第十九話:老狸の罠、王の逆手 ~辺境伯領、風雲急を告げる~
エルヴァン要塞での視察と兵士たちの激励を終え、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、次なる目的地であるマーカス辺境伯の領地へと向かう決意を固めていた。
あの老獪な辺境伯との対決は避けられない。そして、奴が何かを仕掛けてくるであろうことも。
◇
その頃、ロムグール王国北東部に位置する広大なマーカス辺境伯領。
その中心都市である城塞都市アルツフェルトの城主の館では、当主エルンスト・フォン・マーカスが、数名の腹心と密談を交わしていた。
「……ほう。若き国王陛下は、エルヴァン要塞への視察を終え、こちらへ向かっておられる、と。供回りは、バルカスの老いぼれと、リリアナとかいう魔法使いの小娘、そして……例の『勇者』か。ふむ、たわいもない陣容よな」
辺境伯は、密偵からの報告を受け、口元に老獪な笑みを浮かべる。
先の王都訪問は、彼にとってアレクシオスの力量を測るためのものだった。
そして、あの若き王は、辺境伯が想像していた以上に「変化」していた。
その変化は、辺境伯にとって必ずしも好ましいものではなかったが、同時に、新たな「利用価値」を見出すには十分だった。
(あの若造……思った以上に骨がある。ゲルツの件も、見事に処理しおったわ。このままでは、我がマーカス家の影響力も削がれかねん。だが、魔王復活の兆候という、またとない『機会』も訪れた。エルヴァン要塞へ向かう道中……そして、おそらくはこちらへも顔を出すつもりであろう。良い機会だ。少しばかり『教育』してやらねばなるまい。国王としての『器』というものをな。そして、我が要求を呑ませる絶好の機会でもある)
辺境伯は、傍らに控える腹心の部下に、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で命じた。
「兵を集めよ。数は二百。いずれも腕利きの者を選べ。国王陛下御一行の『お出迎え』の準備だ。場所は、領境に近いあの森の中が良いだろう。くれぐれも、粗相のないようにな。……もちろん、これは、近隣に出没するという『盗賊』対策の警邏の一環だ。そうであろう?」
「はっ、御意に。必ずや、国王陛下に辺境伯様のお力、そして『誠意』をお示しできるかと」
部下は深々と頭を下げ、部屋を退出していった。
辺境伯の瞳の奥には、獲物を狙う鷹のような、冷たく鋭い光が宿っていた。
彼は、アレクシオス一行を少数と侮り、脅しをかけることで、先の「お願い」を呑ませ、さらには王国の実権を掌握するための布石としようと企んでいたのだ。
もちろん、表向きは「盗賊から国王を守る忠臣」を演じるつもりで。
◇
一方、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、リリアナ、バルカス、そして「やったー! 王様と遠足だ! 弁当はステーキだよな!?」と、全く状況を理解していない田中樹を連れ、エルヴァン要塞を後にして数日、マーカス辺境伯領へと続く道を進んでいた。
(あの狸爺め、俺がお忍びでエルヴァン要塞へ向かったことは、既に掴んでいるはずだ。そして、俺がこの道を通って奴の領地へ向かっていることもな。奴なら、必ず何か仕掛けてくる。……だが、その動き、全てお見通しだぜ?)
俺の【絶対分析】は、数日前から、我々の周囲を嗅ぎまわる不審な気配を捉えていた。
それは、間違いなくマーカス辺境伯が放った密偵たちだろう。
そして、彼らの動きから、辺境伯が俺たちを待ち伏せし、何らかの形で圧力をかけてこようとしていることも予測できていた。
そして、その予測は的中した。
辺境伯領にほど近い森の中、道が狭まり、見通しが悪くなった地点に差し掛かった、その時だった。
「……陛下、何やら様子が……」
バルカスが、鋭い視線で周囲を警戒する。俺も、馬車の窓から外の気配を探る。
(来たか……!)
次の瞬間、森の茂みが一斉に揺れ、鬨の声と共に、およそ二百名ほどの武装した兵士たちが、雄叫びを上げながら俺たちの馬車を取り囲むように姿を現した! その装備や統率の取れた動きは、ただの盗賊などではないことを示している。
間違いなく、辺境伯の私兵だ!
