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朝焼色の悪魔-第3部-  作者: 黒木 燐
第4章 乱麻
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5.サヴァイヴァーズ

 もう一つのプログラムと聞いて、涼子は少し表情を曇らせながら言った。

「『2nd(セカンド)』のほうも順調です」

「順風満帆ですね。これからも完成に向けて励んでください」

 教主は満足そうに言った。涼子はその様子を見ながら、思い切ったように訊いた。

「長兄さま、アレが完成したら本当に使われるおつもりですか?」

「使わないものをあなたにお願いすることはありませんよ」

「あんなものを使ったら、人類の医学は中世に戻ってしまいかねません」

「中世の黒死病も、実はペストではなくて出血熱ではなかったかという説があるようですね。実際、ペスト等の古くから知られた感染症と、近年発見されたエボラなどのいわゆる新興(エマージング)ウイルス、どちらも人類に対して脅威です。今彼らを制圧した、あるいは制御しようとしている人類は、いつか、彼らの反逆に遭いましょう。私はその時を少しだけ早めてあげるだけですよ」

 と言うと、教主はさも楽しそうに笑った。涼子は自分が加担している計画の恐ろしさと、自分が仕える男の狂気を改めて実感し、体が小刻みに震えるのを抑えることが出来なかった。

「おや、怖いのですか、遥音先生?」

「もちろん、怖いです。しかし、私は長兄さまに永遠にお仕えすることを誓いました。最後まであなたに従います」

 涼子はかすかに震えながら答えたが、彼女の眼は教主をまともに見ることが出来なかった。教主は涼子を一瞥すると、クスリと笑って言った。

「あなたの忠誠心を信じましょう。2ndの開発を急いでください。念を押しますが、それにはワクチンや治療薬等は必要ありません。これを使う時は、我らも衆生(しゅじょう)と同等でなければなりません。いいですね」

「はい。承知しております」

「では、ラボにお戻りください」

 教主に言われて、涼子は恭しく一礼すると、その場を去って行った。残った教主は笑みを湛えたままつぶやいた。

「涼子、遺伝子操作の天才にして、僕の愛する傀儡。僕と共に、世界中の人々に、僕やチサ村の人々が味わった恐怖や苦しみを味あわせてあげようね」

 その後教主はくっくっと喉を鳴らして笑ったが、それは次第に哄笑へと変わった。だが、いつしか彼は椅子にうずくまるようにして座り、涙声でブツブツとつぶやいていた。

「お父様、僕は教主になんかなりたくなかったんだ。僕は兄さんと兄さんのお母さんと、普通に暮らしたかったんだ。どうして僕をあんなところへ連れて行ったの? そして、どうして僕を置いて逝ってしまったの? 僕は未だに夢を見るんだ。あの時死んだ人たちの苦しそうに歪んだ血まみれの顔、顔、顔……。そして、死にかけた僕の顔とそれに重なるもう一人の僕と言うべき"彼"の顔。みんなが僕に言うんだ。人々にこの苦しみを分け与えろって。疫病をばら撒けって……。だって、僕は生き残ってしまったから……。生き残って……」

 と、教主の声がふいに自信に満ちたものに変わった。

「そう、僕は生き残った。僕は、いや、僕らは選ばれて生き残った。そして、それぞれに陰と陽の役目が与えられた。疫病をばら撒く疫神とそれを払う防疫神だ。僕らはそういう運命なんだよね」

 教主の顔は再び輝きを取り戻した。彼はすっくと立ち上がり部屋を出た。ドアの外で待機していた御付の女性たちと『衛兵』が、恭しく頭を下げた。教主は女性たちに向かって言った。

「今からニュクスの間に参ります」

 颯爽と歩く教主の後を二人の女性が、静かに続いた。 


 話は少し前に戻る。

 河部千夏の母親、山崎八重子は、娘の掛かり付けの産院で戸惑っていた。

 娘が体の異常を訴える電話をかけてきたので、急いで産院に行けと指示したあとすぐに、自分もタクシーを呼んで件の産院に向かった。タクシーを使うには若干距離があったが、公共交通機関を使うよりその方が早いと判断したからだった。

