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第百五十四話:王の帰還

 

 星詠みの神剣を手にした瞬間、俺の意識は再び、光の奔流に呑まれた。


 次に目を開けた時、俺は、あの広大な宇宙ではなく、試練へ入る前に通った、巨大な一枚岩の門の前に、一人立っていた。


 手の中には、確かな重みがあった。


 鞘に納まったままの、星詠みの神剣。


 その刀身に宿るハルキの善なる魂が、俺の覚悟に呼応するように、静かに、しかし力強く脈打っているのを感じる。


 俺は、門が開くまでの束の間、目を閉じた。


 剣を通じて、ハルキの魂の残滓が、俺の魂に語りかけてくる。


 それは、言葉ではない。千年の時を超えた、郷愁とでも呼ぶべき、哀しい想いの交感だった。


『……桜は、もう咲いただろうか』


 ハルキの魂が、問うてくる。


 彼の脳裏に浮かんでいるのは、この世界には存在しない風景。


 春の柔らかな日差しの中、風に舞い散る、薄紅色の花びら。そして、その下で笑い合う、学生服姿の仲間たち。


 彼が、勇者として召喚される前に過ごした、ありふれた、しかし、かけがえのない日常の記憶。


 俺の魂もまた、その光景に共鳴した。


 俺の脳裏に蘇るのは、桜並木ではない。


 コンクリートジャングルの中にそびえる、無機質なオフィスビル。


 深夜、誰一人いなくなったフロアで、コンビニの冷めた弁当を掻き込みながら、窓の外に広がる都会の夜景を、ただ、ぼんやりと眺めていた、あの夜。


『……俺たちの世界では、桜はとっくに散っただろうな』


 俺が心の中で答えると、ハルキの魂から、静かな、諦観にも似た感情が伝わってくる。


 俺たちは、同じ世界から来た。


 だが、生きていた時代も、見てきた風景も、そして、この異世界で背負わされた運命も、あまりにも違う。


 それでも、魂の根底にある「帰りたい」という、叶うはずもない願いだけが、俺たちの唯一の共通点だった。


『君は……帰れると、思うか?』


 ハルキの、か細い問い。


 俺は、静かに、首を横に振った。


『俺たちは、もう死人だ。元の世界に、俺たちの居場所はない。俺は元の世界で命を使い果たし、お前は、この世界で心を砕かれ、その魂は今も魔王の中に囚われている』


『……そう、だな……』


『だが、ハルキ。俺は、この世界で、王として死ぬと決めた。お前の絶望も、俺が背負う。だから、今は、眠れ。千年の孤独から、お前を解放するのは、この俺だ』


 その、俺の覚悟に応えるように、神剣の脈動が、一度だけ、力強く輝いた。


 そして、ハルキの魂は、再び、剣の奥深くで、静かな眠りについた。


 俺は、目を開けた。感傷に浸っている暇はない。俺には、やるべきことがある。


(……帰るか。俺の帰りを待つ、仲間たちの元へ)


 俺が、そう決意した瞬間だった。


 ギ、ギギギギギ……ッ!


 千年の沈黙を守ってきた目の前の巨大な門が、大地を揺るがすかのような重い軋み音を立てて、ゆっくりと、本当にゆっくりと開かれていく。


 門の向こうから、眩しい光が差し込んできた。


 それに混じって、土の匂い、木の香り、そして、懐かしい仲間たちの気配が、俺の五感を満たしていく。


「―――ボス!」


 最初に聞こえてきたのは、ファムの、安堵と焦燥が入り混じった、鋭い声だった。


 光に目が慣れ、俺がはっきりとその姿を捉えた時、彼女は、これまで見たこともないような、驚愕の表情で、俺を、いや、俺が手にする剣を凝視していた。


「……マジかよ……。それが、星詠みの神剣……?」


 ファムだけではない。音もなく俺の背後に回り込んでいたハヤテも、心配そうに眉を寄せるナシルも、そして、面布の奥の瞳を大きく見開いているヤシマの長クロガネも、皆、同じように、俺が手にする一振りの剣に、その意識を奪われていた。


「……ロムグールの王よ。その御姿……」


 クロガネが、震える声で呟く。


 無理もない。


 彼らには、この剣がただの美しい武器ではないことが、直感で理解できるのだろう。


 それは、もはや魔力や霊気といった次元の力ではない。


 世界の理そのものに干渉する、神代の武具が放つ、絶対的なまでの存在感。


 俺は、静かに、仲間たちの元へと歩み寄った。


「心配をかけたな。少し、長話になってしまった」


 その、俺の一言に、仲間たちは、再び目を見開いた。 


 特にファムは、怪訝な顔で、俺の顔をじろじろと見つめている。


「……ボス。なんか、雰囲気、変わったか……?」


 俺自身には、自覚はない。


 だが、試練を乗り越え、自らの魂の在り方を自覚した俺は、もはや以前の俺ではないのだ。


 その変化が、無意識のうちに、俺の言動や佇まいに、王としての気配を、色濃く滲ませているのだろう。


「この社は、俺に、多くのことを教えてくれた。千年前の真実も、そして、俺たちが、本当に戦うべき相手の正体もな」


 俺は、神剣の柄を、強く握りしめた。


 その瞬間、ハルキの、哀しく、そして、どこか安堵したような想いが、俺の心に流れ込んでくる。


(……この重さは、俺一人で背負う)


「クロガネ殿。感謝する。貴殿のおかげで、我々は、勝利への、唯一の道を、見出すことができた」


 俺がそう言って頭を下げると、クロガネは、恐縮したように、深々とその身を折り曲げた。


「……勿体なきお言葉。神剣は、真の主を選ばれた。ロムグールの王よ、我がヤシマは、世界の夜明けのため、貴殿と、そして大陸連合と、固い盟約を結ぶことをここに誓う。我らは、貴殿の背中を、そして大陸の未来を守る、揺るぎなき盾となろう」


 その言葉は、もはや社交辞令ではなかった。


 それは、神代の遺産を目撃し、その継承者となった俺への、一国の長としての、心からの敬意と、共に戦うという固い意志の表明だった。


「……さて、と」


 俺は、空を見上げた。ヤシマの、どこまでも青く澄んだ空。


 だが、その向こう側、遥か西の大陸では、今も、魔王の脅威が、暗い影を落としている。残された時間は、そう長くはない。


「帰るぞ。俺たちの、戦場へ」


 俺の、その一言に、ファムが、ハヤテが、そしてナシルが、力強く頷いた。


 彼らの瞳には、もう、以前のような、先の見えない戦いへの不安はない。


 ただ、俺への、絶対的な信頼と、揺るぎない覚悟だけが、宿っていた。


 俺たちの、ヤシマでの使命は、終わった。


 だがそれは、本当の戦いの始まりを告げる、静かな夜明けだった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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