登校の日
大学の用事やらソシャゲで引き当てたキャラの育成やらで投稿がめっちゃ遅くなってしまった今日この頃。
スカディはいいぞぉ……ジョージィ……
※誤字があったので直しました。また、学園に向かおうとする辺りの文章を少し変更しました。
「兄さーん、朝ですよー。今日から登校日なんですから起きてくださーい」
「んぁ?」
ゆさゆさと揺すられる感覚で意識が浮上した。
寝起きの靄のかかった視界で、ゆっくりと部屋を見渡す。
「……あれ。どこだ、ここ?」
見覚えのない六畳間。
床に積まれた段ボールの山。
おかしい、昨日までは病室にいたはずなのに。
「ひょっとして寝ぼけてます? 兄さん」
不鮮明な記憶は、凛としたその声を聞いてようやく形を帯び始める。
「ああそっか……。確か寮で…………」
昨日は朱葉に、メインストリート沿いの施設を案内してもらって。
ついでに、アーネストに言われていた書類の提出やら霊力の測定も終わらせて。
最後に、これからお世話になる秀影学園の寮にたどり着いて。
「よかった。思い出しましたか」
今まで離れ離れだった朱葉の声を聞くと、ああ、新しい生活が始まったのだと改めて実感させられる。
特に今日から早速、妹の通う学園に俺も通い始める訳だから、その想いも一塩だった。
だが、それはそうとして。
壁に立てかけた時計を確認する。
「なんだよ、まだ6時じゃん……。もうちょい寝かせて」
「駄目です。暇があるならさっさと支度してください。そして余った時間でわたしに構ってください」
理不尽。かわいいけど。
「あと一時間だけ……」
俺としても、愛しの妹のワガママは聞き届けてやりたかった。
けれど、その兄としての矜持も二の次になってしまうほど今の俺は眠い。
これも全ては、片づけても一向に減らない荷物のせい。
本島から送られてきた私物の整理に、昨夜は大幅に睡眠時間を削られてしまったのだ。
「どうしても起きないのですか?」
「うん……ごめん」
「ふぅ、わかりました。ならわたしにも考えがあります」
そう言い残すと、朱葉は部屋から出て行った。
考えとはなんだろう?
わざわざ部屋から出たということは、何かを取りに行ったのか?
フライパンとオタマでカンカンしたり?
――ちょっとかわいいな、それは。
なんにせよ、今の俺はその程度の圧力に屈したりしない。
惰眠を貪りながら決意を新たにしていると、再び朱葉が帰ってきた。
「兄さーん。早く起きないと大変ですよぉ? 最後通牒ですよぉ?」
「だからぁ、まだ寝たいんだって……」
「まったく。仕方ないですね」
善意で起こしてくれている朱葉には悪いとは思う。
だから、次に起きた時にちゃんと謝ろう。そう誓っ――
「ゆけっ! マルカメムシ! クサギカメムシ!」
部屋に悪臭が充満した。
「――くっさ! なんかすげぇ臭いッッ‼」
耐えがたい刺激臭が鼻腔を貫き、たまらず俺は飛び起きてしまう。
何事かと思い朱葉を見やると、彼女の両手からわらわらと虫が飛び出していた。
「……なにそれ?」
「カメムシです」
「見りゃ分かるよ! 何でそんなもの持ってんのかってことだよ!!」
「ペットです」
「嘘だろ!?」
「嘘です。こんなこともあるかなーって思って集めておきました」
「なんでそうなる!?」
たかが兄を起こすためだけにカメムシをまき散らす馬鹿が何処にいるというのか。
昔から度々、朱葉は予想の斜め上をいく行動に走る癖はあった。
だが、まさか、ここまでとは。
改めて、朱葉の恐ろしさを目の当たりにした気分だった。
「ほれほーれ」
「ぎぃああああ! 手を近づけんなっ! 耐えがたいッッ‼」
てんやわんやの後、俺たちは一階の共有スペースに降りていた。
チークで誂えたフローリング。
汚れのないベージュ色の内装。
棚や窓際に置かれた観葉植物。
俺の部屋にも当てはまることだが、この寮には全体的にどこか、仄かな温かみが内包されているように感じる。
「なんていうか、生活感に溢れてるよな、ここ。人の息を感じるっていうか」
「カメムシさんのおかげですね」
「人の息って言ったよね? 虫のいる寮とか死にそうなんだけど」
「虫の息だけに?」
「はっ倒すよ?」
