2.告白の波紋
「美月、おまえが昼間お世話になるところがここだよ」
由利子がギルフォード研究室に美月を連れて入ると説明した。
と、いきなり「きゃあ~」という歓声とともに研究生たちが集まってきた。由利子は、軽く会釈しながら言った。
「教授から聞いてると思いますが、訳あってお昼間ここでお世話になる子です。美月といいます。よろしくお願いします」
「は~い」
と研究生たちは美月を囲んで座り、かわるがわる頭をなでながら言った。
「こちらこそ、よろしくね」
「いやん、かわいい」
「子供のタテガミオオカミみたい~」
「おとなしいね、いいコだねえ」
「アタシ、颯希。名前似とおね。よろしくね」
「僕は如月言います。漢字は似とるけど、読みがちがいますねん」
「私は瑠梨よ。漢字も読みもまったく似てないけど、よろしく」
「おまえら何、変な自己紹介してんだよ」
最初、美月は少し戸惑っていたが、皆から頭や背中を撫でられて、安心したように床に座って尻尾を振っている。由利子と紗弥は、その様子を見ながら顔を見合わせにっこりと笑った。
「心配したけど大丈夫そうで良かった」
「そうですわね」
そんな二人を見て、如月が立ち上がって近づくと小声で尋ねた。
「僕は少しやけど事情を聴いてますが、この子、ひどい怪我やったんでしょ。もう大丈夫なんでっか?」
「ええ。もう、散歩もできるそうよ。それで2・3日様子見て、特に問題ないならフリスビーとかで遊んでも大丈夫だということだけど……」
「そうでっか」
如月はほっとした表情をすると、今度は普通の声で訊いた。
「ところでこの子、金魚襲ったりしませんよね?」
「猫じゃないから大丈夫よ。そういえば教授室に居たわね、でかいのが3匹」
「あんなでっかいもん、忘れんどってくださいよ。ここに来て1年半でもうあのサイズですワ。エサにハニーぜリオンでも混ざっとるんちゃいますか?」
「そりゃあ、近いうちにピラルクーさんサイズも夢じゃないねえ」
「それじゃあ、あの水槽には入りきりませんわね」
「って、紗弥さん、意外とノッてくれるんだ
よね」
由利子が感心して言ったので、紗弥が少し照れくさそうにして言った。
「そろそろアオコがついてきたので、教授に水槽のお掃除をお願いしないといけませんわね」
「え? 教授がお掃除するの?」
「あれ、けっこう重労働ですねん。ここでは教授が一番力持ちやから、力仕事は大抵教授がやってくれてはるんですわ」
「へえ。便利ねえ」
「そうですねん。あの人、教授辞めても便利屋で食っていけまっせ。そんでですね、この子の居る場所を教授室の隅に作っとります。教授や由利子さんがお忙しい時は、僕らの誰かがこの子の面倒を見ますんで、安心してください」
「ありがとう。これで、美葉が……この子の飼い主が見つかったら言うことないのだけれど……」
「大丈夫ですわ。美葉さんはきっと戻ってこられます」
不安で表情を曇らせる由利子に、紗弥が力強く言った。
園山は苦しい息の中、ゆっくり、そして淡々と語り始めた。
「秋山美千代がこの病院を脱走した時に手引きしていた鹿島看護師……、彼女にそれを指示したのは私です。美千代さんの脱走計画も、私が立てました」
「なんだと? 君が?」
高柳が驚愕を隠しきれずに言った。
「はい。私です。私がやったことです。鹿島看護師は……、何も知りません」
「どういうことですか?」
ギルフォードは嫌な予感がして言った。
「美千代さんがここに隔離された日、私はある方……から美千代さんを脱走させるよう、依頼、されました。それで、その翌々日退職予定だった……鹿島さんを……利用しようと思ったんです。夜勤明けで帰宅前の彼女に、秋山美千代を、転院させるからと……説明して、美千代さんを、外に待たせている車……に乗せるよう、指示したのです」
「では、彼女は無関係だったということですか?」
「はい……」
「道理で、彼女の背景から何も浮かばなかったはずです」
