第一話:勇者様(笑)光臨 ~その男、期待値ゼロどころかマイナスにつき~
(マジで……役に立たない……だと……!? しかも、なんだこのマイナス方向に振り切れたスキル群は……! これが……これが俺の代わりに召喚された勇者……!?)
女神の野郎……! あの時の独り言は、そういう意味だったのか! 本当に、正真正銘の、一点の曇りもない、ゴミカスみたいな勇者を送り込んできやがったあああああああっっ!!
俺、アレクシオス・フォン・ロムグール――元社畜、現・小国の若き国王――は、玉座の上で顔面蒼白になりながら、内心で絶叫していた。
目の前の魔法陣に立つ、召喚されたばかりの勇者、田中樹とやらの【絶対分析】結果は、およそ勇者とは呼べない、いや、むしろ存在自体がデバフなのではないかと疑うレベルの代物だったからだ。
HPもMPも村人の半分以下。
筋力に至っては「かろうじて剣は持てるが、振ると腰を痛めるレベル」と注釈付き。
スキルに至っては、「口先介入(低確率で相手をイラつかせる)」「責任転嫁(高確率で自分の非を認めない)」「現実逃避(ピンチになると眠くなる)」という、もはや何の冗談かと問い詰めたくなるラインナップ。
総合評価の「マジで役に立たない」という一言が、これ以上ないほど的確に彼を表している。
そんな俺の絶望など露知らず、当の田中樹は、ようやく自分が異世界に召喚された勇者である、という状況を(自分に都合よく)理解したのか、ふんぞり返って不遜な態度で言い放った。
「へえ、俺が勇者ねぇ。まあ、薄々気づいてたけどね。俺ってば、やっぱ特別な存在だったわけだ。で? 魔王倒せばいいんだろ? 速攻で片付けて、元の世界に帰らせてもらうから。あ、でも、それなりの報酬は期待してるぜ? あと、可愛い女の子とか、美味いメシとかもよろしくな!」
その自信過剰な物言いと、どこまでも厚かましい要求の数々。
広間は水を打ったように静まり返り、貴族たちは顔を見合わせ、神官たちは困惑した表情で固まっている。
唯一、俺の隣に控える筆頭補佐官の侯爵令嬢、リリアナ・フォン・ヴァインベルグだけが、冷静さを保とうと努めているのか、扇で口元を隠しつつも、その眉がピクピクと痙攣しているのが見て取れた。
彼女もまた、勇者召喚に大きな期待を寄せていた一人なのだ。その心中、察するに余りある。
視界の端で、玉座のやや下座に控える宰相、イデン・フォン・ロムグールの姿が目に入った。
初老の男だが、背筋は伸び、その眼光は老獪な光を宿している。
彼は表情一つ変えずにこの茶番劇を眺めているが、その内心では何を思っていることか。
おそらくは、「また若輩の王が厄介事を抱え込んだわい」とでも嘲笑っているのだろう。
先代王の頃から国の実権を握り、無能と名高かった(らしい)俺を、内心見下しているであろうことは想像に難くない。
「……(こ、こいつ、マジか……。この状況で、開口一番それかよ……。イデン宰相の視線も痛いし、空気読め、とかいうレベルじゃねえぞ……!)」
俺はこめかみに浮かぶ青筋を必死に抑え込みながら、国王としての威厳を保とうと、なんとか声を絞り出した。
「……ゆ、勇者殿。長旅(?)、ご苦労であった。まずは、その、なんだ、歓迎の宴でも……」
内心では(こいつをどうやっておだてて、できるだけ波風立てずに部屋に押し込めるか……それとも、ここで一度ガツンと言っておくべきか? いや、逆ギレされても面倒だ……)と、前世で培った対クレーマー交渉術がフル回転を始めていた。
「宴? いいねぇ、それ! でもさ、俺、腹減ってんだけど。とりあえず、ピザとコーラ、特大サイズで頼むわ。あと、ポテチと、そうだな、なんかこう、ガツンとくる肉料理も欲しいな。霜降りのステーキとか。あ、デザートは別腹だから、ハーゲンダッツのストロベリー味、人数分ね!」
田中樹は、まるで近所のコンビニにでも注文するかのような気軽さで、次々と要求をまくし立てる。
(ピザ? コーラ? ハーゲンダッツだと? ……いや、確かに前世では俺もお世話になった魅惑のラインナップだが、こいつ、本気でこの異世界(うちの国)にあるとでも思ってんのか!? しかも、この国の現状を微塵も理解せず、よくもまあそんな贅沢三昧な要求を臆面もなく……! 問題はそこじゃねえだろ、色々とな!)
