第十五話:鉄血の粛清 ~腐敗の牙城、王都に吼える~
ロムグール王国の運命を左右する、長い長い一日が始まろうとしていた。
王都カドアテメがまだ夜明け前の深い静寂に包まれている中、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールは、バルカス、そして彼の呼びかけに応じ馳せ参じたライアス・シュトラウトら元「獅子王隊」の精鋭たちと共に、王城の一室で作戦の最終確認を行っていた。
「バルカス、ライアス、準備はいいな?」
俺の問いに、二人は力強く頷く。
その瞳には、長年抱き続けてきたであろう、腐敗した騎士団への怒りと、そしてロムグール王国への揺るぎない忠誠心、さらにはこの粛清作戦を必ず成功させるという強い決意が宿っていた。
「はっ。陛下のご命令通り、手筈は全て整っております。我が手勢は、現騎士団長レナード・フォン・ゲルツの屋敷を完全に包囲。合図と共に突入し、奴とその腹心どもを一網打尽にいたします」
バルカスの声には、一切の迷いもなかった。
「別働隊を率いる私の方も、ゲルツ派の主要な騎士たちの邸宅、及び騎士団の武器庫の制圧準備は完了しております。抵抗する者は、容赦なく」
ライアスもまた、冷静沈着な口調ながら、その言葉には鋼のような意志が感じられた。
「リリアナは、既に王城の主要な出入り口を魔法部隊と信頼できる衛兵で固めている。フィンは、拘束した者たちの罪状と、マーカス辺境伯やゲルツ騎士団長の不正の証拠をまとめた布告文を手に、いつでも公表できる準備を整えている。ロザリアも、万が一の負傷者に備え、城内の医務室で待機中だ。そして、宰相イデンには、他の貴族たちの動向監視と、マーカス辺境伯へのの使者を準備させている」
俺は、全体の配置と段取りを最終確認する。
(……全ては、この一日のために。しくじるわけにはいかない)
「では、行け。ロムグール王国の夜明けのために!」
俺の言葉を合図に、バルカスとライアスは静かに一礼し、それぞれの部隊を率いて闇夜へと出撃していった。
そして、王都カドアテメがまだ夜明け前の深い静寂に包まれている中、作戦は開始された。
バルカス率いる本隊は、現騎士団長レナード・フォン・ゲルツの屋敷を音もなく、そして完璧に包囲していた。
昨夜の酒宴の残り香がまだ漂う屋敷は、深い眠りに落ちているかのようだ。
こちらの動きは、全く察知されていない。完璧な奇襲と言える状況だった。
バルカスの合図と共に、静かに屋敷の内部に突入を開始する。
寝室の扉を静かに、しかし力強く開けると、そこには磨き上げられた鎖帷子をラフに羽織り、窓辺の椅子に深く腰かけ、夜明け前の薄明かりの中で直接右手に持った酒瓶を呷っているレナード・フォン・ゲルツその人だった。
その表情には驚きの色も、慌てる様子も一切ない。
むしろ、その瞳の奥には、全てを見透かしたような、あるいは全てを諦めたかのような、それでいてどこか挑戦的な光が宿っていた。
まるで、この訪問を、そして自らの運命を、とうの昔に予期していたかのように。
「……ふむ。思ったよりも早いお着きであったな、バルカス殿。それとも、私の部下たちが、貴殿らをここまで手引きするのに手間取ったかな?」
ゲルツは、ゆっくりと酒瓶を置き、静かに立ち上がると、壁に立てかけてあった愛剣を手に取った。
その瞳には、腐敗した生活を送っているとは思えぬほどの、鋭い光が宿っていた。
