3話 弱祟
ビルシルク家御一行が帰ってからおよそ3年が経過した。
最近はメルファの誕生を祝いに来る大人たちが訪れる事もなくなり、穏やかな日々がしばらく続いた。
メルファも成長し、這って移動できるようになっても全く動く素振りも見せなかった時からは想像できないほど活動的に過ごしている。
その顔はカリチュア家の血をしっかりと継いでおり、とても愛らしく、外に出ていないため肌が雪の様に真白で手足も華奢で長いことも相まって美少女と言う表現の方が適切であるようだ。
そうであるため、メイド達からの人気も絶大で空いた時間に抱き上げに来る者が多くみられる。しかし、メルファも満更でも無いらしく、メイドに抱っこされている時の顔は天使の様にいたいけな表情で安らかにしている為
お母様も含め誰も止めることはない。
1年と少し前に立って歩くようになった事をきっかけにしてか、屋敷の中をうろつき周り演習場にも顔を出すようになり、周りのことに興味を示すようになった。
このごろは、私たちと一緒にいることが多く、特に魔法には強い関心を示し一緒に特訓をしてさえいる。
その成長は目覚ましいもので訓練に参加するようになって1年ほどで私より上手に魔法を扱える様になってしまった。
私が5年以上続けて来たものを、メルファはたったの1年で追い抜かしてしまったのだ。
そのショックたるや筆舌に尽くしがたいものだった。
ある日のことだった。
いつも通り武術の訓練を終えたころに、屋敷からメルファが出てきて私たちと共に魔法の訓練をした。
その日も私は相手をかく乱して近接戦闘に持ち込むための魔法を練習した後、基本的な魔法の確認をしていた。
いつもは各々違う内容の練習をするし、クリスなどは派手な魔法を好むので危ないから離れて行うのだが、今日はみんなで揃ってやってみようという話になり一度集まったのだった。
お兄様はやはり格段に魔法の扱いが上手で、簡略化された詠唱と流れるような魔力操作から放たれる正確な魔法は見事と言う他なく、以前に見た時よりもまた進化していて身の引き締まるような思いをした。
クリスはお兄様ほどの発動速度と精密性はないが見栄えのする、性格からは想像のつかないほど綺麗に魔法を操ってみせ、私と1つ違いとは思えず舌を巻いた。
そして、私の番だった。前2人がとんでもないものを見せつけてくれたのでやや委縮しつつも、集中して打ち放った。
緊張感が程よかったのか、今出せる最高の出来のものを披露することが出来た。
自慢げに2人に目を向けると、お兄様も肯定するように頷いてくれ、クリスもこちらをやや驚いたような顔をして見ていた。
これまでの努力が報われたようで大変気分が良く高揚した、少なくともその時はそう感じていた。
最後はメルファの番だった。メルファが魔法を発動するところを見るのは最初の頃みんなで指導していた時と数か月ほど前に同じようにお披露目会をした時以来だった。
私は訓練を始めた時から兄弟の中で一番稚拙だったため、教えることそのものが珍しかったこともあり、率先して指導をしてあげた。その時、タキセル姉さまタキセル姉さまと慕ってもらえるのが新鮮で心地よく楽しかったことを記憶している。
そんな弟の出番ということで、3人とも上手に出来た後だから緊張はしないか嫌になったりはしないかと大変気を揉んでいた。そんな気持ちはその後すぐに消え失せることとなったのだが。
メルファの魔法は一言で言えば丁寧だった。詠唱はお兄様ほど短縮されてはいないが淀みなく、発動までの一連の流れから普段、基礎を疎かにしていないことが見て分かった。
唖然とした。本当は代わりにお兄様かクリスが魔法を発動したのではないかと思い彼女達の方を見たが、2人とも同様に吃驚した顔をしており、そんな期待はすぐに裏切られてしまった。
魔法が発散しても、リアクションの無い我々をメルファが不安そうに伺う。
そんな弟を賞賛するべく、兄妹3人で駆け寄っていく。
齢3年が発動したとは思えない高い次元の魔法を2人が絶賛する。私もそれに続き賛辞を送ろうとした。したのだが、口が上手く回らない。