「鹿島君はあれから行方不明だ。彼女は一体どうなったんだ!!」
いつもなら沈着冷静な高柳が語気を荒げて言った。しかし、園山は淡々として続けた。
「わかりません。でも、ひょっとしたら………」
「ひょっとしたら、なんだ?」
「組織が連れ去った……の、かもしれません」
「かもって、鹿島君のことは心配じゃなかったのか? 同じ職場の仲間だろう?」
「彼女は、悪いようにはしないから、心配は……何も……いらない、と、言われてました……から」
「行方不明だぞ!! 心配ないはずはないだろう! 今、彼女の家族が、婚約者が、どういう思いでいるか、考えたことがあるのか!!」
「………」
滅多にない高柳の怒号を聞いて、園山は言葉に詰まった。それを見てギルフォードが静かに訊ねた。
「だけど、今あなたは自分のやったことに疑問を持っている。だから、懺悔を申し出たのでしょう?」
ギルフォードの穏やかな声に安心したのか、園山は再び語り始めた。
「鹿島さんのことは、大事の前の小事だと、自分に言い聞かせていました。あの方のおっしゃることは正しいと……。だけど、多美山さんを見て……。私の目の前で苦しむ多美山さんを見て……、これが自分がやったことの結果の一つだということを、徐々に実感してきて……、だんだん恐ろしくなってきたのです」
「その組織って、何ですか? それから、あの方って?」
ギルフォードの質問に高柳がはっとして言った。
「そういえば、秋山美千代も『あの方』と言っていたのだったな」
「感染死した、ひったくり犯たちもそのようなことを言っていたようです」
「あの方は……」
と言った後、園山は急にガタガタと震えだした。
「ダメです……。わ、私には答えられません。偉大な方です。同時に……恐ろしい方です」
「これは……」
ギルフォードが言った。
「何か強力な暗示がかけられているのかもしれません」
「これ以上、組織や『あの方』とやらについて聞くことは出来ないということだな」
「はい。無理に聞き出すと、彼の精神がもたないかもしれません。彼が話すに任せる以外なさそうです」
「そうか」
高柳は冷静さを取り戻して園山に言った。
「大声を出して悪かった。懺悔を続けてくれたまえ」
園山も落ち着きを取り戻し、再び淡々と話し始めた。
「私は……、この世界が今、究極に汚染されていることを……知りました。もう後がないくらいに。人間が大気中に、二酸化炭素や放射性物質や……様々な化学物質を、まき散らしたせいです。この四十年で、人口は二倍以上になりました。三十億から七十億です。特にこの十年では十
億人増加しました。地球が、汚染されない筈……は、ありません……。人は地球にとって害虫……いえ、ガン細胞です。肥大したガン細胞は、切除するしかありません。このままでは地球が……ガン細胞に覆われる……それを憂えたあの方……が考えられたのが、ヒトに強力な天敵を、作ることでした。それが……」
「それが、サイキウイルスだというのですか?」
「そう……です。天然痘のように、ヒトにしか病原性を持たず、しかもワクチンなどの治療法のない、ヒトだけを駆逐する……ウイルスです」
「人を駆逐するために撒いたのか?」
「そうです。計画では1950年の二十五億人以下に……」
「四十億近い人間をか……」
高柳が鼻白んで言った。ギルフォードも驚きを隠せずに訊いた。
「何故です? それにこの国は、これからどんどん人口が減っていくはずです。それなのに……」
「この国が……世界に災いを、もたらしているからです。現に数年前から、大地の女神の怒りが鎮まらずに……頻繁に地震が起こっている……」
「バカなことを言うんじゃない。それは、日本列島が地震の活動期に入ったからだ。自然現象であって神の怒りでもなんでもない」
「でも、あの方が……おっしゃった、のです。そして、災いをもたらしているこの国が、新たな災いの発生源と……なるにふさわしいと……」
「何という事だ!」
「そんな馬鹿な……」