 しかし院内に入ると、どうもいつもとは様子が違い、なにやら周囲がざわついている。しかも、どこにも娘の姿はない。これは、大事が起こったのかもしれないと恐れながら受付で訊ねると、娘は来ていないと言う。しかも、今まで過剰なまでに愛想の良かった医者も看護師も、八重子に対してけんもほろろな態度で接した。何が起こったかわからず、おろおろしていたが、仕方がないので待合室で椅子に座って少し自分を落ち着かせようとした。

 八重子は、まず周囲の様子を見ようと院内を見回した。壁にはいろいろなポスターや注意書きが貼ってあった。その中でひときわ目立つポスターがあった。サイキウイルスに対して注意を喚起するもので、赤の目立つセンセーショナルなポスターだった。八重子は、こんな病院には似合わない内容だなと思ったが、その前を院長が通りかかり、そのポスターの前で足を止めた。彼はそれに手をかけ剥がすようなしぐさをしたが、思いとどまったように手をおろし、歩き出した。八重子はここぞと声をかけたが、相手はまるで無視するように行こうとした。八重子は、何とか話を聞かないと娘の所在が判らないと、必死で呼び止めた。主治医は不機嫌に振り返ると語気荒く言った。

「あのね、あんたのお嬢さんのおかげで、ウチはとんだ迷惑をこうむってんの!」

 彼はそう言いながらチラリとあのポスターを見た。しかし、八重子には何が何だかわからずに戸惑って言った。

「え? どうして……? 娘は何処にいるのですか?」

「少なくともここには来ていないよ。しかるべき病院にぶち込まれたんじゃないの? おかげでこっちは沈静に大わらわだ。とにかくここにはお嬢さんはいないんだから、あんたも早く帰ってくれ。じゃあ、忙しいので失礼するよ」

「あの、せめて、何が起こったか教えてください! お願いし……」

 八重子の懇願も虚しく院長は逃げるように去って行った。八重子には、娘の身になにか尋常でないことが起きたのは判ったが、いったい何がどうなったのか依然見当がつかず、混乱して立ち尽くした。そんな八重子を指さし、あるいはちらちらと見ながら、皆がこそこそと話していた。いたたまれなくなって、病院の外に出た八重子を、玄関の陰で呼ぶ者がいた。それは、いつもよくしてくれている若い看護師だった。八重子は小走りで彼女のもとに行った。

「門田さん、いったい何が起こったと? 娘に何があったとですか?」

「しぃっ、静かに。落ち着いて聞いてくださいね。河部さんはサイキウイルスに感染されたそうなんです。そのせいで、保健所の方が来られて、今、院内がちょっとしたパニックになってしまっているんです」

「パニック? サイキウイルス?」

 八重子は一瞬混乱したが、すぐに事態を理解した。

「千夏があの殺人ウイルスとかいうのに感染したっていうとですか? それで……」

「はい。それで、ここには来られずそのまま救急車で感染症対策センターへ運ばれたそうです」

「それは何処に……」

「XX区の郊外に……あの、電話番号メモってますので、詳しいことはお電話されてお聞きください」

 門田看護師は、そういうとポケットからメモを出して八重子に差し出した。八重子は震える手でメモを受け取り言った。

「怖い話とは思ったけど、関係ないと思ってあまりあの放送を本気で聞いとらんかった……。まさか、自分の娘が感染するなんて……」

「あの、私もう行かないと……。悪いけどあなたと話したことが知れたら、叱られてしまいます。悪く思わないでください。サイキ病患者が出たって院内感染したみたいな風評被害が出たら、こんな病院なんてひとたまりもありません。……とにかく、急いでお嬢さんのところに行ってあげてください。じゃっ」

 門田看護師は、そう言うとそそくさと逃げるように裏口の方に走って行った。その後ろ姿を見ながら、八重子は不安と悲しさと悔しさがじわじわと湧いてくるのを感じていた。

(何で? 娘が恐ろしい病気にかかってしまったというのに、どうしてこんな思いまでせんといかんの?)

