因不明の拮抗作用。
【対象】田中樹の魂が持つ特異な性質(極めて低俗かつ単純な欲望の塊であるため、高度な精神汚染系の呪詛に対して予期せぬ耐性を持つ可能性?)が、邪悪な魔力と反発。
【予測】対象(田中樹)の存在そのものが、微弱ながら「邪気払い」の効果を持つ可能性:3%。ただし、本人の意思とは無関係であり、再現性は不明。
(……さん、ぱーせんと……? まさか……こいつが、本当に、何かの役に……立つ……のか……!?)
俺が驚愕に目を見開く中、当の田中樹は、自分が何を引き起こしたのか全く気づかず、一人だけ得意げに胸を張っていた。
「ほら見ろ! 言っただろ! 俺の勇者オーラが、邪悪な気配を吹き飛ばしたんだよ! やっぱ俺って最強! よーし、これで今日のステーキは確定だな! 王様!」
その自信満々な、しかしどこまでも的外れな叫びが、重苦しい空気に包まれた執務室に、場違いに響き渡った。
(……表の外交、内政改革、そして水面下で始まった魔王軍との暗闘。それに加えて、この勇者の謎の有用性(?)の検証……。問題が、問題が多すぎる……!)
俺は、もはや痛みを感じることを放棄した胃をさすりながら、次なる一手――大陸諸国への使者派遣と、「対魔王大陸戦略会議」の開催準備を本格化させることを、固く決意するのだった。
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