転
× × ×
二週間後の放課後。
俺は、アユミと二人で『バッドボーイズ』を見ていた。
メインの俳優が、映画賞の授賞式で問題を起こし、結構話題になっていたのをふと思い出したからだ。
「やっぱり、マイケル・ベイの映像は臨場感がエグイ。カメラがグワングワン動く」
「ベイ・ヘムって言うんでしたっけ。こういう演出」
「お、よく知ってんな」
「まぁ、私も映画好きを自称してますし」
俺たちだけの理由は、至ってシンプル。
先輩二人は、受験勉強で忙しくなってきている。カナタは彼女とデートで、クララはクラスのファンたちに囲まれて中々抜け出せないから。
「来たぞ、名シーン」
「ここは、私でも知ってます」
ラストの空港でのカーチェイスと結着。敵のボスに拳銃を突きつけると、血まみれになりながらグリグリされるカット。
そして、エンディング。やはり、何度見ても面白い。
「これ、いくらくらいお金かかってるんですかね」
気になるの、そこ?
「調べたら、1900万ドルだって」
「はぁ、凄いですね」
「でも、ホラー好きのアユミからすれば、制作費に価値を感じないだろ」
「まぁ、ホラーはセンスがモノを言いますからね。極論、音と闇の使い方が全てです」
「なるほど」
「大体ですね――」
それから、エンドロールをBGMに、アユミは今の映画の在り方やトレンドに対して意見を述べた。
彼女の映画知識は、かなりのモノだ。一年長く生きてる、俺とカナタに匹敵している。
「それに、これだって――」
因みに、最強はタクマ先輩。
あの人だけ、攻殻機動隊の世界みたいに脳みそにインターネットが繋がってるんじゃないかってレベルで、あらゆる知識を持っている。
もっと因むと、イズミ先輩は自分の好きな映画しか見ていない。基本的にはニワカだから、また特別な存在だ。
「つまり、アユミは古き良きジャパニーズホラーが好きなのな」
「今は、そういう映画はインディーズでしか見られませんけど」
「仕方ない。考えなきゃ理解出来ないコンテンツは、現代じゃ金にならん」
「分かってますけど、納得は出来ません。だから、私はちゃんと映画館に見に行きます。ポップコーンとコーラも買いますよ」
「お前みたいなファンは、映画界の宝物だよ」
そんな話をしていると、部室の扉が少しだけ開いているのに気が付いた。
チラと目線を動かすと、低いところでクララが中を羨ましそうに覗いている。
「何してんだ、お前」
「……あたし、ホラー分からない。あと、何かイヤだった」
こういう卑屈なところは、昔から何も変わってないようだ。
「分からなくたって、一緒に話そうよ。私、クララの話も聞きたいよ」
「ほんとに?」
そして、クララはしずしずと部室に入って来て、アユミの隣にちょこんと座った。どうやら、アユミはクララを引っ張ってくれる存在らしい。
姉御肌ってヤツだな。
「当たり前でしょ。もしかして、嫉妬してたの?」
「……うん」
アユミの言葉に、クララはモジモジしながら頷いた。
はっきり訊く方も、はっきり答える方もおかしい。
「バカ。友達の彼氏なんだから、仲良くしたいに決まってるでしょ?」
「確かに、そうかも」
彼氏かどうかはさておき、そもそも部活の先輩だしな。
「付き合ったばっかだからと言って、変な事考えてないで、先輩は自分の事が一番好きって思えばいいじゃん。ですよね、先輩」
「まぁ、そうだな」
答えると、クララの顔面が火を噴いたように赤くなった。
「……うん」
世間を斜に見ている俺の特技は、口を開く相手の本質を見抜く事だ。
アユミは、心の底からそう言っている。きっと、クララが好きで仕方ないのだろう。
「まったく。いっつも人に囲まれてるのに、誰より寂しがり屋なんだから。先輩も、ちゃんと見ててあげてくださいよね」
「悪い、気を付けるよ」
「はい、この話はお終い。クララ、棚の中から映画を選ぼう?」
「うん!」
そして、二人はワイワイ言いながら何を見るのかを選び始めた。
……なるほど。
