魔王顕現(1)
ニーチェは通路を歩いている時から気付いていた。室内には三人分の灯りが視える。魔王ケイオスランデル本人以外に副長など何人か同席しているのだろう。
しかし、近付いてきて感じた。知らない色の灯り。でも、とても懐かしい色の灯り。本人の色は知らない。彼女がこの能力に覚醒する以前に喪われてしまったのだから。
(ま……さか……。でも、これは……)
知っている。その魂の色は慕い続けていた人のものだと感じてしまう。
(嘘だし……。どうして……? でも……、間違いない!)
ドアがスライドして相手を直接視ると同時に確信した。
背格好は変わらない。ただし、顔は艶消しガンメタルの仮面で覆われている。
僅かに覗く口元。ヘルメットギアの下から飛び出た銀灰色の髪。足を組み、ゆったりと構える物腰。常に纏っている冷静沈着な空気。
愛しいその人そのものだ。間違いようもなくジェイル・ユングその人だ。彼女を娘として慈しんでくれ、ともに長き時間を暮らして幸せを与えてくれたその人だった。
気が付くと視界に自分の右手が伸びている。震えながら父を求めて宙をさまよう。引き寄せられるように上体が泳ぐ。引きずられるように足が前に出る。一歩、二歩……。
目には父の姿しか映っていない。他に何も見えず何も聞こえず、ただその命の灯りへと向かって駆け出す。何もかも押し退けて彼の元へと自然に身体が動いた。
「パパ、生きてたし!」
からからに乾いた喉がかろうじてそれだけの言葉を紡いでくれる。
座面に膝を突くと身体ごとぶつけた。震える腕を伸ばして首に手を回す。何度も触れた髪の感触が甦る。そしてジェイルの匂いがする。
どうしても流れなかった涙がようやく頬を伝う。一度流れ始めると、とめどもなく溢れてくる。歓喜が形となった涙はもう止められない。
いう事を聞かない腕に何とか力を込めて身体を引き上げ襟元に額を埋めた。それだけで安心感が全身に伝わっていく。自分は居るべき場所に戻れたのだと実感した。
(ここしかない。世界中どこを探してもあたしが居ていい場所はここだけ)
幸福感に満たされる。
「誰と勘違いしているのか?」
試すような台詞。だが、彼女を誤魔化せるものではない。
「あたしがパパを間違える訳ないし! 静かで、穏やかで、優しくて、温かい、こんな魂の人は他に居ないもん!」
突き放そうが逃がさない。もう捕まえた。
「困ったものだ」
その言い回しにも懐かしさを感じる。
涙で霞んだ視界の中でヘルメットギアがニーチェを捉える。赤いセンサースリットの向こうに、ちょっと困った色を浮かべるジェイルの黒い瞳が透けて見えそうだ。それくらい彼の事を知り尽くしている。
「私の娘ならどこかで大切な夢を追いかけ続けている。ターナ霧の漂う戦場など似合いはしない」
父ならそう言うだろうと思っていた。でも、ここで聞き分けの良い娘になる気など毛頭ない。
「分かってるし! 分かっているけど無理! パパを忘れて自分の夢だけ叶えるなんてあり得ないし! そんなの……、そんなのあたしじゃないもん」
ニーチェがニーチェである為に何が必要かはニーチェが一番知っている。目の前にいるたった一人の男。それだけで十分なのだ。
「…………」
ジェイルは彼女の剣幕に押されるように黙っている。
(絶対にもう離れないし。パパとケイオスランデルが同一人物だとか全然意味分からないけどそんなのどうでもいい。それこそ地獄の底までだって付いていく)
決意を込めて赤いセンサースリットを見上げた。
◇ ◇ ◇
ニーチェがマーニ・フレニーの所に飛び込んだと報告を受けた時はさすがにジェイルも絶句した。娘の行動力を嘗めていたと思う。
それでも一時の激情に身を任せたのだと思って静観していた。ところがニーチェは何の不平も漏らさず、黙々と下働きをこなしていると聞く。この辺りから彼女に対するジェイルの勘は幾度となく経験したように外れ始めていた。
(どうやら一手講じなければならないようですね)
動かなければ彼女の人生は狂ったままになりそうだ。何より彼の思惑を感じる。先手を打たなければなし崩しに事態が進行していきそうでならない。
身辺が怪しく除外していたビント・フルグのスカウトを命じた。どうあってもトラブルは避けられないだろう。
ニーチェは一般人として生きてきた。怖ろしい思いをすれば自分がどこに足を突っ込んでいるのか気付く筈であった。
ただし、逃げ道は作っておかなくてはならない。彼女を苦しめるのは本意ではないし、マーニをリーダーとした隊は欠くべからぬ駒の一つ。トラブルが発生すれば即座に撤収できる状況を作った。
結果としてニーチェは切り抜けてしまう。しかも、戦力として有用である事を自ら証明して。
ジェイルは最初から知っていたが、マーニは拾い物をしたと感じるだろう。そうなれば彼女はケイオスランデルの元に無事送り届けるべく全力を尽くすのは想像に難くない。手詰まりを感じた彼は、今度は全員を帰還させる手段を講じなくてはならなくなった。
(少しだけ抗ってみましたが、時代の流れというのは僕にどうこうできるものではないんですね)
ジェイルは観念した。
とうとう自分の懐まで飛び込んでしまった娘を受け止める。その腰に手を回して抱き寄せると懐かしい匂いと体温が伝わってきた。
「いつも君は私の予想の外にいるのだな」
ジェイルは彼女と居る事が自分にとっても自然なものになっていると感じた。
次回 「ケイオスランデル、あんた……」




