09 変化
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その夜からアスランの生活は激変した。昼間は国際会議に出席し、夜はエルフ王の特訓を受けた。往時の姿を取り戻した獅子宮には、多くの召使い達が働く。以前は祖母が密かに弁当を届けてくれていたが、温かい食事もできるようになった。
10歳の時、魔法の教師に『これ以上教えることはありません』と言われた。今のアスランは瞬間移動も修復もできる。ゴーレムを作り、それを自動制御することもできる。これほどの技を他種族に洩らして大丈夫なのだろうか? 夕食の席で師匠に尋ねたら、笑われた。
「我々程の魔力量がなければ使えぬ。人族には百年経っても不可能だ」
「私も人族ですが」
「神の祝福を受けている。気づいてなかったのか? その姿が証だぞ」
王子は衝撃のあまり、フォークを落とした。すかさず、ゴーレムの召使いが新しいものを置いた。
「呪いでは…ないのですか?」
「ローズの里の獣人どもを見ただろう。耳と尾、手足の獣化がせいぜいだ。容貌獅子なるは神の恩寵。そのうち完全に変化できるようになる」
「つまり、全身が獅子になると?」
アスランは血の気が引くのを感じた。この世の何処にも、仲間はいないと宣告されたに等しい。そこへ、エルフの執事が来客を知らせた。
「輝夜様がお越しです」
「通せ」
アスランの宮なのだが。エルフ王は勝手に許可した。輝夜嬢が大きな荷物を抱えて入ってきた。
「どうした? 輝夜。その荷は」
「グランパ。あのね…」
困った様子で、彼女は事情を話した。
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夜会以来、輝夜の生活は激変した。茶寮に求婚者が殺到したのだ。
『エルフの王女に会わせてくれ!』
と、連日、店は満員御礼、それは良いとして、茶寮の周囲に馬車が渋滞し、道を塞いで騒ぎになる。手紙や花、贈り物を持った若い男達がたむろする。ついには女子寮に侵入する者も出て、輝夜はメイド長に休職を言い渡された。
『事情により、輝夜嬢はお休みをいただいております』
その張り紙を見て、ようやく彼らは茶寮から姿を消した。だが、まだ周囲の木陰に怪しい影が見える。いよいよ、彼女は双魚宮を出て行かざるを得なくなったのである。
「すみません。せっかくご紹介していただいたのに…。下働きでも何でもします。獅子宮に置いていただけませんか?」
輝夜は頭を下げ、アスラン殿下に頼んだ。
「それは構わなーー」
「どこのどいつだ!? その下郎どもは!」
殿下の言葉に、グランパの怒声が被せられる。立ち上がり、今にも出て行こうとするのを、セバスさんが止めた。
「陛下が、輝夜様をエルフの王族とお認めになったのです。人族のオスどもが目の色を変えて欲するのは、道理ではありませんか。ましてや、このお美しさ。お肌が発光しているようでは…はて。本当に光ってます?」
「そうなの!あの夜会からだよ!グランパ、何かした?!」
肌の調子が良いとか、そういう問題ではない。うっすら発光しているのだ。蓄光塗料のように。
「おかげでお化け扱いだよ。ううっ…」
せっかく築いた友情も信頼も、全て失ってしまった。彼女は子供のように泣いた。グランパは、慌ててハンカチでその涙を押さえた。
「修復の魔法がかかってしまったのか? すまん。直す方法を考えるから、泣くな」
「本当? 絶対?」
「約束する。ほら、この男が獅子に変化して、背に乗せてくれるぞ。空だって飛べる」
「凄い!」
たちまち涙は引っ込んだ。輝夜は期待を込めた目でアスラン殿下を見上げた。
◆
濡れた黒い瞳がキラキラと『今すぐ乗せて!』と訴えている。アスランはまだ変化ができない事を教えた。すると、彼女はがっかりした顔をした。何となく申し訳ない気持ちになった。
翌朝は3人で食事をとった。会議は今日、終わる。宮を貸すだけで、魔法を教えてくれるのはありがたいが、エルフ王はいつまで居るつもりなのか。それとなくセバスという執事に訊いてみた。
「さあ? 10年ぐらいでしょうか。その頃には輝夜様もお輿入れしてるでしょうし」
との事だ。時間感覚がおかしい。王がそれほど留守にして、問題ないのだろうか。アスランの心配をよそに、エルフ王はどっかりと獅子宮に居座ってしまった。
◆
会議に出席してから、アスランに戦さ以外の仕事が加わった。獅子宮の劇的な復旧を魔法だと勘付いた諸侯から、災害で失われた道路や橋、建造物の修復を頼まれるようになったのだ。遠くても瞬間移動で行けるので、気安く引き受けた。
「いや、助かりました。増税して直そうかと迷っていたんです」
大体、同じことを言われる。アスランは金を取らなかったからだ。代わりにそこの特産物などを貰った。それで十分だった。
「そのお顔は呪いではないそうですね。先日、エルフ王が仰ってましたよ。500年前の王も獅子頭だったとか。昨日のことのようにお話しされるので、さすが長命種だと感心しました」
領都の城壁を直してやった貴族は、笑顔で言った。アスランも初耳だったので、帰ってから確認した。
「記録が消されたんだろう。王朝が3回も代わっているからな。もちろん会ったこともあるぞ。お前よりも詩心のある優美な男だった。自在に変化して外敵を退け、国を正しく導いた。惜しむらくは子が凡愚だったことだ」
エルフ王は新聞を読みながら、こちらも見ないで答えた。
「子…がいた?」
「当たり前だ。王妃はエルフの血を引く美しい娘だった。しかし王子は顔以外、ゴミだった。だから父王の死後、10年経たずに滅んだのだ」
(その王妃はどんな女性だったのだろう? 政略結婚で嫌々? それともーー)
「彼女は、どうしても人族の王と結婚したいと言った。そして長命を捨てた。我々が人族同士の諍いに介入する事は、固く禁じられている。彼女が謀反人に殺されるのを、座して見ているしかなかった…」
苦渋に満ちた目が遠くを見ていた。
「もしや、その方は…」
「異母妹だよ」
沈黙が落ちた。日も落ちかけている。エルフ王は立ち上がって、アスランに言った。
「だからお前を徹底的に鍛えるぞ。お前は息子を鍛えろ。さあ!修行だ!」
宮の裏に作った訓練場に、強制的に転移させられる。何の話か理解できないまま、アスランは攻撃魔法を紙一重で避けた。当たっていたら真っ二つだ。その日の修行は一段と厳しいものだった。