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無題、更新予定  作者: 犬君
第1章
7/7

4話 離別(下-上)

計画当日。

善は急げとも言うし、決行を決めた2日後に実行することとした。

 当初考えていた通りに午前の訓練をいつも通りに終え、昼ごはんを食べて屋敷の裏手に2人集まって出発する。

 話はメルファが普段一緒に入浴しているメイドの内1人に通した。準備は万端だ。

この前のクリス達との会話を説明し、引き受けてくれたら今度お叱りを受ける時に味方についてあげる!と言ったら快く許可を出してくれた。

私たち2人が出かけている間はそのメイドとのんびり3人でお茶を飲んだり部屋で遊戯をしている事にするつもりだ。

 

 と、言うわけで目の前にあるご馳走を食べ終えたら晴れて魔物討伐というわけだ。

 使用人達が束になっても敵わなかった魔物を打ち倒し、その素材を背中に持ち帰ることを想像しているとご飯が進むというものだ。

特に噂の蜥蜴は強固な背中の革や牙、尻尾から頭蓋へと続く長い脊柱が良い土産になりそうだ。

何に加工してもらおうか、耐久も防火性もあることだし全身を覆うワンピースのようにするのがいいかな。

牙をそのまま使用した耳飾りもいいな、格好いいし何より私の成果が分かりやすく見てもらえるし。


「何ニヤけているのよ、何か良いことでもあったのかしら?」

「ピッ!、ビックリした。べ、別にそんなんじゃないわ。今日は何故だか気分が良いだけよ」

「ふぅん……、そう。

それだけにしては随分ご機嫌に見えるけれど」

「私はいつもこんな感じじゃないかしら。

いつだって元気いっぱいのタキセルちゃんをお届けしてるわ!」

「ふふ、何よそれ。

 暑さで頭がまいちゃったのかしらね。

 ところで、午後暇かしら?最近私の固有魔法の方が上手く行きそうなのは知っているわよね」

「…うん」

「そこで、手伝って欲しいことがあるのよ。

大したことでもないから、ちょっと時間をくれないかしら?」

「今日の午後は駄目ね、ごめんなさい」

「?、あら年中暇を持て余していそうな貴女が珍しいわね。」

「うるさいわね、私にも事情ってものがあるのよ」

「そう、まぁいいわ。明日空いているかしら?」

「うん!明日存分に付き合ってあげるわ」

「じゃあ、任せたわよ。

明日も声をかけるから忘れることのないように」


 そう言うとクリスは食堂を去って行った。

あの子も大概機嫌が良いわね。余程魔法の進捗が良いものと見た。明日のお披露目が楽しみね。

 クリスの後ろ姿を眺めていると、視界の端でメルファがこちらの様子を伺っている様子が見えた。

私がまた予定を忘れてしまっていないか心配そうな顔だ。

一昨日うっかり忘れていたこともある、さっさと食べ終えて私も部屋へ向かうとしよう。

メルファの方へにこりと笑顔を向けてから食事へと意識を戻した。

私の気持ちが通じたのかメルファもまたにこりと微笑み踵を返して行った。かわいい。





………………

 

 屋敷北の森。

マントー北部を覆う森の入り口にあたる場所だ。

余り詳しくは覚えていないが木々を始めとする植物の種類は余り豊富とは言えない一方で、生態系は多様であり多くの生物が共存し森を形成しているらしい。

 

 森は屋敷の裏手を出発し、開けている道に沿って真っ直ぐ走って行ったところ、途中に特に問題が起きることもなく1時間程で到着することができた。

そこらに生える木々は全体として背が低く、高くとも3〜4m程であり頭に白い雪が積もっている。

 無事に到着することができた事への安堵感と、未知の場所へ弟とたった2人で来た事の達成感やこれから起こることへの高揚感とともに息を整える間もなく森へ足を踏み入れると、小型の獣がこちらの存在に気がついたのか奥へと捌けていった。


「お姉様、余り慌てて入ると危険ですよ!