と、高柳とギルフォードが驚きと呆れが混じった表情で言ったが、園山は構わずに話し続けた。
「豊か……で医療も発達し、大部分の住民が、健康なこの国で……防げなかった疫病……は……、簡単に、近隣諸国に、広がるだろう……と……。これから、多くの人が、犠牲になるだろう。しかし、これは地球のための大浄化であり、必要なことなのだと……。だけど……、だけど僕……私は……多美山さんや……他の患者さんの苦しみを、目の当たりにして……その確信が揺らぐのを感じました。私が感染して死ぬことは、天主様のお導きなので、恐ろしくありません。だけど、あの人たちを現世で苦しめてしまった……ことを思うと、心穏やかに行けません。だから、ウイルス性出血熱で苦しまれた、経験のある……ギルフォード先生に赦しを……請いたいと……」
「園山君! 君は……」
険しい顔で園山に詰め寄ろうとする高柳を制して、ギルフォードが言った。
「ソノヤマさん、あなたは何を言っているのです?」
「はい。私は……お導きで浄化されるので、彼らに会えません。だから、あなたに謝罪をして……」
「浄化って何です?」
「天界の上位に行くのです。そこは、大浄化の後の地上にシンクロするユートピアなんです」
「僕には何のことかさっぱりわかりませんが、あなたはそんなところへは行けません。あなたは直接あの世で多美山さんたちに謝ってください……と、言いたいところですが、残念ながら生物は死んだらそれで終わりです。死後の世界も天国も地獄も生まれ変わりもありません。終わりです。まったく何もありません。'Nothing'です」
ギルフォードは静かに言った。園山が混乱した表情で言った。
「何も……なくなる……? そんな……」
「ギルフォード君、そういう言い方は慎みたまえ」
瀕死の園山に冷酷に言い放ったギルフォードを高柳がたしなめた。しかし、ギルフォードは厳しく続けて言った。
「命は一度きりのものです。だからこそ、それは尊く輝いているのです。ですから僕は、命を大切にしない人を許せません。ましてや、君は人の命に関わるナースなんです。僕は君の行為を赦せるほど寛大ではありません」
ギルフォードは静かに言うと、そのまま園山に背を向け病室のドアに向かって歩き始めた。
「ギルフォード先生。後生ですから赦しを……。先生、先生……! 僕を赦し……」
園山はギルフォードを追って半身を起こそうとした。しかし、急に激しく動いたために、激しくせき込み喀血し、呼吸困難に陥った。
「いかん、、気道出血だ! ギルフォー……、くそっ! 田中君、石原君、来てくれッ!」
苦しさにのたうつ園山を抑えながら、高柳がスタッフに緊急招集をかけた。戸口に控えていた看護師二人がすぐに飛び込んできた。緊急事態を受けて病室に急ぐスタッフたちとすれ違いながら、ギルフォードは振り返ることなく足早に歩いた。ギルフォードは爆発しそうな感情を自制することが精一杯だった。
ギルフォードは、一人、自販機の横のソファに座っていた。手には、半分以上残った飲みかけのミルクティーのペットボトルを持っている。彼は園山の告白を聞いて、何に怒っていいのかわからなくなり、かなり混乱していた。それはむしろ思考停止に近い状態だった。ギルフォードは、かなり長い時間その状態で座っていた。そこに、園山から解放された高柳がやってきた。
「やはり、ここに居たか」
高柳の声を聞いて、ギルフォードはようやく我に返った。
「タカヤナギ先生……」
「驚いたよ。まさか身内にテロリストの眷属がいたとはね」
と言いながら、高柳は自販機にコインを入れるとボタンを押した。どさっという音がして、高柳は取り出し口から缶コーヒーを手に取り、「まいったよ」と言いながら、ギルフォードの横にこれまたどさっという音をさせて座った。かなり精神的にダメージを受けている様子だ。その高柳にギルフォードが憂鬱そうに訊いた。
「それで、彼は?」
