さようなら、ニーチェ(3)
宿泊者名簿に並ぶ上流家名にホテル側が配慮してか、ディナーは予算に収まる感じのしない豪華なもの。ニーチェは目を輝かせてかぶりついていた。
天気に恵まれた連休の二日目の午前中はダイビングの予定。一応はプロの随伴を受けて沖に出る。
ニーチェの友人三人は民間用のスキンスーツを持参している。宇宙旅行もあり得る彼女らはそういった物も常に準備しているものだ。ニーチェはもちろん、ジェイルも機材として『MB3』のロゴが入ったスキンスーツしか持っていない為、レンタル用のスキンスーツを拝借する。
それに耐外圧用のヘルメットを接続するだけでダイビング装備になる。耐圧性や防護力は十分。空気還元装置は24時間の呼吸を可能にしてくれる。
優雅な水中散歩を楽しんだ午後はまったりと浜辺で過ごし、贅沢な時間を共有する。何だかんだと言っていたニーチェも友人たちとの会話が楽しくてジェイルとの雰囲気作りに熱心になることもなかった。
三日目になってジェイルがホバースクーターを借り出してきた。大型の機体に簡易な反重力端子が搭載されており、ホバリングを併用した空中浮遊が可能な複数人乗りのスクーター。海上でしか使用が許可されていない娯楽用の乗り物である。
こういった反重力端子搭載車輛も当初は多数開発されたのだが、あまりに事故が頻発した為に軍用の空挺機甲車などを除き商品化が中止された。僅かに娯楽用として残っているだけ。
「滅茶苦茶気持ち良いし!」
ジェイルの背中越しに顔をなぶる風に嬉しい悲鳴を上げる。
「振り落とされないようにするんだよ」
「しっかり掴まってるし!」
「みんなも気を付けてね」
それぞれに返事をしている。
「ジェイルさんはこんな物にも乗れちゃうんですわね」
「かなり難易度の高いライセンスだった筈ですけど」
「パパは何でもできるし」
お決まりの文句が出る。
「ジェイルさん、アームドスキン乗りだからさ。街区使用許可証を預かれるような高度操縦技能者はたいていの乗り物は操縦できる事になってる。それこそ大型航宙船舶だって操縦できるんじゃない?」
「一応そうなっているね」
イヴォンは事情に通じているらしい。
アームドスキンは高度技術の塊。反重力端子や機体同調器などは、構造こそ解明されているものの動作理論は概論でしかない。
このホバースクーターに搭載されているような簡易版のグラビノッツの開発にしても試行錯誤にかなりの時間を要している。ゼムナ先史文明の遺跡技術は転用に困難が伴う高度技術であった。
そんなアームドスキンの操縦ではσ・ルーン経由で供給される情報密度が他の比ではない。逆にいえば、それくらいでないと人型戦闘兵器は稼働できない。故にパイロットは高度操縦技能者として扱われ、各種ライセンスが免除される仕組みになっている。
「海上散歩を楽しんだら釣りでもしてみるかい?」
「する! やってみたい!」
「今夜は自分で釣った魚のバーベキューが食べられそうですわ」
歓声に沸く。
「美味しそうなのを釣ってみせるし!」
「じゃあ、頑張ってみよう」
ニーチェは張り切って腕を振り上げる。
身体を風にあおられて落下した彼女はジェイルに救出されることと相成った。
◇ ◇ ◇
最終日の四日目は、午前中には帰り支度を終えねばならない。が、名残惜しい四人はジェイルを誘って朝の海岸を散歩している。
「最高の旅行だったー。今までで一番楽しかったかも」
親友イヴォンにそうまで言わせるのならニーチェが感じる幸せも当然だろう。
「うー、そんなに言われたら帰りたくなくなるし」
「そんな言って。ニーチェはこれから頑張らなくてはいけないでしょ?」
「そうそう、総合発表会に向けての休養だったんだからぁ」
皆に突っ込まれる。
「二回生の希望の星なんだから期待してるよ。十分気力を養ったじゃん」
「うん。エネルギーは満タンだし!」
「その総合発表会なんだけどさ……」
ジェイルが切り出す。
「残念だけど応援には行けなくなったよ」
「どして!?」
ジェイルは惑星軌道への出張が決まっていたらしい。それが機動三課長フレメン・マクナガルが課員に告げた内容だった。
「反政府組織『地獄』と軌道艦隊が激突したニュースを見ているだろう?」
全員に他言無用を約束させてから説明するジェイル。
「あれで軌道戦力の半数が失われている。宇宙警備業務の補助に機動三課は駆り出されることになったのさ」
「だから何でパパが?」
「僕だけじゃない。ポレオン六市警の機動三課は全員が宇宙に上がる」
宇宙戦闘が可能な人員は全て動員されるのだそうだ。
「むぅ……」
「仕方ないよ。今は警備が手薄になっている。補充されるまで帰れない」
「どうして早く教えてくれなかったし!」
ニーチェは頬を膨らませて問う。
「この旅行だけは心から楽しんでもらいたかった。余計な杞憂など抱かずにね。僕たちが担うのは航宙警備補助さ。最初から戦闘を前提にした任務は回ってこないことになっているよ」
「危険なことに変わりないし」
ジェイルは表情の曇る彼女の肩を抱いてくれる。覗き込むようにして「心配ないから」と言った。
「それに良いニュースも一つ」
続けて告げられる。
「オネスト・ヘルマン氏から連絡をもらった。君にレッスンをしてみたいとおっしゃってくれている。嫌でなければ通ってみなさい」
「そんなの……」
「すごいチャンスじゃない、ニーチェ。あのヘルマン氏だよ? こんな機会逃す手はない」
イヴォンも推してくる。
「それにレッスンで培った技術で結果を出せばジェイルさんだって嬉しいんじゃない?」
「本当?」
「そうだね。もっと自慢できる」
父の慰めにニーチェの機嫌も直ったが、胸の内に燻ぶる不安は拭いきれなかった。
次回 「もしかしてパパが捜査官だったからお許しが出たの?」




