06 呪われた王子
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(変わった娘だ。亜人の里で育ったせいかな?)
アスラン王子は己の手をじっと見た。掌は無毛だが、甲は獣毛で覆われている。長い爪は毎日切らないと、手袋を破ってしまう。他人に素手を見せたのは久しぶりだ。
そういえば、紅茶も久しぶりだった。誰かと茶など飲まないから。不思議な娘は、廃墟を恐れるでもなく、美味い軽食を届けてくれた。それが祖母の注文だったとしても、アスランの胸は温まった。
(茶寮で働いていれば、いつか貴族に見そめられるだろう…)
だがその前に、もう一度、あの可愛らしい小鳥が飛び込んでこないか。彼は、闇に沈んだ宮の中で、小さな喜びを幾度も思い返していた。
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三十数年前。王妃が身籠った。国中が世継ぎの誕生を期待したが、生まれてきたのは、獅子の頭を持つ男児だった。王は死産にしようとした。しかし、診察した魔法士が、
『とてつもない魔力をお持ちです』
と言ったので、生かすことにした。徹底的に仕込んだら、10年経たずして最強の魔法戦士になった。その頃には、第二、第三王子も生まれていたので、本当なら臣籍降下させたかったが、王太后が反対した。王は母親の意を汲み、異形の王子をそのまま留め置いた。
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10歳まで、アスランは乳母と下男の3人で暮らしていた。時々、戦場に行って、従者や兵と接する。普段は宮に引き篭もって、祖母が差し入れてくれる本を読んだり、庭に投棄されている書類を読んで過ごす。捨てられたゴミの中には、宮中の噂を記した物もあった。王はいずれ、獅子頭の息子を追い出すつもりらしい。願ってもない。
(ここを出られたら、獣人の国に行ってみよう)
きっと、同じような姿の人が沢山いる。それが、“呪われた王子”の唯一の希望だった。
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「王命です。来週の夜会に出なさい。支度は全てこちらで用意しますから。良いですね?」
祖母の住まう宝瓶宮に呼び出され、いきなり命じられた。アスランは面食らった。
「何かあるのですか?」
「ケガレ対策の会議にエルフの王が来ます。知っての通り、魔法で敵う相手ではありません。万が一、機嫌を損ねた時に備えて、貴方を側に置きたいのでしょう」
「では玉座の後ろの幕にでも隠れて…」
「我が国にも強大な魔法戦士がいると、アピールしたいのです。見栄っ張りですから」
「…」
ごくたまに、王族全員が出席すべき式典がある。好奇の目で見られるし、母も居た堪れないような顔をしているから、苦痛だった。とはいえ王命だ。アスランは諦めた。ほんの数時間の辛抱だ。
「陛下のお側に立っていれば良いのですね?」
「普通に参加しなさい。パートナーと客人を歓待するのです」
「お婆様と?」
祖母以外にアスランの相手をしてくれる貴婦人はいない。しかし、祖母は呆れたように言った。
「令嬢と出るに決まっているでしょう」
「え?」
「それも、こちらで用意します。貴方は夜会の1時間前にここに来なさい。下がってよろしい」
その後、別室で採寸をされた。また背が伸びていた。いつまで成長するんだろう? 人であれば、老化が始まる頃では無いだろうか。それよりパートナーだ。
(金で呼べる女ではエルフ語ができまい。やはり一人で出よう。何と言って断ろうか…)
ぐちゃぐちゃと考えながら帰る。気づくと、茶寮のある双魚宮の前だった。唯一、祖母を通してコネが使える場所でもある。あの小鳥は元気だろうか。アスランが窓を覗こうとしたら、偶然にも、彼女が出入り口のドアノブを磨いていた。
「あ。アスラン殿下」
輝夜嬢はこちらを向いて一礼した。王子は驚愕した。
(認識阻害の魔法が発動していた筈だ。なぜ見破られた?)
「ご利用ですか? どうぞ。今なら一番良い席が空いてますよ」
「いや、通りがかっただけだから」
「そんな事仰らず。良い茶葉が入ったんです」
強く奨められ、初めて茶寮に足を踏み入れた。認識阻害は解いている。他の客も従業員も目を丸くしてアスランを見ているが、輝夜嬢は全く気にする事なく、最奥の静かな席に彼を案内した。
メニューを渡され、希望を訊かれる。よく分からないので、お任せにした。暫し待ち、輝夜嬢がワゴンにポットと軽食を載せて運んで来た。そして、彼の目の前で湯気の立つ茶を淹れてくれた。
「今年の新茶、ファーストフラッシュです。何も入れず、そのままでどうぞ。スコーンとも合いますよ」
薄い色の茶は、瑞々しく爽やかな香気に満ちていた。美味い。静かに茶を楽しんでいるうちに、考えもまとまってきた。
(お婆様の期待に全て応える事もない。俺は俺の役割を果たすまでだ)
祖母は、王子として最低限のマナーや教養を教えてくれた。引き篭もる孫を歯痒く思いながら、世話を焼いてくれる。ありがたいことだ。でも、呪いが解ける日は来ない。ならば、追放される時まで目立たず潜んでいたい。
「お代わりはいかがですか?」
アスランは頷いた。そしてもう一杯だけ楽しんだ。スコーンも平らげ、
「美味かった。料理人にも礼を伝えてくれ」
と言って茶寮を出た。
「はい。またのお越しをお待ちしております!」
輝夜嬢は外まで出て見送ってくれる。贅沢な時間だった。そして再び、認識阻害の魔法で姿を隠しつつ、獅子宮へと戻った。パートナーは、やはり断ろうと決めた。