裏切りの報酬(1)
進宙歴509年のこの日、惑星ゼムナがライナックの事実上の独裁を受け入れて以降、初めて解放された。新たな解放者の名はローベルト・マスタフォフ。彼はハシュムタット革命戦線を率いて首都ポレオンに革命を起こしたのである。
ローベルトは中央政庁に登庁すると、自らを暫定の元首とし、革命政権の発足を宣言した。それと同時に市民に平静と通常通りの生活を促し、首都の復興へと歩み始めたのである。
(どうしてこうなった?)
しかして、彼は未だ戸惑いの中にいた。
(表向きの体裁を整えるのは難しくない。歴史を紐解けばそこに正解がある。だが、これからどうすればいい? 一国を背負うつもりも覚悟もない人間が元首の座に就いてすべき事など歴史書には綴られていないぞ)
本来の支配者からはまだ連絡がこない。
混乱の中、僅か110kmしか離れていない地上軍本部に避難したライナック本家に動きはない。これ以上の混乱は宇宙の敵を利するだけと考えているのだろうか?
(凡夫ならここで野心を抱いてしまうかもしれない。ただの傀儡ではなく、自分が本当の支配者に入れ替われるのではないか、と)
陥りがちな思考だ。
(そんな事はあり得ない。ブエルド閣下は怖ろしい方だ。何か策を講じてくるはず。ましてや方々がいるのは地上軍本部。戦力は潤沢にとはいかないまでも十分にある。叛意を抱くなど馬鹿らしい考えだ)
現状を憂うより、これからの事を考えたほうが建設的。
(今はポレオンに秩序を取り戻すのが先決だ。そうでなければ穏便な協議にも持っていけない)
どこで誰が暴発するか分からないでは気が気でない。
未だ市街は落ち着きを取り戻していない。武力を用いて市民を襲撃をするのは禁じたが、表面化しない形で無法を行う不埒者がいる報告は受けている。そんな事が続けばいずれ市民の不満が限界を超えてしまうだろう。
「う……、うん?」
隣から悩ましげな吐息が聞こえる。
「どうなさったのですか? ローベルト様?」
「うむ。街区の事が気になってな。いつになれば市民が平穏を取り戻せるかと」
「お優しいのですね。確かに機動課を始めとした警察職員は半分以上が衛星都市のバーシーへと避難民を誘導していって不在です。でも、革命戦線の主だった者には統制を指示いたしました。いずれは収束する筈ですわ」
ベッドの隣にいるのはジャネス・コパルである。彼女はずり下がりかけたシーツを胸元で押さえているが、肩や腕は肌を露わにしていて情事の後を匂わせる。
(抱いても面白みのない女なのだがな。軍人というのは身体が硬くていかん)
三十代後半にしては肌の張りが良いくらいか。
ジャネスと関係を持ったのは取り込むために過ぎない。食事の席に招き、表向きの理念を情熱的に語る芝居を見せれば簡単になびいてきた。今では彼の言葉を疑いもしないだろう。
戦勝の余韻を引きずってか彼女は興奮していた。情勢不安を理由に妻子はハシュムタットに残しているので何の懸念もない。今夜はジャネスのほうから積極的に求めてきたので応じただけだ。
「時期尚早だったか。早く戦力として掌握せねば、本流家の方々はお怒りになっているかもしれない。軍本部は目と鼻の先なんだぞ?」
急かす意図を含めて告げる。
「もし、軍容を整えて攻めてこられたりすれば抗う術など有りません。電撃的な作戦だったから成功したのです」
「それでは困るぞ」
「杞憂だと思いますわよ。あなた様は民意を背負っておいでなのです。英雄の血筋の方々も理解してくださいますわ」
(この女は頭蓋骨の中まで筋肉に侵されているのだな。誰があの無法者の集団の主張を民意と捉えるというのか?)
そんな思いはおくびにも出さない。
「そう祈ろう」
「大丈夫です。ローベルト様の国を憂う気持ちと熱意は必ずや宗主様へと伝わるでしょう」
「だが、生活の不安を取り除く努力は続けてくれたまえ」
彼女は「承りました」と答える。
(リロイ様にお返しする時にボロボロになっていたでは、どんな叱責を受けるか分からない。最悪、別の誰かを表向きの首長に据えるかとお考えになるかもしれないんだぞ? それが分からんか)
分かる訳もない。ジャネスは何も知らないのだから。
ローベルトはしなだれかかってくる身体を嫌々ながら受け止めた。
◇ ◇ ◇
リロイ・ライナックは憤然と足を踏み鳴らす。現状は彼の矜持をいたく傷付けているようだ。
「まだ準備できぬのか?」
ブエルドに尋ねてくる。
「今しばらくお待ちを。地上軍の編成は終了しておりますが、ジュスティーヌが降下に手間取っているようなのです」
「ん? あれが降りてくるのか」
「はい。地上の情勢を鑑みて自分で判断したようです」
リロイの表情が安堵したように和らぐが、すぐに眉根が寄る。
「アーネストの馬鹿息子のほうは問題ないのか?」
「第二艦隊司令としてタドリーを送りました。あの者ならば怖気づいて軍を退くなどありますまい。足留めには十分かと」
「ふむ。あの戦闘狂ならば撤退など頭の隅にもないだろうな」
タドリー・ライナックは一族でも異端な存在として遠ざけられていた。良くいえば豪胆、悪くいえば大雑把な指揮官である。平時には何の役にも立たない人物だが、こんな時にこそ使い道があるというもの。
「では、陣容が整い次第、我が居城を返してもらうとするか」
「ええ、首都を包囲してローベルトめに和平を謳わせましょうぞ」
ブエルドの目算では、それで事は収まる筈であった。
次回 (俺に腹芸要求されても厳しいって分かってくれよ)