正直、病室に比べれば何処だろうとマシだ、なんて昨日までは考えていた。
けれど今となっては、この寮に越してきてよかった。
そう思えるくらいには今の環境に満足していた。
「兄さんはテーブルに座っていてください。朝食はもうできていますので」
「いやでも、食器くらい俺が」
「いいからいいから」
俺が寝ている間に、朱葉は手際よく朝食の準備を進めていたらしい。
さすがに一切手伝わないのは気が引ける。
そう思い配膳を手伝おうとするも、必要ないと椅子に座らされてしまった。
「……ありがとな」
寝ているだけで料理が運ばれる。
入院生活では当たり前だったが、よくよく考えてみればありがたいことである。
気立てのよい妹には感謝しているし、見返りのない彼女の献身には頭が下がる思いだった。
「はいどうぞ。冷める前に食べてくださいね」
だから、たとえ嫌いな食べ物が混じっていても、文句ひとつ言わず平らげるつもり、だったのだが。
「なあ朱葉。お兄ちゃんな、朝からその、ステーキってのは……違う気がするなぁ……」
「そうですか。わたし的には大いにアリです」
「あっ、はい」
てめえの意見など聞いてねえんだよ、とばかりに流されてしまう。
いやこれ、300gはあるじゃん。
絶対食べきれないんですけど。
「大体、兄さんは細すぎます。寝たきりだったから仕方ないかもしれませんが、適度に脂肪もつけないとダメなんですよ」
「ああ、それで……」
どうやらこれは、俺のためを想ってくれた結果らしい。
そうまで言われては、食べないなんて選択肢は残されていない。
せめて、限界まで挑戦しなくては。
覚悟を決めて、ナイフとフォークを手にする。
「まあ、単にわたしが肉を食べたかっただけなんですが」
「おい」
そういえば朱葉、肉好きだったなあ……。
見舞い中にスパムを食べ始めるのが俺の妹である。
「はぁ……。まあいいや、いただきます」
胸やけや胃もたれと闘いながら、どうにか肉を口に運んでいく。
登校中に戻したりしないかだけが心配だった。
「ふぅ、ご馳走様でした」
などと半ば現実逃避していると、自他ともに認める健啖家の妹は苦も無くステーキを平らげていた。
「朱葉は本当によく食べるな」
対して俺は、まだあと残り半分といったところか。
いや、普段の食の細さを鑑みれば、これでも検討している方なのだが。
そんな俺の言葉に心当たりがあるようで、妹は苦笑を浮かべる。
「自覚はありませんが、きっとそうなのでしょうね。わたしが料理番を務めると、皆さんからはよく怒られますから。お前の料理は多すぎだって」
やっぱりか。
そう思うと同時に、彼女の言葉に新たな疑問を抱く。
「皆さんって……。この寮、他の人も住んでんの?」
「当たり前じゃないですか。ここ如月寮は、確かに寮としてはあまり大きな建物ではありませんよ。それでも10人程度は住めますし、わたしと兄さんだけでは持て余してしまいます」
呆れたように笑いながら答える朱葉に、俺は面食らってしまう。
昨日、軽くではあったがこの寮の間取りを確認した。
女子エリアにはもちろん入れなかったので断言はできないが、その際に、朱葉の部屋以外から一切の生活音が聞こえなかったのだ。
それに、もうすぐ登校時間だというのに誰も共有スペースに現れない。
だから、俺たち以外に誰も住んではいないと考えたのだが。
その疑問を朱葉に尋ねると、得心がいったように彼女は頷いた。
「ああ、そういうことですか。それでしたら、ここが忌子専用の寮だからです」
「……つまり?」
未だに理解が及ばない俺に、朱葉は説明を続ける。
「わたしたち忌子はこの島で快適に暮らす環境を各企業に用意してもらっています。そして、その見返りとして人道に反しないという前提の下、人体実験に協力する。これは兄さんも知っていますね」
「ああ。それはこの島を勧められたとき、アーネストから真っ先に教えられたよ」
九奈戸島で忌子が生活する上での義務であり責務。
それに俺も朱葉も、同意してこの島を訪れている。
常世からもたらされる霊力という未知の物質。
人を越えた力を持つ忌子。
新たな資源と成り得るそれらを観測し、定量し、実用する。
