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朝焼色の悪魔-第3部-  作者: 黒木 燐
第2章 焔心
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11.運命の輪~Hate to Fate

 男は、満面の笑顔で言った。

「こんにちは。日本語、お上手なんですね」

 いきなり話しかけられて、ギルフォードはやや当惑気味に答えた。

「ええ。ダイジョウブですが、何か……?」

「さっき、病室の前でお見かけしましたが、お見舞いですか?」

「いえ、僕らはここの関係者ですが……、、えっと……?」

 ギルフォードは負けじと笑顔で答えたが、表情に戸惑いの色が隠せなかった。

「あ、ぶしつけに声をおかけしてすみません」

 男は笑顔のまま続けた。

「私は都築M&L商会の都築翔悟という者です。ここには今日納品方々ご挨拶に参りましてね」

 そう言いながら、彼は名刺をギルフォードに渡した。ギルフォードは、戸惑ったまま名刺を見て言った。

「……ツヅキさん……? 専務さんでいらっしゃる?」

「ええ。最近こちらに帰ってきまして、社長の兄を助けようと入社いたしました」

「……そうですか」

 ギルフォードは、この男が何故自分に話しかけてきたのか疑問に思いながらも、名刺を出しながら言った。

「僕はアレクサンダー・ギルフォード。Q大学で客員教授をしている者です。彼は友人のジュリアス・キング。米国H大で講師をしています」

 しかし、翔悟はジュリアスに軽く会釈をしただけで、ギルフォードのほうに再び向かって聞いた。

「で、大学教授関係の方々が何故ここに?」

「僕はここの顧問をしておりますので……」

「ああ、顧問を……」

 翔悟は、さらに笑みを浮かべて言った。

「ギルフォード……教授……でしたね、実は、私があなたに声をおかけしたのは、あなたを見てなにか懐かしい気持ちになったからです。あの……、どこかでお会いしませんでしたか?」

「ナンパにしては、ベタですね」

 ギルフォードがクスリと笑って言った。翔悟がニコニコ笑いながら答えた。

「いえいえ、私には男性をナンパする趣味はありませんよ」

「あはは、そりゃそうですよね。冗談ですから、忘れてください」

 ギルフォードは焦って言ったが、横でジュリアスが微妙な表情で二人を見ていた。翔悟はジュリアスにはまったく関心を示していないようで、ギルフォードのほうをまっすぐ見ている。ジュリアスにはそれが少し面白くないようだった。そんなことは構わずに、翔悟は人懐こそうな表情を少し曇らせながら言った。

「しかし、お仕事とはいえ、こんなところに通うのは辛くないですか? なんでも、致死率はほぼ100%というじゃありませんか」

「辛くない……と言えば嘘になります。しかし、それは僕らの使命ですから……」

「使命……ですか」

「はい。……いえ、と言うより、僕はここで亡くなったある方に誓ったんです。必ずこのウイルスを封じ込めて殲滅すると」

「そうですか……。うらやましいですね、その方が。さぞかし素晴らしい方だったのでしょうね」

「はい。彼は、素晴らしいひとでした。刑事としても、人間としても……」

「私は……」

 翔悟は一瞬間をおいて話を続けた。

「昔、私が病気で九死に一生を得まして、医療機器の会社を経営している母と兄は、その時の感謝と言う意味で世の中に貢献しようと、それ以来ずっと、病や災害、戦争で疲弊した国に医療機器などを寄付しています。私は仕事の関係でこちらを離れていたのですが、母が亡くなったのをきっかけに、帰って来て兄の手伝いをすることになりました。今回、この街で新型の疫病が発生したと知って、何かお役に立てないものかと思い、納品かたがたセンター長にご挨拶に伺ったのです」

「そうだったんですか。なんとなく動機が僕と似てますね」  

「……でも、私はやっぱりだめです……。もう次回からは部下に来させようと思ってます」

「そうでしたか。でもまあ、僕だって時に逃げ出したいと思うことがあるくらいですから……」

「でも教授、私を臆病だって思わないで下さいね。実は私、死にかけたというのが、子供の頃、出血熱にかかったからなんです。だから今回のサイキウイルス発生では、何か他人事とは思えなくて、お役に立ちたいと……。でも、いざ来てみると、それを思い出してしまって、どうにも……、って、ギルフォードさん? どうかなさったのですか?」