 この辺りは特に変わった様子はありませんが、森の中には湿地帯もあるそうですし気をつけて進みましょう」

「分かってる分かってる、大丈夫よ。

でも、時間も余りない事だしサクサク進んで行きましょう」


 後ろから聞こえる注意を他所に、横を通った幹の表面に印をつけつつ前方へと向かう。


「基本私が前衛で前方を索敵しつつ進んでいくわ。

魔物を発見次第私が近づいて攻撃を仕掛けるから、その時メルファは後ろから援護をしてちょうだい」

「そんな、1人で戦うなんてリスキーですよ。

僕も一緒に前で戦います」

「いいえ、あなた近接戦闘はからっきしじゃない。

2人まとまって動いた方が返って危険よ。

私がピンチの時に後方から助けてくれればいいわよ、期待してるわ」


 まぁそんな事は起こらないけれどね、と腰に刺した双剣を見せながら言うと、不安そうに渋々と言った様子で頷いた。


「それで、蜥蜴が居そうな目星については覚えていますか?」

「ええ、確か森を入った先にある沼地にいたって言う話よね」

「そうです、加えて住処の付近は独特な生臭い匂いと刺激臭がする、らしいですね」

「ふぅん…とりあえずその沼を探しにいきましょう」


 そう話し森の中へと歩みを進める。




 

 森の中は、入り口に生えていた木が同じように並んで生えていた。

森の内部に入り込んでも木も余り多く生えている訳でもないので鬱蒼とした感じは全くせず、少し遠くくらいなら自分たちの視界でも見通すことができるため不安は感じない。

 

「なんか、想像してたのとは少し違うわね」

「本に良く出てくる森は暗くてジメジメしていて、急に魔物が飛び出てくるものですもんね」

「そうそう、ここはその逆ね。

 あーあ、魔物の1匹や2匹出てきてくれないかしらね」

「お姉様、止まって」

「…噂をすればね」


 30メートル程先に私の腰下程度の大きさの生き物がいた。

全体的にふわふわとしており、長い耳を頭に2本生やしこちらへ向けぴこぴこと動かしている。ふたつの黒い目を頭の左右の側へつけていて、こちらを不思議そうに伺っている。

一見普通の動物に見えるが、頭の真ん中へ1本の大きい

角を生やしているため、恐らく魔物であるのだろう。


「あれはアルミラージの一種ですね、奴らは縄張り意識が強く立ち入った者に容赦なく攻撃を加えます。

ここらがそうなのでしょう」

「少し心が痛むけれど、初めての獲物にはもってこいね!

とりあえず私ひとりで相手をしてみるから、メルファは後ろで待ってなさい」


 腰から2本の剣を抜き放ち、アルミラージへと向けて構える。

今まで訓練を受けてきた武器の中でもバランスが良く扱いやすいため、得意としてきた獲物だ。

両手が塞がってしまうため魔法使いには向かない武器とされているが、肉体強化の固有魔法を持つ私には丁度良い。

 

「やるんですね?

只のうさぎの様に見えますが案外素早く動きますし、鋭い爪と歯を持っているため注意が必要ですよ」

「えぇ、そのために来たんだもの問題ないわ」


 そう言い、構えたまま足を進めてゆく。

 

10歩進む。こちらを見てブーブーと警戒音らしき声を発している。


20歩進む。後ろ足でその場で地面を蹴り大きな音を鳴らしている。


更に数歩進む。脚に力を込められ膨れ上がって行くのが見てとれる。

 

そして、もう一歩足を踏み出そうとした。瞬間、片方のアルミラージが跳躍した。


頭の角を前へと向け、一直線でこちらへ飛んでくる。

予想以上のスピードに驚きながらも左手の剣を軌道上へと差し込み、角へと斜めに当てて受け流す。

続けて、すれ違いざまに右手の剣を振り下ろしアルミラージを2つに両断した。

その体毛は見た目とは裏腹に固く、骨も想像以上に堅牢で重かったため生き物を切ったような感触がしなかった。


次いでもう1匹の先程よりやや小柄なアルミラージが飛びかかって来たため、同じように左手で逸らし今度は右足で蹴り付けた。

もんどりを打って飛んでいき木へとぶつかると、背骨が折れたのか口の端から血を流しその場でモゾモゾとした後、全身をピンと伸ばして動かなくなった。


「ふぅ、2匹とも討伐完了…っと」


 緊張を解き、剣についた血を払い鞘へと戻す。

左手の甲で額を拭うと汗をべっとりとかいていることに気がついた。

背中も汗でびっちゃりだ。ほんの少ししか動いていないというのに。

ともすれば命を落としていたかもしれない、そんなやりとりに無意識のうち消耗していたらしい。


「流石です、お姉様。

アルミラージ程度なら魔法も使わずひと捻り、とは」

「いや、見かけほどじゃないわ。

私は攻撃力はあるけど、耐久性はないからね」

「そうですか?

