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朝焼色の悪魔-第3部-  作者: 黒木 燐
第3章 暗雲
32/49

8.ハイ・アンド・ロー

【注意】

残酷な遺体描写があります。

苦手な人は注意してください。

 幸雄はバツの悪そうに言った。

「すみません。桜が助手の方が具合悪そうだと心配していたので、ご挨拶かたがた様子を伺いに参ったので決して立ち聞きをしようとは……」

 ギルフォードと由利子がもう一度顔を見合わせた。

「あの……」幸雄はさらに言いにくそうに言った。「父を殺したウイルスは本当に誰かに撒かれたものだったのですか? これはウイルステロだったのですか?」

 ギルフォードは、恨めしそうな顔で由利子を見ながら言った。

「だから、声が大きいって言ったじゃないですか」

「あんたがこんなところでそんな話をするからだろ」

「早い方がいいと思ったんです。ユリコが大声をださなければ良かったんでしょ」

「ちょっ、人のせいにしないでよ。大声って普通にしゃべってただけじゃん。大体あんたが不用心だから……」

「それは、お互い様でしょ。だいたい、さっきから人のことをアンタアンタって、古女房じゃあるまいし」

「イギリス人のくせに古女房とかゆーな!」

「あのっ。質問に答えてください」

 二人が言い合いをやめそうにないので幸雄がしびれを切らして言った。

「このことは、父が危篤の時、一度あなたにお聞きしましたね。でも、あなたはあくまで可能性の一つと言葉を濁らせました。実はあの時から、私はそのことが頭から離れませんでした。私も刑事の息子です。人に喋ったりしません。妻にも情報を漏らしたりしません。ですから、事実をお教えください。お願いです」

「教授、もう観念して説明なさいませ」

 二人が驚いて声の方を見ると、紗弥が歩み寄って来ていた。

「サヤさん、聞いていたんですか?」

「いいえ。あまり遅いので今様子を見に来たところですが、状況から大体のことは推理出来ますわ。ごまかして不信感を買うより、ご説明して納得していただくべきです」

「確かにそうですね……」

 ギルフォードはなるほどという顔をすると、幸雄の方を向いて言った。

「ユキオさん。このことについては未だ情報が少ないために、僕たちにも詳細は把握できていないので、断定できませんし、詳しいことも言えませんが、その可能性は高いです。だからその決定的証拠がないので、公表できないというのが現状なのです」

「証拠がない?」

「はい。経路もまだ不明ですし、犯人からの声明もないからです。それでもその可能性が高いとするのは、ホンの初期の頃に、それらしいメールが送られて来たことと、F駅で死んだ感染者が声明文のようなものを持っていたからです。しかし、両方とも暗号めいた書き方をされており、決定的証拠にはならないんです。特にメールの方はほとんどがイタズラと思われて破棄されたか、あるいはメールソフトからスパムとして処理されていたくらいです。しかも腹立たしいことに、そのメールの発信元は、すでにこのウイルスに殺されていた少年の携帯電話からだったんです」

「そうなんですか。しかし、声明ということは、やはりテロの可能性があるということですか?」

「はい。可能性が高いと考えられています」

「父は、葛西さんが戦う相手が正体不明の恐ろしい敵だと言っていましたが、このことだったんですね。父はそんな恐ろしい敵と戦っていたんですね」

 幸雄は青ざめた顔をして言った。

「あんなむごいウイルスをばらまいて……。父の苦しむ様は今もはっきりと目に焼き付いています。犯人は感染したらあのようになることを承知でばらまいたのでしょうか」

「おそらくわかっていると思われます。しかし、彼らがどういった経路でそれを手に入れ、ばら撒くに至った経緯はわかっていません。これが既存の病原体であったなら、経路を想定しやすいのですけれども……」

 そこまで言った時、ギルフォードは幸雄の様子に気が付いた。唇や握りしめた両手が小刻みに震えている。話の途中だが、ギルフォードは心配になって声をかけた。

「ユキオさん、大丈夫ですか?」

「すみません。自分から聞きたがったのに……。もっと冷静に受け止められると思ったのに……」

 無理もない、とギルフォードは思った。自然発生したウイルス病で死んだのなら自然災害とあきらめもつこうが、人為的に撒かれたものなら殺人と言っていい。そのショックと怒りは想像を絶するものだろう。