「このような夜明けに、物々しい供回りを連れて我が屋敷を訪れるとは……。よほどの急用か、あるいは、ついに私を排除する覚悟がおありになったか、アレクシオス陛下は」
その声は、どこまでも落ち着き払い、むしろこの状況を楽しんでいるかのような響きすらあった。
「レナード・フォン・ゲルツ! 国王アレクシオス陛下の名において、反逆及び国家に対する数々の背任行為の容疑で、貴様を拘束する! 神妙に縄にかかれ!」
バルカスの雷鳴のような声が、屋敷中に響き渡る。
「反逆? ふん、人聞きの悪いことを。私はただ、この国をより『強き者』の手に委ねようとしただけのこと。あの若造の王に、一体何ができるというのだ? バルカス殿、貴殿も老いて耄碌したか。私と共に、新たな時代を築こうではないか。今からでも遅くはないぞ?」
ゲルツは、なおも嘯き、バルカスを懐柔しようとする。
その表情には、一切の焦りも見られない。
「その腐りきった舌で、もはや誰も誑かせんわ! 覚悟!」
言葉は決裂し、バルカスとゲルツの一騎打ちが、屋敷の広間で火花を散らした。
ゲルツの剣技は、腐敗していてもなお鋭く、その太刀筋は洗練されていた。
先代王に取り入り、騎士団長の地位まで上り詰めた男。
その剣の腕は、決して飾りではなかったのだ。
バルカスの剛剣を、ゲルツは柳のように受け流し、時には鋭い刺突を繰り出して反撃する。
両者の剣が交わるたびに、甲高い金属音が響き渡り、周囲で見守る騎士たちすら息を呑むほどの激しい攻防が展開された。
「どうした、バルカス殿! その程度か! かつて『ロムグールの獅子』と謳われた貴殿の牙も、随分と丸くなったものだな!」
ゲルツは、余裕の笑みを浮かべながらバルカスを挑発する。
その剣は、まるで踊るようにバルカスの猛攻を捌き、的確に反撃の機会を伺っていた。
だが、バルカスの剣には、長年虐げられてきた民の怒りと、そしてロムグール王国への揺るぎない忠誠心、さらにはアレクシオスという新たな主君への期待が込められていた。
その一振り一振りが、ゲルツの余裕を少しずつ、しかし確実に削り取っていく。
「黙れ、レナード! 貴様のような男に、騎士道を語る資格はない!」
バルカスの気迫が、ゲルツの剣を圧し始めた。
老将の剣は、年齢による衰えを感じさせないどころか、むしろ円熟味を増し、一撃の重みがゲルツの体勢を崩していく。
「くっ……! この老いぼれが……!」
初めてゲルツの表情に焦りの色が浮かぶ。
バルカスの剣が、彼の派手な上段斬りを紙一重でかわし、がら空きになった胴へと鋭く薙ぎ払われた!
ゲルツは辛うじてそれを後方へ跳んで避けたが、体勢は大きく崩れる。
そこへ、バルカスは追撃の手を緩めず、返す刀でゲルツの剣を持つ腕を狙う。
ゲルツは咄嗟に剣で受け止めるも、衝撃で腕が痺れ、顔を歪めた。
その一瞬の隙を突き、バルカスの剣がゲルツの肩口を切り裂き、鮮血が飛び散った。
一方、屋敷の他の場所では、バルカスの指示を受けた騎士たちが、ゲルツの側近騎士たちを制圧していた。
彼らは、バルカスの下で鍛え上げられた本物の騎士。
腐敗し、実戦から遠ざかっていたゲルツ派の騎士たちが敵うはずもなかった。
剣と剣がぶつかり合う音、怒号、そして断末魔の悲鳴が、屋敷のあちこちから断続的に聞こえてくる。
そして、ついに。
バルカスとゲルツの死闘にも、決着の時が訪れた。肩を負傷し、動きの鈍ったゲルツに対し、バルカスは容赦ない追撃を加える。
