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幕間『閃光と、伊達男の夜会』

 話は遡る。


 王都カドアテメの夜は、変わりつつあった。


 若き国王アレクシオスの新体制が始まって以来、そこには、新たな風が吹き始めていた。


 その中心にいるのは、間違いなく、国王が抜擢した若き天才、フィンだった。


 彼が打ち出した急進的な税制改革案は、当然のことながら、旧体制派の貴族たちから、猛烈な反発を受けていた。


 その急先鋒は、先の粛清で息子レナードを投獄された、ゲルツ侯爵その人であった。


 彼は、フィンの改革を阻止すべく、今宵、王都一の伊達男と名高いアルマン伯爵の夜会を、決起の場として選んだ。


 その、華やかな、しかし、腹の探り合いに満ちた夜会に、一人の、場違いな男が、紛れ込んでいた。


 フィンだった。


 彼は、リリアナに無理やり着せられた、動きにくい上質な衣服の中で、心底うんざりしたような顔で、壁際に佇んでいた。


「アルマン伯! 聞いてくださるか!」

 ゲルツ侯爵の、怒りに満ちた声が、穏やかな音楽の流れる広間に響き渡る。


 彼は、夜会の主催者であるアルマン伯爵を捕まえると、まるで獲物に噛みつくかのように捲し立てた。


「あの若造の王と、その手先である小僧フィンのせいで、我が息子は反逆者の汚名を着せられ、投獄された! これは、ゲルツ家だけの問題ではない! 我ら建国以来この国を支えてきた貴族全体への、許されざる挑戦なのだぞ!」


 だが、アルマン伯爵は、ゲルツ侯爵のその悲痛な訴えには全く耳を貸さず、うっとりとした表情で、侯爵が身に着けているブローチを指差した。


「おお、ゲルツ侯。そのブローチ、実に素晴らしい輝きだ。その深い青は、まるで夜明け前の空のよう。だが、惜しい。実に惜しいな。その、君の怒りに満ちた声の、なんと不協和音なことか。その美しいブローチが、君の醜い声のせいで、泣いているのが聞こえんのかね?」


「なっ……話を聞いておるのか、伯爵!」

 ゲルツ侯爵の顔が、怒りで真っ赤に染まる。 


 フィンは、その光景に、もはや我慢ならなかった。


 彼は、無作法にその輪の中へと割り込むと、テーブルに置かれていた、飾り用のパンを一つ、無造作に手に取った。


「あんたらの言う『伝統』ってのは、こいつのことか?」

 フィンは、そのパンを、二つに引き裂いた。中は、パサパサに乾ききっている。


「見た目は立派だが、中身はスカスカで、食えたもんじゃない。民衆が食ってるのは、これよりも、もっと酷い代物だ。あんたらの守りたい『伝統』ってのは、民がこんなパンを食いながら、飢えを凌いでいる現実そのものじゃねえのか?」


 その、あまりにも直接的で、無粋な物言いに、ゲルツ侯爵の怒りの矛先が、フィンへと向いた。


「どこから来たか知らんが、口を慎め、小僧! 貴様のような成り上がりに、貴族の誇りが分かってたまるか!」


「おやめなさい、お二人とも」

 アルマン伯爵が、うっとりと目を閉じ、ワイングラスを鼻に近づけながら、静かに言った。


「君たちの、その、あまりにも美しくない口論のせいで、この、気高き葡萄の香りが、台無しではないか。このワインはね、夜明けの霧を吸って育った乙女が、素足で踏んで作ったものでだな……」