それで、どうでしたか初の魔物退治は」

「思ったほど、気持ちの良いものじゃなかったわ。

けれど、他にない緊張感があるわね……」


 気を取り直し進もうとしたところ、先程2匹が居たところへずっと小柄のアルミラージが3匹、こちらを伺っていた。

私たちが近づいてくる気配を察知したのか、森の奥まで逃げていく。

 

「どうします、追いますか?」

「いえ、わざわざ追いかけてまで殺す必要もないでしょ」

「あと、死体ですが角を回収して焼いた後埋めておきましょう」


 メルファの言葉に頷き近づいて見てみると、角はゴツゴツとして表面はザラザラとした感触で細かい返しのようになっていた。

角を丁寧に切り落としバックパックへ収納した後、体を持ち上げ半分になってしまったアルミラージの方へ運んだ。

蹴り飛ばした時にも思ったが、とても重たい。

岩でも持っているかのようだ。


「…どうして魔物って火葬をするものなのかしらね」


 メルファが魔法でアルミラージを炎に包む。


「何でも、死体をそのまま埋めると土地によってはゾンビ化してしまうそうですよ。

遺体を使役して戦闘に用いる魔物もいるそうですし、

その対策の意もあるかもしれませんね」


 炎はアルミラージの肉を焼き、炭へと変えていく。

外側の毛の部分や脂肪の部分は火の通りが良いのか先に灰になっている。


「ふぅん、なるほどねぇ。

確かに死んだ後も戦うなんて嫌だものね」


 半分になっていたアルミラージが先にその大半を灰へと変貌した頃合いで穴を掘り、そこへ入れ再び炎を起こして先へ進むことにした。


「大分時間を使っちゃったわね、先を急ぎましょう」

「そうですね、ですが警戒は緩めずに進みますよ」


 ちなみに肉が焼ける時には鳥肉を炙った時のような食欲をそそる良い匂いがした。

流石に魔物の身に手を出すのは怖かったので口にはしなかったが。

少し小腹が空いた。今日の夕御飯の献立は何だと言っていたか、軽く口にする事の出来る物を持ってくれば良かったな。


 


 

 森の奥へ進むにつれ、葉が茂るところが増え気温がやや下がって行った。

地面に根が這い、デコボコとしていて走りにくい。

所々根が地面から浮き出しているところもあるため、足を取られないよう気をつけなければ。

 

「大分足場が悪くなってきましたね」

「そうね、転んだ時に接敵なんてしたら最悪だわ

よく注意しなさい」


 それにしても、結構進んできたが中々沼地に着くようには見えない。

考えていたより時間がかかってしまった。

討伐にかかる時間も加味するとそろそろ引き返しても良いかもしれない。

アルミラージの角も手に入れた事だし、帰っだ時に抜け出たことがバレていなければまた来れば良い。


「…メルファ、ちょっといいかしら」

 

 そう考え、足を止めて振り返りメルファと相談しようとした最中、上空でパサパサと小さな羽音が聞こえた。

背中のあたりにぞわりとしたものが走り、咄嗟に左腰から剣を抜き放ち右斜め上前方を目掛けて振り抜く。

すると、がきん、と硬いものに刃がぶつかる感触が剣越しに腕へと伝わった。


そいつは交錯した後素早く翻り、そのまま上空で旋廻し木の枝に止まった。

その時ようやく姿を見てとることができた。


家の近くにもいる木菟と見た目こそ似ているが体の大きさは2回りほど大きく、その足は3本あり爪もそれ以上に巨大で鋭利であった。

ピタリと動きを止め此方をじっと見つめている。

漆黒の羽も相待って、夜になったらすぐに見失ってしまいそうだ。相対したのがまだ日の出ている今でよかった。


「思い切り斬りつけた筈なんだけれど」

「傷一つついていなさそうですね」

「そうね、この様子じゃあの爪は切断できそうにないわね――また来るわよ!」


先程と同じようにすんでのところで迎撃し、今度は反撃に転じようとするも難なく躱され再び上空へと戻られてしまう。

鋭い痛みに手を見るとタイミングがずれ、あの凶暴な爪を受け切れることができていなかったのか剣を持つ手の甲に深々と傷がついていた。


「その血、大丈夫ですか?!

よく見せて下さい、すぐに治療します」

「問題ないよ、動きに支障はないわ。終わった後によろしく頼むわね。

それより空中じゃ勝ち目はないし、どうしたものかしらね…」

「本当に大丈夫ですか?