 翔悟は、ギルフォードがかすかに震えていることに気がついて、驚いて尋ねた。

「ああ、すみません。……でも、まさか、そんなことが……」

 ギルフォードがあまりにも狼狽しているので、翔悟は途方に暮れて言った。

「あの、どこかお悪いのではないですか?」

「ああ、すみません。少し混乱しています。……出血熱に、あなたが? この国で……?」

「いえ、国内じゃありません。アフリカでです。父もその時に同じ病気に感染して亡くなりました」

”アフリカで? まさか……、まさか……”

 ギルフォードは体が震えるのを感じた。眩暈がして一歩後退る彼を、ジュリアスが急いで支えた。

”大丈夫か、アレックス!”

”大丈夫だ、ジュリー”

 ギルフォードは、体勢を立て直すと言った。

”ジュリー、ひょっとしたら……、ひょっとしたら彼は……”

 そう言いながらギルフォードは、感情を極力抑えて翔悟に問うた。しかし、その声は震えている。

「ツヅキさん、ひょっとしてあなたがその病気にかかったのは、ワタカ共和国ではないですか?」

「ええ、そうです。今は存在しない国なのに、良くご存知ですね」

「よく……、生きて……」

 そう言や否や、ギルフォードは彼を抱きしめた。

「あの、ちょっと、ギルフォードさん?」

「あっ、ごめんなさい」

 驚いて戸惑う様子の翔悟から急いで離れると、ギルフォードは言った。

「あなたが僕に会ったことがあると思ったのは、トウゼンです。僕はその時同じウイルスに感染して、君の横に寝ていたんですから……」

 翔悟はそれを聞くと、大きく目を見開いてギルフォードを見つめながら言った。

「あなたがあの時のお兄さん?」

ギルフォードはその問いに、うなづきながら続けて言った。

「あなたはまだ少年でしたから、僕は言われるまで気がつきませんでした。僕らはあの時の、たった二人の生き残りです」

「私は、自分をたった一人の生き残りと思ってました……」

「僕もそうです。良かった、本当に良かったです。時折、僕は自分の背負った沢山の命の重さに耐えかねることがありました。それを分かち合える人に出会えるなんて……!」

「私もそうです。運命の女神に感謝します……」

「ツヅキさん……」

 ギルフォードはもう一度強く翔悟を抱きしめた。

「あの、痛いです、ギルフォードさん」

「ああ、スミマセン、つい……」

 ギルフォードはようやく我に返って翔悟を放した。解放された翔悟は、ほっとしながらも笑顔で言った。

「いえ、気にしないで下さい。私も本当に嬉しいですから。……しかし、再会を祝してゆっくりお話したいところですが、残念ながら今から外せない商談があるもので……」

「では、今度お茶でも飲みながらゆっくりお話しましょう」

「いいですね」

 その時、翔悟の携帯電話に着信が入った。

「ちょっと失礼します。……はい、私です。……おや、それはまずいですね。では、すぐにそちらへ向かいます」

 翔悟は電話を切ると、すまなさそうに言った。

「火急の用で、すぐに出かけなければなりません。残念です」

「そうですか……。僕も残念です」

「でも、もうお互いの所在がわかっているので、必ずまたお会いできますから」

「そうですね。ゼッタイに電話、下さいね」

「はい、必ず! では、また!」

 翔悟はそう言うと、名残惜しそうな様子で一礼し、早足に去っていった。

 それと入れ違うように、由利子と紗弥がやってきた。

「ごめ~ん、アレク、ジュリー、待ったあ?」

 由利子が二人に手を合わせながら言った。

「ずいぶんと時間がかかりましたね」

「ついでにトイレに寄ったら、ばったり看護師の甲斐さんに会っちゃって、つい、3人で長話しちゃって。ごめんね~」

「サヤさんもですか? へえ……」

「申し訳ありません」

 紗弥が少し照れくさそうな表情で言った。しかし、ギルフォードはむしろ感心しながら言った。

「良い事です。サヤさんは、もっといろんな人と交流を持ったほうがいいです。でも、さっきまで、君たちに会わせたい人がいたんですケド、残念です……」

「私たちに会わせたい人?」

 と、由利子は周囲を見回しながら言った。

「もう行っちゃったの?」

「はい。急用があるからって」

「あら、残念。で、誰?」

「それがです……ね……」

 そこまで言うと、ギルフォードはいろんな感情があふれそうになってしばし黙り込んだ。

「あら、どうなさいましたの?」

「何があったの?」

 若干涙目になっているギルフォードを見て、二人は驚いて言った。

「由利子、昨日アフリカでアレックスと一緒にウイルス感染した少年のことを話しただろ? たった今、その彼に会ったんだ」

 ギルフォードが話を続けるのに困難なほど気持ちが高ぶっていることに気づいて、ジュリアスが助け舟を出した。由利子と紗弥は、一瞬お互いの顔を向き合わせるとまたギルフォードの顔を見た。

「え? それ、ホントにホントの本人だったの? 出来すぎてない?」

 由利子が怪訝そうに言った。

「ええ、本人でした。話も符合しています」

 ようやく感情を抑え込んでギルフォードが答えると、ジュリアスが補充するように言った。

「おれも本人に違いにゃーと思うがや。アフリカで疫病に罹って死に掛けた日本人なんて、早々おるもんじゃにゃーて」

「そういえばそうよね」

 由利子が納得して言った。

「教授、良かったですわね。ずっと、消息を気にしておられたのですものね」

 紗弥が穏やかな笑顔を浮かべながら言った。心から喜んでいるようだった。

「サヤさん、ありがとう。それにしても、あんなに探していたのに見つからなかったのに、本人が声をかけてくるなんて、運命とは皮肉なものですねえ……」

 ギルフォードはしみじみと言った。しかし、ジュリアスは彼の横で相変わらず浮かない表情をしている。由利子はそれに気づいていたが、その元少年についての興味が先行してギルフォードに聞いた。

「で、その彼、どんな感じだった?」

「そうですねえ……」

 ギルフォードは説明しようと少し上を向いて言った。

「歳はジュリーとだいたい同じくらいじゃないかと思います。背はジュンより少し低いくらいでした。でも、ジュンとは違う感じのオリエンタル・ビューティーというか、エキゾチックな青年でした。アフリカで会った時とは大分印象が違いますね。もっとも、病気でかなりやつれてましたし、きっと、彼のほうでも僕のことはやつれた印象しかなかったと思いますよ」