口が乾き顔が強張り、上手く笑顔が作れない。
黙っている私を気にしてか、お兄様が私に何事かを言おうと口を開こうとした。
私はそれを遮るようにして、先程の魔法で魔力を使い過ぎてしまったからか体調が芳しく無い、おかしいね?と
早口にいい逃げる様にその場を後にして、部屋へ帰ってしまった。
…
部屋の扉を開け、中へと駆け込みそのまま鍵を閉めしゃがみ込む。思考がまとまらずどうする事も出来ないままでいた。
しばらくその場を動けず、座り込み床の模様を眺めていたらふと服の胸元が汗臭いことに気がついた。
今から戻って水浴びをする気にもならなかったから、服をその場で脱ぎ散らかし、水を魔法で生み出して全身に纏わせ適当に汚れや汗を流し、続けて窓を開けて近くの木に向かって打ち出した。
着る服もないしあったとしても服を着る元気もなく、裸のまま布団に潜り込む。
体がさっぱりして、頭もさっぱりしたからか先程のことが再び思い返された。
その事を考えると胸が締め付けられ、胃がムカムカとする。全身の力が抜ける様な感覚がして、何もする気が起きなくなってしまう。
この感じは前にも味わったことがある。魔法の訓練をしている時にクリスがいとも簡単に私が出来ないことをやってのけた時、固有魔法があの子にだけ発言した時にも生じた感情――嫉妬だ。
この気持ちが嫉妬であると気づいてしまったら、私の事を姉と慕い、懐いてくれている7つも歳の離れた弟に対して嫉妬を覚えている自分が滑稽で酷く惨めで醜く思え、目の前がぼんやりと真っ白になっていった。
努力しその成果を見せたら、姉に醜怪な表情を見せられたメルファの気持ちを思うと胸が捻じ切れそうになり、気づくと噛み締めた唇から血が溢れ出しシーツを赤く染めていた。
「もう嫌…。このまま消えて無くなりたい…」
「そんな事、私が許さないわ」
急な声に驚き声のした方を見ると、1羽の大鳥にぶら下がりそこから窓より飛び入るクリスの姿があった。
「自室ですもの、裸で過ごそうと裸で何をしていようと言うことはないわ。けれど、幕を下ろすなりして窓を覆いなさい。貴女は今年で11歳になるのよ…。何度も言っているけれど大人になりつつある自覚を持って、はしたない行動は慎むことね」
いつもの様に小言を言いながらクリスが靴を脱ぎふわりと床に着地し、そのまま窓を幕で塞ぐ。
「それで?消えたいですって?訓練を途中でサボって帰ったと思えば、何でそんな下らない事を言っているのかしら」
「それは…」
「それは、何よ」
「それは、私が、私がメルファに嫉妬しちゃったからよ!」
「それで?」
「それでって…。前にお兄様が言っていたわ、嫉妬心はその人の目を鈍らせて成長を妨げるって。
それに、弟に嫉妬するなんて。最低よ」
クリスがゆっくりと近づいてくる。彼女が通った所にはくっきりと足跡が残っていた。水浴びをする前にここに来たのだろうか?彼女が側に寄るとふんわりと、いつものクリスの匂いと汗の香りが鼻に届いた。
不思議とその匂いは私の荒れた心を少し和らげた。
そして、彼女の顔を見るべく視線を上げようとすると、
「ぎゃっ!
…痛ったいわね!急に何するのよ!」
「思った以上下らない理由だったわね。聞いて損した」
振り抜いたクリスの拳に無防備な私の頬が正確に打ち抜かれた。またしても急な衝撃に一瞬思考が停止する。
殴った本人は心底呆れた様に、首を傾けこちらを見ている。
信じられない!落ち込む女の子にこの仕打ち。到底許されるものじゃない!
「それで?いたいけな弟に嫉妬してしまった最低な貴女は、何で顔を涙と血で濡らして裸で転がっているのかしら」
「さっきから言いたい放題煩いわね…。
そうね、恥ずかしいからよ!弟を妬んでる私自身も、簡単に抜かされちゃった私の実力も恥ずかしいの」
「恥ずかしい?
才能がないことを妬んで、努力しても足りないことが恥ずかしいと思うの?」
「そうよ!私のとメルファの魔法を見て分かったでしょ?