終わったらすぐに治しますから、無理はしないでくださいね。

援護します、僕も加勢してもいいですか?」

「勿論よ、このままじゃ埒が空かないわ」

「任せて下さい。では、お姉様はそのまま接近してきた時の相手を任せます」


 そう言うと左手を木菟へ向け詠唱を始める。これは風魔法の詠唱だ。

スッと木兎が木を飛び立つと私達の真上で円を描く様に旋回すると、突然滑空し此方へ向かってきた。

 

メルファが詠唱を終えると同時に木兎の周辺に小型の竜巻が発生し、木菟の体を舐める様に吹き上げていった。

木兎は空中の制御を奪われそのまま落ちていくように見えたが、何とか体を捻り近くの木に捕まろうとする。


私はその隙を見逃さず、大勢を立て直そうとしている木兎との距離を詰めると掲げている大きな羽ごと体を切り裂くように剣を斬り上げた。


木菟が私の接近に気づいたのか、攻撃を受け止めようとこちらに向けた爪をすり抜け、3本の足が空に舞った。

足を失った木兎はバランスを崩すもなお、高度を上げ森の奥へ逃げようとする。


私は落下中に木菟の足を掴み取るとそれらをメルファに投げてよこし、着地と同時に身体強化を作動させる。

そして逃げ去ろうとする木菟の背中目掛けて、おおきく振りかぶり剣を投げつけた。


「だぁぁ、えいっ」

 

剣は指を離れた瞬間木菟の体の丁度中心に突き刺さり、勢いをそのままに飛んでいき木へと串刺しとなった。


 「流石お姉様、お見事です」

「メルファもサポートありがとう。

 1人だと短時間で倒すには手に余る相手だったわ」


 手の他に怪我が無いことを確認すると手早く治療し、死体の処理と剣の回収をするべく、私とメルファは着弾地点へ駆け出した。


 



……


「それで、どうかしたのですか?」

「ん?何がよ」

「さっき木菟と戦う前に何か言いかけていませんでしたか?」

「あっ、…あぁそうだったわね」


 あの後ゴタついた事もあって忘れてしまっていた。

振り向くとメルファがやれやれとこちらを見ている。


「その…魔物三頭も討伐出来たのだから、あまり遅くなる前に帰らないかって話よ。

蜥蜴はまた今度、落ち着き次第になっちゃうけど」

「確かに、そうですね。

剣を回収して鳥を焼き終わったら帰りましょうか」

「いいの?」

「?、僕は別に構いませんが。お姉様の言っていた通り

これ以上家を開けると、僕達が出かけていたことを気づかれかねませんからね」

「そっ、そうよね。じゃあ処理が終わり次第、帰りましょう」


 良かった。私が言い出した話である手前、やっぱやめたは申し訳ないからね。

メルファが倒すまで意地でも帰らないと言い出したら困った所だ。

まぁこの子に限ってそんなことは言わないと思ってはいたけど。


「それと、手に入れた魔物のパーツですが加工はどうしましょうか」

「そうね、大きさを考えても木菟の爪は小型のナイフなんていいんじゃ無いかしら、この剣以上に硬かったし。

その分加工は難しそうだけれど、きっといい武器になるわね」

「他には、装飾品にしても良いかもしれませんね。

…それもそうなんですが、どこに依頼しますか?

持っていくのを知られてしまっては元も子もないですし」

「確かに、そっか。

ま、あの子にまた頼んで持っていってもらうか、こっそり抜け出して直接頼みに行きましょう」

「そうですね、そうしましょうか」

「流石にここまでこき使うと可哀想だし、今度はなにかお土産をあげようかな」

「お姉様がそう言うのであれば」


 そのまま続けて、どんなものにするかを相談しつつ森を進んで行く。


 

「それで…っとこの辺だったかしら」

「先程見た限りではここらに飛んでいったように見えましたね」

「そうよね、あの感じだとあっちの方かしら。

うーん、中々見つからないわね……、あった!」


 周囲を見回して探していると、向こうの木に自分の剣が刺さっているのが見えた。

さっさと抜いて屋敷へ戻ろう。

そんな風に考え木の元へと駆け出すと足を取られ、躓いてしまった。


「おっとと、何か足場が急に――」

「この辺りは急に地面が泥濘んでいるようですから、気をつけて下さい」


 後ろから追いついてきたメルファが声をかけ、私の左膝についた汚れを叩き落とす。遠目からだと分からなかったが、地面がいつの間にか泥状になっていた。

少し先に行くとどうやら踝の下くらいの深さにもなっているようだ。

しかし、どうやら到着してしまったようだ。

私達が目指していた沼地へと。


 