「正直、まだ混乱しています。しかし、一つだけはっきりしたことがあります。父は、ウイルスを撒いた何者かに殺された可能性があるということですね」

 ギルフォードは、一瞬躊躇しながらも答えた。

「……はい」

「わかりました」

 と、幸雄は気丈に冷静さを保ちながら言った。

「無理を言って話していただいてありがとうございます。最初に誓ったように、このことは誰にも言いません。父の名にかけて……。だから、お願いします」

 幸雄はいきなり床に手をついて、ひれ伏すようにして言った。

「このウイルスを封じ込め、必ず犯人を捕まえて父の仇を……」

 出番がないので黙って成り行きを見ていた由利子と紗弥が、驚いて顔を見合わせた。当然ギルフォードも予期せぬ展開に驚いて言った。

「ユキオさん……。いいから頭を上げてください」

「どんなに悔しくても、私には何も出来ない。だから……」

 幸雄が土下座をやめないので、ギルフォードは彼に近づいて起こしながら言った。

「お約束します。だから、あなたも無茶をしないと約束してください。そして、この先何があってもご家族を守ってあげてください。タミヤマさんもそれを一番気にしていらっしゃいましたから」

「はい。わかっています。娘も妻も守ります。これ以上つらい思いをさせないためにも……」

 その頃、桜子が遅い父を心配してやってきたが、父の姿に驚いて駆け寄った。

「パパ、どういたの?」

「さ、ユキオさん。立ち上がって。サクラコちゃんが心配しちゃいますよ」

 ギルフォードは幸雄を軽く抱くようにして立たせると、桜子に向かって言った。

「さ~ちゃん、お父さんはおじいちゃんのことを思い出して悲しくなってしまったのです。さ~ちゃんが慰めてあげてください」

「うんっ。パパは泣き虫だなあ、もう」

「桜、パパだってたまには泣き虫になるんだよ」

 幸雄はつらそうに言った。その時、紗弥の携帯電話から着信の音がした。電話に出た紗弥は、「わかりました。お伝えします」と言って電話を切ると、ギルフォードに向かって言った。

「教授、高柳先生から、すぐ来てくださいという連絡が入りました」

「タカヤナギ先生が?」

「はい。今日見つかった遺体のことも含めて、意見を聞きたいということです」

「おや、どうしてサヤさんにかけたのでしょう」

「教授に電話が通じないので、秘書の私にかけてきたということでしたわ」

「おや、そういえば電源を落としたままにしていました。いけませんね、つい忘れてしまいます。では、ユキオさん、さ~ちゃん。僕らは行かねばなりません」

「え~っ、かえっちゃうの?」

 桜子がつまらなさそうに言った。

「わがまま言っちゃだめだよ。先生はお仕事なんだ。先生、今日は、ありがとうございました。いろいろご無理を言って申し訳ありませんでした」

 幸雄が、もう一度深く頭を下げて言った。

 去っていくギルフォードたちに、桜子が盛んに手を振り「さようなら。きょうはありがとうございましたー」と大人ぶって声をかけていた。ギルフォードたちも何度か振り向いて手を振っている。それを見ながら幸雄は涙が止まらなかった。

(父さんはこの子と暮らせると聞いて喜んでいた。でもあの時、父さんは自分が助からないってわかってたんだ……。刑事である限り、父が殉職する可能性もあると覚悟はしていた。だけど、父さんだって孫と暮らしたがるような平凡なオヤジだった。その父をあんな残酷なウイルスで殺した連中……。僕はそいつらがどうしようもないくらい憎くて憎くてしかたがない……)

  

「幸雄さん、大丈夫かなあ……。かなり動揺してたけど……」

 と、由利子が車に乗り込みながら言った。女性二人が乗ったのを見届けた後に、おもむろに乗り込んだギルフォードは、腕組みをして言った。

「タミヤマさんの遺言が『家族を守れ』でしたから、無茶はしないと思いますけど……。しかし、あそこで聞かれたのは失敗でした」

 ああ見えても若干落ち込んだらしく、声のトーンが低い。

「私だって同罪だよ。だけどね、あの幸雄さんを見て私思った。やっぱり逃げちゃだめだって。たとえリスクが大きくったって、テロリストに決定打を打てるのは、関係者らしい男たちの顔を見た私だけでしょ」

