コンスタンサのおいしい中世生活
秋の歴史2023企画参加作品です。
史実をもとにしていますが、ほぼフィクションです~。
アカネは21世紀に生きるOLだ。いや、OLだった。
20代後半独身、趣味は旅行と美味しいものを食べること。
西洋史ヲタな弟の瑠衣にポルトガル旅行に誘われ、二人でリスボン観光していたはずが。
途中で原因不明の爆発があったような、大穴が開いて吸い込まれたような……
気がついたらアカネは、14世紀のリスボンに飛ばされていた。
単なるタイムスリップではない。
アカネの魂は現代の記憶を残したまま、いきなりカスティーリャのお姫さま、コンスタンサの中に入っていた。
同時にコンスタンサとして生きてきた記憶と意識もある。
逆行転生と共生の中間のような状態だった。
「うう、辛い……」
そして月日が流れた。その間、コンスタンサとなったアカネを心底、悩ませ苦しめたもの。
それは、正当な妃である自分をないがしろにして、侍女に浮気した王太子ペドロへの嫉妬、ではない。
自分を裏切って王太子とくっついた侍女・イネスへの恨み、でもない。
「ごはんが、まずい……!」
これである。
なにしろ中世。食事といえば毎日毎食、肉!肉!肉どっさり!
あとはワインにチーズ、カラカラのパン。申し訳ていどに野菜が入ったスープ。少しの果物。それだけだ。
この時代、平民の食生活の貧しさを思えば、これでもよっぽど恵まれているのだと頭では分かっている。
しかも現代人だったころのアカネは、向かうところ敵なしの肉食女子だった。
それなのにコンスタンサの体はみるみる弱っていき、これでもかとばかり供される大味な激重料理をすっかり受けつけなくなっていた。
こってり料理に疲れ果てた胃は、やさしさと食物繊維をもとめてシクシク疼きっぱなし。
生きる気力がまるっきりわいてこない。
「このままでは、病気で寿命が尽きる前に、まっさきに消化器が逝ってしまうわ」
思えば(逆行転生してから)短い人生だった。
はるばるカスティーリャから嫁いできたのに、王太子はコンスタンサの侍女・イネスに夢中。
広々とした王宮の食堂で、コンスタンサはいつも一人でテーブルについていた。それがよけいに辛さをつのらせた。
(姉さん、食事は必ず誰かと一緒にするんだよ。相手は恋人でも家族でも、友達でもいいから)
それが瑠衣の口癖だった。大学生の瑠衣は、アカネの部屋に下宿するかわり、家事をみんな引き受けてくれていた。
料理上手な弟と同居していたおかげで、21世紀のアカネはまずまず豊かな食生活を送っていたといえる。
リスボンを旅行している間にも、カフェやレストランに一緒に入って、おしゃべりしながらの食事を楽しんだものだ。
一方、ここ王宮ではどうだろう。
いまだってコンスタンサのまわりには、食事の世話をする使用人か料理人くらいしかいない。
コンスタンサは泣きそうだった。こんなキャベ○ンすらない世界で、どうやってひとりで生きていけばいいのか。希望なんてどこにもない。まともにご飯が食べられない今、なんとかしなきゃって気持ちにすらなれなかった。
ああ、瑠衣とのグルメ旅行は楽しかった。
いや、こちらの世界にきてからだって。
カスティーリャからポルトガルへの婚礼の旅は、とても楽しかったのだ。
まさかこんな結末が待っているとは夢にも思わず。一族や、大勢の家臣に祝福されていた。胸は希望でいっぱいだった。
侍女とはいえ、もともと親戚同士で仲良しだったイネスと二人、山鳥の丸焼きや鹿の串焼きに舌鼓をうったり、ザクロの木を見つけて突進したりしたものだ。
(あの時のザクロの、甘酸っぱくてみずみずしかったこと……)
思い出すと口の中が唾液でいっぱいになる。
コンスタンサがじゅるるっと涎をすすっていると、ふいにコト、と目の前に大きな皿が置かれた。
つぎつぎに並べられた料理を見て、コンスタンサは驚きに目をみはった。
えっ、何この、昨日までの料理とはぜんぜん違うメニュー!