俺の思考は、怒りと呆れと絶望で完全にフリーズしかけた。
リリアナが、すっと前に進み出て、田中樹に優雅に一礼する。
「勇者様、長旅でお疲れのところ恐縮ですが、そのようなお食事は、残念ながら当国ではご用意いたしかねます。ですが、我が国自慢の食材を使った、最高の料理でおもてなしさせていただきますので、どうかご容赦ください」
その声はあくまで冷静沈着だったが、扇を持つ手が微かに震えている。怒りを抑えているのだろう。
健気だ。
だが、そのリリアナも、俺のあまりに穏やかな(ように見える)態度に、内心では首を傾げていた。
(陛下……? あの勇者の無礼極まりない要求に対し、何故あのように冷静でいらっしゃるの? 雷を落とされていてもおかしくないはず……。何か、お考えがあってのことなのかしら……?)
「はぁ? なにそれ、使えねーの。異世界って、もっとこう、何でもアリなんじゃないわけ? チートスキルとかで、パパッと出せたりしないの? 俺、勇者なんだけど?」
田中樹は、心底不満そうだ。その言い草に、周囲の貴族たちからも、さすがにざわめきが漏れ始める。
その時だった。
それまで黙って事の推移を見守っていた宰相イデンが、ゆっくりと一歩前に進み出た。
その顔には貼り付けたような笑みが浮かんでいるが、その奥の瞳は全く笑っていない。
(ほう……? あの癇癪持ちで、自分の意に沿わぬ者は即座に排除しようとなさる陛下が、この小僧の戯言をここまで黙って聞いておられるとは……。)
イデンは、アレクシオスの変化に内心で訝しむ。
転生前の、気に入らないことにはすぐに声を荒らげていたアレクシオスならば、この勇者の態度に激怒し、即刻打ち首にしろと命じてもおかしくなかった。
「――勇者殿。いかに異世界よりお越しになられた特別なお方とはいえ、そのお言葉遣いは、少々、いえ、かなり耳に障りますな。ここはロムグール王国の王城、そして御前におわすは国王陛下。もう少し、場所と相手を弁えて発言なさるのが、賢明というものではございませんか?」
イデンの声は、抑揚こそないものの、有無を言わせぬ圧力を孕んでいた。
それは俺を庇うというよりは、ロムグール王国の、そして王家の権威そのものが軽んじられることへの明確な不快感の表明だった。
内心では「この若造が、陛下の無能さにつけ込んで好き放題言いおって。だが、王家の威光まで地に落とすのは許さん」とでも思っているのかもしれない。
「ああん? なんか文句あんのか、ジジイ。あんた誰だよ。俺は客だぜ? しかも、世界を救う勇者様だ。もっと丁重に扱えよな。王様だろうがなんだろうが、俺がいなきゃ魔王に滅ぼされんだろ? もっと感謝しろってんだ」
田中樹は、宰相イデンの威圧感などどこ吹く風、全く悪びれる様子もなく、逆にその貴族を睨みつける始末。
いや、相手が誰かなんて、こいつには関係ないのだろう。
自分こそが世界の中心、と本気で思っているに違いない。
(うわっ、宰相自ら出てきたか……! しかも、思った通り、俺個人じゃなく、王家の権威を守ろうとしての発言だ。この勇者、イデン宰相にまで喧嘩売るとか、マジで命知らずだな……いや、単に何も考えてないだけか。どっちにしろ面倒くさい!)