「何とか持ち直して、今は眠っているよ。だが、次に発作が起きたらどうなるかわからん」
「そうですか。それで、彼はどうなるのでしょう?」
「警察の方には連絡したが、あれじゃあ取り調べのしようがないだろう。目を覚ますかどうかわからんし、目を覚ましても、もう会話が出来るかどうかもわからんよ」
「つまり、話を聞いた僕らが事情聴取されるということですか?」
「そうなるだろうね。悪いが君の午後の講義は休講だな」
「ひどい話です……」
ギルフォードはそう言うと、ため息をつきながら首を横に振った。その横で、高柳が同じくため息をつきながら言った。
「しかし、ウイルスを撒く理由が『人類が地球のガン細胞だから』だなんて、まるで二十世紀のSFじゃないか。しかも、日本謀殺とかまるでどこかのヒーロー物の悪の組織だ。よくそんな話を信用できるものだ」
「先生には古臭くても、それを新たに聞いた人にとっては新鮮な話と思えるんです。アポロ計画陰謀論なんかが何年かのサイクルで持ち上げられるのはその典型です。しかも、秘密結社や宗教団体のような特殊な雰囲気の中に居るならなおさらでしょう」
「結局、その組織とやらの名前は聞き出せないまま意識不明になってしまったのは残念だ」
「おそらく、あの調子では聞き出すことはムリだったでしょう」
「そういえば君は、彼が隔離初期にも何か言いかけて様子がおかしくなったとか言っていたな」
「そうです。今考えると、あの時ヘンだと思うべきでした」
「まあ、あの時点で不審に思うことはムリだろう。それで、ギルフォード君。可能性は少ないが、もし彼の意識が戻ったら、もう一度話を聞いてはくれまいか? 組織や首謀者についてわずかな手がかりでもいいから得られるかもしれない」
高柳はギルフォードに依頼したが、彼は不機嫌そうに言った。
「正直、もう彼の顔は見たくないのですが」
「よほど腹に据えかねたようだね」
「あれを聞いて冷静でいられるはずがないでしょう。献身的なナースと思って信頼していたのに……」
「だがね。考えてみると彼だって犠牲者だ」
「彼は自分からそういったものに飛び込んで行ったのです。そういう人は犠牲者ではありません。立派な加害者です」
「だが、強力に洗脳されているのに、あれだけの告白をしたんだ。洗脳も良心の呵責まではコントロールできなかったんだろう。彼の告白を聞いたときは、私も怒りを禁じえなかったが、今はむしろ同情している。心の深層で彼は本当に苦しんでいるんだと思う。ギルフォード君、君の心情は理解するが敢えて頼みたい。彼に一言赦すと言ってもらえないだろうか」
「いえ。僕には出来ません。一応話は聞いてみてもいいですが、僕は彼を赦せません。ゴメンナサイ」
と言うと、ギルフォードは立ち上がり、高柳の方を見向きもせずに立ち去った。残された高柳は一人、ソファに寄りかかり天井を見ながらつぶやいた。
「俺だって赦し難いよ。だが、怒りの矛先を間違っちゃいかん。憎むべきは、園山君に罪を犯させてあのようにしてしまった連中だ」
高柳は体を起こすと、コーヒーを一気飲みし、飲み終わった空き缶を右手で握りしめた。数秒後に缶の中央がぐしゃりと潰れた。高柳はそれを空き缶用のゴミ箱に投げ入れると立ち上がり、「おいら宇宙のパイロットォ♪」と歌いながらその場を後にした。
「あら、教授から電話ですわ」
資料作りにいそしんでいた紗弥が急いで自分の電話に出た。
「はい。……ええ、わかりました。そのように手配いたしますわ」
と、簡単に答え電話を切ると言った。
「午後の講義は休講ですって。でも変ですわ」
「どうしたの?」
と、由利子がワープロを打つ手を止めて訊いた。
「なんだか声が沈んでいましたの。オヤジギャグもありませんでしたし」
「って、普段は電話のたびにオヤジギャグを言うんかい。声が沈んでたって、園山さんの具合がやっぱりよくないのかな?」
「それが、なんだか語気に少し怒りを含んでいるような……」
「怒っている?」
それを聞いて、由利子はスパム事件の時を思い出した。