 メモの文字が涙でじわっとぼやけていく。しかし、八重子は落ち込んでいるわけにはいかなかった。娘は今頃さぞや不安な気持ちでいることだろう。一刻も早く行ってやらなくては。気力を奮い起こすと、八重子はハンカチを出して涙をぬぐい、産院を後にした。


 米軍機で輸送中の河部(たつみ)は妙なことに気が付いた。日本に向かっているならそろそろ夜が明けてもいい頃なのに、未だ窓の外は暗いままなのだ。巽は不安になって横に座っている兵士に訊いた。

”この飛行機は日本に向かってないように思います。どこへ行くのですか?”

”いったんメリーランド州に向かいます.そこであなたはウイルスの検査をした受けてもらいます.その後送還いたします”

”未知のウイルスなのに、調べることが出来るのですか?”

”ウイルスに感染しているかどうかなら、ある程度調べることが出来ます”

”それなら、日本に帰ってからでもいいと思います”

”検査の結果によって、これからの私たちの作戦が決まるのです.ご協力ください”

”私は妻が心配です.強制送還と言うのなら,早く私を日本に帰してください.お願いです”

 巽は懇願したが、彼の英語が未熟だったせいか、その兵士の気に障ったらしい。彼は声を荒げて言った。

”勝手なことを言うんじゃないッ! 貴様は殺人ウイルスを我が国に持ち込んだという自覚がないのか?”

”何を騒いでいる!”

 件の女性隊長がそれを聞きつけて駆けつけてきた。

”申し訳ありません。この日本人が非協力的な態度をとったものですから”

”この方は大事なお客人だ.敬意を以て接しろ.威嚇は許さん”

 隊長は兵士に厳しく言うと、今度は河部に向かって癖のある日本語で言った。

「それから河部サン、アナタはご自分の立場を理解してクダサイ。ココにいる間はワレワレの指示に従ってもらいます。サカラえば、アナタの身の安全は保障シマセン。事態はソレだけ深刻なのです」

 隊長は口調こそ穏やかだが、明らかに態度を威圧的に変えていた。巽は自分がかなり拙い立場にあるということに愕然として、あきらめたようにシートに身を沈めた。


 隔離病室内に、悲鳴に近い女性の泣き声が響いた。その横で、春野看護師が彼女を慰めている。山口医師は春野に後を任せて病室を後にした。しかし、その表情は怒りと悲しみに満ちていた。

 シャワーを浴びて隔離病棟から一時解放された山口は、これから病棟に向かう甲斐看護師と出入り口で出会った。甲斐がぎょっとした表情で言った。

「や、山口先生、何かあったのですか? すごく怖い顔をされてますよ」

「え? あ、ああ、ごめんなさい。怖がらせちゃったかしら?」

「いえ、とんでもない。……新しく入られた患者さん、どうですか?」

 甲斐の質問に、山口は表情を曇らせて言った。

「あまり、良くないわ。……妊娠していたけど、彼女の子供も紅美さんの時と同じでもう死んでたの。でも、紅美さんの時と違って22週過ぎてたから……」

「出産……」

「そうよ。でね、見ない方がいいって言ったんだけど、河部さん、どうしても抱いてあげたいって言うから……。でも、やっぱりショックよね。赤ちゃん抱きしめて……」

 山口はそれ以上説明することが出来なかった。

「先生……」

「あ、ごめんなさい。冷静をモットーにしていたのに、情けないよね……」

「いえ、そんなことありません!」

「赤ちゃん、ほんとにひどい状態だったの。あんなに小さいのに……」

 山口は、再び怒りがこみ上げるのを感じた。

「もし、目の前にこのウイルスを撒いた奴がいたら、八つ裂きにしてやるんだから!」

「先生……?」

 いつもの山口からは想像もつかない言葉を聞いて、甲斐は怯えたような表情で言った。山口は我に返って言った。

「ごめんなさい。またやっちゃった」

「いいんです。気になさらないで。それに、そういう気持ちは貯めこまないで表に出された方がいいと思いますよ。それに私だって同じ気持ちになるかも……」

「ありがとう」

「私、春野さんと一緒に河部さんを看るように言われてるのですが、何か注意することは……?」

「そうね。とにかく、病気のこと以上に赤ちゃんのことの方がショックだったみたいなの。気を付けてあげて。特にこの病気は、患者を自傷行為に走らせる傾向があるわ。紅美さんの時みたいに」

