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第八十二話:決戦の至聖所

 

 三つの月が、聖都の空に、血のように不吉な光を浮かべていた。


 一行は、ロムグール王国の使節団として、その正装に身を包み、大聖堂の奥深くへと続く、長い、長い回廊を歩いていた。


 彼らを導くのは、枢機卿の側近である聖職者たち。


 その顔には、敬虔な信徒としての穏やかな笑みが浮かんでいるが、その瞳の奥には、どこか光のない、虚ろな色が宿っていた。


 回廊の壁には、女神ルミナリアの奇跡と、歴代の聖人たちの物語を描いた、壮麗なタペストリーが掲げられている。


 だが、その神々しい光景も、今のライアスたちの目には、これから始まるであろう死闘を前にした、皮肉な舞台装置にしか見えなかった。


 彼の隣を歩くリリアナは、その扇で口元を隠しながらも、全神経を研ぎ澄まし、この聖堂に満ちる、あまりにも強大で、そして、どこか歪な魔力の流れを、慎重に解析していた。


 帝国の将軍ヴァレンティンは、この茶番劇を、心底楽しんでいるかのように、その口元に、傲岸な笑みを浮かべている。


 そして、その一行の中心。


 我らが勇者、田中樹は、目をキラキラと輝かせ、キョロキョロと周囲を見回していた。


「うおー、すげー! 天井、高すぎだろ! ここでドローン飛ばしたら、絶対楽しいぜ! てか、まだ着かねえのかよ、晩餐会! 俺のステーキ、冷めちまうだろ!」


 その、どこまでも場違いな声が、荘厳な静寂に包まれた回廊に、虚しく響き渡る。


 やがて、一行は、ひときわ巨大で、そして、黄金と白銀で装飾された、巨大な扉の前で足を止めた。


「―――これより先が、『至聖所』にございます。枢機卿猊下が、皆様をお待ちです」

 側近の聖職者が、そう言うと、重々しい扉が、内側から、ゆっくりと開かれていった。


 その向こうに広がっていたのは、晩餐会のための、華やかな広間ではなかった。


 そこは、広大な、円形の儀式場だった。


 床一面には、見たこともないほど複雑な魔法陣が、禍々しい光を放って描かれている。


 そして、その中央には、巨大な、脈打つ心臓のように、おぞましい気を放つ、黒曜石の祭壇が鎮座していた。


「……なんだよ、これ。晩餐会じゃねーのかよ。テーブルも、肉も、どこにもねえじゃねえか!」

 樹の、失望に満ちた声が響く。


 その時、祭壇の前に、一人、静かに佇んでいた影が、ゆっくりと振り返った。


 枢機卿ヴァレリウスだった。


 だが、その顔に、いつもの、慈愛に満ちた聖職者の笑みはなかった。


 あるのは、自らの計画の最終段階を前にした、狂信者の、歪んだ愉悦だけだった。


「ようこそ、ロムグールの英雄たち。そして、帝国の将軍殿。我が『聖餐』の席へ」

 ヴァレリウスの声は、静かだが、その場の空気を凍てつかせるほどの、冷たい響きを持っていた。


「貴方がたが喰らうのは、子羊の肉や、熟した果実ではない。古き神が残した、腐りきった秩序。そして、貴方がたが飲むのは、芳醇な葡萄酒ではない。新たなる時代が生まれる、その産声の聖杯だ」


 彼が、そう言って、手を掲げた瞬間。


 ゴオオオオオオンッ!!


 一行の背後で、巨大な扉が、凄まじい音を立てて閉ざされた。


 同時に、床の魔法陣が、一斉に、その輝きを増す!


「くっ!?」

 魔法陣から、光の壁が、あるいは影の触手が伸び、一行を、容赦なく、分断していく。


「おのれ、枢機卿!」

 ライアスとサー・レオンの前には、洗脳され、その瞳から光を失った、聖堂騎士団の精鋭たちが、剣を構えて立ちはだかった。


「邪魔を、させるな……。大導師様の、御心のままに……」 


「正気を失っているのか! 目を覚ませ!」


 闇滅隊の四人の周囲には、影の中から、ギルドが生み出したのであろう、おぞましい異形の魔物たちが、次々と姿を現す。


「へっ、ようやく、派手なパーティーの始まりかよ!」

 ファムが、短剣を抜き放ち、不敵に笑う。


 そして、ヴァレンティンとヘルガは、彼らだけを囲むように現れた、古代の魔術で動く、巨大な石像兵ガーディアンたちと、対峙していた。


「……ふん。余興にしては、手が込んでいる」

 ヴァレンティンは、眉一つ動かさず、自らの剣を抜いた。


 そして、儀式場の中心。


 リリアナと、そして、まだ事態が飲み込めていない樹だけが、ぽつんと、取り残されていた。


 その二人の前に、ヴァレリウスが、ゆっくりと、歩み寄ってくる。


「リリアナ殿。貴女のその類稀なる才覚、惜しいことです。ですが、貴女が見ている世界は、あまりにも、小さい」


 彼は、リリアナを一瞥すると、その、ぎらつくような視線を、樹へと注いだ。


「そして、聖勇者イトゥキ。貴方こそ、この儀式の、主役です」


「はあ? 主役? 俺が? まあ、当然だよな! で、ステーキはいつ出てくんだよ!」


「ええ、ええ。すぐにご用意いたしますとも。貴方の、その、穢れを知らぬ、純粋で、そして、あまりにも強大な『魂』を、この祭壇に捧げた、その先にね」


 ヴァレリウスが、そう言って、指を鳴らした瞬間。

 中央の黒曜石の祭壇が、おぞましい唸り声を上げ、その表面から、無数の、影の鎖が、樹の身体めがけて、殺到した!


「イトゥキ様!」

 リリアナが、防御魔法を張ろうとするが、分断された。


「うわあああああ!? な、なんだよこれ! やめろ! 俺の服が汚れんだろ!」


 影の鎖は、いとも容易く、樹の身体に絡みつき、彼を、祭壇へと、ゆっくりと、しかし、抗えぬ力で、引きずり寄せていく。


 仲間たちは、それぞれの敵に阻まれ、助けに行くことすらできない。


 絶体絶命。


 聖都の最も神聖なる場所で、最も冒涜的な儀式の、その幕が、今、静かに、そして、確実に、上がろうとしていた。

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