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第百五十五話:古の怨嗟、帝国の亡霊

 

【東方諸侯連合近海・第二部隊『星砕きの刃』】


 ヤシマからの帰路、俺が率いる第二部隊の船は、穏やかな海を進んでいた。


 だが、俺の心は嵐の中にあった。手にした神剣が、時折、俺の感情とは無関係に、まるでそれ自体が記憶しているかのように、深い哀しみの波動を放つからだ。


 ハルキの魂は、俺に全てを託し、今は剣の奥深くで静かに眠っている。だが、その千年の絶望は、剣そのものに、癒えぬ傷として刻み込まれているようだった。


(……これが、英雄の魂の重みか)

 俺は、心の中で呟く。


 剣に込められた、言葉にならない想い。


 それが、俺の魂に、現実の痛みとして伝わってくる。


「……ボス。少し、顔色が悪いぜ」

 甲板で、一人、海を見つめていた俺に、ファムが声をかけてきた。


 その声には、不器用な、しかし、確かな気遣いが滲んでいる。


「……少し、考え事をしていただけだ」


「へっ。あんたが考え事してる時なんざ、大抵、ろくなことにならねえからな。ま、何かあったら、言えよ。俺たちは、あんたの、ただの『刃』だ。あんたが斬れって言ったもんを、斬る。それだけだ」


 その、あまりにも単純で、そして、絶対的な信頼。  


 俺は、その言葉に、少しだけ、救われたような気がした。


 だが、その平穏は唐突に破られた。


 それまで凪いでいた海面が、何の前触れもなく、不自然に盛り上がり始めたのだ。船が、木の葉のように揺れる。


「なんだ!?」


「嵐か!?」


 ベテランの船乗りたちが、慌てて帆を畳もうとする。


 だが、これは、ただの嵐ではなかった。


 俺たちの船を中心として、海水が、巨大な擂り鉢の底へと吸い込まれるかのように、渦を巻き始めたのだ。


 その直径、数キロにも及ぶ、巨大な渦潮。


「……ボス、下だ!」

 ファムの絶叫。


 渦の中心、その、深く抉られた海の底から、何かが、上がってくる。


 それは、山だった。


 いや、山と見紛うほどの、巨大な、生物だった。


 天を覆うほどの巨体は、濡れた鱗で覆われ、その背には、おびただしい数の、珊瑚や、難破船の残骸が、まるで鎧のようにこびりついている。


 空が、その影に覆われ、真昼の海が、夜の闇に沈んだ。


 そして、その、巨大な頭部から、二つの、月よりも大きく、そして、この世の全ての憎悪を煮詰めたかのような、燃えるような赤い瞳が、俺たちを見下ろしていた。


 古の災厄、海王リヴァイアサン。


 千年前、勇者ハルキによって、辛うじて、海底神殿に封じられたという、伝説の魔獣。


 神剣が、ひときわ強く、そして、哀しく脈打った。


 リヴァイアサンの、その赤い瞳は、船の上の他の誰にも目もくれず、ただ一点、俺が佩く星詠みの神剣だけを、憎々しげに、そして、どこか懐かしむように、見つめていた。


 千年の時を超え、自らを打ち破った、聖なる刃の『匂い』を、嗅ぎつけたのだ。



【ガルニア帝国領・第一部隊『賢者の手』】


 一方、リリアナ率いる第一部隊は、ヴァレンティンの先導で、『古の王道』を進んでいた。


 そこは、帝国の栄華を偲ばせる、苔むした石畳の道だったが、今は、荒れ果てた大地と、虚ろな目をした難民たちが点在するだけの死の世界だった。


 道中、それまで抜け殻のようだった賢者セレヴィアが、初めて自らの意志で口を開いた。


「……この道は……」

 その虚ろな瞳が、遠い過去を見つめている。


「……ハルキと、歩いた道です。あの頃は、まだ、希望があった……」

 その呟きは、誰に聞かせるでもなく、風に溶けて消えた。


 だが、その哀しい響きは、一行の心に、千年の時の重みを改めて刻み付けた。


 数日後、一行は、山岳地帯に築かれた、堅牢な砦都市へとたどり着いた。


 だが、その城門に翻る旗は、黄金の鷲ではない。黒地に、不気味な眼を描いた、『静寂の使徒』の紋章旗だった。


「……アイゼンブルク。かつて帝国軍の、若きエリートたちが集う、誇り高き学び舎であった」

 ヴァレンティンが、馬上から、その光景を、苦々しげに見つめていた。


 砦の内部は、異様な秩序に満ちていた。


 使徒たちの指導の下、民衆と、皇帝を失い帰る場所をなくした帝国兵の残党が、感情を殺したかのように、黙々と、城壁の補強作業に従事している。


 その、あまりにも統率の取れた光景の中心、広場に設けられた演台の上に、一人の男が立っていた。


 その姿を認めた瞬間、ヴァレンティンの、氷の仮面が、音を立てて砕け散った。


「……馬鹿な。……カイン……!?」


 演台の上に立つ男は、ヴァレンティンと同じ、銀糸の髪を風になびかせ、その瞳には、雑草のようにしぶとく、そして、飢えた光を宿していた。


 かつて、ヴァレンティンが、アカデミーで、唯一、そして一度だけ、敗北を喫したあの好敵手。


 無実の罪を着せられ、追放されたはずの、カイン、その人だった。


 カインもまた、一行の中から、ヴァレンティンの姿を認めると、その口元に、獰猛な、そして、どこか哀しげな笑みを浮かべた。


「―――よう、ヴァレンティン。随分と、落ちぶれたものだな、帝国の『象徴』も。その、負け犬のような顔、実によく似合っているぞ」


 カインの、その言葉に、ヴァレンティンは、何も言い返すことができなかった。


 彼が、その生涯で、唯一、目を逸らしてきた、自らの罪。その化身が、今、目の前に立っていた。


「俺は、お前と、そして、俺を見捨てた、この腐りきった帝国に、復讐するために戻ってきた。いや、違うな。復讐ではない。『浄化』だ」


 カインは、集まった兵士たちに向かって、高らかに宣言した。


「聞け、帝国の残光にすがる者たちよ! 皇帝は死に、帝国は滅んだ! だが、我らは生きている! これより、我らは、腐敗した帝国の骸を捨て、新たな秩序を、このアイゼンブルクの地に打ち立てる! その名は、『静寂の兵団(サイレント・レギオン)』! 我らは、静寂の教えの下、真に力ある者だけが報われる、新たな軍事国家を、この地に建国する!」


 その、狂気に満ちた宣言。それを、一行の後方で、フードを目深に被ったセレヴィアが、聞いていた。


 彼女は、戦慄に、声を震わせた。


「……いけません。彼は、魔王とは違う。ですが、それ故に、もっと危険な存在になりかねない……。人の絶望を糧とし、人の心を掌握する、新たな、混沌の王が、生まれようとしています……!」

 リリアナは、悟った。


 自分たちの任務が、今、この瞬間、全く別の、そして、あまりにも過酷なものへと、変貌してしまったことを。


 旧帝国領に、魔王軍とは異なる第三の、そして極めて危険な軍事勢力が誕生するのを阻止する。




 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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