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朝焼色の悪魔-第3部-  作者: 黒木 燐
第1章 暴露
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2.引き潮

「その後、彼らがレンタカーを借りて旅行していたことがわかってですね、そっちの手配がまた大変で……」

 そういうとギルフォードは、ため息をつきながらアフターのミルクティー飲んだ。


 ここはF県警近くのファミレスの中。

 ギルフォードは、昼前にようやく由利子の元に現れた。生憎、松樹は出かけてしまったあとで、部屋には由利子と早瀬の二人だけで、ギルフォードは大層残念がったが、午後から帰ってくるというので由利子を昼食に誘ったという訳なのである。 


「それは大変でしたね。でも考えたら彼らも気の毒ですよね。本来なら楽しい不倫旅行で終わったはずなのに……」

 由利子がコーヒーカップの取っ手に手をかけながらしみじみと言った。ギルフォードは右手の人差し指を立てて左右に振りながら言った。

「身勝手な事情で轢逃げをしてしまったのですから、あまり情状酌量は出来ないと思いますね。もっとも、モリタ・ケンジが死んでなかったら、また状況も違っていたかも知れませんがね」

「まあ、そうですけど、私がその立場であっても逃げたかも知れないなあ。やっぱ状況から考えて自殺だと思うだろうし、割があわないもん」

「こらこら、またそういうことを」

 ギルフォードが苦笑しながら続けた。

「口ではそう言いますけど、君にはそんなこと出来ないと思いますよ。曲がったことキライでしょ?」

「そんなことないって。私だってほんとに好きな人と一緒だったら同じこと考えると思うよ。逃避行だって辞さないから」

「へえ、意外と情熱的なんですねぇ。何かあったら僕とも逃避行してくれますか?」

「バカね、何真面目な顔して言ってんの」

 ギルフォードに何故か真正面から真面目な表情で言われ、由利子はややテレながら言った。その時ふと周囲を見回して驚いた。

「やだ。さっきからアレクと顔を近づけて小声で話していたから、なんとなく注目の的になってる」

「あのガイジンとシャイボーイの関係はなんだろうって?」

「誰がシャイボーイだ」

「濃紺のパンツスーツに白いシャツで、細いリボンタイでしょ。しかも、ナチュラルメイクで……」

「だって昨夜の電話で、『明日はスーツでビシッと決めてきてクダサイ』なんて言うから……」

「いえいえ、僕は好きですよ。ギムナジウムの生徒みたいで」

「ギムナジウムって、久々に聞きましたよ。一時期やたらそーゆー少女マンガが流行った頃があって……今でいうBLものですね。例えば『だーれがころしたクックロビン♪』の元ネタになった……って、あれ、イギリスの場合はグラマースクールっていうんじゃなかったですか?」

「よく知ってますね」

「ギムナジウムはドイツですよね。まあ、国を問わずジャンルと英手ギムナジウムものって呼ばれているみたいですが……。アレクはマンガもよく読むみたいだけど、そういうジャンルは読まないの?」

「あの世界は綺麗すぎますし、僕には女の子同士にしか見えないのであまり読んだことはないですね」

「へー、そうなんだー」

 由利子は何か想像したのか照れ臭そうにギルフォードから目をそらしたが、ちょうどコーヒーポットを持ったウェイトレスが近くに居たのに気付いて呼び止めた。

「あ、すみませぇん、コーヒーのお代わり下さい」

「は~い」

 ウェイトレスは、にこやかに近づいて由利子のカップにコーヒーを注いだ。ここぞとばかり、ギルフォードが追加注文をした。

「あ、それからこのミニチョコパフェもお願いします。ユリコはデザート要りませんか?」

「私はコーヒーで十分」

「では、以上でお願いします」

「はい、ミニチョコパフェをおひとつですね。それではごゆっくりどうぞ」

 ウェイトレスは笑顔で言うと一礼して去って行った。

「って、パフェとか食べるんだ」

 由利子が驚いて言うと、ギルフォードは顔をやや赤らめながら言った。

「ええ、まあ……。だって食後にデザートは定番じゃん」

(やだ、可愛いじゃないの)

