第3話 見捨てられた者への期待
桶にわずかに残った汲んできた水で俺も顔を洗い終えて、居間に向かう。
朝食だ。
居間のテーブルには既に朝食が用意されていた。
パンを主食に、ハムとチーズ。
昨日の夕飯の残りの野菜スープ。
野原や森で摘んできたハーブのお茶。
贅沢とは言えないが貧しくもない食事だと思う。
村の他所の家庭も似たような食事だと聞いた。
食事の前には必ず神様に祈る。
特にうちは教会との関係が濃厚なので熱心に祈ることを躾けられてきた。
食事を与えてもらったこと。
今日も充実した一日になるように。
何事もなく無事で一日が終えられるように。
家族の幸せ。
村の人の安寧。
今の俺は誰に何を祈れば良いのか。
見捨てられた者などの願いを神様が聞いてくれるはずもない。
あの日以来、俺は祈る振りをしているだけだ。
祝福された者や与えられた者にとっては感謝すべき相手でも、見捨てられた者にとっては無きに等しい存在。
無きものにどうやったら真剣に祈れるのだろうか。
あの日の前まではよくもそんなに祈ることがあったなぁと思いつつ祈りの姿勢を取り続ける。
今ではこの祈りの時間は俺にとっては目の前に食事をぶらさげられて待てを食らっているワンコのような苦痛の時間となった。
食事が済んで母さんに入れ直してもらったお茶を楽しんでいると、リンが俺の方に向かって口を開いてきた。
「お兄ちゃん、私、糖柑が食べたい。
今日の夕飯後にあの甘い物が欲しい。」
糖柑と聞いた聞いた下の妹のレイも目を輝かせて俺を見てきた。
糖柑とは南斜面に生えた木に生っているオレンジ色の皮を持った甘い果物だ。
晩秋から初冬にかけて甘い実を付けるため、冬に食べ物が少なくなる森にすむ動物や鳥たちの格好の食料となっている。
もちろん人にとっても新鮮な果物が手に入らなくなる冬には貴重な食べ物だ。
皆が好むために冬の間に全て取りつくされて、おそらくはこのような早春にはまだ残ってるなどありえない。
「春にはもうないと思うよ。」
父さんが暗に諦めるように、わがままを言って困らせるんじゃないとリンに諭す。
「わかんないじゃない、探しもしないで。
とにかく食べたいんだから探してきて。
お兄ちゃん、畑の手伝いが終わったらどうせ暇でしょ。
今は種まき前だから畑仕事と言っても土をうねるだけだし。
午後は父さんたちは開墾に行くって言うから、それに付いて行けないお兄ちゃんは確か山菜に行くんだったよね。
そのついでに探してきてよ。」
リンのところどころに棘がちりばめられた言葉にも俺は嫌とは言えない。
「森の奥の方に行って探してみるよ。
まだ、村の人が見逃したものが残っているかもしれないし。」
「そうそう、やりもしないであきらめないの。」
やりもしないであきらめないか。
俺はやりつくした結果、あの日に諦めた。
「とにかく探すだけ探してみるよ。」
「そんな無いことを前提にして探しに行ったら見つけられるものも見つかんないわよ。
絶対に見つけるつもりで行ってよ。」
絶対に見つけるつもりか。
俺が一番見つけたかったものはまったく見つかんなかった。
そんな俺が探しても見つかるわけがないじゃないか。
「シュウ、余り森の奥には行かないでよ。
魔物が出るかもしれないでしょ。
先月に春の盛りが付く前に自警団のゴブリン狩りがあったけど、逃げ延びたはぐれゴブリンがいないとも限らないわ。
山菜なら森の入り口付近でも取れるでしょ。
一人なんだから無理に森の中に入らないで。」
母さんが心配そうに俺に懇願する。
「兎に角、行ってみる。」
俺はこれ以上、期待されるのも心配されるのもごめんだと思いお茶を一気に喉に流し込むと空の食器を持って台所に逃げた。
布で食器を洗っていると「これもお願い」とリンが自分の使った食器を流しに突っ込んできた。
俺は黙って、それを持ち上げて一緒に洗った。
今のリンとのやり取りを聞き咎めた母さんが「リン!」ときつい言葉で叱っていたが、リンは構わずにそのまま台所と居間から逃げ出したようだ。
いいよ、皿ぐらい。
何なら皆の分を洗ってあげるよ。
俺はこれぐらいしか役に立たないし。
力仕事で教会や村のために働く父さん。
