第九話:内憂と光明 ~王国の土台を築き直せ、ただし人材はゼロ(今のところ)~
先だって判明した、絶望的なタイムリミット。
魔王復活まで、あと最長で3年、最悪の場合は、たった1年。
だが、俺、アレクシオス・フォン・ロムグールには、嘆いている時間などなかった。
国王執務室には、リリアナ、バルカス、そして宰相イデンが集い、ロムグール王国再建への具体的な道筋が、熱を帯びた議論と共に形作られようとしていた。
「昨日も言った通り、我々に残された時間はあまりにも短い。この1年から3年の間に、この傾きかけたロムグール王国を立て直し、魔王の侵攻に備えねばならん。そのために、まずは内政の抜本的な改革と、軍備の再編を断行する」
俺の言葉に、三者三様の表情で頷く。
「食糧増産計画については、ミレイユ平原の徹底的な再調査と、水路の整備、そして新たな農法と作物の試験導入を急ぐ。リリアナ、先日話した試験農場の件、進捗はどうなっている?」
俺の問いに、リリアナは手にした羊皮紙の報告書に目を落としながらも、その表情はやや硬かった。
「はっ、陛下。王都近郊の土地を確保し、陛下の指示に基づいた新たな農法――水路の整備と、連作障害を避けるための作物の輪作、そして家畜の糞尿を利用した堆肥作りの指導を始めております。ですが……」
「だが、何だ?」
「……現地の農民たちの反応が、芳しくございません。『先祖代々のやり方を変えるなど、とんでもない』『王都のお偉い様方が、土のことも知らずに何を申されるか』と、聞く耳を持たぬ者が多く……。一部の村長や地方代官に至っては、非協力的どころか、あからさまに妨害してくる者もおります。」
リリアナが、俯いたまま言う。
「例えば、ミレイユ平原を管轄する代官の一人、男爵位を持つゴードンという男ですが、彼奴は『新たな水路の建設には、多大な労力と費用がかかる。その補償として、まずは我が私有地に水路を引き、さらに金品を融通いただかねば、領民への協力の呼びかけはできかねる』などと、ふざけた要求を突きつけてまいりました」
リリアナは、悔しそうに唇を噛む。
彼女は、自身のスキルを使い、痩せた土地の一部を焼き払って土壌を活性化させたり、害虫を駆除したりする実演まで行い、その効果を示そうとしたらしい。
実演を見た農民の一部は驚き、興味を示したものの、代官のゴードン男爵が「王都の魔法使いが、見世物で我らを誑かそうとしておるわ! 下手に手を出すと呪われるぞ!」と触れ回ったため、結局、多くの者が遠巻きにするだけだったという。
長年染み付いた因習と、変化への恐れ、そして何よりも既得権益にしがみつく者の妨害は、そう簡単には覆せない。
「ふん、愚かな。目先の利益や慣習に囚われ、国全体の危機が見えぬとは。そのゴードン男爵、私が若い頃からろくな噂を聞かぬ男だ。私腹を肥やすことしか頭にない典型的な腐敗貴族ですな」
バルカスが、吐き捨てるように言った。
「陛下、そのような者共には、騎士団を派遣し、力をもって……!」
「待て、バルカス。力で押さえつけても、真の協力は得られん。民の心が離れてしまえば、それこそ国の土台が揺らぐ」俺はバルカスを制し、リリアナに向き直る。
「リリアナ、苦労をかけるが、粘り強く続けてくれ。まずは、試験農場で圧倒的な成果を出すことだ。百の言葉よりも、一つの結果が彼らの心を変える。代官の妨害については……俺が直接話をつける。宰相、そのゴードン男爵の身辺、徹底的に洗っておいてくれ。埃の一つや二つ、いや、山のように出てくるはずだ」
「……御意。必ずや、そのゴードン男爵の『埃』、綺麗に掃き集めてご覧にいれましょうぞ」
イデンが、感情の読めない笑みを浮かべて頷く。
その目が、一瞬だけ老獪な光を放ったのを俺は見逃さなかった。
「農業改革と並行し、騎士団の再編も急務だ」俺はバルカスに視線を移す。「進捗は?」
バルカスの顔が、さらに険しくなる。
「はっ……それが、こちらも遅々として進んでおりません。騎士団内部の腐敗は、私の想像を遥かに超えておりました。特に、先代陛下に取り入って将校の地位を得た者たちの抵抗が激しく……。」
拳に力が入るバルカス。