 伯爵は、そのまま、誰に聞かせるともなく、延々とワインのうんちくを語り始めた。


 ゲルツ侯爵も、フィンも、完全に置き去りにされている。


 フィンは、この男に、まともな議論を挑むことの無意味さを、完全に悟った。


 彼は、作戦を変更した。


「ところで、伯爵」

 フィンは、伯爵の長い独演会を、無作法に遮った。


「あんたが、特に自慢にしているという、そのコレクション……。あの、壁に飾られている、初代国王の肖像画。実に見事なものだ。だが、少し、気になることがあってね」


 フィンの視線の先、夜会の広間の、最も目立つ場所に、その、巨大な肖像画は飾られていた。


「俺が、王城の古い記録を調べていたら、面白い記述を見つけた。その肖像画は、数十年前に、王城の宝物庫から、何者かによって盗み出され、行方不明になっている、と。そして、その絵の裏には、初代国王陛下だけが知る、特殊な魔術インクで、王家の印が記されている、とね」


 その言葉に、ようやく、アルマン伯爵のワイン語りが止まった。


 彼は、ゆっくりと、フィンの方を向いた。


 その顔には、驚きでも、怒りでもない、純粋な、美的探究心だけが浮かんでいた。


「ほう……? 我がコレクションに、そのような、ミステリアスな来歴が? 面白い! 実に、面白いじゃないか! で、その印とやらは、どのような形をしているのかね? 紋章のデザインは? 使われているインクの配合は? 教えてくれたまえ、若き閃光よ!」


「言いがかりだ、小僧!」

 ゲルツ侯爵が、横から叫ぶ。


「伯爵の、その高潔なコレクションに、ケチをつける気か!」


「言いがかりかどうかは、確かめりゃいいだけだ」

 フィンは、そう言うと、リリアナから借りてきた、特殊な水晶を取り出した。


「こいつをかざせば、魔術インクは光る。どうする、伯爵? あんたの、その『美しい』コレクションの、真贋を、ここで、はっきりさせようじゃねえか」


 アルマン伯爵は、フィンの挑戦的な視線に、子供のように、目を輝かせた。


「なんと! 真実の美は、時に、残酷な光を放つという! やりたまえ、フィン殿! この夜会の、最高の余興になるではないか!」


 フィンは、呆れながらも、頷くと、集まった貴族たちが見守る中、その水晶を、肖像画へと、かざした。


 水晶が、淡い光を放つ。


 そして、絵画の裏側から、確かに、ぼんやりとした、王家の紋章が、浮かび上がった。


 広間が、どよめいた。


 ゲルツ侯爵は、顔面蒼白になっている。


 だが、アルマン伯爵の反応は、その斜め上を行っていた。


 彼は、その場に、膝から崩れ落ち……るのではなく、恍惚とした表情で、両手を天に掲げた。


「おお……! なんということだ! この絵画が、ただの初代国王の肖像画ではなかったというのか! 王城の宝物庫から密かに運び出され、歴史の闇を潜り抜け、数々の運命の変転を経て、この私の元へとたどり着いた……『曰く付きの秘宝』だったと!?」

 彼の目は、爛々と輝いている。


「素晴らしい! 実に、素晴らしいッ! この絵画の『物語』は、私が思っていた以上に、遥かに深く、そして美しい! 君は、この絵の真の価値を教えてくれたのだ、フィン殿! この絵は、ただの傑作ではない! 罪と、歴史と、運命の香りを纏った、至高の芸術品なのだ!」


 フィンは、その、常人には理解不能な反応に、本気で呟いた。

「……世が世なら、傑物になったかもしれんな。色々な意味で」


 アルマン伯爵は、感極まった様子で立ち上がると、呆然とするフィンの両肩を、がっしりと掴んだ。


「君には、感謝しかない! この礼として、君の『改革』という名の、無骨で退屈な彫刻に、この私が、少しだけ芸術的な彫琢を施してやろうではないか!」

 伯爵の目が、狂気的な輝きを放つ。


「君の意志の形は悪くない。だが、仕上げが絶望的に美しくないのだ! 私が手を加えれば、それはきっと、歴史に残る傑作となるだろう!」


 その夜を境に、アルマン伯爵は、国王アレクシオスの、最も理解しがたく、しかし、最も頼もしい、数少ない国王派貴族として、その名を、歴史に刻むことになる。


 若き閃光は、伊達男の、その、常識外れの哲学をも、鮮やかに、照らし出したのだった。



 本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。

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