第百二十八話:蛇の最期
「消えろ、愚かなる人間ども! 我が身と共に、美しい無となれ!」
”千呪”のヘカテリオン。その狂った絶叫が、崩壊した帝都の広場に木霊する。
彼の身体そのものが触媒となり、この地に満ちる全ての邪気を吸い上げた、脈動する「悪魔の心臓」。
その鼓動は、臨界点へと達し、帝都そのものを消滅させるほどの、純粋な破壊エネルギーを、その内部で飽和させていた。
「陛下、いけません! あれは…あれは、もはや魔術などという生易しいものでは…!」
リリアナが、血の気の引いた顔で叫ぶ。
誰もが、死を覚悟した。
だが、その絶対的な絶望の渦の中心で、ただ一人、アレクシオスだけが、極限の集中力で、その現象を「観測」していた。
スキル【絶対分析】が、無慈悲な警告を脳内で点滅させる。
【【守護の聖域】による防御:成功確率0.00000001%】
(……ダメだ。樹の力で、この街全体を、いや、それどころが俺達全員を覆うような広範囲の防御は、エネルギー量が足りなすぎる。間に合わない)
万策尽きた。それが、スキルが導き出した、冷徹な「答え」だった。
だが。
アレクシオスは、スキルに頼ることを、やめた。
彼は、元・社畜。
元・問題解決屋。
理不尽な要求、不可能な納期、絶望的な状況。
それらを、ただの根性論と、常識外れの発想の転換だけで、何度も乗り越えてきた。
(……待て。発想が逆だ。爆発から、街を守るのではない。街から、爆発物を隔離するんだ)
爆弾そのものを、何かで「包んで」しまえばいい。
だが、何で? リリアナの魔力は尽きかけている。
ヴァレンティンの魔力では、無理だ。
(……いや、ある。ここに、一つだけ)
アレクシオスの視線が、後方でガタガタと震えている、一人の少年へと注がれた。
田中樹。
その身体に宿る、規格外の、聖なる力。
(奴の力は、広範囲を『防御』するには足りない。だが、爆心地であるヘカテリオン、ただ一点を『覆う』だけなら……? 爆発を、その発生源で、最小の檻に封じ込めることができれば……!)
それは、奇策ですらない。狂気の沙汰だ。
成功の保証など、どこにもない。
だが、このままでは、100%の確率で、全員が死ぬ。
ならば、賭けるしかない。
アレクシオスは、樹の元へと駆け寄った。
「樹!」
その、有無を言わせぬ王の気迫に、樹はびくりと肩を震わせる。
「む、無理だよ、王様! あんなの、どうやったって……!」
「聞け!」
アレクシオスは、樹の両肩を掴み、その目を、無理やり自分に向けさせた。
「このままでは全員死ぬ! 俺もお前も、リリアナも、ここにいる全員がだ! だが、助かる道が、一つだけある」
アレクシオスの声は、共に死地に立つ、ただ一人の仲間への、必死の説得だった。
「俺を信じろ。お前のその光る力で、俺たちじゃなく、あいつそのものを、直接包み込むんだ。爆発を、その発生源で封じ込める!」
「な……何言ってんだよ、王様! あんなのに近づいたら、俺、木っ端微塵になるじゃねえか! 無理だ、絶対無理だ!」
樹は、恐怖に顔を歪ませ、全力で首を横に振る。
「俺がお前を、無駄死にさせると思うか?俺も一緒に行く」
アレクシオスの、静かな問い。
その瞳には、氷のような冷たさではなく、共にこの地獄を生き残ろうとする、仲間への、絶対的な信頼が宿っていた。
「怖いのは分かる。だが、お前しかいないんだ。俺は、お前の力に賭ける。この国の未来を、リリアナたちの命を、そして、俺自身の命も、全て、お前に賭ける。……だから、樹。俺に、賭けてくれ!」
王の、あまりにも真っ直ぐな、魂からの願い。
樹は、悟った。こいつは、本気だ、と。
自分を、ただの駒としてではなく、この絶望を覆す、最後の切り札として、心の底から信じているのだ、と。
恐怖。絶望。そして、自分を見つめる、王の、あまりにも真剣な瞳。
「…………わかったよ」
樹は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で、か細く、しかし、確かに、そう答えた。
「……信じるからな、王様……。もし、これで死んだら、化けて出てやるからな……!」
アレクシオスは、その言葉に、力強く頷いた。
「ああ。文句なら、向こうでいくらでも聞いてやる」
彼は、仲間たちへと向き直った。
「全軍、勇者のために、道を開けろ! 援護は不要! 奴の邪魔になるだけだ!」
アレクシオスの号令に、仲間たちは、戸惑いながらも、樹のために、一本の道を、開いた。
その道の先にあるのは、臨界点に達しようとしている、悪魔の心臓。
死への、一方通行。
樹は、震える足で、その道の、入り口に立った。
そして、一度だけ、横に立つアレクシオスを振り返った。
その目には、深い恐怖と、そして、それ以上の、わけのわからない、この王を信じてみようという、決意が浮かんでいた。
彼は、走った。
ただ、王の、無謀な作戦を信じて。
「うおおおおおおおおおおっっ!!」
意味の分からない絶叫を上げながら、彼は、悪魔の心臓へと、突撃する。
ヘカテリオンは、その、あまりにも愚かで、理解不能な行動を、嘲笑と共に、見つめていた。
(……自ら、死にに来るとはな)
樹は、悪魔の心臓の、その目前までたどり着くと、目を固く、固く、閉じた。
そして、自らの内にある、あの黄金の光を、ただ念じた。
(包め! あの、キモい心臓を、包み込め!)
次の瞬間、彼の身体から、黄金の光が溢れ出した。
だが、それは、これまでのように、彼自身や、仲間を守るための、ドーム状の壁ではない。
光は、彼の意志に応え、ヘカテリオンの、その脈動する心臓を、ピンポイントで、そして、完全に覆い尽くす、小さな、しかし、極めて高密度の、光の球体となって、顕現した。
それと、ヘカテリオンの自爆は、同時だった。
悪魔の心臓が、内側から、大爆発を起こす。
だが、その、帝都を消滅させるはずだった破壊のエネルギーは、樹が作り出した絶対的な『聖域の檻』によって、その全てが完全に封じ込められた。
光の球体は、凄まじいエネルギーに耐えきれず、その表面に、無数の亀裂を走らせる。
そして―――静かに、ひび割れた。
パリン、と。
まるで、一つの、美しいガラス玉が、その役目を終えるかのように。
爆発音は、なかった。衝撃波も、なかった。
ただ、悪魔の心臓も、それを覆っていた黄金の光も、全てが、対消滅し、静寂の中に、消えていった。
ヘカテリオンは、自らが作り出した破壊の力ごと、その存在を、完全に、消滅させられたのだ。
後に残されたのは、半壊した帝都と、息を呑んで、その光景を見守っていた、仲間たち。
そして、全ての力を使い果たし、白目を剥いて、その場に倒れ込む、一人の、役立たずの、いや、誰もが認める勇者の姿だけだった。
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