第十六話:老獪なる辺境伯 ~招かれざる客、その深意と王の腹芸~
騎士団の粛清を終え、一息つく間もなく衛兵から飛び込んできた衝撃的な報せ。
「マーカス辺境伯が、僅かな供回りのみで、先ほど王城の正門に……! 陛下に緊急の面会を求めている、と!」。
俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、リリアナと顔を見合わせたまま、しばし言葉を失った。
マーカス辺境伯――エルンスト・フォン・マーカス。
その家名は、ロムグール王国建国の際に、初代国王を支えた最も有力な貴族の一族として、この国の歴史に深く刻まれている。
代々、王国の北東部、広大な辺境領を治め、独自の兵力と強大な影響力を保持し、「王に次ぐ権力者」とまで囁かれる存在だ。
そして、先の国王暗殺計画の首謀者の一人として、その名が挙がったばかりの人物でもある。
その男が、なぜこのタイミングで、しかも僅かな供回りだけで王城に乗り込んできたというのか?
辺境伯領から王都までは、いかに急いでも数日はかかる距離のはずだ。
つまり、彼が領地を発った時点では、まだレナード騎士団長の捕縛という事態は起きていなかったことになる。
(罠か? それとも、何か別の目的が……? いや、どちらにしても、ここで会わぬという選択肢はない。下手に追い返せば、それこそ何をされるか分からん。それに、奴が何を考えているのか、この目で確かめる必要がある。あの老獪な辺境伯のことだ、こちらの想像を超える何かを仕掛けてくる可能性も否定できん……。油断すれば、足元を掬われかねん)
俺は、内心で警戒を強める。
国王執務室には、緊張した面持ちのリリアナと、苦虫を噛み潰したような表情のバルカス、そして感情の読めない宰相イデンが集まっていた。
「陛下、マーカス辺境伯がこの状況で自らお越しになるとは……一体何を考えているのでございましょうか。先の国王暗殺計画への関与が露見したと知っての上での行動とは到底思えませぬが……」
リリアナが、不安と疑念の入り混じった声で言う。
「ふん。あの老獪な狸のことだ、何か魂胆があるに決まっておる」バルカスは吐き捨てるように言った。
「しかし、陛下。いかに少数の供回りとはいえ、先の件を考えれば、辺境伯を王城に迎え入れるのは危険も伴います。万が一のことがあっては……」
バルカスの声には、アレクシオスを弑逆しようとした者への怒りというよりは、辺境伯の予測不能な行動に対する警戒と、何をしでかすか分からない相手を王の前に通すことへの懸念が滲んでいた。
「分かっている、バルカス。だが、奴は自らやって来たのだ。その意図が何であれ、ロムグール国王として、逃げるわけにはいかんだろう」俺は静かに告げた。
「リリアナ、バルカス。謁見の間には、万全の警備体制を敷け。フィンには、引き続き捕らえた者たちの尋問と、辺境伯の不正に関する証拠の再確認を。ロザリアは、念のため医務室で待機。そして宰相……貴殿にも同席願う。辺境伯の出方、そして貴殿の『助言』も聞きたいのでな」
俺は、敢えて宰相イデンの名を口にする。
彼がこの状況をどう読み、どう動くか、それもまた見極める必要がある。
◇
謁見の間には、張り詰めた空気が漂っていた。玉座に座る俺。
その両脇にはリリアナとバルカス。
そして、間を置いて宰相イデンが控えている。
ライアスは、屈強な近衛騎士たちと共に、ホールの四方を固めていた。
やがて、扉が開き、一人の老人が悠然と入ってきた。
年の頃は六十代後半だろうか。
白髪交じりの髪をきっちりと撫でつけ、その瞳は老獪な光を宿し、見る者を射抜くように鋭い。
痩身ながらも、その立ち姿には長年権力の座にあった者特有の威圧感が滲み出ている。
彼こそが、マーカス辺境伯その人だった。供回りは、本当に数名の手練れらしき護衛のみ。
辺境伯は、まず玉座の俺に一瞥をくれると、次に玉座の傍らに控える宰相イデン・フォン・ロムグールの姿を認め、その眉をほんのわずかに、しかし確かに動かした。
その表情は、「ほう、貴殿もこの場におられるか」とでも言いたげな、少し意外そうな、そしてどこか値踏みするような色を浮かべていた。
イデン宰相は、そんな辺境伯の視線にも全く動じることなく、いつもの感情の読めない表情で静かに佇んでいる。
ほんの一瞬の無言の応酬の後、辺境伯は再び俺に視線を戻した。
「これはこれは、アレクシオス陛下。ご機嫌麗しゅう。このマーカス、陛下の新たなる治世の始まりをことほぎに、辺境より馳せ参じましたぞ」
辺境伯は、玉座の俺を見据え、深々と、しかしどこか芝居がかったように一礼した。
その言葉と態度からは、昨夜の粛清劇や、ましてや国王暗殺計画など、まるで何も知らないかのような白々しさが感じられた。
(……とんでもない狸爺だ。これが、マーカス辺境伯……! 建国以来の有力貴族、その当主か……!)