 と由利子は思いつつ言った。

「甘いもの、好きなんですね」

「ええ、下戸ですし。いわゆる、スィーツ男子ってやつですか?」

「あ、私、スィーツって言い方嫌いなんです」

「へえ、意外と保守的ですね。ま、イギリスでは、お菓子についてSweetsというと、駄菓子のようなものを指しますから、僕もあまり高級なイメージは持たないですけどね」

「そうなんですか、へえ~」

「甘い物好きの男って、変ですか?」

「そうでもないですよ。下戸で甘いもの好きの男性というと、デスノのエルを思い出しますね。私、L好きですから」

「光栄です。まあ、僕はコーヒーを砂糖で埋め立てたりはしませんけどね」

「あはは……。あ、来ましたよ、そのスィーツが」

「ミニと言ってもけっこうヴォリュームがありますねえ」

 ギルフォードが目の前に置かれたパフェを見ながら言った。ウエイトレスが、にっこり笑いながら尋ねた。

「以上でご注文されたお品は揃いましたでしょうか?」

「はい、どうもありがとう。とてもカワイイしステキです」

 ギルフォードが例の必殺笑顔で答えた。まだ若いウエイトレスはぴょこんと礼をして「ありがとうございまーす」と言うと、心なしかスキップ気味に去って行った。

「彼女、何か勘違いしたかもしれないわよ」

 由利子は去っていくウエイトレスの後姿を見ながら言った。ギルフォードは、早速パフェを突っつきながら、少しきょとんとして言った。

「やだなー、僕は人は食べませんよ」

「なんでそこでボケるかなあ」

「ところで、さっきの話に戻りますが」

 ギルフォードは、また、声のトーンを落として話し始めた。

「そのカレンって女性ですけど、まだ何か隠しているみたいなんですよ」

「隠している?」

「ええ、他の人たちは考えすぎだって言うけど、な~んか様子が変なんですよね」

 ギルドフォードはそういうと腕を組んでため息をついた。

「アレクがそう思うんなら、そうかも知れませんね」

「でね、お願いがあるんですけど」

「はい?」

「ユリコ、さりげなく彼女から聞き出してもらえませんか?」

「は? 私がですか?」

「ええ。彼女、警察関係や医療関係の人間をなんとなく警戒しているようなんです。だから、部外者の君なら彼女も何か話してくれるかもしれないと思ったんですけど……」

「う~ん……、出来るかなあ……。若い女の子でしょ? 話が合うとも思えないけど」

「やってみてくれませんか?」

「アレクってば、あなたも人使いが荒いわねえ」

「どうも、すみません」

 ギルフォードが申し訳なさそうに言った。由利子は両手で頭を抱えるフリをしながら言った。

「ちょっと考えさせてください。何ぶん、今日頼まれた大量の首実検で頭がクラクラしてるんですから」

「手ごたえはありそうですか?」

 ギルフォードが興味津々といった様子で聞いてきた。

「それが、どいつもコイツも見事なDQN面ドキュンづらで、もうゲンナリですよ」

「ドキュン?」

「あ、え~っと、説明し辛いな。え~、チンピラや不良……みたいな、いかにも素行の悪そうな連中のこと……。実際はもっと広い意味を含むのだけど」

「なるほど。まあ、暴力団の下っ端なんですから仕方ないでしょうけどね。で、それらしいのは居ましたか?」

「いーえ、全然。覚えたくもない顔が大量に増えただけですよ」

 と、由利子はキッパリと言いきった。ギルフォードは頷きながら言った。

「すみませんねえ。君の事を言ったらキョウがずいぶんと興味を持っちゃって。是非やってみてもらえないかって言われたんで断りきれなくて。僕も、そんな簡単に見つかるワケないって言ったんですけど、彼、押しが強くってねえ。……あ、そろそろ行きましょうか」