「へえ……」

 ギルフォードの説明で、由利子はジュリアスが何故機嫌悪そうなのかを察した。それで、少しからかい気味に言ってみた。

「で、ジュリーのご機嫌が斜めなんだー。アレクってば、だめだよ。パートナーの前で他のオトコをほめちゃあ」

 すると、二人から同時に否定の答えが帰ってきた。

「褒めてないです。見たままを言っただけですよ。それに、僕にとってジュリー以上のパートナーは居ませんから」

「違うぞ、由利子。第一、アレックスがおれ以外に本気になるわけがにゃーて」

「揃っていっぺんにゆーな。だってジュリーが機嫌悪そうなのは事実じゃん」

 由利子は、二人の「反撃」に若干たじたじとしながら言った。その由利子に、ジュリアスは真顔になって言った。

「おれの機嫌が悪そうに見えたのは、多分、おれが何か違和感を感じていたからだと思う」

「違和感?」

 由利子が不審そうに聞いた。

「うん。はたから見とったら、アレックスと都築とか言う男の態度に温度差を感じたんだわ」

「温度差?」

 今度は利子と紗弥と、ついでにギルフォードが同時に聞いた。

「ああ。感極まったアレックスに対して、都築……さんからは妙に冷めたような印象を受けたんだ」

「それは、冷めたと言うより戸惑ってたんじゃないの?」

 と、由利子がジュリアスの不信感に対して合理的な答えを出した。

「アレクってば、感極まってまた不用意に抱きついたんじゃないの?」

「だって、あんまり嬉しくて気がついたら抱きついていたんだもん、仕方ないじゃん」

「ほーらぁ」

 由利子は、やっぱりと言う顔で言った。

「外国人からとはいえ、いきなり初対面と思った大男に訳も分からずに抱きしめられたら、普通の日本男性は会場大パニックですがな」

「でも、その場に居なかったのに、良くわかりましたねえ、ユリコ」

 ギルフォードが感心して言ったので、由利子は紗弥のほうを見た。紗弥が軽く肩をすくめて見せたので、由利子はまたギルフォードのほうを向き直って言った。

「多分、アレクのことを知ってる人なら簡単に推理できると思うけどね。でもホント、良かったね、その子が生きてて」

「今日は、ジュリーの一時帰国のお別れ会と一緒に、そのお祝いもしましょう」

 紗弥も由利子に続いて言った。

「ありがとう、皆さん。10年以上つっかえていたものが取れたような気分です。良かったです、本当に良かったです」

 素直に喜ぶ3人の横で、ジュリアスが一人腑に落ちない様子で立っていた。その時、センター内にアナウンスが響いた。

「キング先生、キング先生、お客様が来られております。至急、センター長室までおいでください。繰り返します……」

「あ、漆黒(うるしぐろ)先生……。あかん、すっかり忘れとったわー」

 ジュリアスが頭を掻きながら言った。

 

「さっきは冷や冷やしましたよ、長兄様」

 翔悟……教主が車の後部座席に乗り込むと、運転席の男が言った。さっき、センターで教主と共に歩いていた男だ。歳の頃は30代後半。背はあまり高くなく、痩せて貧相な体格で、顔は取り分けて美男ではないが、知的で冷ややかで、いわゆる苦み走った渋い男という感じだった。子供の頃遭った事故で脊髄を少し傷めたせいで背が伸びきらず、そのため歩く時やや左足を引きずるのを余儀なくされている。

「あなたが知らせてくれると信じていましたから……」