「なんだか、尋常じゃないことが起きているんだろうか……」
「いずれにしても、休講なら急いでこれを仕上げることもなさそうですわね。まったく予定が立たないったら」
紗弥は美しい眉を少し寄せながら言うと、立ち上がった。
「そろそろお昼ですわね。教授もしばらく帰ってこれないようですし、少し早いけど昼食にしましょうか。お茶淹れてきますから、応接セットの上を少し片づけてくださいます?」
「あ、わかった」
由利子は了解すると、データを保存してから立ち上がった。
高柳から連絡を受けて、葛西と九木、10分ほど遅れて長沼間が、園山の病室の前に集まった。しかし、当の園山は眠ったままいつ目を覚ますかわからないという。長沼間がイラついたように言った。
「こんな寝坊野郎、叩き起こしてしまえばいいだろうが」
その長沼間に向かって、葛西が言った。
「ただ寝ているんじゃなくて、昏睡しているんです。叩いたって起きませんよ」
「くそったれめ!」
と言うと、長沼間はガラスをドンと叩いた。
「乱暴はやめてください。今度やったら出ていってもらいますよ」
園山の診察をしていた高柳敏江医師が、長沼間の方を向いて釘を刺した。長沼間は渋面をして言った。
「くそっ、あの手の女は苦手だ……」
「あ、ちょっと待った。園山修二の様子が……。これは、目覚めるかもしれませんよ」
それまで黙って園山をじっと見ていた九木が言った。敏江もそれに気づき、すぐさま園山の肩を軽く叩きながら呼びかけた。
「園山さん、園山さん。起きられますか? 園山さん」
敏江に呼びかけられたためか、園山がうっすらと目を開けた。
「あ、起きた? 園山さん」
しかし、園山は目の焦点の定まらないままに、ぼうっとした表情をして反応がない。
「ああ、ダメだわ。目は開けたけど、意識が戻っていないみたい」
敏江が残念そうに言い、葛西たちはお互いに顔を見合わせた。長沼間が真っ先に怒鳴って言った。
「こら園山、さっさと意識を取り戻しやがれ! 貴様には冥土に行く前に話してもらわにゃあならんことがあるんだ!!」
「長沼間さんっ! やめてくださいよっ!」
葛西が急いで止めたが、病室から「お引き取りください」という、非情な声がして窓がさっと曇った。長沼間は窓にへばりつくようにして言った。
「やいこら、開けやがれ! 園山、首謀者の名前を言えッ、このくそったれ!!」
「なっ、ながぬまさんっ、だめですったら。もう、これ以上敏江先生を怒らせないでくださいよ」
葛西が止めるのも空しく、病室から再び声がした。
「お引き取りください。もし、お話しできる状態になりましたら連絡します」
そして病室からの音声が途切れた。
「くそ、音声を切りやがった。畜生、非常時なんだぞ!!」
と言いながら、もう一度窓を殴ろうとする長沼間を九木が止めた。
「お止めなさい。壊す気ですか?」
「こんなことくらいで壊れるわけねぇだろうが」
「あなたなら壊しかねませんから」
「あのな」
「焦る気持ちはわかりますが、とりあえず撤収しましょう。あの様子じゃあ、今、園山に何を聞いても無駄ですよ」
「くっそお~ッ!」
長沼間は悔しそうに言うと、くるりと踵を返して戸口に向かった。葛西たちがその後を追うようにして出て行った。
葛西たちが出直すためにステーションを去ってから数分後、今度はギルフォードが入ってきた。急いで来たのか少し息が荒い。ギルフォードはつかつかと園山の病室の窓に向かい、マイクを手に取ると言った。
「ギルフォードです。開けてください。ソノヤマさんとお話ししたいです」
しかし、中からは敏江のつれない声が戻ってきた。
「残念ですが、まだ意識が戻っていません。お引き取りください」
「意識がなくてもいいです。彼には言っておきたいことがあります。開かなかったら開くまでここで待ちます」
ギルフォードは窓に向かって立ったまま、先ほどのことを思い出していた。