「しかし、危険です」

「今の私の立場ならどこに居ても危険だし、感染する運命ならどこに居ても感染するよ。それより、カウンターテロ(対テロ)の関係機関の中に居た方がよほど安全じゃない?」

「だけどユリコ……」

「犠牲者のご家族のお気持ちを思うと、私のASDなんて屁みたいなもんだ」

「ヘ……って、fart……オナラ……ですか?」

 ギルフォードが妙なところで驚いて聞き返したので、由利子は面食らって言った。

「あのなぁ」

 そこに、運転席に座って黙って聞いていた紗弥が口を挟んだ。

「教授、由利子さんの言うことは正しいですわ」

「屁がですか?」

「ばか」

「バカ?」

 紗弥は、ギルフォードのボケを無視して言った。

「それに、教授だって本当は由利子さんを手放したくないのでしょう?」

「確かに、僕らやジュンがいつでもそばに居れる環境の方が安全でしょう。しかし……」

「絶対に足手まといにはならないから! チームの末席にいさせて」

 と、まだ踏ん切りのつかない様子のギルフォードに向かって、由利子が言った。

「でも、さっき言ったように、僕だけの判断では決められない話なんです。たぶんタカヤナギ先生の話もそれに関することでしょうし……」

「アレク……」

 由利子が珍しく懇願するような目でギルフォードを見た。

「わかりました」

 ギルフォードはため息をつきながら、しかしなんとなく嬉しそうに言った。

「出来るだけのことはしましょう。僕だって困りますからね、ユリコがいないと。せっかくゲットした顔探知機ですからね」

「困るのそこですかい」

 由利子がすかさず突っ込んだ。しかし、その眼にはほんの少しだけ涙が浮かんでいた。

「じゃ、話がまとまったところで、出発しますわ」

 紗弥はそういうと、勢いよく車を発進させた。

 

 

 葛西はその頃、遺体と対面する準備が出来たというので富田林とともに感対センターの霊安室へ向かう廊下を歩いていた。

「なんか今回、通路にすごく嫌なにおいが残ってますね」

 と、葛西が憂鬱そうに言った。富田林がうん、と頷いて答えた。

「こりゃあ、かなりいっちゃってるようだな。覚悟しとけよ、葛西」

「そんな遺体、僕が見る意味あるのでしょうか……」

「何言っとる。篠原由利子を狙ったひったくり犯、すなわち、テロリストあるいはその手先の可能性があるのだろう? もしそうなら、単なる遺体遺棄事件ではなくなるだろう。そこにテロリストの何らかの意図があったと考えられる。篠原由利子に確認が無理なのなら、彼らの顔を見たもうひとりの人間が確認するしかあるまいよ。すなわちお前だ、葛西」

「まあ、そうなんだけど……」

「お前が惚れとる女の代わりに見るんだ。まあ、頑張れ」

「やだな。からかわないでください」

 口ではそう言いながら、葛西は何となく嬉しそうだった。

「で、富田林さんはなんで一緒に来てるんですか。そういえば、多美さんのお葬式にはなんで?」

「俺は昔K署におったったい。多美さんにはその時けっこう世話になってなあ。で、これからの遺体の確認は付き合いさ。お前一人じゃ辛かろうと思ってな」

「増岡さんは?」

「あいつは遺体なんか好き好んで見たくないってんで、一足先に本部の方に行ったよ」

 富田林はそう言うとからからと笑った。

 しかし、霊安室へ入りちょうど検死中だったその遺体を見た瞬間二人の様子が一変した。

 葛西にはそれが最初何かわからなかった。頭が理解を拒否したのだ。しかしその後、葛西は遺体の顔を見るために仕方なくそれを正視した。


 それは、ガラス越しの対面だったが、それだけで十分だった。その死体は葛西の想像を絶していた。葛西は心の中で叫んだ。

(こんなの見て、誰かわかるもんか!!)


 6月の高温高湿度の中、壊れた冷蔵庫の中に放置されていたのだ。しかもパッキンが壊れて密封が不完全なため、外気が入り込み庫内温度が上がって腐敗が著しく進行した。さらに腐敗時の熱で庫内温度が急上昇した、急速にガスで体が膨れ上がりすでに巨人様観を呈していた。しかも、その内圧で白濁した眼球が飛び出しているし、耳からも何か溶けかかったようなものが出ている。紫色に膨れ上がった腹の内臓はおそらくドロドロでに溶けているのだろう。尻のあたりから汚物が流れ出ている。ウイルス感染のために皮膚は部分的にぶよぶよと白っぽく浮き剥がれかかっており、あちこちに出血した跡があった。髪はほとんど抜けていて、鼻や口の周りには血がこびりつき、極めつけに、口から内臓の絡んだ膨れ上がった舌が飛び出していた。相当苦しかっただろう、と葛西は思った。こんな死に方は絶対にしたくない! おぞましさと恐怖に葛西の体が小刻みに震えた。