俺は、【絶対分析】を発動させ、彼の情報を読み解こうとする。
しかし、その結果は、まるで濃い霧に包まれたかのようだった。
【名前】エルンスト・フォン・マーカス
【称号】ロムグール辺境伯、北の守護者(自称:王国の実力者、建国功臣の末裔)
【職業】大貴族、領主
【ステータス】
** HP:不明**
** MP:不明**
** 知力:高(表示限界以上か?)**
** 統率力:高**
** 交渉術:極めて高**
【スキル】
** ・【権謀術数】**
** ・【人心掌握(黒)】**
** ・【危機回避(嗅覚)】**
** ・【深謀遠慮】:対象の真の能力、ステータス、スキル、計画、感情などを著しく不明瞭にし、誤認させる効果を持つ。**
【現在の心境】
** 不明(【深謀遠慮】スキルにより解析困難。ただし、極めて冷静かつ計算高い思考が働いている様子は窺える)**
【今回の来訪の真の目的(【絶対分析】による推測、ただし信頼度低)】
** 1.国王アレクシオスの力量を試す意図が濃厚。**
** 2.ゲルツ騎士団長の失脚という事態(おそらく王都到着後に知った)に対し、何らかのリアクションを取るためか。**
** 3.自身の立場を有利にするための何らかの交渉、あるいは情報操作を企図している可能性あり。**
** ※【深謀遠慮】スキルの影響により、これ以上の詳細な目的の特定は困難。**
(……やはり、一筋縄ではいかない相手だ。スキル【深謀遠慮】か。厄介なものを隠し持っていやがる。だが、それでも【絶対分析】は、奴の目的のいくつかを暴き出した。これをどう利用するか……)
「辺境伯、遠路ご苦労であった。だが、祝いの言葉を述べに来るには、少々物々しい状況であることは理解しているかな?」
俺は、静かに、しかし鋭い視線で辺境伯を見据える。
「おやおや、陛下。何かございましたかな? 私が王都を離れておりました間に、何かよからぬ噂でも? 実は、たまたま先ほど王都に入りまして、耳を疑うような話をちらと聞き及びました。」
大袈裟に腕を振り答える。
「なんでも、あのレナード・フォン・ゲルツ騎士団長が、国家に対する大罪を犯したとか……。このマーカス、忠義の士として、いてもたってもいられず、真偽を確かめ、そして陛下に万が一のことがあってはと、こうして急ぎ馳せ参じた次第にございます」
辺境伯は、わざとらしく目を伏せ、憂いを帯びた表情を作ってみせる。
その白々しいまでの忠臣ぶりには、もはや反吐が出そうだ。
「ゲルツ騎士団長の件、貴殿は本当に何も知らぬと申すか? 昨夜、この王城で何があったのか。そして、貴殿の名が、その首謀者の一人として、はっきりと挙がっていることを」
俺の言葉に、辺境伯の表情が初めてわずかに変わった。
だが、それも一瞬のこと。すぐにいつもの老獪な笑みを浮かべる。
「ほう、私の名が? それはまた、濡れ衣も甚だしい。私は、ただひたすらにロムグール王家の安泰と、陛下の治世の成功を願うばかりの、一介の忠臣にございますぞ? 何かの間違いではございませんか、陛下。あるいは、質の悪い御冗談ですかな?」
辺境伯は、俺の言葉を一笑に付すかのように、しかしその瞳の奥は一切笑わずにそう言った。
「…………許せ、辺境伯…。戯言だ。」
俺は、内心で舌打ちする。
フィンの分析でも、現状の物証だけでは、この老獪な辺境伯を国家反逆罪で断罪するには不十分だという結論が出ていた。
勇者が偶然見つけた羊皮紙の断片も、暗号めいていて、これだけでは奴を直接追い詰める決定的な証拠にはならん。
捕らえた刺客たちも、ゲルツ騎士団長の名は出したものの、辺境伯の直接的な関与については口を割らなかった。
奴のスキル【深謀遠慮】が、証拠隠滅にも作用している可能性すらある。
この場で下手に追求しても、のらりくらりとかわされるだけだろう。
今は、奴の出方を見るしかない。
(全く、忌々しいほどの狸爺だ。だが、ここで感情的になっては奴の思う壺。冷静に、慎重に……そして、必ず尻尾を掴んでやる)
「だが、辺境伯。貴殿が本当に何も知らぬというのであれば、なぜこのタイミングで、わざわざ王都へ参られたのだ? ゲルツ騎士団長の『不幸な事件』の真相究明を、この私に『助言』するためか? それとも、何か別の『ご用件』でも?」
俺は、内心の苛立ちを押し殺し、敢えて辺境伯の来訪の理由を問いただす。
