1-2 契約
「おっちゃん、このリンゴくれ」
「まいど。百ペスだよ」
露店で美味そうなリンゴを見つけたタケルは、残っていた小銭でそれを購入する。
袴で軽くそれを拭い噛り付くと、瑞々しい果肉がシャキッといい音を立てる。
「兄ちゃん、珍しい服着てるな。どこの衣装だ?」
「コイツか? こっから東に行ったところにある島のだよ」
「ハハハ、兄ちゃんは冗談が下手だな! あっちが魔の海だってことは無知な俺でも知ってるぜ。嘘を吐くならもっと上手くやらないとな」
冗談でも嘘でもないのだが、ここで押し問答するのも意味がない。タケルは軽く肩をすくめ、努力するよと言って露店を離れた。
「ニーナに頼まれたもんは揃ったな」
村に到着するまでにリュネが目を覚ますことはなかった。今まで逃げてきた疲労や緊張もあって、かなり精神的にまいっていたのだろう。
リュネが目を覚ますまではニーナが彼女の元を離れるわけにもいかないが、日用品のほぼすべてを海に落としてしまっているためそれの補充は必要だ。そこで、タケルが代わりに買い出しを行っていたのだ。
頼まれた物は一通りそろったため、タケルは宿へと戻ることにする。
部屋へと近づくと、中から話し声が聞こえてきた。どうやらリュネの目が覚めたようだ。
タケルが扉を開けると、二人の視線が集中する。
「目が覚めたみたいだなロリっ子」
「ロリっ子!? 私を誰だと思ってるのよ!」
なかなか強気な金髪少女は、起き掛けだというのにタケルの言葉にプリプリと怒りを表す。
「知らん。ニーナからあんたの身分に関しては忘れろって言われてるからな」
「忘れろって――ニーナ! あなた私の素性をばらしたの!?」
「故意じゃないんです! ちょっと口が滑っちゃったんです!」
「なお悪いわ!」
ベシッとリュネのチョップがニーナの頭を打つ。
「はうっ」
タケルはもう一度リンゴを齧りつつ、二人のコントに口を挟む。
「んで、俺はどういう態度をとればいい訳?」
「むむむ、そうね。ならお姫様に仕えるような態度を取りなさい」
「やだ」
リュネが自信満々に胸を張って言うので、タケルは笑顔で即答した。
「なんですって!?」
「本物かどうかも分からんのに、んな態度取るわけねぇだろ。とりあえずはロリっ子で十分だ」
「むがー! ニーナ何なのよコイツ!」
「命の恩人ですよ」
頭を掻きむしるリュネに、ニーナは無慈悲な答えを告げる。
そしてタケルは、先ほどのリュネを真似して胸を張った。
「命の恩人だぞ。敬えよ」
「ぐぬぬ、ならイーブンよ。姫への尊敬と恩人への恩で相殺よ!」
「リュネ様、そんな無茶苦茶な……」
「まあ別に構わねぇけどな。それよりも重要なのは今後だろ? ロリっ子が目覚めたんなら、いい加減そっちの事情を聴かせてくれよ。こっちも身の振り方を決めなきゃなんねぇんだ」
今は宿でゆっくりできているが、港町を出たことが知られている以上直にここにも追手の兵士が来る可能性がある。
ならば早いところ逃げるか戦うのかを決めなければならない。逃げるにしても、どこに逃げるのか、何を目的にするのかなど、確認しなければならないことは山ほどある。
そもそも、タケルはこの二人が狙われている理由をまだ知らないのだ。状況から助けはしたが、そのせいで今後タケルも兵士から追われる可能性がある。
状況も知らないまま狙われることなどまっぴらごめんだった。
「ニーナ、この男は信用できると思う?」
「それ本人の目の前で聞く?」
「大丈夫だと思いますよ。それに、頼れる人は頼るべきです」
それはニーナの直感のようなものだが、王宮で腹に一物を抱える多くの貴族たちを見てきたニーナの目は確実に鍛えられていた。
「そう。ならちゃんと話すわ。私の本当の名前は、ロンネフェルト・フィー・クルレント。クルレント王国の第一王女よ」
特に驚きはしない。ニーナが姫様と口走っていたのだから当然だ。
むしろタケルとしては、この国の名前がクルレント王国だったのかというぐらいの感想である。
「この国は今、宰相イブリスの手によって乗っ取られようとしているの。イブリスは強力な洗脳魔法の使い手で、お父様やお兄様たちもみんなイブリスの操り人形になっちゃったのよ。それを偶然知った私は洗脳される前に城を逃げ出して、各地の王家に縁のある貴族に助けを求めようとしたんだけど、どこもイブリスの手下がすでに手を回していて上手くいかなかったの。そんなところであの特務隊に見つかっちゃって、ここまで逃げてきたんだけど……」
「先回りされてたわけか」
「ええ、国外に逃げれば最悪クルレントの現状を友好国に伝えられることができたんだけど」
リュネが港に現れた以上、宰相側もリュネの狙いに気付いたことだろう。今後、渡航する人のチェックはかなり厳しくなるはずだ。となると、外に逃げるのは厳しくなる。