「もったいないお言葉でございます」

 男が言った。しかし、教主はさっきまで浮かべていた笑顔を真顔に戻しながら言った。

「ですが、月辺(げつべ)、私が都築翔悟を名乗る時は、例え私と二人きりであっても、『専務』と呼ぶように気をつけてください」

「申し訳ありません、うっかりしておりました」

 月辺は若干恐縮した風情で謝ると、続けて言った。

「しかし、急にあのギルフォードと会って話したいと仰ったのには驚きました。ギルフォードだけなら問題ないでしょうけれど、近くに篠原由利子が居たのですから、危険極まりない行為でした。もし彼女と顔を合わせることになっていたら、すべての計画が終わりだったのですから」

「私は私の強運さを確かめたかったのですよ。そしてそれは証明されました。そして天は、私の計画が正しいとお認めになりました」

「そのような賭けをなさらずとも、あなたが大地を憂えたゆえに立てた計画です。天がお許しにならぬはずはありますまい」

「そうだと良いのですが……」

 教主は意味深な笑みを浮かべて言った。

「でも、ギルフォード先生は思った以上に私の生存を喜んでくださいました。私は心から感動いたしました」

「そうでしたか。それは喜ばしいことですな」

「ですが、彼が事実を知った時の嘆きを思うと、今から心が張り裂けそうです」

 しかし、その言葉とは裏腹に、教主の顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。それをミラー越しに見ながら、月辺が言った。

「それでは、ますます篠原由利子の存在が邪魔でしょう。まったく、結城は余計なことをしてくれたものです」

「彼女はすでに例のプロトウイルスに罹っています。今の状況に居る限り、タナトスウイルスに……いえ、公称はサイキウイルスでしたね、……感染するリスクは高いですから、彼女に対しても天の赴くままにしたいと思います」

「では、特に何もする必要はないと……?」

「はい。彼女が死んだらギルフォード先生が悲しみます。私は無慈悲な人間ではありませんよ」

「仰せのとおりに」

「では、そろそろ車を出してください」

「承知いたしました、専務」

 月辺は答えるとすぐさまエンジンをかけた。

「さて、篠原由利子とジュリアス・アーサー・キング、どちらのほうを彼はより悲しむでしょうか……」

「え?」

 ぎょっとして、月辺がミラーの中の教主を見た。

「月辺、エコカーというものは本当に静かですね……」

 教主がまた、人好きのする笑顔を浮かべながら言った。


「葛西君、聞いているのかい?」

 九木から言われて、葛西ははっと我に返った。

「あ、すみません、ちょっとだけぼうっとしてました」

「君ね、合同会議の後から様子が変だよ。いったいどうしたんだ?」

「いえ、特に何も……」

 葛西は否定をしたが、九木は的確に指摘をした。

「多美山さんから看護師にウイルスが感染したことがショックなのではないかい?」

「いえ、そんなことは……」

 しかし、九木は葛西の言い分に納得しなかった。

「君が浮つきを見せ始めたのは、君が看護師の感染を知ってからだ。君は私にその報告をしたあたりから様子が変だったし、その後の捜査会議では上の空だっただろう? ショックなのは理解できるが、任務に支障を来たすとなると看過出来んからね」

