20 心の傷
今回もちょぴっと虐め表現あります。すいません。
♡
魔王襲来まであと2週間。獅子宮に意外なお客様が訪れた。リッチマン侯爵家の姉妹だ。初めての夜会以来、久しぶりに会った。姉のイライザと妹のジャンヌは金髪碧眼の美人で、よく似た2人は、応接室のソファに座るなり、分厚い本を渡してきた。
「ご機嫌よう、輝夜姫。早速だけど授業を始めるわよ」
「テキスト10ページを開いて」
輝夜は反射的に受け取った。1時間ほどルナニア王国の歴史を学んだ後、淑女の立ち居振る舞いのレッスンをして、ようやくお茶休憩になった。
「何ですか? これ」
やっと質問が許されたので、輝夜は尋ねた。イライザは優雅にお茶を飲みながら答えた。
「妃教育よ。王太后様に頼まれたの。私達以上に完璧な淑女はいないから」
ジャンヌもツンツンした口調で言った。
「アスラン殿下の王子妃として、そんな田舎娘のままじゃ、王家の恥だからよ」
酷い言いようだが、輝夜は“王子妃”という言葉に飛び上がった。
「な、何言ってるんです? 私が? だって今はーー」
裏返った声にイライザが被せる。
「魔王戦に勝利した暁には、婚約式だから。貴女に拒否権は無いわよ」
「初耳なんですけど?!」
話についていけない輝夜に、姉妹は説明した。宮廷ではアスラン殿下の評価が著しく上がっている。弟王子達も兄に従っているから、王太子になるかもしれない。日和見風見鶏のリッチマン侯爵は、娘のどちらかをアスラン殿下に嫁がせたいと考え始めた。
「でも、私達には心に決めた方がいるの。私はイシドール殿下よ」
「私はクラウス殿下以外、絶対に嫌」
二人は恋する乙女な顔で胸を押さえた。
「そんな訳で、輝夜姫。貴女には立派な妃にーー何よ。変な顔して。嫌なの?」
イライザは輝夜に訊いた。きっと、泣きそうな顔をしている。
「違います。そうなったら、すごく嬉しい。でも、結構好き好きアピールしてるつもりなのに、全然相手にされてなくて。『え? 君と結婚? 冗談だろ?』とか言われたら、どうしよう? 死にそう…」
情けない告白に、姉妹は顔を見合わせた。
「じゃあ、もっと自分を磨きなさいよ。ねえ、お姉様」
「そうよ。どう思われようと、常に殿下に相応しい女性になれるよう、精進しなさい。私は簿記1級と不動産鑑定士の資格を取ったわ。ジャンヌなんか、ピアノとヴァイオリンと声楽に作曲まで習ってるのよ。絵も画家並みに上手いし」
凄い。輝夜は姉妹を見直した。美人だし、教養も人に教えるほどあるのに、未だ努力してるなんて。しかしイライザはふっと肩を落とした。
「と言っても、イシドール殿下には、全然好かれて無いんだけどね」
ジャンヌも寂しそうに言った。
「クラウス殿下もよ。私が財務大臣の娘だから、追い払わないだけよ」
(それ言っちゃったら、私なんか、グランパの孫だから置いてもらってるしなぁ)
三人は「はあっ…」と同時に深いため息をついた。それがおかしくて、笑ってしまった。それから毎日、二人は獅子宮に来てくれた。
◆
ようやく臨時体勢が軌道に乗ってきた。余裕ができたので、アスランは久しぶりに自分の宮に帰った。輝夜嬢は元気だろうか。ユンカーズから報告がないので、そう思い込んでいたが。
「お帰りなさいませ。輝夜様とユンカーズ卿は裏庭で鍛錬中です」
ゴーレムの執事が淡々と伝えた。
「訓練を見学しているのか?」
「いいえ」
よく分からないので、アスランは裏庭に行った。薄暗い夕暮れの光の中、ズボン姿の輝夜嬢が、懸命に騎士に斬り掛かっていた。ユンカーズにしてみれば児戯に等しい。だが真面目に短剣を受け流しては、
「良いですぞ!脚を狙いなされ!」
などと言っている。何をしているのだろう。アスランは気づかれないように気配を消した。やがて、騎士の剣が短剣を落として奇妙な訓練は終わった。はあはあと息を荒げる輝夜嬢に、ユンカーズはタオルを渡した。