「はい。わかりました」

「今は、女性の看護だけがいいと思うけど、何かあったらすぐに男性看護師も駆けつけるようにしておくから、手におえない時はすぐにスクランブルかけてちょうだい」

「はい! では、行ってまいります」

 甲斐は一礼するとドアの向こうに消えた。

 山口が、スタッフステーションに戻ると、河部千夏の病室の窓の前を、中年女性がおろおろとした様子で立ち、その傍でスタッフの一人が慰めるように接していた。山口は一瞬躊躇したが、すぐに彼女たちの方に向かった。

「谷口さん、私が代わるわ。あなたは持ち場に戻って」

 山口はスタッフを解放すると八重子の方を向いて言った。

「河部さんのお母様……ですね?」

 山口が訊ねると、母親は彼女の方を向いて戸惑いながら言った。

「はい、そうですけど、……あの?」

「私、担当医の山口と申します」

「あっ、お世話になります。私、千夏の母で山崎八重子と申します……。先に行きつけの産院の方に行ったのですが、そこがなんか混乱していて、ここにいることが判るまでずいぶんと時間が掛かりまして、たった今、ようやくここにたどり着いたのですが……」

「そうなんですか。うちのほうの不備もあったかもしれません。さぞかしご心配だったでしょうに、申し訳ありませんでした」

「いえ、それより、何がどうなっているのでしょう? 流産したことは電話で聞いていましたが、娘は半狂乱で泣くばかりで、看護師さんたちも娘の相手に手いっぱいで、何があったのかさっぱり……」

「お母様、気をしっかりお持ちになってお聞きください。今から説明いたしますので」

 山口はそう前置きして、千夏に起こった事を説明した。母親は、両手で顔を覆って声もなくよろめいた。山口は急いで手近にある椅子を持って来て母親を座らせた。

「先生、それでは千夏の夫は……、夫の(たつみ)は……?」

「今のところ、まったく情報がありません。出張先のアメリカの方にはすでに連絡しているのですが……」

「ああ、本当にこんな時に限って巽さんは……。私、どうしたら……?」

「お母様、しっかりなさってください。千夏さんのご主人の安否がわからない今、お母様だけが千夏さんの支えなんですから」

「はい。そうですよね。私がしっかりしないと……」

 八重子の気持ちが落ち着いたのを見届けて、山口はマイクに向かって病室に呼びかけた。

「河部さん、お母様がいらっしゃいましたよ」

 千夏は窓の方を見て、ようやく母親の存在に気が付いた。

「お母さん……。お母さん、ごめんなさい。私、私……、」

「いいと、いいとよ、あんたンせいやなかっちゃけん……」

「赤ちゃん、すごく苦しかったやろうに、あたし、気付いてあげれなかった……。死んじゃってたのにそれも気付いてあげれなかった。苦しかったねえ。寂しかったねえ。ごめんねえ。ママを赦してねえ……」

 千夏はまた絶えれずに泣き伏した。八重子はまたおろおろしながら山口に訊いた。

「あの、中に入って慰めてやることは……」

「だめです。それだけは出来ません」

「そんな……。あんなに取り乱しているあの子を抱きしめてやることすら出来ないなんて……」

「あなたを危険に曝すわけにはいかないのです。残念ですが、ここから励ましてあげてください」

 山口にはそう言うしかなかった。そしてさらに無情に告げるしかなかった。

「お嬢さんが落ち着かれたら、お母様に大事なお話がありますので……」

「はい」

 八重子は答えると、また病室の方に向き泣き続ける娘に言った。

「千夏、千夏。しっかりして。お母さん、千夏が生きているだけでもうれしいよ。もうすぐお父さんも来るからね」

「お父さん? いやよ。お父さんだって孫を楽しみにしてたんじゃない。合わせる顔がないよ」

「そりゃあ、お父さんもがっかりしとったよ。でもね、千夏だけでも生きとって良かったって……。だから、頑張ってちょうだい。その子の分も生きて……。お母さんたちを置いて行かんどって……」

