11 肖像画
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張り紙の事を知り、輝夜は激怒した。ちょうど夕食時で、祖父とアスラン殿下と食堂にいた。
「信じられない!勝手に求婚の条件を出すとか!グランパのバカっ!」
フォークを持つ手がブルブルと震える。祖父はワインのグラスを置いて、真面目な顔で言った。
「誤解だ。お前を嫁にやらぬ為に、無理難題を出したのだ」
「本当に誰かが持ってきちゃったら、どうするの?!」
「偽物に決まっている。だが、もしもの時の為に、この男がいる」
グランパはアスラン殿下を指した。
「ゴホッ!」
ちょうどデザートを食べていた殿下は、むせた。ゴーレムの給仕が無表情にその背をさする。
「此奴が実物を集めてくる。比べて見れば一目瞭然だ。仮に本物だったとして、その場合はアスランを選んだフリをすれば良い」
「嘘の婚約ってこと?」
「そうだ」
輝夜はアスラン殿下をチラリと見た。何でも、宝物はうんと遠くの秘境にあり、モンスターを倒さないと手に入らないそうだ。おまけに偽の婚約者になれとは。ちょっと厚かまし過ぎるのではないだろうか。
「何の。魔法の授業料だと思えば安いものだ。そうだろう? 我が弟子よ」
師匠が脅すと、殿下は背筋を伸ばした。
「最善を尽くします」
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翌朝早く。輝夜は殿下を見送った。鎧をつけ、大剣を背負ったお姿が勇ましい。
「これ…おやつです」
特産品開発で作った、日持ちのするお菓子や飲み物をリュックに入れて渡すと、一瞬でどこかに消えた。収納魔法というやつだ。
「ありがとう。大事に食べるよ」
殿下は笑って言うが、輝夜は申し訳なくて頭を下げた。
「本当にすいません。こんな事に巻き込んで…」
「良い。国の外は初めてだから。実は楽しみなんだ…じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい!お気をつけて!」
殿下の姿が消えた。秘境は遠すぎるので、途中で戻らないそうだ。セバスさんが必要な道具や食料は十分、用意したはずだし、グランパも絶対に大丈夫だと言っている。それでも心配で、輝夜は、毎晩、殿下の無事を祈った。
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また一人、刺客が死んだ。その報告を聞いた王は、目の前で平伏する刺客の長に尋ねた。豪華な私室は人払いがされている。
「原因は? こうも続けて毒で死ぬなど、おかしいだろう」
「人間技ではありません。エルフの魔法でしょう。もう、アスラン王子の暗殺は…」
「諦めろと申すのか?」
顔を黒い布で覆い、目だけを出した男は、更に深く頭を下げた。
「不可能、でございます。“毒返し”を恐れて、誰も仕事を引き受けません」
「…もう良い。下がれ」
「はっ」
王が手を振ると、長は闇に消えた。
(これ以上、アスランに力を付けさせてはいかん)
国際会議以来、第一王子の存在感は急速に増していた。修復の魔法で地方領主の心を掴み、エルフ王の孫娘まで手元に置いているからだ。彼女をイシドールかクラウスに娶らせようと、獅子宮に行かせたが、とんでもない条件を提示された。
(どうせ人間には入手できないと思っているのだろう。馬鹿にしおって)
王は妄想に取り憑かれていた。獅子頭の息子が父の心臓を突き刺す。血まみれの手で自ら戴冠する様が、脳裏から離れないのだ。
(何とか、アスランを排除しなければ)
その為には、どんな犠牲も厭わないつもりだった。
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獅子宮に、王太后様が遊びに来た。輝夜は久々にラテアートでもてなした。美しい庭が一望できるベランダで、王太后様は、まず、グランパに礼を言った。
「孫が大変お世話になりました。些少ながら、お受け取りください」
召使いが布で覆われた四角いものを運んでくる。結構大きい。壁に立て掛けると、セバスさんはサッと布を取った。それは、アスラン殿下と綺麗な金髪女性の肖像画だった。
「!」
グランパは急に立ち上がり、絵に近づいた。
「…よく残っていたな」
掠れた声に、王太后様は静かに答えた。
「私の実家は4つの王朝に仕えたのですよ」
「貰って良いのか?」
「もちろん。お身内の下にある方が、王妃殿下も喜ばれるかと」
「ありがとう。感謝する」
グランパはじっと絵を見つめた。さっぱり理解できない輝夜は、王太后様に尋ねた。
「あのう。この人、アスラン殿下じゃないんですか?」
「違うわ。500年前にこの国を治めていた、聖王ヘリオス様よ。隣はローザ王妃。ハーフ・エルフだったそうよ」
どうりで綺麗なわけだ。何となくママに似てる…そこで気づいた。
「え? お身内って言いました?」
「ガブリエル陛下の異母妹だと聞いています。エルフの知恵で民の病を癒やし、国の発展に尽くされたとか。でも、聖王の存在は口伝でしか遺っていないの。アスランが生まれた時、息子にこの絵を見せたのだけど…信じてもらえなかったわ」
王太后様は、“呪われた王子”と呼ばれ、誰もが見捨てた赤子を、密かに世話してきたそうだ。
(殿下も、家族と上手く行ってなかったんだ…)
輝夜は前の人生を思った。一人で食べる食事の侘しさ。こちらに生まれるまで、それが普通だと思い込んでいた。愛されずに育った子供は対人関係に苦労する。輝夜は甘え下手で、死ぬまで恋人ができなかった。それに比べ、アスラン殿下の器の大きいこと。
「聖王ヘリオスのように、アスランも良き伴侶を得て幸せになってほしいわ」
カプチーノを飲みながら、王太后様は言った。輝夜は確信を込めて頷いた。
「きっと、お幸せになりますよ。あんなに素晴らしい方なんですから」
「私としては、貴女に、幸せにしてもらいたいのだけど」
すると、グランパが話に入ってきた。
「待て。決めるのは輝夜だ」
「勿論です。ですが、陛下こそ、邪魔をなさいませんように。人の一生は短いのですから」
「70にもならん小娘が。生意気な口を聞きおって」
グランパは悔しそうに言い、王太后様は愉快そうに笑った。
「お褒めいただき、恐悦至極でございます。どう? 輝夜嬢。アスランとの結婚、考えてくれる?」
「えっ?」
輝夜は手にしたクッキーをポロリと落とした。
「仮初めじゃなくて、本当の婚約者に? あんな完璧な方と? ええーっ!無理じゃないですか? 国中の未婚女性から、カミソリ入りの手紙が来ませんか?」
わたわたと動揺する彼女を、王太后様は目を丸くして見つめた。
「多分、貴女以外、アスランを好む令嬢はいないわ」
「またまた!ご冗談を!殿下のお…」
尻がどれほど素敵だったか、と言いかけて、口をつぐんだ。危なかった。上品の極みみたいなお方の前で、やらかすところだった。しかし、封印していた、殿下のシャワー姿がくっきりと浮かび上がってしまう。輝夜は両手で顔を覆った。羞恥の熱が冷めるまで、数分が必要だった。