渾身の一撃がゲルツの剣を弾き飛ばし、次の瞬間には、その切っ先が、ゲルツの喉元に寸止めで突き付けられていた。
「……終わりだ、レナード」
バルカスの静かな、しかし有無を言わせぬ声が響く。
「……フン。見事なものだ、バルカス殿。だがな……これで終わりだと思うなよ、アレクシオス……。この国は、貴様が思うよりも、もっと根深い闇を抱えているのだ……。いずれ、お前も……その闇に喰われることになるだろう……ククク……」
ゲルツは、床に膝をつきながらも、最後まで不敵な笑みを崩さず、そう言い残して捕縛された。
彼の取り巻きたちも、主の敗北と、突入してきたバルカスの部下たちの圧倒的な実力の前に、戦意を喪失し、次々と投降していった。
ほぼ同時刻。ライアス率いる別働隊もまた、ゲルツ派の主要な騎士たちの邸宅や、騎士団の武器庫を電光石火の速さで制圧していた。
一部では小規模な抵抗もあったものの、バルカスの教えを受け継ぐ元「獅子王隊」の精鋭たちの前には、敵ではなかった。
この粛清作戦の騒ぎの中、我らが勇者、田中樹は、明け方の物音で目を覚ましたものの、「なんか外がうるせーな。またバルカスのジジイが朝っぱらから訓練でもしてんのか? 俺は二度寝しよっと」と、布団を頭まで被って再び眠りの世界へと旅立とうとしていた。
しかし、その鼻が、どこからか漂ってくる微かな、しかし確実に食欲をそそる匂いを捉えた。それは、おそらく王城の厨房で、朝食の準備が始まった匂いだったのだろう。
「ん……? なんか、いい匂いがする……。さては、俺の歓迎パーティーの準備か!? そうに違いねえ!」
樹は、食欲という本能に突き動かされ、寝間着のまま寝ぼけ眼で部屋を飛び出し、厨房を目指して城内を徘徊し始めた。
そして、彼が騎士団の詰所近くの薄暗い通路を通りかかった時だった。
数人の男たちが、何か小さな革袋を手に、慌てた様子で周囲を窺いながらこそこそと移動しているのを目撃した。
その男たちの服装は、騎士団のものではなく、どこか見慣れない、しかし質の良さそうなものだった。
「お? なんだあいつら、コソコソしやがって。さては、俺に隠れて美味いもんでも運んでんじゃねーだろうな? しかも、こんな朝早くから。抜け駆けはずるいぞ!」
樹は、持ち前の食欲と好奇心(という名の無謀さ)から、その男たちの後をこっそりと(本人はそう思っているだけで、足音はダダ洩れだが)つけ始めた。
男たちは、城の裏手にある古い通用門へと向かい、そこで門番と何やら短い言葉を交わした後、門から出て行こうとしていた。
「待てコラァ! 俺にもその美味いもん分けろー!」
樹は、ついに我慢できなくなったのか、大声で叫びながら男たちに駆け寄った。
「な、何奴だ!?」
「ちっ、見られたか! このガキ!」
男たちは、突然現れた樹に驚き、一瞬動きを止めたが、すぐに一人が「小僧一人だ、構うな! 行くぞ!」と叫び、強引に門から出ようとする。
その時、巡回中のライアスの部下である元獅子王隊の騎士数名が、樹の声と物音に気づき、駆けつけてきた!
男たちは、ロムグール王国の騎士と見るや、即座に剣を抜き、抵抗を試みる。
「くっ、手練れか!」
その男たちは、予想以上に手強く、元獅子王隊の騎士たちも苦戦を強いられる。
その乱戦の最中、田中樹は、「うわー! こっちもなんか始まったー! 俺の朝飯ー!」とパニックになりながら、なぜか近くにあった掃除用のモップを掴むと、それを無我夢中で振り回し始めた!
グワシャッ!