まるまると太った鶏の中には野菜や豆がぎっしり詰め込まれていて、パリッとした皮の光沢とたちのぼる香草の香りが食欲をさそってくる。
皿になみなみと注がれたスープには、根菜とポルトガル名物のタラが入っていて、見るからに美味しそうだ。
まっしろなパンは焼きたてのように温かく柔らかい。ふっくらと蒸したじゃがいもにはとろけるバターと黒胡椒がかけられ、白い湯気をたちのぼらせていた。
それに可愛くカットされたフルーツ盛り合わせと、黄金色に輝くエッグタルト。
これではまるで、現代の料理とまったくかわらないレベルだ。
何?いったい何が起きたの?
コンスタンサが呆然としていると、初老の料理人が恭しく頭を下げた。
「王太子妃さまのお口にあいますかどうか。どうぞお召し上がりください」
「あなた新顔ね。名前は?」
「ルイスと申します。昨日カスティーリャから到着しました」
「ああ、なるほどね」
コンスタンサの実家であるカスティーリャからは、たまに盆暮れ正月の挨拶のように、物資や人手が送り込まれてくる。
今回はナイスな人選だったようだ。コンスタンサは並べられた料理にうっとりしながら、ありがたく感謝の祈りをささげた。
合掌。そして、
「いただきます」
その時、コンスタンサの手つきとつぶやきに気づいたルイスが、ぎょっと驚いた声をあげた。
「王太子妃、そ、その食前の祈りは、どうされた……?」
コンスタンサはぎくっとして自分の手元を見た。
しまった。
食べ物があんまり美味しそうで、ついつい、我を忘れて日本式の合掌しちゃったわ。中世ポルトガルで、お手てのしわとしわをあわせて拝んでちゃ不審だわね。
しかし、ルイスの驚きポイントは、そこではなかったようだ。
「あなたは、いや、もしかして……姉さん?」
「えええ?じゃあ、まさかルイスって、瑠衣?瑠衣なの?」
「そうだよ。ああやっと会えた。しかも姉さん、王太子妃になってるなんて!」
二人して驚きながら、確認しあう。
ルイスはこれまでの経緯をとうとうと説明した。
ルイスこと瑠衣は、かつてアカネと一緒に何らかの事故に巻きこまれた。
そして驚いたことに、アカネよりさらに20年ほど昔のカスティーリャに飛ばされていたということだった。
現代人の知識をいかすことで、貴族の料理人まで出世し、ずっと中世カスティーリャ人として暮らしてきたらしい。
同じようにこの世界に飛ばされたはずの姉、アカネを探しながら……
まさに奇跡の再会。二人は手に手をとって互いの無事?を喜び合った。
さらにルイスは前置きなしに、いきなりの提案をもちかけてきた。
「さっそくだけど姉さん、ここから逃げた方がいい。昨日までの食事には少しずつ毒が入っていたみたいなんだ」
「はあ???」
突然のルイスの忠告に、コンスタンサは今日何度目かわからないくらい驚いた。
コンスタンサの食が細り病気がちだという報告はカスティーリャまで届いていた。ルイスは本国から、原因究明のために派遣されてきたらしい。
そしてこれまでの食事に毒が盛られていたことを、早々とつきとめていたのだった。
(じ、冗談じゃないわ)
コンスタンサはぞーっとしながら自分の胃を抑えた。
確かにずっと具合は悪かった。よもや、ゆるゆる毒殺されようとしていたのが原因だったなんて。
「まさか、イネスがそこまでするの?それって私が邪魔だから?」
「正確にはイネスじゃない。その取り巻きの、カスティーリャの亡命貴族だ」
この世界の事情通らしいルイスは、丁寧に説明してくれた。
コンスタンサが死ねば、王太子の愛情はイネス一人のもの。王国の後継者になるのはイネスの生んだ子供。
取り巻きの自分たちも一生安泰というわけだ。
「なによそれ、信じられない!」
あんまりにも非人道的なしうちに、21世紀出身のコンスタンサは憤然となった。
けれどコンスタンサ姫の意識は、『そんなことはべつに珍しくもない』と完全に冷め切った様子だった。
アカネとの共存を始めてから、姫の意識はどんどん薄れている。生への執着はまるで感じられない。
