明日の私が見る夢は
死んだら人はどうなるのか、幼いころからずっと考えている。
一度完璧に死んで蘇った人なら知っているかもしれないけれど、未知なるあの世を想像して考えても、納得のいく答えが見つけられないでいる。
お伽話にあるように、悪いことをしたら地獄に落ちてしまうのかしら。
熱湯地獄に、針の山。
火煙燃え立つ火山地獄。
阿鼻叫喚の地獄絵図が広がる奈落の最後は死者に審判が下される。
嘘つきは閻魔大王に舌を抜かれて苦しみ貫くとか最悪だ。
怖い事が大の苦手で、狭い場所も、高所も、暗闇も全部無理だから、地獄に落ちるなんて絶対に無理。
天国へ行く他に選択肢はないから、清く正しく良い子で生きて行きたい。
それなのに、私は思った以上に問題児らしい。
「新さんは物静かで授業中も決して騒ぎ立てることはありません。ですが全く授業に集中出来ていないんです。頭の中は上の空で別の事を考えているようです。私の力不足かも知れませんが、教育者として限界を感じています。申し上げにくいのですが……一度心療内科の受診をお勧めします」
担任の言葉に心療内科って、体のどこを診てもらう病院だろうとぼんやり考えてみる。
丈夫だけが取柄のはずなのに、私は何処かおかしいんだろうか。自分では自覚無しなのが悲しい。
教科書通りに進む授業は予習を済ませた後では退屈過ぎて、硝子窓の外一杯に広がる大空を眺める癖がついてしまった。
見ていると、いろんな形をした雲が悠々と流れていく。
これは動物に似てるな。
これは魚みたいだ。
層積雲がモコモコと横たわると太陽は完全に隠れてしまい校庭はどんよりと暗くなる。西の空に雲が掛かれば半日後には雨の確立が高くなる。今日は傘を持って来てないから困ったな。そんなことを考えているといつの間にか授業は終わっていて、腕を組んで睨んでいる先生と目が合うことは度々あった。
「新、お母さんは先生とお話があるから、先に帰りなさい。太郎さんに連絡しておくから送ってもらいなさい。いいわね」
「うん」
こんな調子で学校の面談があると、お母さんは必ず先生と居残る。
リュックを背負って教室を後にすると待ちくたびれた影が廊下に佇んでいた。
「終わった?」
「お母さんが先に帰ってなさいって」
「なら帰ろう」
当たり前のように私の背中からリュックを攫うと左の肩に軽々と引っ掛けて歩き出す。キザな振舞いも本人は無意識らしいから、本物のナイトである確率は高い。中等部に進級してからぐんと背が伸びて、今では見上げなくては目を合わせられない。似てない兄妹は益々個体差が広がりつつある。
「鈴木が来てくれる」
「うん。僕の方にメールが来たよ」
「宝だけズルいな。私も携帯欲しい」
「新にはまだ早いの。いつも一緒にいるんだから、僕が持っていれば大丈夫でしょ」
「そうだけど……」
中等部に進学する日にお父さんは兄の宝にだけ携帯を贈った。私たちの塾の送迎や学校の用事で連絡を取りやすくするためだと言った。幼いころから宝は器用で頭が良い。携帯だってあっという間に使いこなして今ではメールもサクサク作成している。だから、当然と言えば当然だけど、宝の周りには友達が大勢集まる。人を惹きつける不思議な磁石を宝は持っているみたいだ。中には宝と友達になりたくて私に近付く女の子も少なくない。そんな時は何だか少し寂しい気持ちになる。私に魅力がないのはしょうがないにしても、目的のために利用されるだけだなんて悲しいことだ。
そんなことが何回か続いて私は少し友達付き合いが苦手になってしまった。
友達だけじゃない、人との付き合いが上手く出来ない。コミュニケーション能力が人並み以下に落ちて留まっている。
学校では借りてきた猫のように縮じこまって教室の片隅に落ち着いている。自分の気持ちを伝えたいのに、声を出そうとすると怖くなる。
こんなことを言ったら嫌われるんじゃなか。
笑われるんじゃないか。
怒られるんじゃないか。
ぐるぐるぐるぐる気持ちは揺れる。
「あ・ら・た」
「え!?」
「また別の事考えてた」
気が付けば見慣れた我が家のリビングで、宝と二人でソファーに座ってテレビを見ていた。
私が心から安らげる場所。
大好きな家族がいて、我儘も、甘える事も無条件で許されるただ一つの大切な場所だ。
ぽかぽか温かい宝の温もりを右側に感じる。バーチャルな世界に飛び込んで時間を旅するような不思議な感覚。いつの間に我が家に帰り着ける魔法のアイテムを手に入れたんだろう。
だったら、時間を巻き戻すことだって可能じゃないか。
無邪気に楽しかったあの時を取り戻して、もう一度最初からやり直す。
「あらたちゃん、お家に遊びに行ってもいい?」
「だめ! 本当は宝と仲良くしたいんでしょう。宝は私のお兄ちゃんなの。誰にもわたさない。私と遊びたいならあなたのお家に私が行くわ」
はっきりと本当の気持ちを伝えたら、今みたいに苦しくないだろうに。
「新はこの世界に不思議なことが沢山あるんだね。……考えるのは悪い事じゃないけど、考え過ぎても疲れちゃうよ。僕たちは元を辿ればミクロの小さなエネルギーにしか過ぎないんだ。僕も新も、同じ波動エネルギーで一つの量子だった。だから、勉強が得意だとか友達が沢山いるとか、何が出来るかなんて無意味なんだ。この世に生まれてきたことが凄い事なんだよ。新はこの世界に必要な存在なんだから」
難しい量子力学の解読も宝の言葉ならストンと心に落ちて来る。
つまり私はこのままで大丈夫なんだね。
森羅万象の真の姿が量子という極最小の波動エネルギーであるなら、存在する世界は幻でバーチャルリアリティーこそがこの世の実態を映している鏡なのかも知れない。
この宇宙の全ての出来事の全ての情報が記録されていると言われる場所がある。
肉体が滅びた後、意識はフィールド内の深層自己に移し生き続けていく。
宇宙のあらゆる命、全ての事象が溶け合い、関係し合い、一つになって生きる。
生き続ける。
もしも時空が分岐して並行宇宙が存在するなら、そこに生きるもう一人の自分が何人も誕生していることになる。
そちらの世界では生き生きと元気に飛び跳ねて笑って過ごしているかしら。
やられたらやり返して、大声で泣いて叫んで意地悪にも負けずにお友達を100人作っているかしら。
それでもーー
やっぱり、今のお母さんとお父さんと一緒が良い。
兄弟でなくてもいいから宝が側にいて、今みたいに宝の澄んだ瞳を見ていたい。
何処にいても。
どんな時代でも。
「宝ならアイドルになっているかもね」
「何? 何の話?」
「宝」
「ん?」
「大好き」
「僕も好きだよ新のこと」
私が伝えた好きの意味と、宝がくれた好きの意味は少し違っている気がするけど、それは言わないでおく。
昨日から今日、明日の私は同事に存在している。
明日が無ければ今日の私は存在せず、昨日までの私も消えてなくなるからだ。
数多の奇跡の偶然により、一期一会の出会いが生まれた。
宝が生きているから生きて行ける。私が生きるから、宝も生きていく。
暗闇も怖くない。
こんなに近く触れたら感じる温もりがある。
宝の肩に持たれて、私は安心して瞳を閉じた。