樹の振り回したモップの先端が、偶然にも、一人の男が懐から守ろうとしていた小さな革袋を叩き落とした。革袋は床に転がり、中から数枚の羊皮紙が散らばる。
「し…しまった!!」
羊皮紙に気を取られた隙に、男たちは次々と打ち据えられていった。
「なんだこれ?」
樹が、その羊皮紙を拾い上げようとした瞬間、駆けつけたライアスがそれを素早く確保する。
数枚の羊皮紙の断片に目を通したが、暗号のようになっており、内容についてはわからなかった。
ただ、その羊皮紙には辺境伯の家紋が示されていた。
「……こ、これは……! こやつら…辺境伯の手のものか!」
「よくやった、勇者殿! 結果的には、だが……大手柄だ!」
ライアスは、苦虫を噛み潰したような、それでいて何かとてつもないものを掴んだという複雑な表情で、樹にそう言った。
田中樹本人は、自分が何をしたのか全く理解しておらず、「あーあ、俺のモップが……。おい、弁償しろよな!」と、捕縛された男たちに文句を言っている始末。
夜が完全に明け、王都に朝の光が差し込む頃には、騎士団の主要な腐敗分子はほぼ全て拘束されていた。
王都の民衆は、当初、明け方の騒動に何事かと不安がったが、アレクシオスの名で「国家反逆罪及び汚職の容疑により、騎士団長レナード・フォン・ゲルツ男爵ほか数名を拘束した。彼らは国王暗殺を企てていた。詳細は追って布告する」という声明が広場に張り出されると、徐々に事態を理解し始めた。
腐敗しきっていた騎士団長とその一派の失脚は、多くの民衆にとって、まさに溜飲の下がる思いだった。
そして、アレクシオス王の断固たる処置に対し、称賛と新たな期待の声が上がり始めていた。
「国王陛下万歳!」「ついに、あの悪党どもが!」「アレクシオス様こそ、真の我らが王だ!」
もちろん、他の貴族たちは、アレクシオスのこの「鉄血」とも言える粛清に戦々恐々とし、自らの屋敷に引きこもって嵐が過ぎ去るのを待つか、あるいは密かに新たな策謀を巡らせ始めている者もいただろう。
執務室に戻った俺は、リリアナとバルカス、そして報告に来たフィンとライアスから、粛清作戦の完了報告を受けた。
「陛下、ゲルツ騎士団長以下、主要な抵抗勢力は全て鎮圧。武器庫も確保いたしました。また、勇者殿が偶然にも発見した羊皮紙は、マーカス辺境伯の不穏な動きを探る上で重要な手がかりとなりそうです」
ライアスの報告に、俺は静かに頷く。
「そうか。……勇者殿には、後で特大のステーキでも用意してやるか。それと、新しいモップもな」
俺がそう言うと、その場にいた全員が、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「バルカス、ライアス。捕らえた者たちの尋問を頼む。マーカス辺境伯との繋がり、そして帝国の関与の可能性についても、徹底的に洗い出せ。そして、新たな騎士団の編成を急げ。フィン、ゲルツらの不正蓄財の全容解明と、その資産差し押さえの準備を。そして、今回の粛清の正当性と、ゲルツらの罪状を、民衆に分かりやすく布告する準備もだ。ゲルツ侯爵家への対応も必要になるぞ!」
「「「はっ!」」」
国内の大きな膿の一つを、ようやく取り除くことができた。
だが、これはまだ始まりに過ぎない。
マーカス辺境伯は、依然として領地で抵抗の構えを見せているだろう。
そして、魔王復活の脅威も、刻一刻と迫っている。
(外なる敵、内なる敵……。問題は山積みだが、それでも、一歩ずつ進むしかない)
俺は、窓の外に広がる、朝日を浴びて輝き始めた王都カドアテメの景色を見つめながら、次なる戦いへの決意を新たにする。
その時だった。
「陛下! 大変でございます!」
執務室に、血相を変えた衛兵が駆け込んできた。
「ま、マーカス辺境伯が……マーカス辺境伯が、僅かな供回りのみで、先ほど王城の正門に……! 陛下に緊急の面会を求めている、と!」
「……なんだと?」
俺は、思わずリリアナと顔を見合わせた。
マーカス辺境伯が、このタイミングで、自ら王都へ? 僅かな供回りだけで、一体何を企んでいる……?
(国王暗殺計画の首謀者の一人が、なぜこの状況で単身に近い形で乗り込んできた? 罠か? それとも、何か取引材料でも持ってきたというのか? 【絶対分析】でも、まだ真意までは掴めん……だが、ここで会わぬという選択肢はない)
俺の胃は、粛清の達成感も束の間、再びキリキリとした痛みを主張し始めていた。
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