それは、怒りの持って行き場がないギルフォードが、気を静めようと外に出た時だった。後ろから「アレクせんせ~~~い」と呼ぶ声がした。ギルフォードが振り返ると、山口が走ってきた。
「トモさん?」
ギルフォードは少し驚いて言った。山口が全力で走る姿を初めて見たからだ。彼女は息急き切ってギルフォードの前に来ると、はあはあ喘ぎながら言った。
「か、帰っちゃうのかと思って……」
「帰りませんよ。これから僕はジュンたちから根掘り葉掘りほっくりほっくりと、色々聞かれなきゃいけないですから」
「そ…そう……。ほっくり……?」
「どうしたんですか? 亡くなった中学生は?」
「あの件は、改めて調べたらインフルエンザの反応が出てきたわ。たぶんシロね。彼氏の方も病院に連絡して診断を聞いたら、新型インフルだということだったから……」
「じゃあ何故、彼女はサイキウイルスだなんて思って自殺なんかしたのでしょう」
「それはわからないけど……。念のため、彼女の遺体はココに保管することにしたけど、ご両親にはご帰宅いただいたわ」
「そうですか。で、それを言うために僕を呼んだのですか?」
「いいえ……、いえ、それもあるけど……。高柳先生にそれを報告に行ったら園山さんのことを教えてくれたので、この前の夜、彼と話したことを言ったの。そしたら先生が急いであなたにその話をしろって……」
「ソノヤマさんと話しを? そういえば、ソノヤマさんはあなたにも話を聞いてもらいたそうでしたが……」
「そうだったの。残念だったわ……」
「で、そのお話って何ですか?」
「ええ、あれは木曜日……園山さんが発症して隔離された日の夜だったかな……」
山口は、夜中に園山と話した時のことをギルフォードに告げた。
「じゃあ、もともとソノヤマさんはクリスチャンだったということですね」
「ええ」
「それが、キリスト教に疑問を持ち、それに明快な答えを与えた宗教に傾倒して行ったと?」
「ええ、そうよ。何か役に立ったかしら?」
「はい。ソノヤマさんの言う組織が、宗教団体の可能性があるということが判っただけでも、すごい収穫です」
「そう、よかったわ」
「それで、僕は今からソノヤマさんに伝えなければならないことが出来ました。今から行ってきます。ありがとう、トモさん」
と、言うと、ギルフォードは足早に戻って行った。
10分ほど経っただろうか。ふっと目の前が開け、ギルフォードははっと我に返った。
「さっき刑事さんたちが来られた時に目を開けたのですが、意識は戻りませんでした。それ以来こういう状態なのです」
と、高柳敏江医師が説明した。
「それで良いなら、少しだけ話しかけることを許可しましょう。それによって園山さんの意識が、呼び戻されるかもしれませんから」
「ありがとうございます」
ギルフォードは敏江に感謝の意を伝えると、園山を見た。彼は少し目を開けてこちらを見ているように見えるが、その眼に生気は感じられなかった。やはり見えていないのか、とギルフォードは思った。
(”あるいは,本人が外界と反応することを拒んでいるか,だな”)
ギルフォードはそれに賭けて、とりあえず話しかけてみることにした。
「ソノヤマさん。トモさん……、いえ、ヤマグチ先生から聞きました。あなたはクリスチャンの家に生まれ、信仰してきたキリスト教に疑問を持って、それに答えを与えてくれた別の宗教に心酔していた……。あなたに罪を犯させた組織とは、その宗教の関係ですか?」
ギルフォードの直球な質問に、園山についていた春野看護師が驚いて言った。
「あの、罪とか、園山さんを追い込むようなことを言うのはやめてください」
「いいえ。彼は今自分を欺いています。彼が自分のやったことに素直に向き合わない限り、彼の心は救われません」
「でも……」
春野が言いかけるそばで、敏江が言った。
「春野さん、いいからギルフォード先生に任せてみましょう」
「先生、ありがとうございます。