「例えば、先日、王都騎士団の訓練を視察したのですが、兵士たちは気の抜けたような動きで、それを指揮するはずの隊長格の騎士たちは、木陰で酒を飲みながら談笑している始末。私が規律違反を咎めたところ、その中の一人、伯爵家の子息であるとかいう若造が、『バルカス殿、貴殿の時代は終わったのだ。今の騎士団には、今のやり方がある。年寄りは引っ込んでいてくだされ』などと、兵卒たちの前で公然と反抗いたしました」
バルカスの拳が、わなわなと震えている。
彼がどれほどこの騎士団を愛し、そして今の惨状を嘆いているかが痛いほど伝わってきた。
「訓練のサボタージュは日常茶飯事、武具の手入れも怠り、陰では私のことを『時代遅れの老いぼれ』『石頭将軍』と嘲笑し、あまつさえ、陛下のご命令すらも『若き王の道楽』『どうせ長続きはしない』などと軽んじている始末にございます。陛下、これは……思った以上に根が深うございます。騎士団内部の腐敗は、もはや末期症状やもしれませぬ」
珍しく、バルカスの口から弱音とも取れる言葉が漏れた。
「……そうか。分かった」俺は静かに頷く。
「バルカス、貴殿の苦労は察する。だが、諦めるな。抵抗勢力については、俺が必ず断固たる処置を取る。近いうちにな。それまでは、耐えてくれ。そして、貴殿のその目で、真に騎士としての魂を持つ者を見抜き、育て上げてほしい。数は少なくとも、精鋭であれば必ずや力になる。エルヴァン要塞のグレイデンを見出した、貴殿の眼力に期待している」
「……はっ! 陛下のそのお言葉、しかと胸に刻み込みます! 必ずや、ロムグール王国に真の騎士団を再興させてご覧にいれますぞ!」
バルカスの目に、再び闘志の炎が宿る。
だが、同時に、この国の人材の層の薄さを、俺も改めて痛感させられた。
その日の午後、我らが勇者、田中樹はといえば……。
「いーち、にーい、さーん……ぜえ、ぜえ……もうダメ……死ぬ……。バルカスのジジイ、マジ鬼すぎだろ……! 」
「ちょっと城の周り走っただけで、なんでこんなに息切れしなきゃなんねーんだよ! 俺、勇者だぞ? もっとこう、なんか、飲んだだけでムキムキになる魔法の薬とか、寝てるだけでレベルアップする不思議なベッドとか、そういうチートアイテムはねーのかよ! 王様ケチすぎんだろ!」
城の中庭で、バルカスから「基礎体力向上特別メニュー(内容は、準備運動、城壁の周りを三周、素振り百本、以上!)」を課せられた樹は、開始わずか十分で地面に大の字になってへたり込み、盛大に文句を垂れていた。
バルカスは、そのあまりの体力のなさと根性のなさに、こめかみの血管をピクピクさせながらも、鋼の精神力で(あるいは、もはや諦めの境地で)指導を続けている。
「勇者殿! まだ準備運動が終わったばかりですぞ! その程度で音を上げていては、魔王どころか、ゴブリン一匹倒せませぬぞ! さあ、立ちなさい! 次は素振りです! この木剣すらまともに振れぬようでは話になりませぬ!」
「うっせーな! ゴブリンとか余裕だし! 俺が本気出せば、あの重い聖剣だって片手でブンブン振り回せるんだからな!(持てないけど!) 大体、俺、勇者なんだから、そういう雑用みたいな訓練とか必要ねーんだよ! なんかこう、必殺技とか教えてくれよ、必殺技! 一撃で敵が吹っ飛ぶようなやつ! 『勇者スラッシュ!』とか『ブレイブハート・ストライク!』みたいな!」
樹がそう喚き散らした瞬間、どこからともなく飛んできた熟した果物が彼の口の中にスポンと入った。
むせ返る樹。
見れば、中庭の木陰で涼んでいたリリアナが、涼しい顔でこちらを見ている。
どうやら、執務室の窓からこの体たらくを見かねて、魔法で軽い悪戯を仕掛けたらしい。
その表情は「陛下、やはりあれはただの騒音発生装置兼、食料消費装置ですわ」と雄弁に語っていた。
「はぁ……」俺は、執務室の窓からその光景を眺めながら、何度目か分からない深いため息をついた。
「やはり、勇者の育成など、夢のまた夢か……。だが、内政改革を進めるにも、あまりにも人材が……信頼できる専門知識を持った人材が不足しすぎている……」
この国の貴族や官僚のほとんどは、世襲で地位を得ただけで、実務能力もやる気も皆無。
