遺書
私は尊敬してやまない大先生を殺しました。彼には私がどう逆立ちしても及ばない非凡な才能がありました。その才能に嫉妬してではありません。そんな私を彼は愛し、心の関係、さらには身体の関係を築いてくれました。でも痴情のもつれでもありません。少し経緯を語らせてください。
私と彼は某大学医学部の同期でした。彼は外科志望で私は内科志望でした。付き合いは学部生時代からになりますが、互いに尊敬し合い、刺激し合う良い関係が築けていたと思っています。彼とはそのままその大学の大学病院に勤めることになりました。
彼の手術の腕前は診療科の違うこちらにまで届くほどでした。同時に私の診断の腕も彼のところに伝わっているようでした。食事や寝る前といった顔を合わせる時に、お互いを褒め合い、讃えあったものです。
私と彼との関係は院内で噂になっていました。しかし、その関係を咎める者はいませんでした。その関係に有無を言わせない実力が私たちにはあったのですーー少なくとも半年前までは。
ある日、彼が手術中に器械を落としたという噂が流れてきました。皆の反応は、そんなこともあるよね、と淡白なものでしたが、私は途端に彼のことが心配になりました。私は思い切って食事の場で彼に尋ねてみましたが、彼は、心配するな、大丈夫、の一点張りでした。
それから彼は毎回のように手術でミスを重ね、ついに執刀医から下ろされてしまいました。落胆する彼を慰めようと彼に近づいた時、彼の手が抑えきれないほどに震えていることに気付きました。
私は脳の検査を提案しました。最初は渋っていた彼でしたが、私の必死の説得もあって、ようやく検査を受けてくれました。
検査の結果は衝撃的なものでした。脳が萎縮していたのです。彼は酒も煙草もやりません。違法薬物なんてもってのほかです。さらに余命一年という診断までつきました。帰り道、私と彼との間に会話はありませんでした。
それから彼の介護が始まりました。といっても最初の症状は手足の痺れ、震えだけなので、まだまだできることもたくさんありました。けれども次第に、指が動かせなくなり、腕が上がらなくなり、立てなくなり、ついには身体を起こすことさえ叶わなくなりました。
ある日彼は私に言いました。
「研修医の頃から考えてたんだ。どうして人の死には苦しみが伴うのだろう、そして政府も家族も、その苦しみをできる限り長くさせようとするのだろうって」
私ははっとしました。彼は今まで看取ってきた患者に自分を重ね合わせているのです。そして彼は、自分が救われる唯一の選択が安楽死だと信じているのです。
「私は、君にできる限り生きてて欲しいよ」
「それを生きることに苦しみを感じている人に言うのかい?」
彼は冷たく言い放ちました。私は何も言えず、ただ涙を溢すことしかできませんでした。彼は続けます。
「そうだ、もし君が僕のことを真に想ってくれているのなら、最期のお願い、聞いてくれるよね?」
私には彼が何を願っているのか、内科医である私に何を望んでいるのか、聞くまでもなく分かりました。
私はその夜、自分の勤める大学病院へと車を走らせました。私の姿を見て驚く当直医に、忘れ物をしたと誤魔化し、薬品庫から二人分の致死量のカプセル剤をくすねてきました。
彼と暮らすアパートに戻り、私は彼の分のカプセル剤を手渡しました。
「ありがとう」
それが彼の言葉を聞いた最期でした。彼は眠るように息を引き取りました。
それを見届けて、今私はこのように遺書を書いています。でもこれ以上は蛇足でしょう。私も眠ることにします。おやすみなさい。