第百一話:疾風の罠
あの、森ごと全てを消し飛ばす、圧倒的な破壊の光景から、数日が過ぎていた。
東方諸侯連合の、とある打ち捨てられた砦跡地。
闇滅隊の四人は、焚火の、か細い炎を囲み、重い沈黙の中にいた。
先の戦いは、戦いですらなかった。
ただ、一方的に弄ばれただけ。
その、屈辱的な事実が、彼らの心に冷たい影を落としていた。
「……くそっ」
沈黙を破ったのは、ファムだった。
彼女は、地面に転がっていた石を拾うと、力任せに、壁へと叩きつけた。
「このままじゃ、ダメだ。あいつを、ただ追いかけても、また、同じことの繰り返しになる。俺たちが、あいつの掌の上で、踊らされるだけだ」
「同感だ」
ヤシマの剣士、ハヤテが、静かに頷く。
「奴は、我々の力量を、そして、おそらくは、それぞれの能力すらも、完全に見極めた上で、遊んでいる。我々が、狩人だと思っていたが、逆だった。我々こそが、狩られる獲物だったのだ」
その言葉に、誰もが、唇を噛み締める。
「……なら、どうする?」
ナシルが、低い声で尋ねた。
「決まってる」
ファムは、顔を上げた。
その瞳には、もはや、屈辱の色はない。
代わりに、逆境の中でこそ輝きを増す、野良猫のような、獰猛な光が宿っていた。
「俺たちが、狩場を作るんだ。あの、ふざけた狐を、俺たちの都合のいい場所に、引きずり込む」
彼女が提案した作戦は、大胆で、そして、危険な賭けだった。
東方諸侯連合の、最重要人物の一人である、オルテガ公爵。
彼が、前線の視察のため、極秘裏に、とある古城を訪れる―――という、「偽の情報」を、意図的に、黒曜石ギルドの末端へと流す。
「フェンリラの狙いは、連合の要人だ。オルテガ公爵という、これ以上ない『餌』に、あいつが、食いつかないはずがねえ」
「だが、あまりにも危険すぎる」
ハヤテが、懸念を示す。
「もし、情報が漏れたら?」
「その時は、その時だ。どのみち、このままじゃ、俺たちは、じり貧で殺されるだけだ。やるしか、ねえだろ」
ファムの、その覚悟に、もはや、誰も異を唱える者はいなかった。
作戦は、静かに、そして、速やかに開始された。
東方諸侯の諜報員、ジエンが、その神業のような変装術で商人に成りすまし、「偽の情報」を、それらしく裏社会へと流した。
情報は、瞬く間に、闇のネットワークを駆け巡り、そして、間違いなく、フェンリラの耳にも、届いたはずだった。
決戦の地は、霧深い山中に、忘れられたように佇む、古城「グレイヴェン」。
闇滅隊は、数日をかけ、その古城に、ありとあらゆる罠を仕掛けた。
ファムは、城の入り口や、通路に、巧妙な物理トラップを。
ナシルは、中庭に、敵の方向感覚を狂わせる、幻術の結界を。
そして、ハヤテとシズマは、城の最も高い塔の、その一点に、二人の霊力を集中させた、強力な「縛りの陣」を。
全ての準備は、整った。
後は、獲物が、その巣に、かかってくれるのを、待つだけだった。
約束の、満月の夜。
闇滅隊の四人は、古城の中で、息を殺してその時を待っていた。
しん、と静まり返った城内に、ただ、冷たい風の音だけが、不気味に響き渡る。
一時間、二時間……。
時は、刻一刻と過ぎていく。
(……来ねえ、のか……? 罠だと、見抜かれたか……?)
ファムの心に、焦りが、生まれ始めた、まさにその時だった。
ひゅ、と。
城の中庭で、一陣の、風が吹いた。
次の瞬間、その中庭の中心に、何の予兆もなく、一人の銀髪の女が、音もなく立っていた。
フェンリラ。
あまりにも、あっさりと、彼女は、現れた。
「なっ……!?」
罠は、どうした。警鐘は、なぜ、鳴らない。
ファムが、驚愕に目を見開く。
フェンリラは、そんな彼らの動揺を、楽しむかのように、くすり、と笑った。
そして、ゆっくりと、天を仰ぐ。
「―――良い、月夜ね。狩りには、もってこいだわ」
彼女は、そう言うと、パチン、と、その指を鳴らした。
その瞬間、古城全体が、地響きを立てて、激しく揺れた!
ガシャン! ガコン!
城の、全ての、出入り口が、巨大な鉄格子によって、一斉に、塞がれていく!
「な、なんだ、これは!?」
「俺たちが仕掛けたものでは……ない!?」
ナシルが、驚愕の声を上げる。
「俺たちの罠は……全て、無力化されている!」
「これが……四天王か……」
ハヤテが、戦慄に、声を漏らした。
そう。フェンリラは、最初から、全てを知っていたのだ。
彼らが、偽の情報を流したことも。
この古城を、決戦の地に選んだことも。
そして、どこに、どのような罠を仕掛けたのかも。
彼女は、その全てを、嘲笑うかのように、全ての罠を、事前に無力化し、そして、この古城そのものを、一つの、巨大な「檻」へとつくり変えていたのだ。
「残念だったわね、可愛いネズミさんたち」
フェンリラの、楽しげな声が、城全体に響き渡る。
「あなたたちが、必死に罠を仕掛けている間、わたくしは、その外側に、もっと、もっと、大きな罠を、仕掛けていたのよ」
ギシ、ギシギシ……ッ!
古城の石壁が、軋みながら、内側へと、迫ってくる。
この城そのものが、彼らを、圧殺するための、巨大な棺と化していた。
絶体絶命。
「……くそっ!」
ファムが、悪態をつく。
その、あまりにも完璧な、死の罠を前に、闇滅隊の四人は、なすすべもなく立ち尽くしていた。
その、絶望的な沈黙を、破ったのは、シズマだった。
彼は、その手に握られた霊刃を静かに構えた。
その瞳には、恐怖も、絶望もない。
ただ、仲間を救うための、静かな覚悟の光だけが宿っていた。
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