「着いちゃいましたね」

「みたいね、まぁ次来る時に場所が分かっている方が都合がいいし丁度良かったわね」

「確かにそうですね」

 


 ザブザブと重く冷たい泥の中を進んでゆく。

沼地の内部は先程と植生が変わり、細く枝分かれした木や苔などを中心として立ち並んでいる。

匂いも木と土の香りがしていた森とは異なり、やや生臭いような匂いやカビと少しの腐敗臭がする。

中の見えない物の中を進んで行くことに若干の恐怖を覚えながらも、問題なく剣の刺さった木にたどり着くことができた。


 「でも、取ったらさっさと帰りましょう。

長い時間ここにいたら、体調が悪くなりそうよ。

対策することも多そうだし一度来てみて良かったわ」


 いくら何でも普通の靴でこの中を進んでいくのは不用心すぎる。

最悪私は身体強化で何とかなるとしても、メルファはもっと厚い靴を履いたり暖かい格好をするなりしないといけない。

沼地の向こう側に向かって風が吹いていて、体もすぐ冷えてしまうのも相待ってグングン体温を奪われる感覚がある。


 そんな風に今回の反省を頭に浮かべながら、剣に手をかける。

すると、木菟は足を失い身体の真ん中に穴をあけられながらも生きていたようでもがき始めた。

すざましい生命力だ。動物や我々人間とは体の構造がそもそも違うのではないか。そんな風に思わせる程だ。


 このまま苦しませるのもどうかと思い、ひと思いにトドメを刺してやろうと右腰の剣に手をかけた時だった。

木兎の上で何かが動く気配を感じ、ふと目線を上げた。


――そこに、いた。

木のてっぺんまで続く程の体を縮ませ幹に纏わり付く蜥蜴の姿があった。

樹皮と体表の色が似方寄っており、この距離にまで近づくまで気づくことができなかった。

 

 拳大ほどの瞳と目が合い、数瞬の間固まってしまう。

木の近くは空気が凪いでおり蜥蜴から発される、生臭い匂いと刺激臭が鼻腔に漂う。

動いたら食べられる。そう思わせるほどの存在感をその生き物は放っていた。

しばらく彼方の様子を伺っていたが、動く様子はない。


 ……流石にここまで何もしてこないのはおかしい。

不審に思いつつも、好機でもあると考え相手の出方を見つつこちらから仕掛けるべく機会を謀る。

 再び身体強化を作動させ、全身に力を漲らせる。

身体がミシミシと悲鳴を上げ、沼地の波面が揺れる。


「どうかしましたか?お姉さ――」

 「先手必勝よ!

私の全力、受け止め切れるかしら!?」


 一気に溜め上げた力を解放する。

身体を振り絞り、尚も平然と幹に貼り付いている蜥蜴に向かって飛び掛かる。

その大きい図体を縦断するイメージで剣を振り切ると、叫び声を上げ木から離れ沼へと下りた。


 手応えはあった。剣を見ると青黒い血が全体に付着していた。

蜥蜴を確認すると、すぐ側に丸太のような物が落ちた。

 

感触通り蜥蜴は相応に傷を負っていた。

左目は潰れ、左手は根本から無くなっており左足も付け根から足先にかけて刃が通り抜けた跡が残っている。

先ほど落ちてきたのはどうやら欠けた左前足だったようだ。

よく見ると尻尾も無くなっているし、肩で息をしているようにも見え全体的に余裕がない。


「なっ、蜥蜴?急にどこから」

「木に止まってたのよ。

そんなことよりまた援護頼むわ、今の一撃で大分削れてるみたいだし一気に押して倒すわよ」


 そう言うと、状況を理解し切れてはいないようだがメルファが詠唱を始める。

唱え終わるタイミングに合わせて再び蜥蜴に詰め寄ると、私に応戦するべく体を上げ臨戦体勢をとる。

 