 ギルフォードは話の途中で時間に気付いて言った。時間は1時に近づこうとしていた。

「はあ、また大量のDQN面との対面かあ~。健さん文さんレベルの渋いヤクザだったら歓迎なんだけどなー」

 由利子は溜め息をついて立ち上がった。


 二人がファミレスの外に出ると、いつの間にか雨模様になっていた。ギルフォードが肩をすくめて言った。

「あ~、降って来ちゃいましたね」

「色々あって気がつかなかったけど、入梅つゆいりしちゃったんだよね」

「日本は大好きですけど、この梅雨と夏の蒸し暑さだけは慣れませんねえ……」

 ギルフォードが憂鬱そうに言った。由利子はバッグから折り畳み傘を出しながら聞いた。

「アレク、傘は……持ってそうにないですね」

「イギリス人はこれくらいの雨じゃ傘はさしませんから」

「とはいっても、私だけ差すのも気が引けますから、相合傘しましょ」

「じゃ、僕が持ちますよ」

 ギルフォードが由利子から傘を受け取り、二人は雨の中を歩き出した。

「ジュリー君は今日も葛西君と昆虫採集に?」

「ええ……」

 ギルフォードは、何故かため息混じりに答えた。由利子は若干不審に思いながら続けた。

「大変だなあ、雨も降ってるし。防護服も蒸れそうで嫌だなあ」

「そうですね……」

 ギルフォードはそう言うと、またため息をついた。

「あれ? どしたんですか」

 由利子はギルフォードのため息連発に驚いて尋ねた。

「実は、ジュリーを怒らせてちゃったんです」

「え? どうして?」

「それがですね……」

 ギルフォードがぼそぼそと事情を説明した。

「え? マジでそんなこと聞いちゃったの?」

「ハイ」

「バッカじゃないのぉ~。そんなこと聞いたら怒るに決まっとろーもん」

「だって気になったんだもん、仕方ないじゃん」

「いくら気になったって、聞いて良いことと悪いことがあるって」

「だって、ジュンと一緒にシャワー浴びたって言うから……」

「だからって、葛西君の裸のことなんて聞くか、フツー?」

「いえ、控えめに『どうだった? 見た目よりずいぶん逞しかったでしょ』って聞いたんです」

「いっしょだ、いっしょ。どーせ、うれしそーに聞いたんでしょ」

「スミマセン」

「図星かい。……ったく、彼氏にそんなこと聞かれたら、私ならその場でベッドから蹴落としてるところだよ」

「ジュリーはあれ以来口をきいてくれません」

「あたりまえだって。バカね」

「どうしたらいいんでしょう」

「そりゃあ、ひたすら謝って謝って謝り倒すしかないでしょ」

「やはりそれしかないですか」

「ま、ないでしょうね」

 由利子が冷たく答えたので、ギルフォードはすっかり意気消沈してしまった。

「はー、やっぱり僕はバカですね」

「ま、がんばって彼が帰国するまでに仲直りしてください」

 さすがに気の毒になったのか、由利子はそう言うと、パン!とギルフォードの背中を軽く叩いた。


 由利子としょぼくれたギルフォードは、その後しばらく無言で歩いていた。それで、彼らの後ろを歩いている女性二人の会話がそれとなく耳に入ってきた。

「ね、前の二人、何かゲイカップルっぽくない?」

「まさか……。でも言われてみれば……」

「そうでしょ。二人ともカッコ良さげだし、正面から見てみたいね」

「相変わらすの腐女子ぶりやね、あんた」

「見てこようか」

「やめとけ。不細工だったらあんたまた泣くやろ」

 由利子は、ギルフォードが小刻みに震えているのに気がついて彼の方を見上げた。ギルフォードは空いた左手で口をふさいで必死で笑いをこらえていた。由利子は渋い顔をしてつぶやいた。

「これからアレクといる時に、この格好はやめとくわ」

「ええ? そんな、もったいない……」

 ギルフォードは残念そうに嘆いたが、彼女らの話の流れが変わったのに気がついて口をつぐんだ。

「それよりねえ、昨日の緊急放送見た?」

「うん。運転中だったから『聞いた』だけどね」

「信じられる?」

「う~~~ん、信じるも何も、ほんとに危険だからあんな放送があったっちゃろ? 新種ウイルスの出血熱だなんて全然ピンとこないけどさ」

「私もそうやったんやけどさ、今朝ね、通勤途中で事故があって……」

 由利子はギルフォードの横腹を突っついて彼の顔を見た。ギルフォードは無言で頷いた。彼女らの話は続いた。

「私は傍にはいなかったんだけど、凄いブレーキ音がして、ドンって音が聞こえてさ、何、何?って思ったらさ、誰かが事故だって叫んだのよ。それで、私も現場の方に行ってみようと思って駆け出しかかったらさ、女の人が出血熱だから、寄るなって叫んでたんが聞こえてさ、もう、びっくりしたよ」