これでは、俺がいくら的確な指示を出したところで、絵に描いた餅だ。
そこで、俺は一つの決断を下した。
「リリアナ、バルカス、そして宰相も呼んでくれ。新たな人材登用について、布告を出す。家柄や身分を問わず、実力のある者を広く求める、と」
数日後、ロムグール王国の王都カドアテメの広場には、国王アレクシオスの名で、一枚の布告が張り出された。
「告ぐ! 国王アレクシオス・フォン・ロムグールは、この国の再建と、現在我が国が直面している諸々の困難を克服し、王国の新たなる礎を築くため、広く国内より有能なる人材を求める! 家柄、身分、過去は一切問わぬ! 国を憂い、民を思い、そして自らの才覚と力をもってこの国に貢献する意志ある者は、国王直属の『改革推進補佐官』として登用する! 面談を希望する者は、王城の門を叩くべし!」
この布告は、王都中に大きな波紋を広げた。
特に、「身分を問わない」という一文は、これまで虐げられてきた平民や、才能がありながらも家柄のせいで不遇をかこっていた者たちに、僅かな希望の光を与えた。
……しかし、その希望は、すぐに別の形の絶望へと変わりかけた。
布告の知らせを受け、王城の門を叩いたのは、そのほとんどが出世欲に駆られた貴族の子弟や、有力貴族からの「ご推薦」という名の、どうしようもない厄介払いの対象者ばかりだったのだ。
連日行われる面接。俺はリリアナを伴い、一人一人と向き合うが……その結果は惨憺たるものだった。
「陛下! この私こそ、改革推進補佐官にふさわしい人材にございます! 何故なら、我が家は建国以来五百年続く由緒正しき名門貴族の家柄! その血筋こそが、私の有能さのこれ以上ない証明にございますれば!」
(【絶対分析】結果:能力平凡以下、特技は家系図の暗唱とパーティーでの立ち振る舞い(ただし、自慢話が長い)。保有スキル:【家柄自慢(達人級)】【社交辞令(ただし中身なし)】)
「……結構。家柄ではなく、貴殿自身の才覚を示してほしいのだがな。次の方」
「おお、陛下! お目にかかれて光栄の至りに存じます! 私の趣味は、詩作と、美食巡りでございます! ぜひとも、陛下にも私の最新作の詩を献上したく……」
「え? 国の改革? さようでございますな、やはり民がもっと美味しいものを食べ、美しい詩を嗜むことができるような、文化的な国家を目指すべきかと存じます! まずは王宮料理人の刷新から! そして、私の詩集の出版助成を!」
(【絶対分析】結果:典型的な現実逃避型お坊ちゃん。危機感ゼロ。好きな食べ物は高級干し肉と甘味。保有スキル:【美食探求(ただし味覚は凡人)】【駄作量産(詩)】【現実逃避(達人級)】【自己PR(ただし的外れ)】)
「……詩集は、また別の機会に聞こう。下がってよろしい」
「陛下、このエルドリッジ・フォン・マーカスを登用していただければ、我が父、マーカス辺境伯も、必ずや陛下の改革を全面的に支持いたしますぞ? もちろん、それ相応の……いえ、改革推進のための『活動資金』と、しかるべき『地位』は、別途ご用意いただく必要がございますが、な! がっはっは!」
(【絶対分析】結果:マーカス辺境伯の三男。典型的な七光り。能力は皆無だが、口だけは達者で腹黒い。狙いは改革予算の横領と地位の獲得。保有スキル:【虎の威を借る狐(ただし虎は親)】【賄賂要求(ただし露骨)】【責任転嫁(プロ級)】【大言壮語(ただし実行力ゼロ)】)
「……その話は、マーカス辺境伯本人と直接させていただこう。下がれ」
ダメだ、こりゃ。悪化の一途だ。人材募集が、いつの間にか無能オブザイヤー選手権会場、あるいは害虫博覧会と化している。
面接を重ねるたびに、俺の頭痛と胃痛は、もはや常態化しつつあった。
リリアナも、最初は丁寧に、しかしきっぱりと不採用を告げていたが、最近では無言で扇子をピシャリと閉じるのが、お祈りメールの代わりとなっていた。
その扇子の音を聞くたびに、俺の寿命が確実に縮む気がする。
(この国、本当に大丈夫か……? 人材が……人材がいない……! いや、いるはずだ。ただ、こんな貴族たちの馴れ合いのような方法では、本当に有能な者は、その才能を正当に評価されることもなく、決して表に出てこないだけだ……!)