「確かに園山さんの感染はショックでしたが、もう大丈夫です」

 葛西はそう取り繕ったが、九木は納得してくれなかった。

「そういうところに君の弱さがあるんだ。出来ないやせ我慢はするもんじゃない」

「大丈夫です! 聞き込みを続けましょう。 多田美葉誘拐後の、結城の足取りを早く特定しなければ……」

「上の空だったりせっついたり、忙しい奴だな、君も」

 九木があきれ気味に言った。

 今のところ、唯一事件とかかわりがあると考えられている結城の身柄を、重要参考人として確保することが最優先とみなされ、警察は、証拠をほとんど残していない結城を異例の指名手配に踏み切った。当然対テロ対策チームでも結城俊に関しての捜査が最重要事項とされ、捜査班を結成した。葛西は九木と共に結城捜査班に回され、手始めに結城が現れた美葉ののマンション周辺で聞き込みをしているのだ。

「はっきり言おう」

 九木は葛西に向かって厳しい表情で言った。

「今の君は、保険勧誘員にただついて回る新人以下だ」

「回りくどいですが、それって僕が、ついて回るだけの役立たずってことですか?」

「しかも、やる気のない上に、縁起の悪そうなどよ~っとした暗い顔をして客をドン引きさせて、契約の邪魔をするレベルのな。まあ、ストレートに言えば足手まといだな」

「足手まとい……?」

「ま、そういうことだ」

 九木に回りくどく、しかも最終的に、どストレートに止めを刺された葛西は、さらに落ち込んでしまった。

「だからさ、それがいかんのだよ。困ったな……」

 九木はそう言うと、少し考えてから言った。

「君、いい飲み屋を知らないか?」

「えっ!?」

 九木の唐突なシフト変換に、葛西は目をぱちくりさせた。


 感対センターのBSL3研究室で保管されているメガローチの標本を見て、漆黒は「うーむ……」とうなった後絶句した。防護服で完全武装し、顔はマスクとゴーグルに大半を覆われていたが、それでも彼の驚愕がわかるほどだった。彼は30秒ほど沈黙した後言った。

「確かにこれは在来種の変異体としか考えられん……。この特徴は間違いなくクロゴキブリだ。しかし、この種は成虫になるまでに少なくとも1年はかかるはずだ。成長のサイクルが早すぎる。本当に最近孵った個体なのか?」

「はい、こいつの眷属に食われた男性は、指針症例……3週間ほど前に、最初にこのウイルス感染で亡くなったホームレスの男性と推定されています」

 ジュリアスは説明した。

「ですから、少なくともそれ以降に孵った個体だと考えられます」

「信じられん。……しかも、それはサイキウイルス感染で死んだ遺体を捕食することによって起こる変異だとは……」

「正確には、遺体を食べた個体から生まれたものと推定されています」

「しかも、この異様な成長スピードじゃ、あっという間にゴキブリのニッチがこのメガローチに取って代わられるぞ!」

「その心配はあまりないと思われます。彼らは急激に成長しますが、それゆえに、あまり長期間生存できないと思われます。それに、さっき言ったように、変異体は好んで共食いをします。メガローチの遺伝子を持ったもの同士も食い合って、より強い固体が生き残ろうとするようなのです」

「まるで蠱毒だな」

「こどく? あの、壷などに何種類かの毒虫や爬虫類などを入れて食い合いをさせて、生き残った最後の1匹を呪術に使うと言う、あの蠱毒ですか?」

「ほう、アメリカ人のくせ……いや失敬、アメリカ人なのに詳しいな」

「いや、まあ……」

 ジュリアスは漫画から得た知識とは言いにくくて言葉を濁したが、漆黒は気にせずに話を進めた。

「では、何故敵はメガローチなる変異体を生み出したか、ということだな」

「考えられるのは、ウイルスの容れ物としてということですが……。今のところ感染発症した人間は一週間以内に死んでますから、ウイルスの保管場所としては役に立ちませんから……」