 八重子はそこまでいうと、耐え切れずに号泣した。

「お母さん……」

 千夏は声を上げて泣く母の方に向かって手を伸ばしながら、春野たちに言った。

「看護師さん、ベッドを窓の近くにまで動かせますか?」

「出来るだけ近づけてみましょうね」

 春野と甲斐はベッドを押して窓の方に寄せた。なんとか千夏の手が窓に届くくらいに近づけることが出来た。千夏は母を呼んだ。

「お母さん……」

「千夏」

 八重子は窓に寄りガラス越しの娘の手に自分の手を合わせた。

「お母さん、ごめんね。ありがとう……」

「千夏……。辛かったね。かわいそうに……」

「私、頑張るね。お母さんにまでこんな思いさせたくないもんね」

 千夏は、泣き続けたせいで腫れた顔に力ない笑顔を浮かべて言った。その時、スタッフステーション内が急にざわめいた。八重子のそばに立っている山口に、先ほど八重子の相手をしていたスタッフが耳打ちした。

「え?」

 山口は少し表情を曇らせると、八重子に言った。

「すみません。ちょっと失礼しますね」

 山口は八重子には笑顔で言ったが、すぐに厳しい表情をして駈け出した。八重子と千夏は不安な表情でお互いを見た。


「カワサキ・イスズさんが亡くなられたそうです」

 ギルフォードが電話を切ると言った。

「川崎さんが?」

 由利子が驚いて聞き返した。

「はい。残念ですが……」

「そりゃあ、容態が良くないってのは聞いてたけど……」

 と言うと、由利子は「はぁ……」とため息をついた。紗弥がカップを片づける手を止めて言った。

「川崎さんって、教授と由利子さんが保護しに行かれた犬の飼い主さんですわね」

「そうです」

「初音ちゃん、どうなるんだろ……。旦那さんも先に亡くなられてたよね」

「そうなんですが、カワサキさんのお子さんや身内の方も、引き取るつもりはないようなので、新たな飼い主サンを見つけないといけないでしょう。だけど、成犬となると、なかなか飼い主が見つからないようなので……」

 ギルフォードが説明すると、紗弥が珍しく非難するような口調で言った。

「ご両親が可愛がっておられたのに、子供さんたちはひきとりをされなかったんですの?」

「はい。マンションじゃ飼えないとか、庭が狭いとか動物は苦手だとかいろいろ言い訳してたようですが」

「ひっどい話よね、まったく」

「保護した手前、僕も何とかしたいとは思いますが、ミツキで手いっぱいなので……。とにかく、里親さんをがんばって探すしかないですね」

「それしかないよね……。川崎さん、きっと心残りだっただろうねえ。私は川崎さんご夫妻にはお会いしたことはないけど、初音ちゃんをすごくかわいがっておられたことはわかるよ」

「旦那さんは少しせっかちで奥さんはおっとりとした感じでした。お似合いのご夫婦でしたよ。こんなことがなければ、今も初音ちゃんといっしょに穏やかな暮らしをされていたはずです」

「他の人たちだってそうだよ。平和に暮らしていたのに。みんな死ぬ理由なんかないのに……」

 由利子は、心の底からじわじわと怒りがわき起こるのを抑えきれないでいた。

「くっそぉ! いったい何人殺したら気が済むんだ……」

 その怒りが、由利子から一切の迷いを振り払った。彼女は、ギルフォードが言った命を背負うと言うことがどういうことかわかったような気がした。 


初出:2011年7月。


2020年に、まさかこのような事態になろうとは!

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