私には魔法の才能がないの!5年間私は何してたのって話よ。
いつまで経ってもお兄様はもちろん、あなたの実力に遠く及ばない。
この前覚え始めた弟にすぐ抜かされちゃったし、もう良いわ、私が魔法を練習する事に意味なんてないわ」
「つまり、貴女は才能がないなら、努力をする意味がないから辞めるべきだと思うのね?」
「だから、そうだって言ってるでしょ!才能がないなら努力したって無駄なの!」
「では、私は貴女より1つ年上で1年長く戦闘の訓練を受けてるけれど、随分昔から全く歯牙にもかかっていないわ。
才能がないから諦めるべきだったのかしら?」
「それは、違うわ。そのつもりで言ったわけじゃ」
「貴女は前から私の事を才能がないのに無駄な事をして恥ずかしいと思っていたのかしら?」
「そんな事思ってない。本当よ!あなたの事嫌いとは言った子ことはあるかもしれないけど、そんな風に考えたことは一度もないわ!」
「知ってるわ。別に私も貴女がそんな子だと思ってる訳ないじゃない」
やれやれ、といった仕草をしてクリスが続けて言う。
「私はね、タキセル。私は、才能がないって言うのは辞める理由に足り得ないと思うのよ。別に私は何も1番になる為にやっている訳でもないし、魔法の能力をより生かすためにできるようにしている面もあるわ。
そもそも近接戦闘が全く出来ないとなると困るからでもあるわね」
「うん。そう、ね」
「それに、貴女だって魔法が上手く出来なくてもその戦闘技術があるのよ。普段魔法の訓練の内容も戦闘に繋がる様なものばかりやっていたの、その辺りを理解していたのだと思っていたわ」
「私はお兄様と先生(ヨゥチィ?)が勧めるからやってただけよ」
「続けるといいわ。これからは自分が何のためにその訓練をしているのか、よく考えて理解してするといいわね。その方が効果も出やすいし」
「うん。…出来るか分からないけど」
「分からなくてもするのよ。
…それに、戦うための技術だけじゃなくて普段午後やっている指揮する能力みたいに他のことで貴女が得意な事を探してみてもいいわ」
「私、頭を使うのも苦手だわ。最近は何となく呑み込むことができる様になったけど、それだけね」
クリスが私の隣に座り、頬に触れ傷を治しながら諭す。珍しく今日は優しい。姉の知らなかった一面に触れ
た。でも、昔はクリスも物柔らかだった事を思い出した。いつからこんな性悪女になってしまったのか。
「例えが悪かったわね。
そうね、マルシルがいるでしょ。彼女はメイドなのにも関わらず、掃除や洗濯とかの家事が出来ないじゃない。でも、うちで雇われてるシェフ以上に料理が得意でしょう?」
そう言われ、いつもあちらこちらでバケツをひっくり返してみたり、皿を割ってみたりして皆に小言を言われている女性を思い浮かべる。
同じ普段から怒られ身として彼女には密かに仲間意識の様なものを持っており、その姿は深く印象に残っている。
小さい時からメイドに憧れを持っていたらしく、頑として料理人としてではなくメイドとして扱ってくれと言っていた彼女の料理――特にお菓子や彼女の入れる紅茶は確かに他の人のそれと一線を画している。
「あなたの言いたいことは分かったわ。
…これから、私は武術では誰にも負けない様に鍛えていく様にする。そのためにも、戦闘に組み込んで扱える様意図して魔法を練習していくことにするわ」
「それが良いわ。まぁ戦闘面でも誰かに負けたとしてもめげないことね。諦めず続けてれば、そのうち良いことがあるはずよ」
そう言うと、クリスは重ねていた私の手を離し、いつもの顔をしてフンと小馬鹿にした様に鼻を鳴らしベッドから降りる。
「その、ごめんなさい」
「?、何がよ?」
「あなたの気持ちを想像もしないで恥ずかしいなんて言ったこと。本当にクリスをそんな風に思ったことはないんだからね?」
「だから分かっているわ、貴女がそんな事思わないだろうことも、貴女が考え無しに言ってしまうようなおバカなことも」
「うん。ありがと」
「何よ、張り合いないわね。
…謝るのなら、私ではなくメルファに謝りなさい。
貴女が去って行った後申し訳にしていたのよ。幼い弟に二度とそんな思いをさせないことね」
「そうね、そうするわ。…本当に情け無いわ」
「それと、貴女が外に汚水を飛ばした所、ヨゥチィも見ていたのよ。彼女また御冠よ、良い加減苦労をかけるのも程々になさい」
そう言い残し、扉の鍵を開けて出て行くクリスと入れ違うように、私の着替えを持つ私のメイドが部屋へと立ち入った。
…今日はとことんダメな日だなぁと思いながら天井を見上げ、メルファへの謝罪を如何にするか思いを馳せるのであった。