多大な出費を叩いてまで企業がこの島を近代化させたのには、相応の利益を求めてのことだった。
第一、営利を目的とする団体が無償で奉仕を行うなどあり得ないことくらい、俺のような子供でも理解している。
むしろ、何かしらの対価を払っていなければ、今の環境は余りに旨すぎて信用できなかっただろう。
「……ああ、話が読めた。要するに、他の住居人は企業に呼び出されてるんだな?」
「はい、正解です」
聞いた話では3ヵ月に1度、3日程度の期間で呼び出されるらしい。
朱葉を除いた2人の住人は、ちょうど今がその期間だという。
俺としても他人事ではないため、記憶に留めておかなければならないだろう。
「でも大変だな。今日みたいな登校日、しかも始業式にまで呼び出されるなんて」
享受している恩恵を考えれば文句など言えないが、平日でも構わず時間を拘束されるとは予想外だった。
学生の本分は勉強などという常識は、ここでは通用しないのかもしれない。
戦々恐々とする俺の台詞に対し、朱葉は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
「いえ、本来ならそんなことはありませんよ。ちゃんと企業も、個々人の予定をできる限り踏まえて、その上で1ヶ月前には通達してくれます」
現にわたしは呼び出されてないでしょう、と朱葉は付け加える。
ではなぜ、そう尋ねる前に、朱葉は深々と溜息をついた。
「……1人は痴情の縺れで刺されて緊急入院。もう1人は友人宅へ大量の爆竹を投げ込んで留置所行きになりました」
「…………はぁ?」
情報過多で大混乱だった。
妹の言葉が上手く飲み込めない。
いや、飲み込みたくなかった。
「え、ちょ、ちょっと待って。つまり他の住人は、入院やら逮捕やらでいないってことか?」
「いえ、2人とも今は既にこの寮に帰ってきてますよ。ただ、その分企業への貢献がずれ込んでしまって、先ほど言ったように、今になって呼び出されているということです」
ああ、そういうことか。
正直、他にも気になる部分はあったし、言いたいことも山ほどある。
けれど、ひとつ確かなことは――。
「この寮やべー奴ばっかじゃん」
俺は住む場所を変えた方が良いのかもしれない。
「大丈夫です兄さん! 妹だけはまともです!」
「カメムシ投げ込む時点でそれはないなぁ!」
食事を終えた俺たちは学園に向かおうとしていた。
「兄さん、忘れ物はありませんか?」
「ああ、大丈夫」
玄関の扉を開けると、春の陽気に当てられた潮風が全身を撫でる。
その爽快感がまるで、俺の門出を告げているように感じて、心が妙に浮き足立ってしまう。
――馴染めるかな?
俺にとって、学生生活とは未知に近い。
というのも、今まで病院の担当医からほとんど外出許可が下りなかったからだ。
登校した回数など、ここ数年でせいぜい1、2桁程度だろう。
だから、学生にとって当たり前の通学も、休み時間も、授業も、下校も、俺にとっては正しく期待であり。
不安でもあった。
なぜなら、俺の容姿は普通じゃないから。
「……相変わらず綺麗ですね、兄さんの髪は」
僅かに、けれど確かな熱の混じった朱葉の声が背後から聞こえる。
少し首を捻れば、真っ白なそれが潮風に煽られてカーテンのように揺らめいていた。
「伸ばしてほしいってお願い、守ってくれているんですね」
「……そういう約束だしな」
本心を言えば、さっさと切ってしまいたかった。けれど、それ以上に俺には、朱葉との約束を守る義務がある。
「ふふっ。きっと皆さん驚かれますよ。こんなに美しい白髪なんですもの」
まあ、確かに驚くだろうな。
そもそも仮に、俺のような容姿の人が現れたら、俺だって間違いなく驚く。
「これならば、すぐに皆さんにも気に入ってもらえるでしょう」
「いや、それは――」
あり得ない。人と異なるというのは、それだけで排斥の対象に成り得るから。
そう言おうとして、止めた。
他者の気持ちを慮ることが苦手なこの子には、恐らく理解できないだろう。
「……まあ、さっさと馴染めるように頑張るよ」
「はい。頑張ってくださいね、兄さん」
彼女の言葉に背中を押され、俺は学園へ向かった。