第十八話:北壁への道、不落のエルヴァン要塞へ!~
マーカス辺境伯という老獪な狸が、王城に嵐のような「吉報」と「お願い」という名の挑戦状を叩きつけ、返事も聞かずに悠々と領地へ引き上げてから数日。
俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、あの屈辱的な謁見の後、すぐさま側近たちを集め、辺境伯への対応と今後の国家運営について、連日集中的な協議を重ねていた。
そして、俺は一つの決断を下した。
「……やはり、俺自身が辺境伯領へ赴き、直接マーカスと対峙する。そして、奴の真意を確かめ、我がロムグール王国の覚悟を示してくる」
国王執務室。俺のその言葉に、その場にいたリリアナ、バルカス、そしてフィンは息を呑んだ。
「王様、俺の計算じゃ、あんたが直接辺境伯領に乗り込むなんて、生還確率著しく低下、だぜ? まともな判断とは思えねえが……まあ、王様が決めたんなら、俺はあんたが戻ってくるまでに、この国の財政赤字を少しでもマシにしとくしかねえか」
フィンは、ぶっきらぼうな口調ながらも、どこか俺の身を案じているようだった。
こいつなりに、俺に信頼を寄せ始めてくれているのかもしれない。
「三人の心配はもっともだ。だが、このまま王都で奴の返答を待っていては、時間だけが過ぎていく。それに、奴のあの態度……明らかに俺を、そして王家を試している。ここで俺が動けば、奴の思う壺だ。それに、どちらにしてもエルヴァン要塞には、近いうちに俺自身が視察と激励に行かねばと思っていたところだ。 その道中、辺境伯にも『ご挨拶』してくるだけの話よ。俺にも考えがある」
俺は、努めて冷静に、しかし強い意志を込めてそう告げた。
「……陛下がそこまでお決めになられたのであれば、このリリアナ、もはや何も申しません。陛下のお供をさせていただきます。万が一のことがあれば、わたくしの魔法で必ずや……!」
リリアナの瞳に、強い決意の光が灯る。
「うむ。バルカス、お前もだ。リリアナと二人で、俺の護衛を頼む。そして……」
俺は、執務室の隅で「なんか美味そうな話してんのか?」と、いつの間にか現れて菓子を頬張っていた田中樹に視線を向けた。
「勇者にも、同行してもらう」
「「「えええええっ!?」」」
リリアナ、バルカス、そしてフィンの三人の声が、綺麗にハモった。
「へ? 俺も? やったー! 旅行か!? 美味いもん食えるのか!?」
一人だけ状況を理解していない樹が、目を輝かせて喜んでいる。
「陛下、正気でございますか!? あの勇者殿を、エルヴァン要塞へ、そしてその後には辺境伯領へお連れするなど……! 何をしでかすか分かりませんぞ!」
リリアナが、信じられないという顔で俺を見る。
「陛下、それは……いくらなんでも……」
バルカスも、さすがに言葉を失っている。
「王様、あんた、本気で言ってるのか? あの役立たずを連れて行くなんて、戦力を一人減らして、足手まといを一人増やすようなもんだぜ? 敵にわざわざ弱点を晒しに行くようなもんだ」
フィンに至っては、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえていた。
「皆の心配は分かる。だが、これも作戦の一つだ」俺は、内心の胃痛を押し殺し、自信ありげに言い放った。
「魔王復活の兆候がある今、ロムグール王国が『勇者』を擁しているという事実は、良くも悪くも大陸中の国家に知れ渡り始めている。その勇者を王都に留め置くのは、逆に不自然だ。エルヴァン要塞の兵士たちにも、そしていずれ相対するであろう魔王にも、我が国の『切り札』の存在を、改めて認識させてやる必要がある。……まあ、その『切り札』が、時折とんでもない方向に暴発するただの爆弾かもしれんがな」
最後の部分は小声で付け加えた。