俺は、もはや何度目か分からないため息を、心の奥底で深く、ふかーく吐き出した。
国王としての威厳? そんなもの、このポンコツ勇者の前では、風前の灯火どころか、既に灰燼に帰している。
「……勇者殿。まずは、落ち着いて話を聞いてほしい。当国は、現在、多くの困難に直面している。 食糧事情も、決して豊かとは言えないのだ。故に、あなたの要求全てに、今すぐ応えることは難しい」
俺は、なんとか冷静さを装い、諭すように言った。本当は、「ふざけるな、このクソガキが!」と叫びたいのを、必死で堪えている。スキル【人心掌握(ただし下心が見えると効果半減)】が、ここで変な方向に発動しないことを祈るばかりだ。
下心はない、断じてない。
ただ、この国をどうにかしたいという、切実な願いだけだ。
リリアナは、俺のその言葉を聞き、再び内心で驚きを禁じ得なかった。
(陛下が……あのように理路整然と、そして辛抱強く相手を諭されるなど……。以前の陛下であれば、感情的に相手を罵倒し、力でねじ伏せようとなさっていたはず……。まるで、別人のようだわ……)
その変化は、リリアナにとって驚きであると同時に、微かな、しかし確かな希望を感じさせるものでもあった。
「は? なにそれ。貧乏ってこと? うわー、マジかよ。そんな国に召喚されちまったのか、俺。ツイてねー。じゃあ、金よこせよ、金。金があれば、何とかなんだろ? 俺、元の世界じゃ結構金遣い荒かったんだぜ? 月に百万くらいは平気で使ってたし」
田中樹は、鼻をほじりながら、信じられないようなことを口にする。
(月百万……だと……? この国の年間国家予算が、金貨にして……いや、考えるのはよそう。頭が痛くなる)
この国の財政は、前王の放蕩と、腐敗貴族による横領で、既に破綻寸前なのだ。
金貨一枚だって、今の俺にとっては血の一滴に等しい。
それを、この役立たず(確定)にポンと渡せるわけがない。
「勇者殿、当国の財政状況は……その、極めて厳しい。なので、金銭による直接的な支援も、今は……」
「はあ!? 食い物もダメ、金もダメって、どういうことだよ! 俺、何しにここに来たと思ってんだ! ボランティアじゃねえぞ!」
田中樹は、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、大声でわめき散らし始めた。
その剣幕に、周囲の貴族たちは顔を青くしたり、あるいは怒りに肩を震わせたりしている。まさにカオス。
「そもそも、部屋はどうなってんだよ、部屋! まさか、雑魚寝とか言わねえだろうな!? 俺は、最低でもスイートルーム! 天蓋付きのフカフカベッドで、専用のバス・トイレ付きは当然な! あと、メイドもつけろよ、メイド! 若くて可愛い子限定でな!」
次から次へと湧き出る、身の程をわきまえない要求の数々。
その一つ一つが、確実に俺の精神を削っていく。
リリアナが、俺の前に進み出て、静かに告げる。
「陛下、この者をどう処遇いたしましょうか。このままでは、我が国の威信に関わります。いかに勇者様とはいえ、これ以上の無礼は見過ごせませぬ」
その声には、明確な怒りと、そして俺への気遣いが滲んでいた。
ありがたい。
本当にありがたいが、しかし。
(どうする……? 【絶対分析】によれば、こいつは本当に、マジで、心の底から役に立たない。だが、女神はこいつを勇者として送り込んできた。何か、何か意図があるのか……? いや、あの女神のことだ、単なる嫌がらせの可能性も……)
俺の脳裏に、転生直前の女神の楽しそうな顔が浮かぶ。
(……いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。こいつをどうにかしないと、話が全く進まない)
俺は、一つ深呼吸をして、田中樹に向き直った。
「勇者殿。君の要求は分かった。だが、その全てを無条件に受け入れることはできない。我が国には、我が国の法と秩序がある」
「あ? 法だぁ? そんなもん、俺には関係ねえよ。俺は勇者だぞ? 特別なんだよ!」
「特別、か……。そうだな、君は確かに特別だ。色々な意味でな」
俺は、皮肉を込めてそう言ったが、もちろん田中樹にそんな機微が通じるはずもない。
「だろ? やっと分かったか、この国の王様も。じゃあ、さっさと俺の言うこと聞けよな!」
(ダメだ、会話が成立しない……! こいつは、自分の要求が通らない限り、永遠にこの調子だろうな……!)