アカネの転生を機に、まるっと人生をバトンタッチするつもりらしい。
ルイスの忠告を聞いて今後どう行動するかも、どうでもいい他人事みたいにただ眺めている。
コンスタンサ姫の生気のなさを、不安にもはがゆくも思ってきたアカネだった。
自分の半身となったからにはもっとしゃんとして欲しい。辛い立場はわかるけれども、もっと自分の幸せに前向きになって欲しい。
けれどこうして命の危険が迫ったこの時に、意見が分かれる心配がないのは逆にありがたかった。
「姉さんがいまどれだけ危険な立場にいるか、わかってくれた?」
「理解はしたけど、ポルトガルの王宮から逃げる……なんて、どうやって?」
「僕は長年この世界で生きてきた。危ない橋を渡るのだって慣れっこさ。史実でもコンスタンサは病死してる。姉さんの身代わりを立てよう」
こともなげに言うルイスに、コンスタンサはあんぐりと口をあけた。
「無理よ。身代わりなんて、そんな急に見つけられるわけないじゃない!」
「大丈夫、中世なんて飢饉だの疫病だの、ちょっと村はずれまで行けばそのへんに新鮮な死体がゴロゴロしてるから」
「いや中世に、あやまれ?な?」
コンスタンサは半信半疑だった。王宮からの脱走なんてそんな簡単にできるはずがない。
もしも逃げる途中で見つかったら?
たとえ無事に街道まで抜けても、その先で獣や盗賊に襲われたら?
カスティーリャに帰っても、親族に受け入れを拒否されたら?
けれどルイスは自信たっぷりだった。
なにより、長い捜索の果てにようやく出会えた家族を守るために、メラメラ闘志を燃やしているようだった。
「カスティーリャに帰ればなんとかなる。僕が美味しいごはんを作るよ。昔みたいに二人で暮らそう」
それを言われたらとっても弱い。
力強いルイスの誘いは、コンスタンサの不安や迷いを吹き飛ばすのに十分な威力をもっていた。
「わかったわ。やろう」
決まったら早かった。
中世でひとり、さぞかし苦労を重ねてきたんだろう。
料理人ルイスこと瑠衣は、コンスタンサとよく似た背格好の娘の遺体を、どこからかさくっと見つけてきた。
(こわ!死体マジこわ!)
ビビるコンスタンサ。一方、ルイスは平然とした顔で、着々と段取りよく準備をすすめていた。
二人で協力して王太子妃の衣装を着せ、濃い目の化粧もほどこして、身代わりに仕立てる。自分で見てもなかなかの、よくできた病死体が完成していた。
逃げた後のことは、ルイスの仲間が、上手くやってくれるらしい。それにどうせ、バレる可能性は低い。
皮肉なことに、これがコンスタンサ本人かどうか見分けられるほど親しい人間は、ポルトガル宮廷にはいないのだった。
王太子の足は遠のいて久しく。家臣たちも、腫れ物にさわるように遠巻きにするだけ。
コンスタンサだって、それなりの長い期間、この王宮に住んでいたのに。離れるとなっても、愛着も寂しさもまったくわいてこない。
ポルトガル王宮の人々がコンスタンサにしたことで、一番ひどいことは、こんな虚無しか胸に抱かせてくれなかったことかも知れなかった。
そうしてコンスタンサは、カスティーリャに向かって駆け戻っていた。かつてはポルトガルに嫁ぐために旅してきた道だ。
お供は弟と、あと数人の信頼できる護衛だけ。
心もとないけれど、幸い、獣にも盗賊にも出会わなかった。
街道をひた走り国境ちかくまで来たとき、コンスタンサは道端のザクロの木を目にして馬の足を止めた。
「姉さん、どうしたの?急がないと」
「ごめん。ちょっとだけ待って」
コンスタンサには、ポルトガルに残してきた王太子とイネスに、複雑な思いがあった。
このままコンスタンサが去れば、せっかくの政略結婚がだいなし。ペドロの父であるポルトガル王は、カスティーリャの報復を恐れるだろう。
宮廷は現在のコンスタンサ派とイネス派が対立して大混乱になるに違いない。その狭間で、イネスは王が放った刺客に暗殺されてしまうのだ。
それもむごたらしい、斬首刑で。
そんなのはもう、たくさんだ。
(……もう、終わらせてもいいよね?)
