プロローグ
スオウタケルの眼前に広がるのは広大な大海原。岩壁に打ち付けられた波は激しくしぶきを散らし、四月になったというのに肌を刺すような冷たい風が吹き荒れている。
その風に混じったカサリと草を踏む微かな音をタケルの耳は聞き取った。
振り返らずに、問いかける。
「じいさんか?」
「やはりここにおったのか」
声の主は、タケルの予想通りの人物。祖父のシゲトであった。
「ま、出発前の挨拶ぐらいはな」
岩壁の先端には二本の木刀が刺さっている。それだけがここにタケルの両親が眠っていることを示すものだ。
「ほとんど記憶にもないが、それでも俺の親だからな」
両親が死んだのはタケルが二歳の時だった。何と言うことはないはやり病である。多くの死人を出した中、偶然にも生き残ることができた幼いタケルをシゲトが引き取って成人の今日まで育ててきたのだ。
「じいさんにも感謝してるぜ。じいさんがいなきゃ、俺は浮浪者のまま死んでただろうからな」
タケルが振り返れば、そこには背の低い老齢の男が一人。シゲトの佇まいには、年を取った弱さなどなく、むしろ老熟された張りのようなものすら感じる。
そんな張りがシゲトのため息と共に霧散した。
「はぁ。ならばもう少しわしの気持ちを考えてくれてもいいと思うんじゃがな」
「ハハッ、それとこれとは話が別だ」
「本当に西へと向かうのか?」
「おうよ」
イズモの国には、十五歳になると国を出て旅に出るという風習がある。一人で、もしくは数人で旅をして、世界を見ることで見分を広め実力を磨き、一回り大きくなってイズモへと帰ってくるのだ。
旅に出た子供たちの多くは一、二年で戻ってくるのだが、長いと十年以上も帰ってこないこともある。当然、旅の途中に死亡し一生帰って来られない場合もある。
それでも若者たちが旅をするのは、そういう風習ということもあるがそれ以上にイズモの閉ざされた国という特性がそうさせるのだろう。
四方を海に囲まれており、海には凶悪な魔物が潜んでいる。そのせいで他国との交流も、比較的安全な東の海を渡った先にある国と細々と行うぐらいだ。
閉ざされた島は、若者にはつまらな過ぎるのだ。
「なぜわざわざ危険な道を進もうとする。東の道は先人たちによってある程度は整備されている。海を渡ることもそれほど難しくはないのだぞ。大陸に行くならば、東へ行くべきじゃろう」
普通に旅をしたいのならば、当然その選択になるだろう。
ここはイズモの西海岸に位置する崖。ここから東海岸までの旅は先人によりしっかりと整備され、道中の住民も風習のことを理解している。そのため色々とサポートしてくれる分も含めて、初めての一人旅に慣れるための期間だと考えられている。海も比較的穏やかであり、海難事故の心配も少ない。
だが西の海は別物だ。西の海には大陸との間に深い海溝が存在し、そこには千年以上を生きる凶悪な魔物たちがひしめいている。その危険度は、西の大陸との国交が断絶してしまうほどであった。
西からいきなり凶悪な魔物の跋扈する海に飛び出し、大陸に付いても何もかもが初めて。当然通用する通貨など持っていない。そんな不安の詰まった旅を選びたいなどと言う奴はよっぽどのバカである。
だがタケルはそんなバカな奴であった。
「同じ道なんて詰まんねぇだろ。踏み慣らされた街道を歩くより、俺は山を歩く方が好きなんだ」
シゲトが再びため息を吐く。
「タケルが言い出したことを変えないのは嫌というほど知っておる。それでも育ててきた者としては心配なんじゃがのう」
「んな心配必要ねぇって。俺の神威は同期の中でも飛び抜けてんだぜ?」
「じゃが神威は同時に試練を与える。タケルの受ける試練もまた厳しいものになろう」
「けど爺さんが教え子によく言ってるじゃねぇか。超えられない試練は無いってよ。俺も同じ考えだ。死力を尽くしゃ、どんな試練だって必ず超えられる」
「全く。少しは老人の心臓をいたわらんかい。ほれ」
シゲトは袖口から包を取り出すと、タケルに投げてよこした。
それを受け止めたタケルは不思議そうに包を見る
「これは?」
「握り飯じゃ。どうせ碌な飯も用意しておらんのじゃろ」
「お、助かるわ」
それを用意していたということは、初めからタケルが説得に応じないものと分かっていたということである。それでもと思ってしまうのが親心というものだろう。
「んじゃ俺もそろそろ行くわ。いつまでもここにいても意味ねぇからな」
「うむ。気を付けるんじゃぞ」
「おうよ」
祖父からもらった握り飯を肩から下げている袋へとしまい、おもむろに崖から一歩を踏み出す。当然その先に地面はなく、体は崖下へと落ちていく。
しかしタケルの表情に焦りはない。神威の力を全身にみなぎらせ、空中でクルリと回って体勢を整える。
そして波紋すらつけることなく、海面へと着地した。
「体調はばっちり。神威も馴染んでる。空は快晴、海やや荒れ模様。絶好の旅立ち日和だな!」