「何事だ!?」
バルカスが、剣の柄に手をかける。
リリアナも、魔導杖を構え、臨戦態勢に入る。
樹は、「うわー! 山賊か!? 俺、金持ってねーぞ!」と、またしても的外れなパニックを起こしている。
その時、兵士たちの中から、馬に乗ったマーカス辺境伯本人が悠然と姿を現した。
その顔には、計算通りの獲物を捕らえたかのような、満足げな笑みが浮かんでいる。
「これはこれは、アレクシオス陛下。奇遇ですな。このような場所でお会いするとは。実は、近頃この辺りで物騒な盗賊団が出没すると聞き及び、このマーカス、領民の安全のため、こうして大規模な警邏を行っていたところでございます。まさか、国王陛下御一行とは露知らず、大変失礼をいたしました。お怪我などはございませんか?」
その白々しいまでの言い分。
そして、俺たちを完全に包囲し、威圧するかのような兵の配置。
これが、奴のやり方か。
「ふっ……辺境伯も、ご苦労なことだな。盗賊退治に、これほどの大軍を動員するとは。その忠勤、感服する」
俺は、馬車から降り立ち、辺境伯を真っ直ぐに見据えて言った。
「だが、どうやら、その『盗賊団』とやらは、我々ではなかったようだ。……むしろ、辺境伯こそが、何やら『探し物』でもしておられたのではないかな? 例えば……エルヴァン要塞からの帰路につく、国王の一行とか?」
俺のその言葉に、辺境伯の眉がピクリと動いた。
「ほう……陛下は、私がここでお待ちしていると、お気づきでしたか。さすがは、近頃めきめきとご成長なされていると噂の国王陛下。ですが……」
辺境伯は、そこで初めて、周囲の状況に異変を感じたかのように、わずかに表情を曇らせた。
それまで聞こえていた鳥の声や風の音が、いつの間にか完全に消え失せ、代わりに、森の奥から無数の人間が発する、静かで、しかし圧倒的なプレッシャーが辺境伯の軍勢を包み込み始めていたのだ。
「……な、なんだ……この気配は……?」
辺境伯の顔から、ついに余裕の笑みが消える。
ザッ、ザッ、ザッ……!
次の瞬間、マーカス辺境伯の私兵たちを、さらに外側から幾重にも取り囲むように、エルヴァン要塞の精鋭部隊が、その槍先を揃えて森の奥から姿を現したのだ! その数、およそ800! 先頭には、エルヴァン要塞司令官グレイデン・アストリアが、静かな怒りをたたえた目で、辺境伯を睨み据えている。
「な……なんだと……!? エルヴァン要塞の兵が、なぜここに……! ば、馬鹿な、私の密偵は……!?」
マーカス辺境伯の顔が、驚愕と焦り、そして信じられないといった色に染まる。
彼の放っていた密偵たちは、俺達に集中する余り、俺がエルヴァン要塞からこれほどの兵を密かに動かしていたことには、全く気づいていなかったのだ。
「辺境伯、貴殿が私を『お出迎え』してくださるというのなら、こちらもそれ相応の『礼儀』を尽くさねばなるまい? 何しろ、私はこの国の国王なのだからな」
俺は、悠然と微笑んでみせる。
「さて、辺境伯。改めて、貴殿の『お願い』とやら、詳しく聞かせていただこうか? それとも、まずは、貴殿がなぜこのような『大規模な警邏』を、私の帰路で行っていたのか、その理由からご説明願おうか? まさかとは思うが、この国の国王に対し、剣を抜くつもりではあるまいな?」
マーカス辺境伯は、完全に包囲された自軍と、そして俺の不敵な笑みを見比べ、屈辱に顔を歪ませながらも、何とか平静を装おうとしていた。
(……この若造……いつの間に、これほどの策を……! 見誤っていたわ……! こちらの動きを完全に読み、その上で、これだけの兵を動かすとは……!)
俺は、そんな辺境伯の姿を眺めながら、内心でほくそ笑む。
(どうだ、マーカス辺境伯。お前の仕掛けた罠は、全てお見通しだ。そして、今度は、こちらが仕掛ける番だぜ?)
俺の胃は、相変わらずキリキリと痛んでいたが、それ以上に、この老獪な狸を出し抜いたことへの、確かな高揚感が全身を駆け巡っていた。
ブクマと評価を頂けると作者が喜びます。本当に喜びます。