何となく、クララのバグってる俺との距離感の理由が分かった気がする。
クララには、確かに中学時代にも友達はいたが、それはあくまで憧れられる関係だったのだろう。
おまけに、相手の喋る言葉を理解しようとして、自らの意見を述べる機会が無かったのだろう。
だから、否定するタイミングを失うのだ。
「あ、『回路』が置いてある」
「これ、怖いの?」
「私も知らないけど、ホラーだって聞いてる」
「じゃあ、これにしよ」
しかし、アユミは他と違った。
何故なら、彼女は根底のところで俺やカナタに似ているからだ。
……自分が平凡であると、本当の意味で理解している。それが、俺たちの共通点だ。
だから、普通の奴らのように嫉妬をせず生きていける。
だから、特別な奴を特別扱いせずにいられる。
だから、こんなにも映画というアンリアルな世界に惚れ込むのだ。
「これ、インターネット黎明期の話なんだ」
「麻生久美子、わっかいなぁ」
クララを見れば、イヤでも分かる。
「よく分かんない。なんか、バーンって感じじゃないんだね」
「ん~、哲学?」
彼女の可愛さは、異常だ。
あんなの、才能以外の何者でもない。
「先輩、何か解説とかないですか?」
「ミヒロ~」
しかし、そう言った才能を持つ者は、えてして孤独なモノ。
そして、自分の才能に気が付けなければ自信を得られず、周囲との格差で生じる孤独に押し殺されていく。
押し殺されて、自己肯定感がすり減っていく。
その結果、ひょんな事で優しくしてくれた特定の人物に依存して、距離感をバグらせてしまうのだろう。
クララは、間違いなくその典型だ。
可哀想に。
「あれ、ミヒロ?」
最も、幼い頃に引っ越してきて、おまけに俺と出会ってしまって。自分の美貌に、気が付くような暇も見つからなかったのが理由だと思うけど。
……じゃあ、俺のせいじゃねぇか。
「ごめん」
「え? 何が?」
「あぁ。いや、何でもない。間違えた」
「……?」
思わず、謝ってしまった。アユミが居なければ、抱きしめていたかもしれない。
「さては、何かエッチな事を考えてましたね?」
「だったら何だよ」
「そう言うのは、二人の時にやってください。ねぇ、クララ」
「……ぅ」
しかし、ハグが行われなかった事を、アユミのせいにするのはお門違いだ。
「バカ、んなワケねぇだろ。それよりも、回路をホラーだと思って見ると、思わず評価☆1を付けたくなるぞ」
「どゆこと?」
彼女が居なければ、俺はクララという女を勘違いしたままだったからな。
「死生観がテーマなんだよ。おまけに、俺たちの世代が事件を見ても、『そりゃネットだもん』ってなる。はっきり言って、微妙だ」
「じゃあ、なんでここに置いてあるんですか?」
「ここが、映画研究部だからよ。そこに置いてあるのは個人の趣味じゃなくて、各時代のトレンドや往年の名作と呼ばれるモノだ。全部、研究対象なんだよ」
「なるほど、道理で知ってる名前のパッケージばっかりだと思いました」
「じゃあ、あたしたちが見て面白いのとかないの?」
「いや、安心しろ」
そして、俺はプラスチックの棚から五つのリモコンを取り出した。
「我が映研は、アマフラ、ネロフリ、ヒュールー、ユーエクストにジーアニ。どんな映画でも視聴出来るように、全てのサイトをサブスクしている。もちろん、部費でな」
「す、凄過ぎる。本当に、入ってよかったです……っ!」
驚愕するアユミの隣で、クララはでっかいハテナマークを浮かべて首を傾げていた。
「なんで? 一つで良くない?」
まぁ、普通はそういう反応だわな。
× × ×
私事ではあるが、俺には『尽くす才能』があるんだと思う。
その正体は、テクニックの類ではなく、もっと人間の本質的なモノ。そして、対外的でなく、無知へのコンプレックスにより自らの意志で行ってしまえる事。
即ち、『孤立した過去』だ。
俺やカナタやアユミを構成する、孤立した過去。それこそが、尽くす才能の根源なんだと考えている。