(本当のところは、こいつを王都に置いていく方がよっぽど危険だからだ。俺の目の届かないところで、どんな騒動を引き起こすか分かったものではない。それなら、いっそ目の届く範囲に置き、あわよくば、また何かの『珍騒動』で状況を引っ掻き回してくれるかもしれない、という、もはや神頼みに近い期待もある……。それに、辺境伯に『こんな勇者でも何とかなっているロムグール国王は、実はとんでもない切れ者なのでは?』と、さらなる深読みをさせるための、高度なブラフでもあるのだ!……多分)
俺のその言葉(と内心の覚悟)に、リリアナとバルカスは、もはや何も言うまいという諦めの表情を浮かべ、フィンは「……王様の胃袋、特殊合金製なんじゃねえのか?」と、心底呆れたように呟いた。
王都の留守は、宰相イデンに一任した。
彼の能力は確かだが、その野心もまた確かだ……と思う。
俺が不在の間、彼がどのような動きを見せるか……それを見極める良い機会でもある。
(彼もまた、この国が滅ぶことを望んではいないはずだ……少なくとも、現時点ではな)
俺は、イデンの瞳の奥にあるものを探るように、じっと彼を見つめた。
「……陛下。このイデンに、そのような大任を……。身に余る光栄にございます」
イデンは、感情の読めない表情で、しかしその瞳に何かを試すような光を宿して、深々と頭を下げた。
「必ずや、陛下のご期待に応え、お留守の間、このロムグール王国を盤石にお守りいたします。……どうぞ、お気をつけて、辺境伯との『交渉』、そしてエルヴァン要塞へのご視察、成し遂げられますよう。吉報をお待ち申し上げております」
その言葉には、どこか含みがあるように聞こえた。
◇
数日後。
俺は、リリアナ、バルカス、そして「やったー! 王様と遠足だ! 弁当はステーキだよな!?」と、全く状況を理解していない田中樹を連れ、僅かな護衛と共に、質素な馬車で王都カドアテメを後にした。
フィンとロザリアは、不安と期待の入り混じった表情で見送ってくれた。
(……頼んだぞ、皆。俺が戻るまで、この国をしっかりと支えてくれ)
エルヴァン要塞への道は、予想以上に険しかった。
だが、道中、立ち寄った村々で、俺は民の声に耳を傾け、ロザリアの知識を元にした農業指導の準備を進め、そしてフィンの提案に基づいた新たな税制の骨子を練り上げていった。
もちろん、樹はその間も「腹減ったー」「まだ着かねーのかよー」「この村、可愛い子いねーなー」と、不平不満を垂れ流し続け、リリアナの氷の視線とバルカスの無言の圧力を浴びていたが。
そして、長い旅路の末、俺たちはついに「不落のエルヴァン要塞」の威容を目の当たりにした。
竜哭山脈の険しい隘路に築かれたその要塞は、黒々とした巨岩を積み上げた堅牢な城壁と、無数の狭間を持つ監視塔が、魔族の侵攻を拒むかのようにそそり立っていた。
吹き抜ける風は肌を刺すように冷たく、厳しい自然環境と、絶え間ない緊張感が、この地の日常であることを物語っている。
「……ここが、エルヴァン要塞か。まさに、鉄壁だな」
俺は、思わず感嘆の声を漏らす。
「はっ。この要塞がある限り、魔族の侵入は決して許しませぬ」
バルカスが、誇らしげに胸を張る。彼にとって、この要塞は自らの騎士人生の集大成のようなものなのだろう。
城門では、エルヴァン要塞司令官グレイデン・アストリアが、数名の屈強な騎士たちと共に出迎えてくれた。
彼は、俺の突然の、しかもお忍びでの訪問に驚きの色を隠せない様子だったが、すぐに表情を引き締め、国王に対する最大限の敬意をもって深々と一礼した。
「アレクシオス国王陛下、ようこそエルヴァン要塞へ。このような辺境の地まで、わざわざご足労いただき、恐悦至極に存じます。私は、このエルヴァン要塞の指揮を預かっております、グレイデン・アストリアにございます」
グレイデンの声は、若々しいながらも落ち着きがあり、その瞳には強い意志と、そして最前線を守る者としての覚悟が宿っていた。