俺は、絶望と、そしてこの国の腐りきった貴族社会への静かな、しかし確かな怒りを覚えた。
その日の面接も、案の定、空振りに終わった。
疲れ果てて執務室に戻った俺は、リリアナに弱音ともつかない呟きを漏らさずにはいられなかった。
「……リリアナ。やはり、まともな人材など、そう簡単には見つからんものだな……。この国の未来は、本当に大丈夫なのだろうか……」
「陛下……お疲れ様でございます。ですが、諦めるのはまだ早うございます。きっと、どこかに……陛下の、そしてこのロムグール王国の力となってくださる方が、必ずや……」
健気にも俺を励まそうとしてくれるリリアナ。
だが、彼女の美しい顔にも、隠しきれない疲労の色が浮かんでいた。
「ああ、分かっている。……もはや、俺自身が動くしかないようだな。幸い、俺には多少なりとも人を見る目と、膨大な情報を整理する僅かな心得がある。」
俺は、決意を込めて言った。(【絶対分析】をフル活用すれば、あるいは……。いや、必ず見つけ出す!)
「リリアナ、君にもう一度協力してもらいたい。王都のあらゆる記録……納税記録、各ギルドの名簿、学術院に提出された論文、果ては衛兵の巡回日誌や、目安箱への投書に至るまで、可能な限り全ての情報を集めてくれ。そして、それらを俺が一つ一つ、この目で直接洗い出す。 必ずいるはずだ、この国のどこかに、家柄や身分に埋もれた、本物の才能が」
(【絶対分析】さえあれば、どんな些細な情報も見逃しはしない。時間はかかるかもしれんが、必ずや……。この国の未来は、それに懸かっていると言っても過言ではないのだからな)
リリアナは、俺の言葉に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに力強く頷いた。
「かしこまりました、陛下! 全力でお手伝いいたします! 陛下がそこまでおっしゃるのであれば、必ずや!」
彼女の瞳に、再び希望の光が灯る。
それから数日間、俺は執務の合間を縫って、リリアナが集めてきた膨大な量の資料に目を通し続けた。
【絶対分析】をフル活用し、その情報の中から、可能性の欠片を探し出す。
それは、まさに砂漠の中から一粒のダイヤを探し出すような、途方もない作業だった。
貴族たちのくだらない宴会の記録や、意味不明な陳情書、どこかの役人の不正の証拠(これはこれで後で使うが)などが山のように出てくる中で、俺は歯を食いしばって探し続けた。
そして、ついに……。
「……これだ」
俺は、一枚の羊皮紙を手に取り、思わず声を上げた。
それは、数ヶ月前に王都の目安箱に投じられた、匿名の投書だった。
内容は、現在のロムグール王国の複雑怪奇な税制の構造的欠陥と、それに対する具体的な改善案、そして財源確保のための新たな経済政策の提案。
その分析の鋭さと、提案の斬新さ、そして何よりもその記述に込められた国を憂う真摯な想いは、これまでの面接で見たどの貴族の子弟にも見られないものだった。
(この筆跡……そして、この論理構成……間違いない。こいつは、本物だ。名前は……書かれていないな。だが、この文体と知識量からすれば、おそらく若い。そして、正規の教育を受けていないか、あるいは受けていてもそれを活かせる場がなかった者か……。この才能、見つけ出さねば!)
さらに、別の資料からは、王都から少し離れた、しかし度重なる凶作と重税に苦しむ貧しい村で、独自の農法と薬草の知識を活かし、わずかな土地から驚くほどの収穫を上げ、病に苦しむ人々を無償で助けているという、まだ若い娘の噂を見つけ出した。
その知識は、古の文献にも記されていないような、実践的で、土地に根差したものらしい。
(これも……あるいは……。食糧問題解決の鍵になるかもしれん。そして、その心根も素晴らしい)
俺の胸に、確かな光明が差し込んできた。
それは、まだ小さな、頼りない光かもしれない。
だが、暗闇の中では、どんな小さな光でも希望になるのだ。
「リリアナ!」俺は、隣の部屋で作業をしていたリリアナを呼ぶ。
「この投書の主、そしてこの村の娘……この二人に、私が直接会って話がしたい。極秘裏に、そして迅速に手配を頼む! 今度こそ、本物の『逸材』かもしれんぞ!」
「はっ! かしこまりました、陛下!」
リリアナの声も、弾んでいた。彼女もまた、この数日間の徒労感から解放され、新たな希望を感じているのだろう。
ロムグール王国の再建は、まだ始まったばかりだ。
だが、絶望的な状況の中にも、確かに希望の芽は存在した。問題は、その小さな芽を、俺が国王として、いかに見つけ出し、育て上げ、大樹へと成長させることができるか、だ。
そして、その傍らでは、相変わらず田中樹が「王様ー、俺のファンクラブの件、どうなったんだよー? 会員ナンバー1番は俺な!」と、全く空気を読まない、間の抜けた声を上げているのだった。
俺の胃は、もうしばらく休めそうにない。だが、それでも、少しだけ前向きな気持ちになれた気がした。
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