第百三十二話:それぞれの道へ
ザルバードの地下に眠る、千年前の「賢者」。
そして、ヤシマの聖地に眠る、魔王を討つための「神剣」。
絶望の淵に立たされていた円卓の代表たちの間に、初めて、確かな希望の光が差し込んだ。
だが、その光は、同時に、あまりにも過酷な選択を、彼らに突きつけるものだった。
「……ザルバードは、大陸の遥か南の砂漠地帯。ヤシマは、東の海の果て。ロムグールから、それぞれ往復するだけでも数ヶ月はかかる。両方を手に入れるには、一年という時間は、あまりにも……」
シルヴァラントのセレスティナが、大陸地図を指し示しながら、その厳しい現実を口にする。
彼女の言葉に、会議室は再び重い沈黙に包まれた。
どちらを、優先すべきか。
魔王の呪いの影響を解き明かす「知恵」か、それとも、魔王を討つための「武器」か。
どちらを選んでも、もう一方が間に合わなくなる可能性が高い。
まさに、究極の選択だった。
「賢者の知恵なくして、魔王とどう戦えばいいのか」
「神剣なくして、魔王を討ち取れるのか」
東方諸侯の、生き残った貴族たちが、弱々しく、しかし必死に議論を交わす。
帝国のヴァレンティン将軍は、ただ、腕を組み、黙して語らない。
彼の頭の中では、帝国の復興のために必要なことしか考えられていない。
その、出口のない議論を、アレクシオスの一声が、断ち切った。
「―――両方だ」
その場の全員の視線が、議長席のアレクシオスへと注がれる。
「我々は、二つの鍵を、両方とも、同時に手に入れる。今ここで決める」
彼の声には、微塵の迷いもなかった。
その、王としての絶対的な覚悟が、混沌としていた会議の空気を、一つに束ねていく。
アレクシオスは立ち上がると、円卓に集うそれぞれの仲間たちの顔を、一人一人見渡した。
「これより、対魔王連合の、全ての精鋭を、二つの部隊へと再編成する。それぞれの任務の特性に合わせ、最高のチームを作る。異論は、認めん」
彼は、まず、ザルバードの方角を指し示した。
「第一部隊、『賢者の手』。任務は、ザルバードの地下聖域に到達し、賢者セレヴィア・ラ=メイランを、千年間の眠りから覚醒させ、我らの味方として、協力を取り付けること」
「この任務には、何よりも、高度な魔術知識と、そして、千年を生きた賢者と渡り合えるだけの、知性と交渉術が求められる。―――リリアナ。この任務の指揮は、貴女に任せる」
「はっ……! この、リリアナ、必ずや、大役を果たしてごらんにいれます!」
リリアナは、緊張に顔をこわばらせながらも、力強く応えた。
「そして、その補佐として、帝国の将軍、ヴァレンティン殿にも、同行を願いたい」
「……この、私がか?」
ヴァレンティンが、初めて、その虚ろな目を見開いた。
「そうだ。貴公の、その知略と、そして、いざという時のための貴公の魔力は、この任務に必要不可欠だ。何より、帝国の代表として、この作戦に加わっていただくことが、連合の結束を示す、最大の証となる」
「……よかろう。皇帝陛下の弔い合戦のためともなれば、断る理由はない」
ヴァレンティンは、確かに頷いた。
「そして、賢者セレヴィアは、千年前の勇者と共に戦った。ならば、今の『勇者』が、彼女の心を開く、何らかの『鍵』になるやもしれん。―――イトゥキ殿。貴殿にも、同行してもらう」
隅で、固唾をのんで会議の行方を見守っていた田中樹の肩が、ピクリと震えた。
彼は、ゆっくりと立ち上がると、以前のような軽薄な態度は見せず、ただ、静かに、しかし、真っ直ぐにアレクシオスを見つめ、こくりと頷いた。
「……俺も、行くのか。……分かった。足手まといにだけは、ならないようにする」
その声には、まだ、自信のなさと、かすかな恐怖が滲んでいたが、確かに、自らの役目を果たそうとする、覚悟があった。
アレクシオスは、次に、地図の遥か東、ヤシマの方角を指差した。
「第二部隊、『星砕きの刃』。任務は、ヤシマの聖地へ到達し、霊的結界を突破し、魔王を討つ唯一の武器、『星詠みの神剣』を、その手に入れること」
「この任務には、いかなる罠も見抜く『眼』と、邪悪な結界をも断ち斬る『刃』、そして、何よりも、死をも恐れぬ、隠密行動の専門家が必要だ。闇滅隊と、その指揮は、この私が直接執る」
その、あまりにも衝撃的な宣言に、会議室が、再びどよめいた。
「陛下、ご正気でございますか!」
セレスティナが、思わずといった体で立ち上がった。
「……俺が、王だからこそ、行くのだ」
アレクシオスは、セレスティナの、悲痛なまでの制止の言葉をきっぱりと遮った。
「『星詠みの神剣』。それは、魔王を討つ、唯一の希望。この旅は、もはや、ただの探索任務ではない。人類の、未来そのものを手に入れるための、最も重要な戦いだ。その戦いの先頭に、王が立たずして、誰が立つというのだ」
彼は、闇滅隊のファム、ハヤテ、ナシル、そしてヤシマの長クロガネへと視線を移す。
「ファム、お前には、この部隊の現場指揮を任せる。俺がいない場面では、お前が全権を握れ。クロガネ殿には、道案内を。ハヤテ、ナシル、お前たちの力も、必要不可欠だ」
四人は、それぞれの覚悟と共に、深々と、頭を下げた。
そして、アレクシオスは、最後に、王都に残る、最も信頼する若き才能たちへと、向き直った。
彼の視線は、まず、ロザリアを捉える。
「ロザリア。君には、この国の いや、この大地の、全ての民が、飢えることのない、豊かな大地を作り上げる、その全てを託す。君の優しさが、この国を、内側から支える力になる」
「は、はい! 全力で、頑張ります!」
ロザリアは、涙を浮かべながらも、力強く頷いた。
次に、彼は、フィンの前に立った。
その瞳は、王として、そして、一人の友として、絶対的な信頼に満ちていた。
「フィン。―――この国は、お前に任せる」
フィンの目が、驚きに見開かれる。
「イデン宰相が、その命を賭して、お前と、この国の未来を守った。今度は、お前が、その遺志を継ぐ番だ。俺が不在の間、”宰相”フィンとして、この国の、内政の全てを、お前に託す」
その、あまりにも重い言葉と、称号。
フィンの若い肩が、わずかに震えた。
だが、彼は、唇を強く結ぶと、その重責を正面から受け止めるように、深く頷いた。
「……へっ。一年、だろ? 任せとけよ、王様。あんたが、その神様の剣とやらを持ち帰る頃には、この国を、誰にも文句は言わせねえ、鉄壁の最強国家に仕上げておいてやる」
全ての、役割分担が、終わった。
会議室には、悲壮な、しかし、確かな決意に満ちた、静寂が満ちていた。
彼らは、これから、それぞれの、最も過酷な、戦いの道へと、歩み出すのだ。
第三部 了
これにて第三部了となります。
しばらくは幕間を投稿します。
新作も地道に作成していますので、そちらも早く投稿したいところですが、この作品も放置する訳にはいかずもんもんとしております。
引き続き、当作品をよろしくお願いします。
本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
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