魔の啼く城へ(7)
3Dアバターが空中を駆け抜けると、それを追って子猫がふわりと舞う。足を投げ出して座っているニーチェの周りを回っており、着地点に太腿を見つけたルーゴは足場にしてひと際高く舞い上がった。
しかし、前脚で捕まえた筈の相手はそのまま駆け去っていく。舞い降りた子猫は盛大に不平を撒き散らした。
「みー! みー! みー! みー!」
「あはは、仕方ないし。だってただの立体映像だもん」
騒ぐルーゴを床に仰向けに転がして指でお腹をつつく。興奮状態の子猫はその指をがっしりと掴み爪を立てる。スキンスーツ越しなので痛みはないが、限度を超えて爪を出したり本気で牙を立てたりするようであれば叱る。
現状では周囲の人間は全てスキンスーツを常用しているので問題無いかもしれないが、今後の彼の為にならないので気を付けている。命に責任を負った以上、躾は必要だとニーチェは思っていた。
「可愛がっているだけかと思ったら、案外律儀なのね」
マーニが興味深げに言う。
「そんな変な事じゃないし。パパがあたしを引き取ったのは憐れんだだけだったかもしれないけど、人生に責任を持った以上は本気で親をやってくれてたもん」
「へー、横紙破りのジェイルにそんな面があったとはな」
ギルデは意外に感じたようだ。
「パパをどんな人だと思ってるの!?」
「反骨心の塊で、常識に後ろ脚で土を掛けるような奴じゃないかってな。破天荒ぶりがお前に移ったのかと思ってた」
「いつも冷静で、とっても常識人だったし」
過去形で語らなければならないのがつらい。
「惚れ込んでたんだな。何もかも投げ出して地獄なんぞに入りたくなるくらい」
重力場レーダーから目を離さないままでタルコットがしみじみと呟く。反政府活動が乱行だと卑下しながらも、そうせざるを得ない過去を持つ者ばかりが集まっている。この壮年にも思うところがあるのだろう。
「俺たちがどんな思いを抱え込んでいようが、こいつらにはただのテロリストにしか映ってないんだろうぜ」
そう言いつつ、2D投映コンソールのトークボタンをタップする。
「起きろ、ナジー。敵さんのお出ましだ。しかも前方ときたもんだ」
「回り込まれたの?」
「ああ、そのうえ後ろの連中も加速してる。挟み込んで撃滅する為に距離を取って追ってきてやがったみたいだ」
マーニは想定外の事態に顔を顰める。
「ここまで執拗だとは思わなかったわ」
「軍の奴ら、面子を潰されたのを余程腹に据えかねたらしいな」
跳ね起きたニーチェは、掴み上げた子猫を操船卓に取り付いた壮年の肩に置く。突然の事にルーゴはきょとんとした瞳で大人しくしていた。
「おじさん、よろしく!」
「よろしくって、おい!」
「ナジーに任せればいいし」
ギルデに続いて操縦室を駆け出した。
「前を突破するわ。挟撃される前に抜ける」
「先に出ます」
σ・ルーンから部隊回線でコクピット待機だったドナの声が聞こえる。
「宇宙で待ってなさい」
「了解」
カーゴスペースに続く通用口には磁場カーテンが起動している。ヘルメットを被って飛び降りると既に空気が抜かれ、下部ハッチが大きく口を開けるところだった。
「ルージベルニは待ってくれ! 今ワイヤーを外すから!」
発進準備に整備士のフォイドは大わらわだ。
「ごめん、待ってらんない。切っちゃう。後で直すの手伝うし」
「やめてくれー! メッシュが剥がれるからー!」
乗り込んで素早く起動操作をしたニーチェは、しゃがみ込んでいたルージベルニを立たせる。脚や腕に巻かれていたワイヤーが床のメッシュを剥ぎ取りながら引きちぎられ宙をのたうつ。宇宙空間に飛び出してから全て外して放り出した。
(どこ?)
彼女は集中する。
宇宙に出て試した結果、地上に比べて灯りが視える有効距離は比較にならないと判明している。周囲に視える命が少ないからかもしれないが、だいたい二百kmくらいは視えるようだ。
それでも後方から迫っているであろう第二十一分艦隊はまだ彼方らしい。必死で集中すると、薄ぼんやりと敵意の赤の塊が視覚に浮かんできた。
(狙う!)
照準してビームカノンを撃つ。
「当たんないし!」
飛び去った光芒は数秒経っても何の反応も示してくれない。
「当たり前だ! 当たるか!」
「ちょっと無茶かしらねぇ」
「おいおい、お嬢ちゃん。至近弾だったみたいだぜ。泡食って減速してやがる」
タルコットからの報告。
「……あらそう。ニーチェ、時々一撃入れておいてくれない?」
「普通に受け入れるな!」
「憶えてたらやる」
ギルデの悲鳴はスルー。
ドナとトリスが待っている前方へと移動する。こちらはもう光学観測範囲内に入ってきており、分艦隊の減速噴射が瞬いて見えていた。
「こちらはゼムナ軍第一打撃艦隊第十六分艦隊である。停戦して武装解除に応じよ。そうすれば手荒な真似はしない」
共用回線で勧告が来る。
「わざとらしいこと。撃滅指令が出ている癖に」
「進路はどちらに切りますか、マーニ?」
「遠回りしたくないけど、ロドシークがどこに居るかも分からないのよね。とりあえず左に向かいましょ」
ドナの質問にマーニは適当に答えている。こういう時は勘しかない。
「了解。私を先頭にギルデが右、トリスが左。マーニは後ろで全体を見てください」
「それがいいわね」
「あたしは?」
名前が挙がらなかったニーチェは慌てる。
「あなたは縛ってもどうにもならないから自由にしなさい」
「おおう、放置プレイだし」
「放置プレイ言うな!」
ギルデのツッコミとトリスの笑い声を背にルージベルニを加速させた。
次回 「もしもの時は自分が生き延びる事だけ考えろ」




