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第百四十七話:星詠みの社、千年の門

 

 東方諸侯連合の砕け散った結束を、王としての覚悟と冷徹なまでの恫喝で辛うじて繋ぎ止めてから、さらに幾星霜が過ぎたかのように感じられた。


 アレクシオスが率いる第二部隊『星砕きの刃』は、大陸の東端に位置する港から、ヤシマの長クロガネが手配した舟に乗り、伝説の海域「霧幻海」へと乗り出していた。


 そこは、一年を通して濃い霊霧と、不可思議な魔力の渦巻く海流に閉ざされた、生ける者の侵入を拒む禁断の海。


 羅針盤は狂ったように回転し、星々の位置すらもあてにならない。


 ただ、クロガネが持つという、星辰の運行を読むヤシマ古来の航海術だけが、我々の唯一の道標だった。


「……ボス。この霧、肌にまとわりつくようだ。ただの霧じゃねえ」


 船べりに立ち、警戒を解かぬファムが、忌々しげに吐き捨てる。


 彼女の言う通り、霧には邪気とは異なる、しかし魂を直接削り取るかのような、冷たい圧があった。


 数日にも及ぶ航海の末、霧が嘘のように晴れた瞬間、俺たちの目の前に、その威容は現れた。


 空に浮かぶ、巨大な岩塊。


 そこから幾筋もの滝が流れ落ち、虹をかけている。


 燐光を放つ巨大な霊樹が、島々を繋ぐ橋のように枝を伸ばす。


 アルカディア大陸の、どの風景とも異なる、幻想的で、そしてどこかこの世ならざる空気を纏った霊威の群島国家ヤシマ。


 あまりの光景に、ファムですら言葉を失っていた。


 クロガネの先導のもと、俺たちはヤシマの本島に上陸し、霊峰「天衝山」の頂に座すという「星詠みの社」を目指した。


 苔むした石段、天を突く巨木、そして道端に佇む、表情のない石仏。


 その全てが、千年の時を静かに見守ってきたかのような、荘厳な沈黙に満ちていた。


「……ボス。この国の連中、俺たちを値踏みしてるぜ」

 ファムが囁く。


 彼女の言う通り、すれ違うヤシマの民は、俺たち部外者に好奇の目を向けながらも、その奥には決して心を開かぬ、鋭い警戒の色を宿していた。


 そして、長い、長い石段を登り切った先。


 ついに俺たちは、目的地である「星詠みの社」の前にたどり着いた。


 だが、そこに社殿はなかった。


 あったのは、ただ、圧倒的なまでの存在感を放つ、一枚の巨大な「門」だった。


 それは、人の手によるものではなかった。


 空間そのものが結晶化し、ねじくれ、一枚の巨大な壁となったかのようだ。


 表面には、星々の運行を示すかのような、見たこともない古代の紋様が、淡い青白い光を放ちながら、ゆっくりと明滅を繰り返している。


 その門が放つ、絶対的なまでの「拒絶」の気配は、いかなる城壁よりも雄弁に、その先への侵入を阻んでいた。


「……これが、『千年の門』か」

 俺は、思わず呟いた。


「へっ、ただの壁じゃねえか。ハヤテ、斬れるか?」

 ファムの言葉に、ハヤテは静かに首を横に振った。


「無理だ。あれには、実体がない。斬ろうとすれば、刃が、魂ごとすり抜けるだろう」


「然り」

 クロガネが、静かに頷いた。


「この門は、武力でも、魔術でも開くことはできぬ。千年前、かの『異邦の剣士』が開けたきりよ。伝承によれば、この門は常人には開けることはできぬ」

 クロガネは、その面布の奥の瞳で、真っ直ぐに俺を見据えた。


「―――『常ならざる魂の持ち主』。この世界の理から、外れた者にしか」

 その言葉に、俺の心臓が、ドクリと大きく脈打った。


 ファムが、ナシルが、ハヤテが、訝しげな顔でクロガネと俺を交互に見る。


 世界の理から外れた者。


 それは、俺のことだ。


 会社のオフィスで過労死し、女神の気まぐれでこの世界に転生させられた、イレギュラーな存在。


 前世の記憶、そして、この世界の理を歪めるスキル【絶対分析】。全てが、その言葉を裏付けていた。


 俺は、静かに仲間たちの前から進み出た。


 そして、千年の時を刻む、巨大な門の前へと、一人立った。


 冷たい。


 門に手を触れた瞬間、脳内に直接、無数の情報と、そして一つの、哀しい問いかけが流れ込んできた。


『汝、何者ぞ』


『汝、この世界の者にあらず』


『汝が魂、その歪み、我には視える』


 それは、門そのものの意志だった。


 俺は、心の中で、静かに答えた。


(そうだ。俺は、この世界の者ではない。だが、この世界を救うと、そう決めた者だ)


 その覚悟に応えるかのように、俺の手が触れた場所から、青白い光の波紋が、門全体へと広がっていく。古代の紋様が、これまで以上に激しく明滅を始めた。


 ギ、ギギギギギ……ッ!


 千年の沈黙を破り、大地を揺るがすかのような、重い、重い軋み音。


「……うお!開いた!?」

 後ろから誰かの驚く声が聞こえてくるが、開くもんから視線を外すことはできない。


 門が、ゆっくりと、本当にゆっくりと、内側へと開かれていく。


 門の向こうに広がっていたのは、闇だった。


 星空のようでもあり、深淵のようでもある、ただ、絶対的な静寂と、未知の気配だけが満ちる、不可知の空間。


「……ボス!?」


 ファムの、不安げな声が背後から飛ぶ。


 俺は、一度だけ振り返り、仲間たちの顔を見渡した。


 ファム、ナシル、ハヤテ。


 シズマの死を乗り越え、より強固な絆で結ばれた彼ら。


 そして、未来を俺に託した、クロガネ。


「ここからは、俺一人の役目だ」


 俺は、静かに、しかし、有無を言わせぬ響きで告げた。


「お前たちは、外で万が一の事態に備えろ。俺が、この門に拒絶され、あるいは、この先で倒れるようなことがあれば、その時は、お前たちが、この情報を王都へ持ち帰れ。それが、お前たちの最後の任務だ」


「……馬鹿言ってんじゃねえよ! 俺たちを、誰だと思ってやがる!」


 ファムが、食ってかかろうとする。


 だが、それを、クロガネが、その肩に手を置き、静かに制した。


「……ファム殿。これが、王の覚悟だ」


 ファムは、唇を噛み締め、何かを言いたげに、しかし、最後には、ただ一言だけ、絞り出した。


「……死ぬなよ、ボス」


 その言葉に、俺は静かに頷き、そして、再び、門の奥の深淵へと向き直った。


 星詠みの神剣。


 そして、俺自身の、この世界における、本当の役目。


 その全てが、この先にある。


 俺は、覚悟を決め、一人、千年の闇の中へと、その一歩を、踏み出した。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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