魔の啼く城へ(3)
ヘルメットを小脇に抱えて小走りに居住スペースの通路を抜け、カーゴスペースに続く隔壁開口部へと飛び降りる。床面を境に人工重力は上下逆に働いている為、落ちる感覚は瞬時に反転し頭上を床と認識した。
落下の加速度が跳躍速度に変換されて、2m以上もの高さに居ると認識。逆立ち状態の身体が0.1Gで床にゆっくりと落ち始めたのを肌で感じたらクルリと回転して足から着地。
重力が反転する時の酩酊感を除けば、水に飛び込んだ時の感覚に似ている。解放感はほとんど同じ。ただ、油断すると床とキスする羽目になるのでニーチェもすぐに身体を慣らした。
ルージベルニへ駆け寄りながらヘルメットを被りスキンスーツと接続する。アームドスキン基台のパワーストラップを掴んでリフトボタンを押すと、コクピットのある胸部15mの高さまで数秒で引き上げられる。昇降通路を跳ねるように進んでバケットを蹴ると背中からパイロットシートに飛び込んだ。
緩衝アームがシートを引き込んでハッチが閉じると外部モニターが点灯する。昇降通路が格納中の筈だが正面には見えない。
全天をカバーする球形モニターは頭部からの視点で構成されている。視線を下げると胸辺りで通路が旋回しているのが見えた。
「搭乗完了っと」
システムを起動させると2D投映コンソールが立ち上がり、肩口からフィットバーが下りてくる。
『σ・ルーンにエンチャント。機体同調成功』
システム音声がルージベルニとの同調を告げると、頭の横に浮いていた3Dアバターが消失し独特の拡張感がする。人体の感覚器とは別にセンサーの情報が流入を始めるからだ。
「発進準備完了」
思考スイッチで操縦室に繋げるとナジーのウインドウが開いた。
「了解。クナリヤからの指示待ちだから待機ね」
「ほい! ルーゴ、いい子で待ってて」
「みゃう!」
操縦士の膝の上で子猫が返事をした。
重力場レーダーを備えた監視衛星網を探知されずに通過するのは不可能に近い。クラフター二梃が航宙速度に加速すれば熱感知もされる。できるのは、哨戒艦隊に鼻を押さえられないタイミングで抜ける事だけである。
「第九分艦隊は範囲外に抜けるぞ。第二十一分艦隊が赤道方面から接近中。重力場レーダーにギリ掛かるタイミングだな」
タルコットが覗き見ている監視衛星の情報を睨みながら中継している。
「計算より早いわね。でも、いつまでも待っていられないわ。作戦開始」
「よし、クナリヤ、加速。ベリゴール、付いてこい」
「了解!」
シートに押し付けられるような加速感。
「全機戦闘用意」
「よっしゃ」
「いつでも行けるのん」
マーニの号令でカーゴハッチが大きく開放される。
(わあ!)
頭上一杯に青く輝くゼムナが見える。そこにどんな欲望が渦巻いていようが、自然が残された惑星は美しいままで宇宙に浮かんでいる。
「二十一、食い付いてきた。追い付かれるな」
計算結果が出たようだ。戦艦のほうが推力に余裕がある。
「保持圏のターナ霧は放出、追加散布。防御磁場展開。アームドスキンで足留めするわ。全機発進して続きなさい」
クランプが解除されると機体が自由落下を始める。重力の青い水底へと頭からゆっくりと沈んでいくルージベルニ。
先に発進していたドナのサナルフィはもう頭を上にしてマーニのクラウゼンに追い付こうとしている。ニーチェもアームドスキンをロールさせると少し深めにペダルを踏み込んだ。
「分散はしないわ。わたしを中心に楔型編隊」
リーダーの命令が飛ぶ。
「ニーチェは右翼、トリスがサポート。ギルデは左翼に」
「了解!」
ドナが指示して陣形が決まる。
惑星圏の戦闘は分かり易い。双方ともに近在惑星を足下に置くように上下が決まる。その上下を基本にして機動する。
視界に大きな目標物が無い場合は、部隊もしくは艦隊単位で上下が決まる。敵味方相互に配慮などする必要などないのでそれぞれの自由になる。
艦隊戦に及ぶのであれば相手の陣形に合わせて調整する必要も生じようが、近代宇宙戦闘では艦隊同士の砲戦など機会が少ない。アームドスキン部隊の戦闘では上下の別なく衝突する。
「常にクラウゼンの位置を頭に入れて動きなさい、ギルデ」
「了解してる」
サポートに入るドナが注意を与えている。
「ニーチェは好きにしていいよん。いきなりフォーメーションを守れって言ったって無理なのん」
「マーニの位置を意識しておく、よし!」
ニーチェも言葉にしての確認作業が様になってきた。
「あなたたちも成長したわねぇ」
「四年を無為に過ごしたつもりはありません」
「前みたいに心配ばかりかけないから安心してくれ」
ポレオンでの潜入任務は、ほぼ皆無だったアームドスキン戦闘にも良い影響を及ぼしているらしい。集団生活と細心の注意を払う必要のある行動で、互いへの配慮が自然に身に付いているのだろう。
(みんなが編隊行動に秀でているなら、あたしはあたしの長所を活かすし!)
彼女もこの一年余りで迷いなく行動できるようになっている。
(やるのは足留め。先に仕掛けるし)
視界にぼんやりと灯りが見えてきた。接近してくる第二十一分艦隊はターナ霧を放出して想定位置しかデータリンクで入ってこないが、ニーチェの感知圏内にアームドスキン部隊が侵入してきたようだ。
「当たれ!」
ルージベルニの黒いビームカノンが吐き出した光芒は暗い空間へと吸い込まれていった。
次回 「ニーチェ……、ごめんなさい」