その視線は、俺の顔を真っ直ぐに見据え、何かを値踏みするかのように鋭い。
師であるバルカスの姿を認めると、その厳つい顔が一瞬だけ、本当に一瞬だけ、驚きと安堵の色に染まったが、すぐに厳しい司令官の顔に戻る。
そして、俺に対する警戒とも、あるいは期待ともつかない複雑な表情を浮かべていた。
(王都からの噂は、この男にも届いているだろう。だが、俺自身の変化については、まだ半信半疑といったところか。あるいは、先代や、その前の俺の悪評が、そう簡単に拭えるものではないということか……。ならば、行動で示すしかない)
「グレイデン司令官、出迎えご苦労。道中の安全は確保されていたとはいえ、急な訪問、許してほしい。だが、どうしてもこの目で、エルヴァン要塞の現状と、そして君たち兵士たちの顔を直接見ておきたかったのだ」
俺は、そう言ってグレイデンの肩を叩いた。
グレイデンは、俺の言葉に改めて深く頭を下げた後、バルカスに向き直った。
「バルカス様……! まさか、本当に……。いえ、噂は耳にしておりましたが、王都からの正式なご連絡が一切なく……。もしや、何かの間違いではないかと……」
「うむ、グレイデン。色々と事情があってな。詳しくは後で話そう。だが、見ての通り、俺はこうして陛下の側にお仕えすることになった。」
「……戻られたら、まずご一報いただければ良かったものを。何かあったのかと案じておりましたぞ」
グレイデンの言葉には、師への変わらぬ敬意と、そして連絡が途絶えていたことへのわずかな非難が込められていた。
「……やはり、届いていなかったか。辺境伯の仕業か、あるいは……。 いや、それも追々話そう。それよりも、陛下をご案内するのが先だ」
バルカスは、苦々しげにそう言うと、俺を促した。
(辺境伯の妨害か……。やはり、あの狸爺、裏で色々と手を回しているようだな)
俺は、改めて気を引き締める。
要塞内部は、王都の騎士団とは比較にならないほど、規律と活気に満ちていた。
兵士たちの動きには無駄がなく、その目には闘志がみなぎっている。
武具は手入れが行き届き、城壁の隅々まで清掃が行き届いている。
まさに、精鋭部隊と呼ぶにふさわしい光景だった。
(……これが、バルカスの、そしてグレイデンの育て上げた騎士たちか。ロムグールにも、まだこれだけの力が残っていたのだな)
俺は、胸が熱くなるのを感じた。
俺たちが練兵場を通りがかると、訓練中だった若い騎士たちが、遠巻きにこちらを興味津々といった様子で見ている。
特に、俺の隣にいる(そして相変わらず何かをモグモグしている)田中樹に、好奇の視線が集中していた。
「あれが……もしかして、勇者様……?」
「おお……! 王都からいらっしゃったという……!」
「思ったより……普通っぽいな……」
「いや、あれこそが真の強者の余裕というやつかもしれんぞ!」
口々に囁き合う若い騎士たち。
彼らの目には、まだ見ぬ「勇者」への純粋な期待と憧れが浮かんでいた。
だが、その期待は、次の瞬間、無惨にも打ち砕かれることになる。
「なあなあ、王様ー! ここの食堂って、どんな美味いもんが出るんだ? 俺、もう腹ペコなんだけど! バルカスのジジイのせいで、ろくに朝飯も食ってねえし!」
田中樹が、大声でそんなことを叫んだのだ。
そのあまりにも勇者らしからぬ、というか、ただの食いしん坊な発言に、若い騎士たちは一瞬ポカンとし、そして次の瞬間には、顔を見合わせて困惑と失望の色を浮かべ始めた。
「……え?」
「……今の、勇者様……だよな?」
「……なんか、思ってたのと違う……」
彼らの間で、そんな囁きが広がり、先ほどまでの期待に満ちた空気は、急速にしぼんでいく。
(……ああ、やっぱりこうなるか。まあ、いい。変に期待されるよりは、最初からこのポンコツっぷりを晒しておいた方が、後々のためかもしれん)
俺は、深いため息をつきながらも、そんなことを考えていた。