コンスタンサは、アカネは、胸の中のコンスタンサ姫に静かに語りかけた。
かつてリスボン旅行中、アカネは歴史ヲタの弟から、コンスタンサとイネスにまつわる話を聞かされていた。
はるばる隣の国から嫁いできたのに、王太子は自分の侍女と浮気。
同じ王宮の屋根の下で愛し合う二人の姿を見せつけられるなんて。冷たい食卓の前で、ひとりで食事するなんて。あんまりにもひどすぎる。
アカネはこれまでつきあった彼氏は何人かいても、そこまで深い関係になったことはなかった。それがここにきて、いきなりぶちあたった愛憎劇の重いこと!
こんな辛い嫌な思いをするくらいなら、もう一生誰ともつきあわないでいた方がいいんじゃって気がするくらいだ。おいしいご飯があるだけで十分気楽にやっていける。
コンスタンサはどんなにプライドを傷つけられただろう。自分を捨てた王太子やイネスを恨んだだろうーーーそれは、ある意味では正しかった。
でも転生して心の中をわかちあってみると、実際は、そんなに単純でもなかった。
たしかに、コンスタンサは高貴な身分の姫だから、それにみあった高いプライドはあった。気丈にずっとひとりで耐えてきていた。
国を代表して嫁いできた、王太子妃としての誇り。
それなのに選ばれなかった悔しさ。
宮廷や国民のみながその事実を知っている屈辱。
そして王太子の愛情を独り占めしている、若く美しいイネスへの嫉妬。
人として女性として、当然の感情だ。
でも今では、それだけがすべてじゃないとわかる。
姫の心の中にそれらと並んであるのは、長年の宮廷生活で降り積もった、耐えがたい疲れ。
見栄もプライドも、国も王太子も本当はもうどうでもいい。
何もかも放り出してすべて終わらせたい。
最後に残ったのは故国への懐かしさ。はるかな遠い思い。
そして、あんなに仲良かったイネスとすれちがってしまった運命への悲しみ。
(帰りたい)
「うん。もう帰ろう、コンスタンサ」
それが結論だった。
だけどそのためには。たつ鳥あとを濁さないように、過去を清算しなきゃね。
コンスタンサはちょうど街道を、ラバに荷車を引かせてやってきた商人を見つけ、手をあげて呼び止めた。
そして護身用の短剣を取り出すと、ザクロの枝を、いくつかの実とともに切り落とし、大急ぎで手紙をしたためた。
史実として覚えている限りの、このあと起こる『悲劇』をイネスに伝えるために。
まず自分は、身代わりを立てて国外に逃げる。これからイネスは暗殺に注意すること。
特にペドロが屋敷を離れている時に、王からの使者にひとりで会わないように。さもないと首を落とされるわよ、ずっと隠れてなさい、と。
長年の反目のあとにこんな手紙を送りつけられて、イネスはコンスタンサを信じてくれるだろうか。それは賭けでしかなかった。
コンスタンサは手紙を厳重に蝋で封すると、ザクロの枝と実を添えて、たっぷりの謝礼とともに商人に手渡した。
この手紙が届くまで、どれだけ時間がかかるか分からない。ちゃんと届くかしら。届いたとして、間に合うかしら。
ああじれったい。中世にもレターパッ〇プラスがあったらいいのに。
じりじり焦る気持ちをおさえながら、コンスタンサは荷車がごとごとと去っていくのを見送ったのだった。
コンスタンサとルイスは、再び馬を走らせ、とうとうカスティーリャとの国境までたどり着いた。
すると正面からは、色鮮やかな旗をかかげた騎士の一団が駆けてくるところだった。まるで待ち構えていたかのようなタイミングだ。
足を止めたコンスタンサたちの前に、やがて若い騎士が手を振りながら軽やかに駆け寄ってきた。
「待ちかねたぞ!よく無事だったな、ルイス!」
「フェルナンド!よく来てくれた!ずいぶん早かったな」
「連絡をもらってすぐ、全力でとばしてきたよ」
どうやら二人は知り合いで、ここで落ち合う約束になっていたらしい。親し気に肩をたたき合っている。
やがてルイスはコンスタンサにむかって、騎士を紹介してくれた。
「姉さん。こちらはフェルナンド・ロペス」
「あ? ああ、あの有名な!」
