第百五十二話:覚醒の始まり
広間に満ちていた、千の魂の嘆きが消え、絶対的な静寂が戻ってきた。
俺は、広間の中央で、片膝をついたまま荒い息を繰り返していた。
肉体的な疲労よりも、魂そのものが擦り切れるかのような、凄まじい消耗感。だが、不思議と心は凪いでいた。
自らの内側から溢れ出した、あの蒼銀の光。その温かい余韻が、まだ全身を巡っている。
リリアナが操るような体系化された魔法ではない。
俺は、そもそも魔法の才能は皆無であった。
田中樹が放つ、制御不能な聖なる力の奔流とも違う。
それは、もっと根源的な、俺自身の魂の在り方そのものが、力として顕現したかのような感覚だった。
(……あれは、一体……)
俺は、自らの掌を見つめた。
そこには、まだ微かに、蒼銀の光の粒子が漂っては消えていくのが見える。
この不可解な現象を、放置はできない。
俺は、自らの原点に立ち返ることにした。
わからないことがあるのなら、分析すればいい。
(……そういえば、自分自身を分析したことなかったな……)
(スキル【絶対分析】、対象、俺自身)
初めて、そのスキルを自分自身へと向けた。
他人や物に向けるのとは全く違う、奇妙な感覚。
自らの魂の深淵を、もう一人の自分が冷徹に覗き込むような、背筋の凍る感覚だった。
刹那、脳内に、これまでにないほど鮮明な、俺自身の「ステータス」が展開される。
そして、その情報に、俺は息を呑んだ。
【名前】アレクシオス・フォン・ロムグール(相馬譲)
【称号】苦労性の国王、試練を越えし者
【職業】王
【ステータス】
** HP:85/320 (消耗)**
** MP:24/150 (消耗)**
** 筋力:B+**
** 耐久力:A-**
** 素早さ:B**
** 知力:S**
** 精神力:A+**
** 幸運:C**
【スキル】
【絶対分析】
あらゆるものの情報と、それに対する最適な対処法を瞬時に解析する固有スキル。
【人心掌握】
誠実な態度で相手に接することで、信頼と好意を得やすくなる固有スキル。下心があると効果が激減し、勇者には効果がない。
【王の威光(覚醒)】
分類: 概念干渉系スキル
概要: 魂の在り方そのものが力となる。王として、民の、国の、そして仲間たちの『絶望』と『願い』をその身に背負う覚悟を決めた時、その魂は蒼銀の輝きを放つ。その光は、邪悪を滅するのではなく、嘆き苦しむ魂を鎮め、浄化する『赦し』の力となる。所有者の『覚悟』の重さに比例して、その輝きは増大する。MPではなく、精神力を源として発動する。
【勇者の魂(兆候)】
分類: 伝説級潜在スキル
概要: 世界の理に干渉する資格を持つ魂の輝きの、微かな兆し。神代の武具を扱い、世界の理を覆すほどの脅威と対峙するための前提条件となる。この試練は、この魂を覚醒させるための触媒である。
現状: 未だ萌芽の状態にあり、所有者はその力の意味も、形も、まだ完全には理解していない。
(……なんだ、これは……。俺のステータスが、バルカスに匹敵するほどの数値に……。そして、このスキルは……)
俺は、呆然と、脳内に表示された情報を反芻した。
【王の威光】
そうだ、あの時の感覚そのものだ。
霊たちの絶望が濁流のように流れ込んできた時、俺はそれを拒絶しなかった。
ただ、受け入れた。
王として、その嘆きも苦しみも全て背負うと決めた。
あの覚悟が、この力の引き金だったというのか。
それは魔法のようにMPを消費するのではなく、俺の「精神力」そのものを源とする力。
まさに王の責務と一体の能力。
なんと皮肉なことか。
相馬譲として生きていた頃、俺は同じように、他人の仕事を、責任を、その一身に背負い込んだ。
だが、それは断れないという弱さからくる、ただの自己犠牲だった。
その果てにあったのは、孤独な過労死だけだ。
だが、今は違う。
俺には、守るべき民がいる。
信頼してくれる仲間がいる。
彼らのために背負う重荷は、もはや俺をすり減らすだけの呪いではない。
俺を、王として立たせるための誇りそのものなのだ。
かつて俺を殺した特性が、今はこの異世界で俺を活かす力となっている。
だが、もう一つのスキルに、俺は深い困惑を禁じ得なかった。
【勇者の魂】
冗談ではない。
勇者は、田中樹のはずだ。俺は王だ。国を治め、民を導き、あの役立たずな勇者という名の爆弾をどうにか運用するのが俺の役目のはず。
それなのに、なぜ俺の魂に、このようなものが宿っている?
ようやく、理解した。
この、あまりにも悪趣味で、残酷だった試練の、その本当の意味を。
あれは、ただ俺を苦しめるためのものではなかった。
俺の魂を、極限まで追い詰め、その奥底に眠っていた、この未知の力の存在を、俺自身に自覚させるための、荒療治だったのだ。
俺が、自らの魂の在り方を、その力の意味を、完全に理解した、その瞬間。
広間の中央に鎮座していた石の台座が、これまでで最も強く、眩いほどの光を放った。
『―――見事なり。汝、王としての器を示せり』
再び、声なき声が、脳内に響く。
『なれど、汝が求めるものは、王の威光のみにては、手にすること叶わじ』
台座の光が、収束していく。
そして、その光の中から、一つの、古びた、しかし、神々しい気を放つ、剣の「鞘」が、ゆっくりと姿を現した。
鞘には、星々を模した、美しい装飾が施されている。
その彫刻の精緻さは、神代の技を思わせた。
だが、肝心の中身は、空だった。
『星詠みの神剣は、統治する者の威光を受け入れる鞘と、そして、英雄の魂を宿す『刃』によって、初めて、その真の力を現す』
『汝が魂、統治者としては満ち足りた。だが、『勇者』としては、まだ、不完全なり』
声は、最後の問いを、俺に投げかけた。
その言葉の意味を理解し、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
この試練は、まだ終わっていなかった。
王の器を示しただけでは、片手落ちだというのか。
神剣を完成させるには、俺自身が「勇者の魂」をも示さねばならないと。
この社は、俺に王であると同時に、勇者であれと要求しているのだ。
『―――汝、最後の試練に、挑む覚悟は、あるか』
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
全身を駆け巡る、凄まじい消耗感。
だが、心は、不思議なほどに、静かだった。
俺は、自らの内に目覚めた、この新たな力の感触を確かめるように、一度、強く拳を握りしめた。
そして、迷うことなく、答えた。
「ああ。望むところだ」
俺の、その覚悟に応えるように、広間の、台座の向こう側の壁が、音もなく、左右に開かれていく。
その先にあったのは、どこまでも続く、暗く、そして、深い奈落へと至るかのような、巨大な螺旋階段だった。
俺は、ゆっくりと台座に近づき、そこに置かれた星詠みの『鞘』を、恭しく手に取った。
ひやりとした、しかし不思議と手に馴染む感触。
これが、俺が王として認められた証。
そして、次なる試練への鍵。
俺は、その鞘を腰に佩くと、自らが浄化した無数の霊魂たちの想いを、そして、仲間たちの信頼を胸に、最後の試練へと、その一歩を。
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