「もっ、申し訳ありません! こんなんじゃあ、わかりま……」

 その時胃から否応なく何かがこみ上げ、葛西は口を押えて部屋を飛び出した。ほぼ同時に富田林も涙目で駆け出し、二人は並んで走り去った。その様子を見て、検死中の高柳がぼそりと言った。

「やっぱり鑑識に複顔してもらわんといかんか……」

「ま、こいつがこの有様じゃ仕方ないでしょうな」

 と、その横で検死に立ち会っていた九木が、肩をすくめて言った。 

   


 さて、ここはめんたい放送の報道部。デスクをはじめスタッフの多くが、夜8時を過ぎても帰らない美波をやきもきしながら待っていた。

 デスクが痺れを切らして言った。

「美波は何をやってるんだ。夕方のニュースには、君たちの機転でなんとか間に合ったが、下手すりゃ他局に乗り遅れるところだったんだぞ」

「夕方、近くに寄りすぎた、犯人の血が付いたかもしれない、病院に連れて行かれる、という、要領を得ない連絡が入ったきり、なしの礫で……」

 赤間はそう答えながら思った。

(さっきから3度目だよ、この会話。そろそろ切れて怒鳴りだすぞ)

「アカマちゃん、まずいよ。デスクの時限爆弾、そろそろ爆発寸前だ……」

 小倉も同じことを考えていたらしく、そっと耳打ちをしてきた。その時、二人の足元を這うようにして通ろうとする者がいた。その正体に気付いた小倉が、その曲者の襟首を掴んで小声で怒鳴った。

「美波! このバカ! 連絡くらい入れんかっ!」

「ごめんなさ~~~い」

 美波は両手を合わせて祈るようなしぐさで言った。小倉は美波の襟首を掴んだまま、部屋の隅に引っ張っていった。赤間がその後を追った。

「デスクがキレる寸前なんだよ。おまえ、今会ったら確実に頭から爆弾落とされるぞ」

「ええっ?」

 と、一瞬美波は不安そうな表情を見せた。小倉が、畳み掛けるように言った。

「なんで、連絡らしい連絡を入れなかった?」

「だって、着てるもの全部廃棄されて、携帯電話もカメラも汚染の可能性があるって没収されたのよ。電話番号なんて覚えてないし、連絡する時間も方法もなかったんだから」

「着替えは?」

「母に持ってきてもらったのよ。いくらなんでも自宅の電話番号くらい覚えているわよ」

「じゃあ、お母さんに連絡してもらえばよかっただろ。病院に頼むって手もあったろ」

「あ、そうか。ごめん。テンパってたから……」

 美波はてへっという顔で言った。

「まあいい。で、服を廃棄って、血とか掛かったのか?」

「念のためだって。見た目は全然汚れてなかったもん。でも、とっさに開いた傘に血がついてたから……」

「傘、差したのかよ」

「あの傘、役に立ったんだ」

 二人は感心したような呆れたような顔をして言ったが、すぐに美波が尋常でない事態に陥ったことを察して問うた。

「何があったか説明しろ」

「わかった」

 美波は少し得意げにしながら、現場であったことをかいつまんで説明した。


「じゃあ、おまえ、犯人の顔を見たんだ」

 小倉が、少し興奮気味に言った。

「とうことは、サイキウイルス感染者を見たってことだよな」

「そうか! どんな感じだった? やっぱり血だらけなのか?」

 赤間も興味津々で尋ねた。

「ごめん。思い出したくないんだ。トラウマになりそうだもん。とにかくひどい顔だったわよ」

「そんなに・・」

 二人は同時に言うと、顔を見合わせた。その時、何者かが二人の肩を後ろからがっちりつかみ、間から顔を出し顔が三つ並んだ状態になった。それは言うまでもなくデスクだった。