深手を負っていて尚、全身から圧力を迸らせる蜥蜴に進行をやや躊躇いつつも、心を決め前へと足を進める。

距離が縮まって行き蜥蜴の目前へと躍り出て、接触するその瞬間蜥蜴の足場が隆起を始めた。

蜥蜴は足元から生え始めた槍を回避するべく、その大きな図体からは想像出来ない程素早い動きでその場から飛び退く。


私はその場で制動すると同時に、左脚で地面を蹴り出し予め右手方向に方向転換をした。


「左半身はボロボロだものね。

こっちに来るのは分かっていたわ!」


 無事な右半身しか使えない蜥蜴は咄嗟に飛ぶなら左側にしか行けないだろうとアタリをつけたが、予想通りだった。


「おおおぉぉぉぁ!」

そして、お腹から声を出して自分を奮い立たせ、体勢が崩れることで無防備に晒された体の裏側へ沼へ潜る形で滑り込むとその勢いのまま、正中線を切り裂くように剣を身体に通す。通りざまに鱗の一部が衣服に触れ、胸の前部分と皮膚が裂ける。


通り抜けざまに尻尾が振るわれ、眼前を通り抜け風圧だけで身体が浮く。もし、尻尾が先まで残っていたらどうなっていたことか、肝が冷える。


 「怪我は?!」

「大丈夫、ギリギリ当たらずに何とか無傷で済んだわ。

それにしても、怖いくらいに順調ね」

「それは、本当に良かったです。

あの巨躯です、一歩間違えたらタダじゃ済みませんよ。

鱗の表面もザラザラしていますし、あの身体に削り取られたら治療も簡単にはさせては貰えないでしょう」

 

「そうね、間違いないわ。生身に直撃してしまったら腕の一本や二本弾け飛んでしまうでしょうね」

「身体強化があるから大丈夫、って言いたいんですね?

舐めてかからないでくださいよ、今だってともすれば当たっていたかもしれないですし。

それに、話に聞いた毒霧をまだ出していませんから」

 

「そんな事、百も承知よ。

でも見てご覧なさい、もう立ってるのもやっとと言った様相よ」


 決死の思いで蜥蜴の間合いに入り込んで攻撃したことが功を成したのか、傷は深かったようで蜥蜴はその場から動かずただ私達を睨んでいるように見える。


「ほら、今楽にしてあげるわ」

「ちょ、ちょっと」

 

 息も絶え絶えの蜥蜴に歩み寄って行き、お互いの射程範囲ギリギリで立ち止まる。

剣を両腰から引き抜き中段に構える。お腹の中心に力を込め、されど不必要に固くならないよう体から力を抜き瞬時に動けるような姿勢を保つ。


 互いの間に緊張が走り、睨み合うような形で間合いを図り合う。

相手の隙を見逃さず動き出す機会を待つ。

 この状況になった時点で私の勝ちだ。

 

そうほくそ笑み一呼吸置く。

膠着していた蜥蜴の周囲が凍りつき始めると慌てて突進してくる蜥蜴の体を、沼の水面より生えた二本の氷槍が背後から一息に突き刺した。

 

「学ばないヤツね、これで終わりよ」

そして私は、槍が刺さり反り返った体を横一文字に切り払った。


 蜥蜴の巨体は、そこで全ての動きを止めた。反り返った体が、まるで命の糸が切れた操り人形のように、くたりと折れ曲げた。そして、苦悶の表情を浮かべると力無く頭を後ろへ倒し、ごぽり、音を立て体を沼へと沈めていった。


「ふぅん。なんだ、大したことないじゃない」


 私は剣についた青黒い血を軽く払い、鞘へと納めた。屋敷の連中が手こずったと聞いていたから、どれほどの相手かと身構えていたけれど、結果はこの通り。私とメルファにかかれば、物の数ではなかったわね。


「お姉様、やりましたね!」


 息を切らして駆け寄ってきたメルファに、私は得意げに胸を張って見せた。


「当然よ。私に任せれば、大抵のことはどうにかなるものよ」


さて、と。感傷は抜きだ。さっさとお目当ての素材をはぎ取らないと。にひひ、と意地汚い笑いが漏れそうになる。

 私は戦利品を回収するべく、意気揚々と蜥蜴の亡骸が沈んだあたりへと歩み寄った。

 沼の泥に足を踏み入れた瞬間、胸元にひやりと冷たい風が通り抜けた。


「……ん?」


視線を落として、私は自分の格好に眉をひそめた。

 蜥蜴とすれ違いざまに、鱗の一部が服に触れたことは覚えていた。そのせいで、私の服の胸の前部分が、見事に引き裂かれている。そこから覗く素肌には、鱗で擦れたのだろう、赤い一本線がミミズ腫れのように走っていた。