教会の司祭、水属性の魔法使いとしてこの村や周辺の村からもやって来るゲガや病気の人々を治療する母さん。
そして、教会で母さんの仕事を手伝うリンとレイ。
うちの家族は家族以外の村の人たちのためにも働いている。
俺も自分の為だけでなく、村の為とかまでは言わないから、せめて家族ために働きたかった。
朝、顔を洗う水を汲むのも、リンの望んだ糖柑を探すのも、皿を洗うのも、家族のために何かしたいという気持ちの表れのためかもしれない。
見捨てられた者として見捨てた神様の為には何かしたいという気力は湧かなかったが、俺を少しでもここに存在している者として扱ってくれる、完全には見捨ててはいない家族のために何かしたいと思う。
****
午前中は父さんの手伝いで教会の裏にある畑を耕した。
この暖かさならば来週にでも豆の種を撒けるのではないかと父さんが言った。
俺はその言葉を心に刻み込んだ。
あの日以来、俺は見捨てられて者として生きていかねばならないことを、生きていく手段を学ぶことを心掛けた。
俺のできる事を仕事にしなければ生きていけない。
将来に希望を抱いてはいけない。
生きて行けるようになることを第一に考えなければならないことを。
農作業は俺が生きていくために学ばなければ事だと思う。
開墾などという農地を広げて、収穫量を上げて、より豊かになろうというのは考えてはいけない。
昔からある農地を守り、作物を育てるのであれば俺にでも出来る。
出来ることを真剣に学び、仕事としなければ。
土属性魔法使いのように、土を豊かにしてより大きく作物を育てることはできない。
水属性魔法使いのように、水に生命力を乗せて撒くことで、より多くの作物を育てることはできない。
でも、昔からなされてきた作物の育て方を学びそれを実践することで、並み程度には収穫することは出来るだろう。
期待されることを望まないが、失望されることだけは避けなければ。
出来ることだけでも問題なく仕上げねば。
俺は生きていくために真剣に農作業を学ぶことにした。
俺は皆を失望させないようによりいっそう農作業に励むことにした。
そう、あの日を境に。
希望持つことを絶たれたあの日を境に。
畑仕事が一段落したのは陽の光が真上より西に少し傾いた頃だった。
俺と父さんは古い切り株に座り、井戸から汲んできた水を飲み、小腹を満たすために乾パンを頬張った。
村の人は基本朝夕の2食であるが、農作業や木こり、土木詐欺用鍛冶屋などの力仕事をする村人は昼に乾パンなどの軽食を取るのが常だった。
俺は最後の乾パンを水で流し込んだ後に父さんの方を向いた。
「今日の農作業はこれで終わりなの。」
「あぁ、ご苦労だった。
気候と土の具合からすると来週には豆が植えられそうだな。
畑の準備が間に合って良かった。
シュウが頑張ってくれたおかげだな。」
父さんは嬉しそうに俺に話かける。
本当は父さんだけの方がスキルを使って早く終わるはずなのに。
俺に農作業を覚えさせるために。
見捨てられた者を子供に持ったばっかりに余計な苦労を背負いこんでいる。
俺は土を握って、豆を撒く準備が出来たという土の具合というものを手に覚えさせようとした。
俺は農作業が終わったことを確認し、鍬を持って納屋の方に向かう前に父さんの方を向いた。
「じゃぁ、鍬を片付けてから山菜取りと糖柑を探しに森に行ってくる。」
「あぁ、わかった。
シュウ、今朝母さんに言われた通りに森の奥には行くな。
山菜なら入り口付近で家族や教会の者が食べる分は十分に採れるはずだ。
リンの我儘に付き合う必要はないぞ。」
父さんは心配そうな目を俺に向けて言う。
「あぁ、わかった。
じゃぁ行ってくる。」
俺は持った鍬を肩に担いで今度こそ納屋に向かった。
我儘に付き合う必要がないというけれど。
見捨てられて者が何かを期待される。
それは言う方にとっては単なる我儘なのかもしれないけど、見捨てられた者が何かを期待されるなんて今後は何度もあるかどうかはわからない。
期待、我儘でも良い。
リンのほしいものを取って来てやりたいと思う。
俺はぐっと鍬を持っていない方の手を固く握った。
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