「美波ぃ~……」

 彼は、引きつけたような笑顔で言った。

「よく帰って来たなあ。仕事を放り出して行ったんだ。収穫はあったんだよな。トラウマとか甘いこと言ってないで……」

「きゃあ、デスク、ごめんなさい」

 美波が、ハエのように手をすり合わせた。小倉がかばうように言った。

「デスク、許したってください。ミナちゃんだって危険な目にあってるんです」

「バカ野郎! 記者にとっては貴重なネタだ! スクープの可能性もある! 『絵』があるなら渡せ、無いなら無いで何とか記事にしろ!」

「映像……、カメラは没収されたけど、ちょっとだけなら……」

 美波はそう言いながら、ジーパンのポケットからSDカードを出した。

「お前な、その癖やめろよ」

 小倉がうんざりしながら言った。対照的に、デスクが急に機嫌良くなった。

「よし、よくやったぞ、美波! オグ、さっそく中身確認だ」

 デスクはカードを受け取ると、鼻歌交じりでさっさと自分の机に向かった。

「あんたんとこのパソコンで見るのかよ」

 と、デスクの後を追いながら小倉が少し不機嫌に言った。赤間がとりなすように言った。

「デスクはわがままだから。ああいう子供じみたところを除けば、頼れる人なんだけどな。しかし、よく没収されなかったな」

「苦労したんだから。着るものは廃棄しないといけないし、シャワーも浴びないといけなかったし。見つかったら絶対に没収されるってわかってたから必死よ」

「まあ、女性は隠すとこけっこうあるからなあ」

 小倉がぼそりと言った。赤間が「えっ?」と反射的に、SDカードを持ったデスクの方を見た。

「そんな妙なとこには隠してないわよっ」

 美波が顔を赤くして言った。

「こっそり手に持ってたり、シャワー室のタオルの間に潜ませたり……。小さいから便利よね」

 それを聞いて、赤間が足を止め振り向いた。

「おまえ、あれ、汚染はされてないんだろうな」

「大丈夫だって。素敵なおまわりさんが庇ってくれたん……」

「お~い、美波。なんかお前の映像が出てきたぞ。ラ☆ちゃんのコスプレか? 大胆だなあ」

 美波が言い終わらないうちに、デスクの素っ頓狂な声が聞こえた。それに伴って、「え?」という声とともに、デスクの周りに人が集まってきた。

「ぎゃあ~、自分のビデオカメラ使ってたの忘れてた~! みんな、見ちゃダメッ!」

 美波は焦って駈け出した。

 


 感対センターの地下にある男子トイレの個室に葛西と富田林の二人がそれぞれ入り、洋便器を抱えるようにしてへばっていた。

 彼らは例の不法投棄場の冷蔵庫の中で発見された腐乱死体を見、二人仲良く口を押えてトイレに駆け込み、胃の中身をぶちまけたのだった。その後、お互いの嘔吐と見たばかりの凄まじい遺体の様子の連鎖で、胃が空になるまで吐き続けた。出すものすべて出し終えても胃のムカムカが消えず、しばらく嘔吐が治まらなかった二人は、時折えづきながら洋便器にすがるようにしてぐったりしていた。

 しばらくして、富田林が弱弱しく葛西に声をかけた。

「葛西ぃ……、大丈夫か」

「はい、なんとか……」

 パーテーション越しに、葛西が情けない声で答えた。

「おまえ、死体見るとは初めてか?」

「普通のなら何回かあります。惨いのは、最近C川にあった虫食い遺体を見ました」

「俺はな、意外と沢山見とるし、ひでぇ状態の遺体だってけっこう見たんやが……、さっきのアレはいかん。あげんえずか仏さんは初めてや。まいった……」

「通路で既にとんでもない悪臭がしてた時に、いやな予感がしてましたよね……」

「おう。まず、あれにやられたんだな」

「君たち、大丈夫かね?」

 入口の方で、声がした。高柳だった。二人を心配してやってきたのだ。その横のほうででもう一つ声がした。

「心配いらんですよ、高柳先生。彼らは精進落しの寿司にがっついてましたからな、まあ、食いすぎですな。大丈夫ですよ」

 この皮肉めいた言い方は九木だ。葛西は少しむっとして思った。

(僕たちは、メーワク野郎たちのせいであちこち走り回ってたから、昼からほとんど食ってなかったんだぞ。目の前の寿司で多少理性がぶっ飛んだって仕方ないじゃないか。第一あんなモノ見るとは思ってもなかったし、むしろ、アレ見て平然としている方がどうかしてるよ)