「正直手詰まりの状態なのよ。どうすればいいのか……」
「なるほどな。ロリっ子的にはどうすりゃこの国が救えると思うんだ?」
「宰相を殺すしかないわ。洗脳みたいな持続的な魔法は使用者が死ぬとその効果も消えるの。そうすればお父様たちの洗脳も解けるはず。けど、時間がかかれば宰相の息のかかった連中に周囲を押さえられちゃう。そうなれば宰相を殺しても手遅れよ」
今は宰相の魔法によって国王を支配し指示を出しているが、国政に携わる大臣たちはあくまでも国王に忠義を誓った者たちだ。だが、その大臣たちまでもが宰相の手のものに変わってしまえば、国王一人を救ったとしても国は奪われたも同然だろう。
つまりそれまでに宰相を殺さなければいけないということである。
「ことを荒立てずに大臣を入れ替えるには最低でも一年は必要。私が宰相のたくらみに気付いてからすでに半年が過ぎているわ。どこまで国を掌握されているかもわからない」
「つまり出来るだけ早く宰相を殺せばいい訳だ。んでリミットは半年。殺せなかった場合はどうなるんだ?」
「宰相は強欲よ。権力を掌握すれば何をしでかすか」
「それは市民にまで被害が及ぶことなのか?」
「もちろんよ。宰相はもともと増税派だし、貴族主義の筆頭のような人。平民は――ううん、宰相からしてみれば、自分以外はみんな奴隷みたいにしか思っていないわ。あんなのがトップに立てば、たちまち国が荒れちゃう」
タケルが今の話を聞いて考えることは一つである。
自分に国一つを相手取った戦いができるかどうかだ。
相手はすでに国のほとんどを掌握している。ならば、リュネ側についた時にタケルが戦うことになるのはクルレント王国の国軍だ。
一人対一国。普通に考えれば万に一つも勝ち目はない。だがもし、これが神威の神によって与えられた試練であるならば――
(超えられない試練は無い)
必ず突破口が用意されているはずである。
タケルの口元にはいつの間にか笑みが浮かんでいた。困難に直面した時のタケルの癖だ。
敵が強ければ強いほど、タケルは笑ってしまう。
「おいロリっ子」
「なによ」
「俺を雇ってみる気はあるか?」
「雇う? 護衛にでもすればいいの? それで国外に逃げるってことかしら?」
「いや、どうせ俺を雇うなら、宰相の首を狙ってみようぜ」
「あなた、自分が言ってる意味を分かってるの」
睨みつけるようなリュネの視線に、タケルは正面から視線をぶつける。
「俺は強いぞ。それこそ、海溝に潜む魔物以上にはな」
タケルはそれを示す証拠として、カバンの中に入れていた魔石の一つを取り出しリュネへと投げてよこす。
それを受け止めたリュネも、その傍にいたニーナも、目を丸くして魔石を凝視していた。
「こぶし大の魔石……こんなのどこで」
「言ったろ、海溝にいた奴より強いってな」
「!? 東の海、黒い髪、細い剣に独特な衣装――」
「リュネ様?」
リュネは何かに気付いたように小さく呟く。それは、脳裏の片隅に残る思い出の言葉。
「昔お母さまが寝る前に話してくれたことがあるわ。東の島に住む、神の力を宿した戦士たちの話。一人一人が一騎当千の力を持っていて、傭兵として大陸を旅しているって」
「へぇ、そんな話になってんのか」
「その国の名前はイズモ。神出母なる島。伝承の中では、人という種族の始まりの地であるとさえ言われている。あなたはイズモの戦士なの?」
「戦士かどうかはわかんねぇし、伝承のことなんざ欠片も興味がねぇが、イズモの出身であることは間違いねぇな。どうだ、俺に掛けてみる気は出てきたか?」
タケルの問いに、今まで希望の一つもなかったリュネの瞳に力が宿る。
「ええ。命を懸けるには十分なチップかもしれないわね。あなた、名前は?」
「タケル。スオウ・タケルだ」
「タケル、あなたを雇いたいの。報酬は――」
そう言ってリュネが回りを一度見回す。そして止まった視線の先にはニーナがいた。
タケルはちらりとニーナを見て、すぐに視線をリュネへと戻す。
「ニーナの体でどうかしら?」
「リュネ様!?」
「交渉成立だな!」
「タケルさん!?」
慌てるニーナの姿に、リュネとタケルは同時に吹きだす。
「冗談よ。さすがに大切な従者を売ったりしないわ」
「そりゃ残念。ニーナの乳には興味があったんだがな」
「けど今の私たちじゃニーナ以外に差し出せるものがないのも事実よ。報酬は後払いでもいいかしら?」
「ああ。その為に雇われたんだからな。国を取返せなけりゃ意味がない」
「び、びっくりしました……」
驚きのあまりに腰を抜かしてしまったのか、ニーナはその場にへなへなと座り込む。
そんな様子にもう一度笑い声を上げ、タケルたちは改めて今後の予定を決めるべく相談を始めるのだった。