「もう十分では? ミカドとやらは、眷属がいなければ、ただの人間なのですよね?」
「一番怖いのは、私自身なの。誰かが傷ついたり、死にそうになったら、勝手に降参しちゃうかも。そうなったら…」
彼女は豆だらけの掌を見た。
「魔王を殺すおつもりで?」
「ううん。刺すだけ。傷害罪で刑務所に入れられるけど。まあ、良いかなって」
「やれやれ。我らが負ける前提ですか」
「ごめん。ーーあ、もうこんな時間。ありがとう、ユンカーズ卿。また、お夕飯の時にね」
彼女は裏口から宮の中に入っていった。ユンカーズは短剣を鞘にしまうと、こちらを向いた。
「とまあ。こんな感じで信頼されてません」
気づいていたらしい。アスランは認識阻害の魔法を解いた。弟子は、輝夜嬢に頼まれて短剣を教えていた、と説明した。衝撃だった。こちらは万全の体勢で準備をしている。エルフ王も亜人軍を編成中だ。絶対に負けはしない。なのに、当の本人は、確実に魔王に連れ去られると思っている。
「よほど魔王が恐ろしいのでしょう。刷り込まれてる」
「…後で話してみよう」
アスランは改めて宮に入り、輝夜嬢に声をかけた。そして夕食後、彼女を散歩に誘った。
◆
暫く見ない間に、世界樹の若木は大きくなっていた。もう、アスランの背丈を越えている。その前に置いてあるベンチに、二人は腰を下ろした。満月まで、あと1週間。輝夜嬢は切ない目で空を見上げた。アスランはそっと彼女の手を取った。
「短剣を習っているとか?」
「はい。あまり見ないでください。今、豆だらけで」
引っ込めようとするのを、彼はギュッと押さえた。美しい顔がこちらを見た。
「我々は、絶対、君を魔王に渡さない。何故信じない?」
「…」
「君に奴は刺せない。優しすぎる」
「刺せます!もう無力な子供じゃないんです!私だって…」
輝夜嬢は急に興奮し、玉のような涙をこぼした。その目はアスランを見ていない。彼は、“読心”の魔法で彼女の心を覗いた。
◆
深い闇が見える。そこに10歳ほどの少女がいる。少女は一人で食事をし、水色の背嚢を背負うと、ドアを開けて外に出た。殺風景な建物に、同じ年頃の子供たちが集まっている。学舎らしい。
少女はそこでも一人だった。誰も話しかけてこない。授業が終わると、彼女はまた水色の背嚢を背負い、暗闇に帰った。出来の悪いゴーレムみたいのが食事を出す。風呂に入る。ベッドに潜り込む。その後は、光る板に映し出される映像を、ずっと見ていた。
(向こうの記憶か。特に変わった点はないな)
次の場面で、少女は絵を描いていた。子供たちの絵が壁一面に張り出され、
『金賞は月出さんよ。素晴らしい出来だわ。都のコンクールに出しましょう』
と、教師が言った。少女の誇らしい気持ちが伝わってくる。だが、翌日、それはズタズタに切り裂かれていた。
『あらら、ツッキー。残念だねぇ。それじゃコンクール出せないじゃん』
少年が笑っていた。そこからは、断片的な映像が見えた。捨てられた文具をゴミ箱から拾う。汚れた服を自分で洗い、傷を自分で手当てする。
アスランは、はたと気づいた。これは普通じゃない。自分が子供の頃は、乳母や下男がいた。祖母も密かに会いにきてくれた。少女はずっと一人きりだ。どこにも世話をする大人がいない。
『ツッキーの親、授業参観来ないの? 嫌われてるねぇ』
純然たる悪意。これがミカドか。アスランは魔法を終了した。
◆
輝夜嬢は、自らの手で過去を断ち切ろうと足掻いている。アスランは悩んだ。戦いは不可避だ。しかし、他人が魔王を倒してしまっては、彼女の魂が救われない。
「…一緒に刺そう」
「殿下?」
「作戦変更だ。君を頑丈な結界で守りつつ、有志の戦士達で戦うつもりだった。それじゃダメなんだろ?」
「…!!」
細い身体が、彼の胸に飛び込んできた。涙が鬣を濡らす。世界樹の葉擦れが響く中、彼女はいつまでも泣いていた。