辺境伯は、そこで初めて、その老獪な笑みを深めた。その瞳の奥が、ギラリと光ったように見えた。
「ふふふ……さすがはアレクシオス陛下。お若いながらも、実に鋭いご慧眼でいらっしゃる。実を申しますと、陛下にぜひともお伝えしたい『吉報』と、そして一つ『お願い』がございましてな。それで、いてもたってもいられず、こうして馳せ参じた次第にございます」
「吉報、だと? そして、お願い……?」
俺の言葉に、リリアナもバルカスも、そして宰相イデンまでもが、訝しげな表情を浮かべる。
この状況で、一体何を言い出すつもりだ。
「左様。陛下、魔王復活の兆候、誠に憂慮すべき事態にございます。我がマーカス領は、ご存知の通り、北の竜哭山脈とエルヴァン要塞に最も近い位置にあり、古来より『王国の北門』としての重責を担ってまいりました。かのエルヴァン要塞への補給路も、我が領を通過せねば維持は困難。まさに、我がマーカス領こそが、エルヴァン要塞、ひいては王都カドアテメへの最後の防波堤と言えましょう」
辺境伯は、そこで一度言葉を切り、俺の反応を窺うように目を細める。
「このマーカス、陛下とロムグール王国のため、我が領地の兵全てを動員し、エルヴァン要塞の後詰として、魔王軍に対する鉄壁の防衛線を築き上げる覚悟にございます! これぞ、我がマーカス家がロムグール王家に代々捧げてきた忠誠の証! ……つきましては、陛下。その鉄壁の防衛線をより強固なものとし、万が一にもエルヴァン要塞が危機に陥った際に、迅速かつ万全の支援を行うための、我が領への軍備増強、兵糧備蓄、そして街道整備に関する『お願い』が数点ほど……。もちろん、これらは全て、ロムグール王国全体の安寧のため、そして陛下の御代を盤石なものとするための投資にございますれば」
辺境伯は、得意満面な表情で、しかしその瞳の奥に計算高い光を宿して、そう言い放った。
「な……なんだと……!?」
俺は、思わず言葉を失った。
これは、忠誠の申し出の形を取った、巧妙な脅迫だ。
エルヴァン要塞という国の生命線を盾に、自領への利益誘導を図ろうというのか。
しかも、国王暗殺計画への関与が疑われるこのタイミングで、よくもまあ、こんな提案ができたものだ。
【絶対分析】が、辺境伯の言葉の裏にある真の狙いを高速で解析しようとする。
スキル【深謀遠慮】の影響で情報は断片的だが、それでもいくつかの危険な可能性が浮かび上がってくる。
(こいつ、一体何を企んでいる……!? ゲルツの粛清という、こちらが仕掛けたはずの盤面を、逆に利用して、俺を揺さぶろうというのか……!? この『お願い』を呑めば、奴の影響力はさらに増大する。だが、断れば……エルヴァン要塞への支援を滞らせるという脅しか……!? これは、単なる腹芸ではない。明確な……挑戦状だ!)
俺の背筋に、冷たい汗が流れるのを感じた。
マーカス辺境伯という老獪な狸は、俺が想像していた以上に、はるかに厄介で、そして底の知れない相手なのかもしれない。
そして、彼のその「吉報」とやらは、明らかにロムグール王国にとって、甘く危険な毒を含んでいた。
「それでは、よく御吟味の程お願いいたします」辺境伯が、悠然とした態度で謁見の間から引き揚げていく。
その背中を見送りながら、俺は言いようのない疲労感と、そしてかすかな屈辱を覚えていた。
「……ふふ。いやはや、お見事なものでございましたな、マーカス辺境伯は」
静寂を破ったのは、いつの間にか俺の傍らに進み出ていた宰相イデンの声だった。
その表情は、いつものように感情を殺しているが、その瞳の奥には、隠しようもない嘲弄の色が浮かんでいるように見えた。
「若き国王陛下も、あの老獪な古狸の前では、少々分が悪かったようでございますな。……完敗、でしたかな、陛下?」
その言葉は、静かだが、鋭い刃のように俺の胸に突き刺さった。
俺は、イデンのその挑発的な視線を受け止め、唇を噛み締める。
(完敗……だと? いいや、まだだ。まだ、何も終わってはいない……!)
俺の胃は、もはや悲鳴を通り越し、何か悟りを開きそうなほどの静かな痛みを、再び主張し始めていた。この国の闇は、俺が思うよりも、ずっと深く、そして複雑に絡み合っているようだ。
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