リリアナは扇で顔を隠し、バルカスは額に青筋を浮かべている。
グレイデン司令官の案内で、俺は要塞の各所を視察し、兵士たちと直接言葉を交わした。
彼らの多くは、魔王復活の兆候という不吉な報せに不安を抱きつつも、それでもなお、この国を守るという強い意志を持っていた。
俺は、彼ら一人一人に労いの言葉をかけ、王都からの支援を約束し、そして何よりも、国王である俺自身が、彼らと共に戦う覚悟であることを伝えた。
その言葉は、勇者の件で多少沈んだとはいえ、確実に彼らの士気を高めたようだった。
【人心掌握】スキルも、ここでは良い方向に作用しているだろう。
「陛下、こちらが、先日来、魔の森の方角より観測されております、不気味な魔力の奔流の様子でございます」
要塞の最上階にある監視所。
グレイデンが指差す先、遥か北の空には、確かに紫黒のオーラが渦巻き、天を突くかのような不吉な光の柱が、断続的に明滅しているのが見えた。
その光景は、筆舌に尽くしがたいほどの邪悪な気配を放っており、見ているだけで魂が凍てつくような感覚に襲われる。
(……これが、魔王復活の……。まだ兆候に過ぎぬというのに、これほどの威圧感とは……)
「今のところ、魔物の大規模な侵攻はございませんが、斥候の報告によれば、終焉の谷周辺では、これまでに確認されなかった強力な魔獣や、統率された動きを見せる魔物の集団が目撃されております。」
グレイデンは、正面に見える隘路を見据えて続ける。
「先日も、峠の警邏部隊が、オーガ・バーサーカーとヘルハウンドの変異種の小隊と遭遇し、辛くも撃退いたしましたが、数名の負傷者を出しました」
グレイデンの報告は、淡々としていたが、その内容は極めて深刻だった。
「そうか……。グレイデン司令官、そしてエルヴァン要塞の諸君。君たちの奮戦のおかげで、我がロムグールは、そして大陸は、かろうじて平和を保てている。だが、本当の戦いはこれからだ。」
俺は強く拳を握る。
「過去の文献から、魔王が完全に復活するまで、あと数年……いや、最悪の場合、一年しかないかもしれん。それまでに、我々はこの国を立て直し、そして必ずや魔王を打ち破らねばならん。そのためにも、このエルヴァン要塞の守りを、さらに強固なものにする必要がある。王都に戻り次第、具体的な支援策を講じる。それまで、何としても持ちこたえてほしい」
俺の言葉に、グレイデンは力強く頷いた。
「はっ! このグレイデン・アストリア、命に代えましても、エルヴァン要塞を守り抜いてご覧にいれます!」
◇
一方、その頃、我らが勇者、田中樹は……。
「なあなあ、オッサン! 魔王って、倒したらやっぱすげー経験値とかもらえるわけ? レアな武器とか防具とか、ドロップしたりすんの? 俺、勇者だから、そういうの優先的にゲットできる権利あるよな? なあ、教えてくれよ!」
要塞の厳しい雰囲気を全く意に介さず、グレイデンに馴れ馴れしく絡み、ゲームの攻略情報でも聞くかのように目を輝かせていた。
その姿に、グレイデンは一瞬絶句し、そしてバルカスは額に青筋を浮かべて樹の頭に強烈な拳骨を落とした。
「この大馬鹿者がーっ! 司令官に無礼であろうが!」
「いってえええ! なんだよジジイ! 俺は勇者としての当然の権利を……!」
リリアナは、深いため息をつきながら、そっと胃薬を取り出す俺の姿を、どこか哀れむような目で見つめていた。
(……まあ、勇者はさておき、エルヴァン要塞の士気は高まった。グレイデン司令官の有能さと、兵士たちの忠誠心も確認できた。これで、心置きなく、あの狸爺と対峙できる……!)
俺は、エルヴァン要塞の城壁から、遥か南、マーカス辺境伯の領地があるであろう方向を睨み据え、次なる戦いへの決意を新たにするのだった。
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