俺は、傍らに立つリリアナに、目だけで合図を送った。リリアナは、心得たというように、小さく頷く。
「勇者様、まずは長旅の疲れを癒していただくため、お部屋へご案内いたします。お食事も、できる限りのものをご用意させましょう。細かいお話は、その後ということで、いかがでしょうか」
リリアナは、あくまで穏やかに、しかし有無を言わせぬ圧力を含んだ声でそう提案した。
さすがは侯爵令嬢、交渉術にも長けている。
「……まあ、そういうことなら、いいけどよ。でも、部屋とメシがしょぼかったら、俺、マジでキレるからな? その時は、この国の姫を人質に……」
「勇者様、こちらへどうぞ」
田中樹が何か不穏なことを言いかける前に、リリアナは完璧な笑顔でその言葉を遮り、有無を言わさず彼を広間の出口へと誘導し始めた。
数人の衛兵たちが、リリアナの指示で、さりげなく、しかし確実に田中樹を囲むようにして後に続く。事実上の強制連行である。
騒々しい勇者(笑)一行が退室し、広間にようやく静寂が戻った。
残された貴族たちは、皆、疲労困憊といった表情で、ぐったりとしている。
「……陛下、あの勇者……本当に、大丈夫なのでしょうか……?」
年老いた神官長が、不安げに俺に問いかけてくる。
俺は、その問いに、力なく首を振ることしかできなかった。その時だった。
「――陛下。いささか、前途多難な船出でございますな」
鈴を転がすような、しかしどこか温度の感じられない声が、玉座の傍から聞こえた。
いつの間にか、宰相イデン・フォン・ロムグールが、俺のすぐ近くまで進み出ていた。
その顔には、感情の読めない笑みが貼りついている。
「宰相……」
「まさか、古の盟約に従い召喚された勇者殿が、あのような御仁とは。我が国の行く末、ますます陛下の双肩にかかっておりますな。……もっとも、その肩が、どこまで重責に耐えられるのか、見ものではございますが」
イデンの言葉は、表向きは俺を気遣うような響きだが、その実、明らかに俺の力量を試すような、いや、むしろ期待などしていないとでも言いたげな棘を含んでいた。
こいつ、間違いなく俺のこと、なめてやがる。
リリアナが、イデン宰相の無礼な物言いに何か言い返そうと一歩前に出たが、俺はそれを手で制した。
「……宰相の言う通りだ。前途多難、いや、暗雲低迷と言った方が正しいかもしれんな。だが、国を導くのが王の務め。どんな状況であれ、俺はこの国を見捨てるつもりはない」
俺は、イデンの目を真っ直ぐに見据えて言い放った。スキル【人心掌握】が、こいつにだけは悪影響を及ぼさないことを祈る。
いや、いっそドン引きされてもいい。俺の覚悟を示すには、それくらいで丁度いいのかもしれない。
その言葉に、イデンはわずかに眉を動かした。
(……王の務め、だと? あの遊び呆けていたアレクシオス様が、そのようなことを……。にわかには信じられんな。一体、この短期間に何があったというのだ……?)
イデンは、俺の言葉の真意を探るように、値踏みするような視線を向けてくる。
リリアナもまた、俺のその言葉に、ハッとした表情を見せた。
(陛下……。先ほどから、まるで人が変わられたかのようだわ。以前の無気力で享楽的なお姿はどこにもない。これが……これが本当の陛下のお姿なの……?)
彼女の瞳には、驚きと共に、新たな決意のような光が灯っていた。
イデンは、俺の言葉に、ほんの僅かに目を見開いたように見えたが、すぐにいつもの貼り付けたような笑みに戻った。
「ほう……それは頼もしい限りでございます。では、お手並み拝見と参りましょうか、陛下」
そう言うと、イデンは優雅に一礼し、他の貴族たちと共に広間を退出していった。
その背中からは、依然として俺への不信と、そして虎視眈々と何かを狙うようなものが感じられた。
「……陛下、あの宰相、陛下に対してあまりにも……!」
リリアナが憤慨したように言うが、俺は静かに首を振った。
「いいんだ、リリアナ。あれが現実だ。俺は、あの勇者だけでなく、ああいう連中とも渡り合っていかねばならない。……分からん。だが、一つだけ確かなことがある」
俺は、天を仰ぎ、そして、この先に待ち受けるであろう苦難の日々に思いを馳せた。
「俺の胃が、もたないかもしれん……」
これは、マジで役に立たない勇者に振り回されながら、若き国王が知恵と勇気と現代知識(と胃薬)で国を救う物語の、まだほんの序章に過ぎないのであった。
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