コンスタンサは感激して目を輝かせた……フリをした。
わかるわけがない。
この時代の名前はみんなペドロだのフアンだのエンリケだの、同じ名前があっちにもこっちにも同時多発。覚える努力など、正直とうの昔に放棄している。
「あ……いや、無名だと思う」
未来も過去もブレない大雑把な姉の性格を思い出し、ルイスはこほんと咳払いした。
「実は彼は、僕らが知ってる歴史上は存在しない人物なんだ」
ルイスがこちらの世界に来てすぐ、知り合い仕えるようになった地方貴族の息子なのだと説明した。
病気がちで、医者から助かる見込みがないと言われていたのを、現代の知識で回復させてしまったらしい。
目の前で頑張っている子を見たら、元気にしてあげたくてつい……と、ルイスは言い訳した。
コンスタンサは呆れてものも言えなかった。
「あんた、そんなこと、よくできたわね」
「こうみえても薬剤師志望だし。たとえこの時代の医者が見放したって、僕には治しどころ満載だったし」
「それはわかったけど。私でさえ、史実を変えないように気を使ってるのに。歴史ヲタのあんたが、なに勝手に歴史をねじまげてんのよ!」
「いろいろ不可抗力だったんだよ!」
姉弟でぎゃぎゃあともめていると、まあまあとフェルナンドが仲裁にはいってきた。温厚で誠実そうな人柄が、屈託ない笑顔にあらわれている。
「どうか怒らないでください。成人できないと言われていた私が騎士になれたのは、ルイスの治療のおかげ。ルイスは命の恩人なのです」
おっといけない、ここは21世紀じゃないんだった。
コンスタンサは急いで身だしなみを整えると、フェルナンドにとびっきりの営業スマイルをむけた。
「はじめまして、フェルナンド様。お会いできて光栄ですわ」
「お会いするのは初めてですが、あなたのことはよくルイスから聞いて知っています。この世界のどこかに落ちてきたはずの姉君……まさかこれほど美しい姫君とは思わなかった」
「まあ。フェルナンド様、そんな」
「ああ、私はなんと幸運な男だ。友人を迎えにきたら、女神に出会うとは」
「恥ずかしい。からかわないでくださいな」
「からかってなど……私は本気です。どうかコンスタンサ、ルイスと一緒に私の屋敷にきてください。心から歓迎しますよ」
フェルナンドはうやうやしくコンスタンサの手を取り、熱い視線を送ってくる。
コンスタンサはちらっと明後日の方角に視線をさまよわせた。
……いいのかしら?
いちおうこれでも王太子妃、つまり人妻なんだけど。事実上死んだことになってるんだから、この世界的にはもう、アプローチうけても大丈夫なの?
コンスタンサの迷いを、純真なとまどいととったのか。フェルナンドはなおも力強く訴えてきた。
「コンスタンサ、私はあなたがどんな世界から来たのか知っている。この国で、私以上にあなたを理解できる人間はいない……この命をかけて、必ずお守りします」
その紳士的でありながら情熱を感じるふるまい。凛々しく端正な面差しに、コンスタンサはぽっと頬が染まるのを感じた。
(あら、けっこう素敵な人じゃない。これは瑠衣の大手柄かも知れないわね)
こうしてコンスタンサはルイスとともに、フェルナンドの屋敷に極秘裏に移住することになった。
美しい庭園に囲まれた大きな屋敷に、コンスタンサは内心で万歳を叫んだ。
ロペス家は、かつては地味な一地方貴族だったらしい。
それがいまやフェルナンドは、王の覚えもめざましく、若手で一、二を争う出世頭。
コンスタンサを待っていたのは、これまでとは正反対の生活だった。
居心地のよいお屋敷で、ルイスが腕によりをかけて作った美味しい食事やおやつを毎日お腹いっぱい堪能。時にはフェルナンドに夕食会に招かれ、優しく甘く愛をささやかれる。
まさに夢のような生活だった。
その一方。
ポルトガルでは恐れていたとおり、イネスが暗殺されていた。ペドロが留守にしている間にやってきた王の使者に、よってたかって惨殺されてしまったのだという。