「お姉様、お胸のところが……!怪我をしています!」


メルファが、私の視線の先に気づいて素っ頓狂な声を上げる。

「大したことないわ。血も出ていないし、後でヨゥチィにでも治してもらうから」

「だめです。どんなに小さな傷でも、放置すれば何があるか分かりません。すぐに治療します」


有無を言わさぬ口調で、メルファが私の前に屈み、その小さな手を傷口へと翳す。淡い緑色の光が、彼の手のひらから溢れ出し、私の胸元を暖かく包み込んだ。

 弟に胸の傷を治療させるという状況が、どうにも気恥ずかしい。私はそっぽを向き、彼の頭のつむじを眺めることで、その気まずさから意識を逸らした。

 やがて光が収まると、ミミズ腫れは跡形もなく消えていた。


「…ありがとう。助かったわ」

「いえ。ですが、無茶はしないでください。お姉様の身体は、お姉様だけのものではないのですから」


まるで年長者のような口ぶりに、私は少しむっとしつつも、再び蜥蜴の亡骸へと向き直った。


「分かってるわよ。…さて、仕切り直しよ。まずは、この腹の革からね。ここが一番柔らかそうだし…」


私がそう呟きながら、自らつけた傷のあたりをよく見てみると、そのすぐ横に、何か僅かな違和感があった。私がつけた覚えのない、小さな円錐状の傷跡。治りかけているのか、縁が黒ずんでいる。


「……?」


私は眉をひそめ、その巨体を観察するべく背中側へと回り込んだ。そして、そこに広がっていた光景に、私は言葉を失った。

背中には、何か巨大な刃物で切り開かれたような、長く、深い裂傷が刻まれていたのだ。それも一つではない。傷口は既に固まっており、明らかに、今しがたつけられたばかりの傷ではなかった。


「ねぇ、メルファ。あなた、この蜥蜴の舌、見た?」

「舌、ですか?いえ、戦闘中は口を開く暇もなかったように見えましたが……」


私はおそるおそる、蜥蜴の巨大な顎に手をかけ、無理やりこじ開けた。そこにあるべき長大な舌は、付け根から無残に引き千切られていた。メルファが息を呑む気配がする。話に聞いていた毒霧も、素早い舌での刺突も、こいつが繰り出せなかったわけだ。遊びに飽きた主人が、最後に玩具を壊していった。ただ、それだけのことだったのだ。


「……お姉様。この蜥蜴、私たちが戦う前から、瀕死だったのかもしれません」


メルファが、静かに事実を口にする。

 それを聞いた瞬間、勝利に沸いていた頭に、冷や水を浴びせられたような感覚がした。


「……ちっ!なんだ、そういうことなの。道理で歯応えがないと思ったわ!」


思わず、悪態が口から漏れる。

 屋敷の連中が敗走した相手を、私たちが倒した。それで、いい気になっていた。それなのに、なんだっていうのよ。結局、私たちが戦ったのは、別の誰かに半殺しにされた、ただの可哀想な魔物だったってわけ?

 手負いの相手に勝ったくらいで、得意になってたなんて……。馬鹿みたいじゃない、私!

 勝利の高揚感は、あっという間に苛立ちと自己嫌悪に変わっていく。

 でも、だとしたら。


「……こいつをこんなにした奴がいるってこと?冗談じゃないわよ…」


この沼地には、あの蜥蜴を一方的に嬲りものにできるような、とんでもない化け物がいる。

 その事実に思い至った途端、背筋が凍った。


「メルファ!ずらがるわよ、今すぐ!素材なんて、もうどうでもいい!」


 私はメルファの手を掴むと、蜥蜴の亡骸に背を向け、一目散に沼の出口へと走り出した。

 重く、冷たい泥が、逃げようとする私たちの足に執拗に絡みつく。ここは危険だ。一刻も早く、この不気味な場所から離れなければならない。

メルファもただ事ではないと察したのだろう。無言で頷くと、私に続いて踵を返した。

重く、冷たい泥が、逃げようとする私たちの足に執拗に絡みつく。早く、早く、早く。心の中でそれだけを繰り返し、必死に足を前に進めた。

そして、森の木々が見える、沼の出口まであと少しというところまで来た、その時だった。


 ザザ……。

 前方の泥水から、一体の魔物が、音もなくその姿を現した。私たちの、退路を断つように。

 漆黒の甲殻。ぬらりとした光沢を放つそれは、どんな刃も通さないであろう絶対的な硬度を予感させた。巨大な二つの鋏は、まるで獲物を待つ断頭台のように静かに構えられている。そして、天を衝くように掲げられた尾の先には、致死の毒を湛えたであろう針が、鈍い光を放っていた。