着地で少しだけズレたカバンを肩へ掛けなおし、タケルは一歩目を踏み出した。
◇
大海原を歩くことしばし。
適当に腹が減ってきたところで、祖父からもらった握り飯を頬張りつつ、まだ見ぬ大陸へと思いをはせる。
イズモから東へ向かった先にある大陸の話はよく耳にするが、逆に西の大陸に関してはほとんど話を聞くことがない。
危険すぎる海は、隣国の情報すら遮断してしまっている。
だが極まれに東から旅立った者が西の国の情報を持ってくることがあった。
彼らによれば、文化や服装もかなり違っており、髪や瞳の色も鮮やかな者が多いといわれている。
イズモに暮らす民の大半は黒髪だ。その黒髪は大陸ではかなり目立つと言われた。
目立つのが苦手な者たちには辛いかもしれないが、タケルからすれば待ち合わせに便利そう程度の考えでしかなかったが。
「お、今度は昆布か」
佃煮にされた昆布が程よくご飯に染みている。昆布本体よりも、そんな少し甘いごはんが好きなタケルが握り飯に舌鼓を打っていると、不意に足元に違和感が走った。
直後、海面が激しく揺れクジラのような巨大な黒い影が通り過ぎる。
「おっと」
肩から掛けていた羽織りがスルリと落ちそうになり、慌てて押さえる。
影を追って振り返るが、すでに消えてしまっていた。海中へと深く潜ったようだ。
「なるほど、来るな」
食べかけの握り飯を口の中へと放り込み、腰に差した刀に手を掛ける。
想定していたことだ。海溝の上をのんびりと歩いていれば、そこを縄張りにしている魔物が襲い掛かってくる。それは当然陸にいるような雑魚とは違う。一匹倒せれば英雄となれるような大物だろう。
タケルは小さく唇を舐め、笑みを浮かべる。
手土産にするには少し大きいが、魔石を回収するだけでも当面の資金にはなるだろうと。
僅かな変化すら見逃さないよう、意識を足元へと集中させる。
深く潜ったということは、そこから突き上げるように来るはずである。であるならば最初に来る反応は――
「来た!」
波とは違う、下から盛り上がる様な変化。初動のわずかな変化を感じ取り、海面を蹴って飛び退る。
直後、真下から激しい水しぶきを上げつつ、五、六人なら一息に飲み込めそうな巨大な口が現れた。その後ろには長い首と巨大な胴体。足はヒレのようになっている。
「海竜か。相手にとって不足はねぇな」
口内には大量の牙がびっしりと敷き詰められていた。これに食われれば人なんて一瞬でひき肉だろう。
飛び上がった海竜が落下し、激しく水しぶきを上げる。
タケルはさらに数歩下がって体勢を整え、今度は見失わないように潜った海竜の場所を確かめた。
海竜は海面近くを移動しながら、再びタケルを襲うタイミングを計っているようだ。随分と悠々と泳いでいるように見えるのは、海中なら人は手を出せないと思っているからだろうか。
まずはその余裕から剥ぎ取ることにする。
「フッ」
小さく息を吐きながら、海竜に向けて居合いを放つ。
ドパンッ!!!!
海面が割れ、その裂け目は海竜の体表まで到達した。
海竜の肉が裂け、血が噴き出す。先ほどまで青一色だった海の色にどす黒い赤が混じる。
「そこは射程範囲だ」
実利流居合い術・遠切り。本来刀が切断するはずだった場所への力を、その直線状へと移す技である。
痛みを感じた海竜は慌てて深くへと潜っていった。逃げた――わけではないようだ。驚いて思わず潜ったと言ったほうがいいかもしれない。
そして勢いよく上昇してきた海竜が、再びタケルの足元から飛び出してくる。
だが、相手が分かった以上タケルの対処にも迷いはない。
「そっちは俺のことを餌かと思ったかもしれねぇが、残念だったな。獲物はあんただよ!」
海面が割れんばかりの力で勢いよく空へと飛びあがる。そして体を数度横回転させ、その力を乗せて刀を振りぬく。
「実利流一刀術・大刃!!」
最初に海が縦に割れた。次にタケル目掛けて飛び出してきた海竜が縦に裂ける。
二つに裂かれた海竜の体が海へと落下し青と赤の混じっていた海の色が、今度こそ真っ赤に染められた。
海竜の巨体が沈みゆく中で、渦のできた海面へと少し遅れて着地したタケルは、沈みゆく海竜の断面へと目を凝らして目当てのものを探す。
「あったあった。なかなかの上物じゃねぇか」
目当てのものを見つけ、それを素早く断面から抜き取り渦から逃れるように跳躍でその場を離れる。
タケルの手の中には、回収したこぶし大の魔石が怪しげな色を放っていた。
このサイズなら十分すぎるほどの資金になるだろう。
血に汚れた魔石を海水で簡単に洗い、布で包んで袋へとしまう。ちょうど握り飯の部分が埋まった。
「資金ゲット。腹ごなしも済んだし、もうひと頑張りかね」
海竜が出てきた以上、ここはまだ海溝の上だ。大陸の姿は薄っすらと遥か先に見えているが、距離はまだまだあるのだろう。
到着は明日になるかもしれない。そんなことを思いながら、タケルは再び歩みを進めるのだった。