イネスの死を告げるポルトガルからの報告書を、コンスタンサは震えながら読んだ。未来で見聞きした史実通りのことが、そこには書かれていた。
(ああ。歴史なんて、そうそう変えられるもんじゃないのね)
せっかく忠告したのに。手紙は、間に合わなかったのか。それとも信じてもらえなかったのか。
コンスタンサは深いため息とともに肩を落とした。
いまやコンスタンサは、現代でもかなわなかったような、このうえない幸せをがっつり手に入れていた。できることならイネスもまた、悲しい運命の魔手から逃れてほしかったのに。
その後ポルトガルでは、ペドロが国王に即位。すぐさまイネス暗殺に関わった貴族たちへの、凄惨な血みどろの復讐が開始された。外国に逃げていた者も捕えられ連れ戻され、王の前で生きたまま心臓をえぐりだされたらしい。
ペドロはまたイネスの棺を墓から掘り返し、貴族たちを王宮に集めてイネスの亡骸に拝謁させたという。
正式な、ポルトガルの王妃として。
国王の権力のもと、腐り果てたその手に忠誠を誓うキスをさせたのだ。
なんていう、ものすごい純愛。いや、猛愛というべきか。
二人の間には最初から、コンスタンサ姫の入り込む余地はなかったのかも知れなかった。これだけ強い、激しい気性のペドロが、まわりが押し付けた政略結婚の相手など、そもそも受け入れるはずがなかったのだ。
(悩むのはよそう。もう終わってしまったことだ)
私は私。
コンスタンサ姫が果たせなかったことも、自分にならできるかも知れない。姫の気分にひきずられて、人間関係に希望を失っていても、新しい出会いにはちゃんと胸がときめいた。それが証拠だ。
生まれ変わったこの世界で、美味しいものをたくさん食べて、たくましく生きていくわ!
コンスタンサはカスティーリャの地で、フェルナンドの求婚を受け入れ、みなに祝福されながら結婚した。
時は流れ、やがてポルトガルからコンスタンサのもとに、一通の手紙が届いた。
署名はない。
けれど、その流麗な文字には見おぼえがあった。
(まさか……でも、もしかして?)
はやる気持ちを抑えながら文字を追う。手紙は、やはりイネスからのものだった。
うそ。うそ。生きていたんだわ!
コンスタンサは自室に飛び込んで、息をする間もないくらい夢中でその長い手紙を読みふけった。
かつて、コンスタンサからの知らせを受け取ったイネスはそれを信じ、暗殺に備えてあらゆる対策をしたのだという。王の刺客から辛くも逃れつつ。コンスタンサの忠告を守って、ずっと身を潜めて。
ポルトガルからの報告書にあった情報とは少し違っていた。
貴族たちから忠誠のキスを受けたのは、イネスの亡骸ではなくイネス本人。ただしペドロが即位してからも、まだ当分は念のため、イネス生存の事実は伏せる形をとっているらしい。
イネスからの手紙は、コンスタンサの連絡先がわからなかったから、何年もの間、助けてもらった礼ができなかったとわびていた。
そして、自分もまた王太子を愛しながら、コンスタンサを悲しませる立場になった板挟みで、悩み苦しんできたのだと告白してきた。
二人でカスティーリャから旅してきた、あのザクロの道を今でも覚えていると。
コンスタンサはぎゅっと手紙を抱きしめた。
転生してからずいぶん時が過ぎた。今ではもう、コンスタンサ姫の意識はほとんど感じない。
それでも今このときは、切ないような喜びがひっそりと胸の奥から伝わってきた。
これで本当にコンスタンサ姫の悲しみ、長い旅が終わったのだ。
(よかったね、コンスタンサ。今度こそゆっくり休んでね)
―――コンスタンサはフェルナンドに誠実に愛され、常にだれかと食卓を囲む、幸せな人生を手に入れた。
月日が流れ、何人もの子の母となった今でも時々、イネスとこっそり手紙を送り合っている。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
史実では、王太子とコンスタンサの間には子供が何人もいたのですが、ストーリーの都合上はぶきました。
時代考証ゆるゆるです。
深く考えず楽しく読んでいただければさいわい(^^)