始まり①
もしも、私が世界から消えたとしても世界はそのことを覚えてくれているのだろうか?そんなことを問いかけたところで靄がかった薄明るいこの世界は返してくれやしない。ただ虚しさが残るだけ。
ああ、いつからだろうかこうして歩いているのは、昨日?一昨日?1週間前?それとも1年?そんな質問は時間の経たないこの世界では恐らくなんの意味もないことなんだろう。
とにかく彷徨っていた何かを探して、この無限に続く草原の中を。
何も無いこの世界は退屈で怖かった。きっと、その場で留まっていたら靄と一緒に消えてしまいそうな感覚に陥ってしまう。
だからとにかくとにかく歩いた。必死に必死に必死になって何も無いこの世界を歩いた。
そんな何も無い世界にも変化が訪れた。
歩き続ける私の前に一つ扉が現れのだ。扉以外に何も無い、まるで誰かを待つように佇んでいる。
なんの扉なのだろうか?この世界の出口へと通じてる扉なのか?それとも、何も無いただの扉なのか?もしかしたらもっと恐ろしい世界への扉なのかもしれない。
ただ残念ながら、その問に対して答えてくれる人はいないし、もしわかったところで今の私には先に進む以外の選択肢はない。小さく呼吸を整えてドアノブをゆっくりと回した。
扉を開けて恐る恐る中を見てみるとさっきまでとは一転なんとも場違いな雑居ビルの一室のようになっていた。誰もいない。書類が乱雑に積まれた机に重厚感のあるソファー、数冊のファイルだけが置かれた棚。さっきまで居た世界とは違くやけに馴染み深い世界だ。
しかし一体ここはどこなんだろう?あまりの世界の変わりように戸惑いながらもこの部屋の中をみてまわった。
探索をしていると窓にかかるブラインドの隙間から僅かに光が漏れてるのを感じた。なんの光だろうと思いブラインドの隙間に人差し指を入れ外を覗いてみた。
そこには都心のようなネオン街...ではなく、無数の光?がゆっくりと何もいない街中を流れていく異様な光景があった。
「人の家に勝手に入り込むなって親に教わらなかったか?」
不意の一声に慌てて後ろを振り返るといつの間にか気だるそうな若い男の人がソファーに座っていた。
「す、すみません!その...!扉があったのでつい...」
この部屋の主と思わしき人物の唐突の登場に心臓が跳ね上がる思いがした。
「面白いことを言うな」
男はそう言うとゆっくりとソファーから立ち上がり私の方へと詰め寄ってきた。あまりにも詰め寄ってくるので後ずさりをし、仰け反るように後ろのブラインドに寄りかかった。そんな私の顔を男はまじまじと覗き込む。
「目立った傷跡もなしか」
「まぁいい、とりあえずソファーにでも座りな」
私の顔から離れた男はもう一度ソファーに深く腰掛けた。私も促されるまま席に座った。
そうするといつ取りだしたのか、気づいたら握られていたティーポットでペルシャ柄のティーカップに紅茶を注ぎ始めた。
「どうやってここに来た?」
「あ、あの気がついたら見知らぬ草原にいてずっとずっと彷徨ってたら扉があって...開けたらその...ここに」
「彷徨ってたらね」
「砂糖かミルクはいるか?」
「いや、別に...」
「冷めないうちに飲みな」
どこの茶葉なんだろ?男の姿から想像できないほど優雅で芳醇な香りがしていた。手に持つと少しまだ熱く、軽く冷ますように息を吹きかけてから口に運んだ。
「不用心だとはよく言われないか?」
「え?」
男はまたいつの間にか取り出したのか、手には映画のフィルムのようなものを持っていた。
「君の記憶は全て見させてもらった」
「立華 紅葉、18歳、2月5日生まれ、東京都生まれ東京都育ち、趣味は...」
「な、なんで、そんなこと知ってるんですか!?」
「言っただろ、記憶を全てを見せてもらったと、そしてお前が言ってることが嘘じゃないことも見させてもらった」
男が見ていたそのフィルムは私のフィルムだった。どこで手に入れたのか、そもそもそんなものを手に入れられるこの男は一体何者なのだ?
「一つ、お前にいいものを見せてやるよ」
そう言うとリズム良く2回手を叩いた。途端に今まで事務所のようだった壁が全て一面ガラス張りの壁へと変わっていく
さっき隙間から見た景色、しかし今見てる景色からは異様さと不気味さよりも輝きを放つ街並みの綺麗さの方が際立っていた。
「この景色が何でできてるかわかるか?」
顔に手を付き、横を向いて外の景色をみながらそう問いかけてきた。
「この世界が非現実的すぎて検討もつかないです」
「少しは考えろよな」
「この景色はな、『魂』で出来ているんだよ」
「つまりは死後の世界、世間一般じゃあの世だなんだと言われるところだ」
薄々気づいてはいた、ここが元いた世界で無いことは。彷徨っていた頃からここが夢の世界では無いかとも思ってもいた。ただ、それにしてはやけに長い夢だとも思っていた。
そうか、私はもう死んでしまったのか。
「だが、紅葉はまだ死んでいない」
「死んでない?」
「そうだ、人が死んだらその人の死因に合わせて痕跡ができるんだ。例えば、心臓の病で死んだ人なら心臓の辺りにモヤがかかる。だけどそれが紅葉にはどこにもない」
「なにかの間違いで迷い込んだってことだ」
結局、私はまだ死んでないってことか?よくわからないが、また現世に戻れるってことか。なら、こんなところにいる意味はない。
「どうやったら戻れますか?」
「難しいことを聞くな」
「元々居た器があれば戻せなくも無いかもしれないが、戻れるとは限らない。なんせ、こんなこと初めてだからな」
「ちょうど、暇だし手伝ってやるよ」
男はもう一度リズム良く手を叩き部屋をまた、事務所の一室みたいに変えると椅子から立ち上がり、スーツを整え始めた。
「あの、今更なんですけど名前伺ってもよろしいですか?」
「ん?、そういえば、まだ名乗ってなかったな」
「そうだな、名はカラスとでもしとこうか」
「変わった名前してますね」
「ふん、なんとでも言え」
カラスと私の私探しの旅が始まった。