大切な人を同じ目に合わせたくないという、否定的なポジティブの現れといえば分かりやすいだろうか。
つまり、これは世にも珍しい、後天的な才能なのだ。
一方で、ならば普通よりも『尽くされる才能』というモノもある。
そして、その正体もまた『孤立した過去』なのだ。
どれだけ窮屈でも、孤独になれなかった不幸。疎外される事を許さない、卓越した長所による副産物。
これが、心の臨界点をネガティブに振り切ったとき、天才は尽くされる才能を発揮するのだろう。
……しかし、なぜ、俺はいきなりこんな話をしたのか。
それを説明するには、三日前まで時間を遡る必要がある。
「ミィちゃん、最近お店に来てくれないね」
「もう、十分手伝っただろ。俺が見てなくても、お前は一人でやれる」
「信用してくれてるの?」
「そんなとこ。つーか、ミィちゃんは止めろって」
「やぁだ」
昼休み、俺は隣のクラスのスミと屋上で話をしていた。
スミは、とあるメイド喫茶で働く女だ。黒髪のツインテールと猫目の丸顔で、如何にもって感じのオタクっ子。
街を通りかかった時、偶然その店の面接前に緊張している姿を見つけて、元気付けたのが関係のきっかけ。
一年の時は、同じクラスだったからだ。
以来、スミは俺に接客の術を試すため、頻繁に店に通うように頼んだ。指名も入って、一石二鳥というワケだ。
そんな紆余曲折の末、今では立派なメイドとなって、おまけにステージで踊ったりもしている人気者となった。
だから、俺は4月になってから彼女の店に行っていない。
もう、俺の力は必要ないと判断したからな。
「……来てくれないの、あの子がいるから?」
スミが、唐突に呟いた。
どうやら、クララはこの一ヶ月で学校中に名前を轟かせてしまったらしい。
多分、俺との偽の関係も。
「まぁ、そんなところ」
理由は違えど、答えは誤魔化さない。クララにもスミにも、失礼だ。
「ふぅん。まぁ、本当にかわいいもんね。ボク、この前初めて見たけど、ちょっとビックリしちゃったもん」
「ありゃ、別格だよ。天から貰ったとしか思えん」
「……自分の彼女のこと、ずいぶんノロケるんだね」
しまった。確かに、そう受け取るに決まってる。
「そ、そりゃな」
でも、引き返せない。行くところまで行こう。
「ミィちゃんは、ボクの事が好きなんだと思ってた」
「そういう事も、あったかもな」
「でしょ? だって、呼んだら絶対に来てくれたし。というか、ボクってめっちゃかわいいじゃん?」
「そうだな」
「んふふっ。だから、放っておいてもいいって思ってたのに。……失敗したなぁ」
スミは、遠くの街を眺め、口を尖らせながら呟いた。
「でも、ボクよりかわいかったら、仕方ないよね」
「別に、そういう理由じゃねぇけどな」
「じゃあ、なんで?」
「あいつ、お前より一人ぼっちだから。俺が側にいてやんねぇと」
勿論そんなワケはないが、本心だ。
矛盾は、自覚してる。
「……じゃあ、ボクは先に戻るよ」
寂しそうだが、何も聞かないのが情けというモノ。
俺は、きっと彼女の気持ちを知っていたから。
「あぁ、仕事頑張ってな」
「うん。そのうち、彼女と店においでよ。また、『ユメカワ☆黒いゼリーinあま〜いミルクコーヒー』、作ったげるから」
「あぁ、そうする。『しゅきしゅき♡ココアパウダー』も、たくさん振りかけてくれ」
「あはは! ……うん、それじゃね」
そして、スミは俺に一瞬だけ抱き着いて、屋上から出ていった。
これが、俺と彼女の結末だ。他には、何もない。
……問題は、それを見ていた生徒がいて、更にそいつがクララの知り合いだったことだ。
「ということなんですけど」
「心配するな、先輩に任せたまへ」
スミとの浮気を疑う噂は、すぐに解決した。タクマ先輩に手伝ってもらって、広がる前に火を消す事が出来たからだ。
しかし、それでも許してくれない存在が一人だけいた。
言うまでもない、クララだ。
「ミヒロって、やっぱりモテるんだね」
そして、今は火消しが終わった夜。
