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第百三十話:世界の呪い

 

 静寂。


 それは、死闘を終えた、三つの戦場に等しく訪れていた。


 東方諸侯連合の、焼け野原と化した森。


 闇滅隊の三人は、シズマの亡骸を丁重に弔い、夜明けの冷たい光の中で、ただ無言で、天を仰いでいた。


 ファムは、シズマの形見となった霊刃を握りしめ、その冷たさだけが、この悪夢のような一夜が現実であったことを、彼女に伝えていた。


 北方、エルヴァン要塞。


 半壊した城壁の上で、司令官グレイデン・アストリアは、生き残った兵士たちと共に、散っていった数多の仲間たちの亡骸に、最後の敬礼を捧げていた。勝利の味は、あまりにも苦く、そして、あまりにも多くの血の味がした。


 そして、ガルニア帝国の帝都。


 半壊した中央広場で、アレクシオスは、リリアナやヴァレンティンと共に、負傷者の救護と、秩序の回復を指揮していた。


 彼の傍らでは、田中樹が、未だ深い眠りから覚めずに、静かな寝息を立てている。


 誰もが、終わったのだと、思っていた。


 あまりにも大きな代償を払ったが、それでも、人類は、魔王軍の、最初の、そして最大級の侵攻を、退けたのだ、と。


 その、あまりにも脆い、幻想。 


 それは、何の前触れもなく、大陸の全てを覆う、巨大な絶望によって、粉々に打ち砕かれた。


 ふ、と。


 空が、暗転した。


 東方も、北方も、帝都も、そして、王都カドアテメも。


 大陸の、全ての場所で、同時に、真昼の太陽が、その光を失ったのだ。


 世界は、日食とも違う、まるで、巨大な何かの影に、完全に飲み込まれてしまったかのような、不気味な薄闇に包まれた。


 農作業をしていた民が、手を止め、空を見上げる。


 市場で、商品を売り買いしていた商人たちが、ざわめき始める。


 子供たちの、泣き声が、あちこちから聞こえてくる。


 得体の知れない、本能的な恐怖が、さざ波のように、大陸全土へと広がっていく。


 そして、その、全ての民が見上げる、暗転した空に、一つの、巨大な「顔」が、ゆっくりと、浮かび上がった。


 それは、人懐こい、どこか少年のような、無邪気な笑みを浮かべた青年の顔。


 魔王ヴォルディガーン。


 彼の幻影が、今、全世界に、同時に映し出されていた。


『やあ、人間たち。こんにちは』


 その声は、穏やかで、優しく、そして、それ故に、恐ろしかった。


 まるで、神が、その子らへと語りかけるかのように、その声は、大陸の全ての生き物の、脳髄に直接響き渡った。


『僕の、可愛い四天王たちと、存分に、遊んでくれたみたいだね。ありがとう。おかげで、とても、良いデータが取れたよ。君たちの、強さも、弱さも、そして、その、ちっぽけな希望の輝きも』


 ヴォルディガーンは、楽しそうに、言葉を続ける。


『君たちは、勘違いしているようだね。僕が、君たちの、その、醜く、争いに満ちた世界を、支配したい、などと思っていると。違うよ。僕は、そんな、ちっぽけなことには、興味がない』


『僕が、望むのは、ただ一つ。―――完全なる『静寂』だ』


『……俺は、静かに、なりたいだけだ』


『生命は、それがあるだけで、苦しみを生む。欲望は、争いを生む。感情は、世界を不必要に騒がしくさせる。だから、僕は、この世界を一度リセットすることにした。全ての生命活動を停止させ、僕が支配する、永遠の美しい静寂の世界を、創り出すことにしたんだ』


 その、あまりにも独善的で、そして、狂気に満ちた救済の思想。


 誰もが言葉を失い、ただ戦慄していた。


『さて。本題に入ろうか』


 ヴォルディガーンは、にこやかに、告げた。


『君たちが、僕の可愛い四天王たちと、必死に遊んでくれている間に、僕は、この世界に、ささやかな『贈り物』をさせてもらったよ。そう、大陸の全てにね』


『―――『呪いの種』を、植え付けた』


『その種は、これから、ゆっくりと、しかし、確実に、この大陸の、大地そのものを、内側から、蝕んでいくだろう。大地は、痩せ、作物は枯れ、川は、淀む。そして、君たち人間は、病に蝕まれ、その心を、絶望に、染められていく。君たちが、生み出す、その、絶望のエネルギーこそが、この種を育てる、最高の、栄養となるのだ』


『そして、その種が完全に花開いた時。この世界は、僕が望む美しい静寂に、完全に包まれることになる』


 魔王は、そこで、一度言葉を切った。

 そして、最高のクライマックスを告げる役者のように、その無邪気な笑みを、さらに深くした。


『―――君たちに、時間を、あげよう』


『この、呪いの種が、完全に花開き、この世界が、美しい静寂に包まれるまで。残された、時間は』


『―――ちょうど、一年だ』


『これは僕の慈悲だよ。さあ、頑張って足掻いてごらん、愛おしい人間たち。君たちの、その最後の、無駄な抵抗を、僕も特等席で、楽しませてもらうとしよう。僕を殺せば、この呪いは止まるかもしれないね。できるものなら、だけど』


 その言葉を最後に、ヴォルディガーンの幻影は、満足げに、すっと空から消えていった。


 後に残されたのは、不気味な薄闇と、大陸全土を覆う、底なしの絶望。


 そして、あまりにも、短すぎる、世界の終わりへの、カウントダウン。


 東方では、ファムが、空を睨みつけ、その唇を、血が滲むほど、強く噛み締めていた。


 北方では、グレイデンが、生き残った兵士たちを前に、砕けた剣の柄を、強く握りしめていた。


 そして、帝都では、アレクシオスが、眠る樹の、そのあどけない寝顔を見下ろし、静かに、しかし、鋼のような決意をその瞳に宿していた。


 偽りの勝利は、終わった。


 本当の、世界の終わりを賭けた戦いが、今まさに、始まろうとしていた。

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