 蠍。

 巨大な、蠍の魔物。

 その二つの小さな複眼が、まず、私たちの背後にある蜥蜴の亡骸を捉えた。そして、次の瞬間、その視線が、私たちへと突き刺さる。

 そこに宿っていたのは、冷徹な殺意などではない。もっと、人間臭い、純粋な感情。

「私の玩具を、よくも」

 そう言っているかのような、燃え盛る「怒り」だった。

 蠍が、ゆっくりと鋏の一つを持ち上げた。

 それは、処刑宣告のようだった。

 思考が停止したのは、ほんの一瞬。

 

「メルファ、下がって援護を!こいつは、私がやる!」


 弟の背中を突き飛ばすと同時に、私は腰の双剣を抜き放ち、身体強化の固有魔法を起動させる。出力は、自傷しないギリギリのライン。全身の筋肉と骨が軋むのを感じながら、私は泥の地面を蹴った。

 狙うは、蠍の側面。死角。いや、そんなものがある相手ではない。だが、動かなければ即座に死ぬ。それだけは、確かだった。

 蠍が動く。

 まず、天に掲げられていた尾が、しなり、その先端にある針が、槍となって私を貫かんと突き出された。あの蜥蜴の腹を抉ったであろう、円錐状の刺突。

 死のイメージが、脳裏を過った。

「くっ!」

 私は身体強化で増した脚力で、辛うじてその一撃を回避する。だが、蠍の攻撃はそれで終わりではなかった。今度は、巨大な鋏が、緩やかな、しかし逃れようのない曲線を描いて、横薙ぎに振るわれる。

 双剣を十字に構え、その一撃を受け止める。

 ギィン!

 耳障りな金属音と共に、両腕に凄まじい衝撃が走った。弾き飛ばされ、数度、泥の上を無様に転がる。

 重い一撃に腕が痺れる。まともに受けてたらもう数発で剣がまともに持てなくなりそうね。

 それだけではない。私が体勢を立て直すよりも早く、蠍は今度は左の鋏を、まるで的を絞らせないかのように、時間差で繰り出してきた。


「お姉様!」

「大丈夫!こいつの動き、だいたい読めてきたわ!」


 メルファの悲鳴に、私は強がりで返す。

 嘘だ。読めるわけがない。デタラメだ。一手一手、全てが殺意の塊で、どれが本命で、どれが囮なのか、全く分からない。どうする、どうする、どうする!?

 攻撃が、通らないどころの話ではない。捌ききることすらままならない。

 私が囮になり、蠍の変幻自在の攻撃を必死に捌き、逸らし、受け流す。その僅かな隙に、メルファが威力よりも速度を重視した魔法を、目や口といった、わずかでも柔らかそうな部位を狙って撃ち込み続ける。

 だが、どれだけ動き続けても、状況は好転しない。

 私たちの攻撃は、蠍にとって、まるで羽虫がまとわりついているかのようにしか感じられていないのだろう。

 ダメだ、このままじゃ。こちらの体力とメルファの魔力だけが、どんどん削られていく。

 どうすればいい?どうすれば、この鉄壁の守りを、打ち破れる?

ひたすら受け身になっていても勝機は薄い。私は反撃に転じた。蠍の巨体を掠めるように駆け抜け、その勢いの全てを乗せて、悠々とかざしているその腕へと、渾身の力で剣を叩き込む。

 固有魔法の出力も、自傷を覚悟でわずかに上げた。

 ガギンッ!

 嫌な感触。刃が滑り、弾かれる。剣を握る両腕が、痺れで感覚を失った。見れば、私の剣は刃こぼれを起こし、無残な姿を晒している。

 そして、蠍の腹部には、白い線が一本、申し訳程度についただけ。傷とさえ呼べない代物だった。

「……硬い!」

 攻撃が、通らない。

 (ダメだ、全然効いてない。どうする?このままじゃ、ジリ貧じゃない!)

 心が折れそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪える。


「――お姉様!」


 その時、後方から、メルファの切羽詰まった声が飛んできた。


「関節です!あの硬い殻にも、僅かな隙間があるはずです!足を胴体と繋いでいる付け根、そこを狙ってください!」


 その言葉に、私ははっとする。

 そうだ。どんなに強固な鎧でも、動くためには、必ず「継ぎ目」が存在する。

 だが、それは、蠍の攻撃範囲の、ど真ん中。

 懐に潜り込むしかない。一か八か、奴の攻撃に合わせて――。

すみません、思ったより長くなりすぎたので更に1話追加します。

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