「それなら、わざわざ巨大化させることはないだろう。従来のスタイルだったら目立たずにすむだろうに」

「はい。ただ、この事件の犯人は、この犯罪を面白がっているような様子が随所に見られるのです。ですから、これは私の想像ですが、このメガローチは単なる張り子のトラで、従来のサイズの『メガローチ』がデカブツの食欲から逃れて数個体散らばっているのではないかと思うんです。たまたま何かのバグで巨大化する個体が出たので、面白がってバグの修正をしなかったのではないかと」

バグ(昆虫)を無視したと、虫だけに……、なるほど、なるほど」

「あのぉ、シャレを誘導した訳じゃにゃーのですが……」

「ほーっほっほ、失敬、失敬。つい、な。……では、変異体を作った理由とは」

「多分、サイキウイルスは本来、天然痘の様に人だけが感染するウイルスだったのでしょう。それをゴキブリにも感染するように遺伝子操作をしたんです。その結果、感染したゴキブリの中から変異体が出現したのではないかと……」

「ジュリー、それはあり得マセン! あまりにも突飛過ぎます!!」

 一緒に部屋に入ったものの、そばに近づけなくて二人(と標本)から遠く離れて立っていたギルフォードが言った。ジュリアスはギルフォードのほうを向くと、困った顔で言った。

「でもよ、アレックス。他に説明のしよーがあーせんだろ? これ以外の説明が、おみゃーさんに出来るのかねー?」

「そりゃあ、ま、そうですケド、常識から考えても……」

「今起こっていること自体が常識はずれの連続だがや。おれはもう、これから先、モゲラやネズラクモンガが出てきたって、メガローチがクイーン・メガローチに変異したって驚かにゃー自信があるぞ」

「冗談でもイヤなコト言わないで下さいよ」

 ギルフォードは、ゲンナリとした表情で言うと、憂鬱そうに首を振った。


 待合室で、今度は由利子と紗弥が二人を待つ立場になっていた。由利子はつまらなさそうにぼんやりとテレビを見ながら言った。

「おっそいなあ~、二人とも。愛しのメガローチちゃんを囲んで、何盛り上がってるんだか」

「盛り上がってはいないと思いますわよ」

 紗弥が、くすっと笑って言った。

「テレビもロクな番組やってないし……。これ、ケーブルに切り替わらないのかな?」

「多分、映るんじゃないでしょうか?」

 と、言いながら紗弥がテレビにリモコンを向け、チャンネルを変えようとした。その時、美しい音楽が流れ、画面にかわいい小動物と子供たち、そして、美しい自然の風景が交互に映った。

「紗弥さん、ちょっと待って。なにこれ、かわいい~」

 由利子が画面に釘付けになって言った。

「確かに可愛いですけれど、なんか宗教臭いですわよ」

 紗弥が言うと同時に、CMにナレーションが入った。

『かけがえのない青い星、いのち溢れる地球……。守りましょう、生命の星。~碧珠善心教会』

「わあ~、すごい、紗弥さんビンゴ!」

「あらまあ、ホントですわ」

「これって、今話題の、教主がイケメンっていう新興宗教だよね。なのに、教主は出てこないんだ~。もったいないなあ……」

「教義上、メディアに顔出しNGなんですって。一般人は教主の講演会などに行かないと、教主の顔は見られないらしいですわ」

「やだ、紗弥さん詳しい!」

「そりゃあ、わたくしもイケメンは気になりますから……」

 紗弥が少し照れくさそうに笑って言った。

「あはは、そうよね。気になるよね、イケメンだもん。しかも、顔出しNGなんてもったいぶられると、ますますご尊顔が拝みたくなるよね……って、またこのCM!」

「この時間帯でしかも再放送とはいえ、スポンサーについていますのよね。しかも、主婦層をターゲットにするにはちょうどいい時間帯でもありますから」 

「なるほど。まだマイナーな新興宗教っていうイメージしかないけど、儲かってんのかな」

「今、不況ですからね。宗教は不況時のほうが信者が増えて繁盛するのでしょうね。小さな宗教団体ですら、けっこうお金持ちだと聞きますわ」

「宗教法人は税金かからないしね。しかし、信者と書いて『儲け』と読むとはよく言ったものだねえ」

 後々、それが自分たちに深く関わってくるとは思いもよらない彼女らは、他愛ない話をしながら無邪気に盛り上がっていた。


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