 その一方で、生真面目な富田林が恐縮しながら言った。

「ふがいないところをお見せして申し訳ありません。すぐに復帰します!」

「いや、無理しなくていいからね」

 高柳が慰めるように言った。

「今回のは特にむごかったからね。うちのスタッフでさえあれを見た内の数人が轟沈したくらいだし、今、司法解剖に来られた法医学の先生も、さすがにこの横では飯は食えんと言っておられるんだ。恥じる必要はないよ」

「確かに、あのくらいの中途半端な遺体が一番悲惨ではありますな。だがね、君たち。それを冷静に見てちゃんと的確に説明出来るようにならんといかんぞ」

 と言うと、九木は淡々と遺体の描写を始めた。

「こらこら、九木さん、いい加減にしてあげてください。かわいそうじゃないですか」

 見かねた高柳が、延々遺体の描写をする九木を止めた。しかし、時すでに遅しで、再び個室で「おええ」という声の二重唱が聞こえた。

  


 再び『めんたい放送』の報道部。

 集まってきた野次馬連中を追い払った後、デスクの藤森と美波・赤間・小倉4人が美波の撮ってきた映像を確認していた。美波以外は、初めて見る感染者の顔に興奮気味だった。そんな中、藤森が言った。

「美波、やっぱこれ、そのままじゃ使えんわ」

「え?」

 美波はきょとんとしながら言った。

「レベルが『視聴者からの投稿』なのは仕方ないとして、犯人が病人でしかも心身喪失が疑われる限り、顔を出す訳にはいかんからな。スクープはスクープなんだが、俺たちはタブロイド誌みたいなことをするわけにはいかんからな」

「タブロイド紙?」

「ああ、お前、今日いろいろあったんでまだ知らなかったんだな。今日こんなのが出たんだ。もっとも中央では2日前には出ていて、こっちでも一部で話題になっていたんだが」

 美波はそれを受け取って、パラパラと中身を見ながら言った。

「なんですか、これ?」

「見ての通り、今回のウイルス騒ぎのスッパ抜き記事さ。これ見た行政と警察が、あわてて報道規制をかけてきやがった。まあ、これだけ書きたい放題書かれりゃあ、そうしたくなるのもわからんではないがな」

 そういうと、藤森は両手を後頭部に組み、椅子の背もたれに寄りかかって背伸びをした。

「ま、夜11時のニュースあたりでモザイク付きで流す分には構わんだろう。なんだかんだ

言っても貴重な独自映像だ。美波、ご苦労だったな。今日は早く帰ってゆっくり休め。これ、返しとくわ」

 藤森はあっさりそういうと、美波にSDカードを返した。美波は納得できない顔でそれを受け取り、一礼して去っていこうとした。その背に向けて藤森が飄々として言った。

「例の映像な、俺のHDに保存したあとで消去したから」

「えっ、うそっ」

「ああ、そうそう。お前のプライベート映像には手を付けていないから安心しろな。ちょっと見たけど」

「そんなもんどうだっていいです。私が命がけで撮ってきた映像なのに、私のカードから消しちゃうなんてひどいわ、どうして?」

「投稿サイトなんかにアップされちゃ敵わんからな。情報源がウチだってモロバレだ」

「そんなあ……。そんなことするわけ無いじゃないですか」

「悪く思うな。念のためだ。それとな、今日お前の勝手な行動で、特オチしかかったからな。ちゃんと始末書書いておけよ」

(踏んだり蹴ったりだ……)

 美波は泣きそうになり、その場で棒立ちになった。その背に向けて藤森が言った。

「美波。多少の羽目は外さんとスクープは取れんだろう。だが、突っ走っても裏目に出たり空回りすることも珍しくない。これくらいでめげてちゃ記者は続かんぞ。さ、今日は帰って美味いもん食って風呂入って寝ろ」

「ふぁい……。でば、おさぎにしつでいしばす」

 美波は鼻声で力なく返事をすると、とぼとぼと去って行った。その様子を見ながら、赤間が小声で言った。

「なんだかんだって、女の子には優しいんだよな」

「なあ」

 と、小倉も同意し、続けて言った。

「ま、ミナちゃんも、C川の追跡取材がNS10で放映されたんで、少し天狗になっとったからな。いい経験になったやろ」

 しかし、赤間は不安そうに美波の後ろ姿を一瞥して言った。

「そうかな。リベンジとか言って、また俺たち振り回されるかもしれんぞ」

「不吉なこと言うなよ」

 小倉が肩をすくめながら言った。

  

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