ソノヤマさん。まず、僕には、やはりあなたを赦すことはできません。何故なら、あなたたちが撒いたウイルスのせいで僕が死にかけたのはないからです。赦しを請いたいなら、タミヤマさんたちに詫びてください。
そして……、ソノヤマさん。僕からお聞きします。人に罪を犯させるようなモノが本当に信じられるのでしょうか? 事実、あなたは心の奥で苦しんでいます。僕も洗礼は受けましたが、基本的には宗教は信じてません。しかし、それでも時に神様にすがってしまうこともありました。僕の科学者の部分は、人は死んだらそれで終わりと思っています。でも、一人の人間としては、死後の世界があって、死んだ親しい人たちがそこで幸せに暮らしていたらいいなと思っています。そして僕も死後そこに行けたらいいなと思います。地球を救うとか壮大なレベルじゃなくて、そういうササヤカなことじゃだめですか?」
ギルフォードはそこで一旦区切りをつけて園山の反応を見た。気のせいか、少し表情に変化が現れたような気がした。
「僕は思ったんです。ひょっとしてあなたが疑問に思ったのは、キリスト教のあり方であってJesus……イエス自身にではなかったのではないかって。 もう一度お聞きします。地球のためと言いながらウイルスで大勢の人を無差別に殺そうともくろむ人と、堕落したという理由で大雨を降らせ大洪水で無差別に人々を滅ぼした神と、どれだけ違いますか? 宗教の名のもとに人殺しをする人々とどう違いますか? あなた、心の底ではイエスにすがっているのではないですか? 何故なら、あなたは懺悔すると言いました。あなたは本当は僕にではなくて、イエスに許して欲しいのではないですか?」
「アレク先生、園山さんが……」
春野が園山の様子に気付いて言った。園山の目からは涙が一筋流れていた。その後、彼は二・三度またたくと、ゆっくりと周囲を見回した。
「よかった。意識が戻ったのね」
敏江は園山の肩を優しく撫でながら言った。すると園山は小さく身じろぎして、何か言おうと口を動かした。
「何? 園山さん?」
敏江が優しく訊いた。そこに居る皆が注目し、病室がしんとなった。
「たみ……や……さん、ゆるし……て……くださ……い」
園山の目から赤い涙があふれた。
「園山さん!」
「シュウさん! もう、いい、いいから……!」
「苦しいんでしょ、無理してしゃべらないで」
仲間たちが口々に彼に声をかけた。それでも園山は懸命に伝えようとしていた。
「せん……せ……」
園山はギルフォードの方見て言った。
「タ……ナ……、大……。……い……さま……」
「それが、あなたに命令した人ですか?」
ギルフォードが問うと、園山は微かに笑ってうなづいた。その後、彼は敏江やスタッフの方を見ながら言った。
「……みなさ……、ごめん……な……さい……」
「いいの。あなたは十分に苦しんだのよ。きっとイエス様も赦して下さるわ」
敏江が園山の手を握って優しく言った。しかし園山は、わずかに頭を左右に振って言った。
「それでも……主……よ、願わ……く……」
園山はそこまで言うと大きくため息をついた。そしてそのままベッドに身を沈め、動かなくなった。同時に口と鼻から血があふれ、生き物のようにシーツに広がっていった。
急を聞いて戻ってきた葛西たちは、園山の死を知って呆然となった。長沼間が窓に駆け寄り、仲間の死を悼み悲しむスタッフに囲まれた園山を見て悔しそうに言った。
「畜生、また、証人が……」
「いえ、彼は死に際に証言してくれました。あいにく、ほとんど聞き取れませんでしたが、きっと手掛かりになると思います」
ギルフォードが窓の方を向いたまま、微動だにもせずに言った。
(初出:2011年5月7日)
現在進行中のコロナウイルス禍から考えると、長兄さまの計画は人類絶滅にかなり有効であったと思われます。SARS-Cov-2(新型コロナウイルス)がサイキウイルスレベルの威力であったら今頃どうなっているでしょうか。
2020年8月30日リアルウイルスパンデミック時下にて