俺は、クララに問い詰められているのだった。
「物の見方による」
「なんで、デート相手がカナタ君しかいないって言ったの?」
「金払って会いに行くのは、デートじゃないだろ」
「デートじゃなくても、その為にバイトまでしてたんでしょ? 尽くし過ぎだし、もっとタチが悪いよ」
確かに。言われてみれば、まぁまぁ異常だ。
「じゃあ、どうすれば許してくれるんだ?」
「そういう聞き方、ズルい」
言うと、クララはそっぽを向いて、英語でブツブツと独り言を言い始めてしまった。
要約すると、『あたしの方がずっと前から好き』だ。
この発言こそが、俺が思いを巡らせる原因となったワケ。
「昔と違って、ある程度は分かるぞ」
「……そうだった」
一応、イギリスのお国柄というモノを調べてみたのだが、どうやら女の恋愛の傾向として、本命でない相手からのスキンシップに異常な嫌悪感を示すらしい。
要するに、今回のハグは許しがたい出来事である、という事だ。
「でも、他にもある」
話を聞くに、離れている間のレインのやり取りが遅いのも、結構イライラしていたらしい。
少しでもレスポンスが遅ければ、信じたくても浮気を疑ってしまうとの事。
「不安になっちゃう」
なんとまぁ、同じ島国なのに恋愛との向き合い方が正反対な事だ。
「悪いけど、あんまりケータイ触らないんだよ。知ってるだろ?」
「でも、イヤ。我慢出来ない」
こういうピュアで意志の強い部分が、イギリスの女王文化を成立させているんじゃないかって、そんな事を思った。
是非、現代の淫らな大和撫子に、淑女のいろはを教えてやって欲しい。
きっと、イケメンに怯える純情男子の多くが、その布教に救いを感じる事だろう。
「じゃあ、何か言ってみなよ。お詫びに、叶えてあげるから」
「……えっ?」
素っ頓狂な声。言い方を変えただけなのに、ずいぶんと間抜けだ。
「えっ? じゃないよ。お前の願いを、何でも叶えてやると言ったんだ。悲しい顔、すんなよ」
俺は、『喜ばせたい』が信条なのだから、全てにおいて正直だ。
昨今は、シャイで皮肉屋な男が多いらしいけど。尽くしたがる男は、回りくどい事はしないよ。
「ほら、言ってごらん」
正面に座って目をジッと見ると、クララは白い肌を真っ赤に染めて、小さく膝を抱え塞ぎこんでしまった。
「だ、誰にでも、そういう事を言ってるんでしょ?」
「そんな事はない、尽くす相手は選ぶ」
「でも、そのスミさんって人にも、同じことを言ったんでしょ?」
「昔の話だ」
「……酷いよ。あたしが、一番好きなのに」
面倒くさい奴。
だが、この面倒くささこそが、尽くされる理由ともなる。
普通なら、大人気なくて恥ずかしがったり、気を使って隠したりするだろうからな。
まさに、才能だ。
「クララ、これだけは分かって欲しいんだが」
「なに?」
「俺は、真剣だよ。結婚する相手には、一生尽くすつもりだし。お前を見極める為に、しっかりお前を見てる」
「……うん」
「それが特別視じゃないっていうなら、少し切ないよ」
言うと、クララは指を噛んで顔を伏せた。
しかし、やがて。
「ほーみたい」
そう、顔を上げて呟いた。
「あ?」
「ぷりぃず……」
悲しんでいるのか、喜んでいるのか、よく分からない半泣きの複雑な微笑。
この表情、どこかで。
「……あぁ。それ、Hold me tightって言ってたのか」
「うん」
そうか。
あの日から、ずっと待ってたのか。
……そりゃ、本気で怒るわな。
「屋上の事は、フェアじゃなかった」
「そうだよ」
「ごめんな」
そして、俺はクララを包み込んで、強く抱き締めた。
激しく、息を呑む声が聞こえた。
「……やだ」
「許してくれるか?」
「だめ」
その否定が、もっと強くして欲しいという願望であることを察せるのは、俺に尽くす才能があるからなんだと思う。
だから、更に。
「んぅ……っ」
華奢な体が軋むまで、俺はクララを強く抱き締めた。
「お願い、一番にして」
俺がクララの願いを叶えたのは、これが初めての事だった。