「で、どうだった?」

「冗談でしょ。怖いからすぐにそこから離れたよ。で、心配だから、出来るだけ遠回りして会社に来たのさ。だから遅刻しちゃったってワケ」

「結局遅刻の言い訳なわけね」

「そうじゃないけど……」

「冗談よ。でも、怖いねえ。近くにいた人たち感染(うつ)っていないやろうね」

「わからんねえ」

「だいたいあんた、大丈夫やろうね?」

「ええっ? やめてよ、全然遠くにいたんだからぁ。昨日の放送でも言ってたやん。接触しない限り大丈夫だって」

「わかんないよぉ。あんたがウソをついているんかもしれんやん」

「ひっどぉい」

「いやあぁん、えんがちょ~」

 そう言うと、彼女は笑いながらバタバタと駆けだした。残された方は、驚いて後を追い、ふたりはギルフォードと由利子を追い越して、十数メートル先のビルに入っていった。その際ふたりはしっかりとギルフォードたちの姿を確認するのを忘れなかった。追う方の女性は、振り向き様に小さくガッツポーズをして走り去った。ギルフォードはややぽかんとして言った。

「日本の女の子は元気ですねえ……」

 しかし、由利子からは返事がなかった。不審に思ってギルフォードは由利子の方を見た。

「ユリコ、どうしたんですか?」

 すると、由利子はやや眉間に皺を寄せ、真剣な表情をしてギルフォードに言った。

「アレク、やっぱりさっきの話、引き受けるね」

「え? ああ、カレンさんのことですか?」

「ええ。今の女性達は冗談めかしてたけど、災禍が身近になってくると、いずれ洒落じゃ済まなくなるでしょ。だから、悪い芽があるなら早めに摘んでおいた方がいいと思ったの」

「オー、ユリコ! サスガです、ありがとう!!」

 ギルフォードは、傘を持ったまま由利子の方に右向け右をすると、いきなり彼女を抱きしめた。

「きゃ~」

 由利子の悲鳴と共に、パチーンという乾いた音が雨の街中に響いた。


 捜査本部に戻ると、松樹が帰って来ていた。

「キョウ!」

 ギルフォードが彼の顔を見て喜んで駆け寄った。松樹は両手を前に構えて言った。

「おっと、ハグは遠慮してくれよ」

「ちぇっ、釘を刺されちゃいましたか」

「久しぶりだね、アレックス。相変わらずのようだね」

 松樹はギルフォードの頬の手形に気がついて言った。

「キョウも全然変わらないですね」

 二人はお互いの肩を、バンバン叩きながら言った。

「ところで」ギルフォードが話題をふった。「どこに行ってたんですか?」

「ああ、今朝方例の新たな感染者が発覚したことについて、タスクフォース全体としての会議があってね。今日はまだ本格的な稼動はしていないが、正式に動き出したら、君たちにも参加してもらうから」

 松樹が「君たち」と言いながら、明らかに自分の方も見たので、由利子は目を丸くして自分を指差した。

「そうですよ、ユリコ。君にはバイオテロ対策室顧問である僕の助手として来てもらう事になったんです。ほんとは今朝、その話をしようと思ってたんです。対策室のある間だけの臨時職員なので申し訳ないのですが、いちおう保険関係もつきますし、相応の日給も出ますんで……」

「え? その話マジですか?」

「実はお預かりした履歴書を県に提出していたんですが、バッチリでしたよ」

「ええ~っ!」

 由利子は目をぱちくりとさせて言った。ギルフォードはそれを見て心配そうに尋ねた。

「大学のアルバイトより条件が良いと思ったんですが、ダメでしたか?」

「いっ、いいえっ、むしろ嬉しいです。でも、そういうこと全然聞いていなかったから驚いちゃって」

「下手に言って期待させてダメだったら悪いと思ったんですよ」

「ありがとう、アレク」

 由利子は驚いたのと嬉しいので目を若干潤ませながら言った。それを見ながら松樹が言った。

「感動的場面に水を差すようで悪いが、新感染症の件を全国公表することに決まったよ」

「決まった? そりゃあまた急ですね」

「新感染症については、安田さんから多美山さんまでの感染ルートで存在が証明されているし、病原体がウイルスだけに、地域封じ込めに頼るのは難しいと判断されたようだ。」

「遅すぎたキライもありますが、これで全国的に網が張れるようになりますね」

「ああ。だが、良いことばかりじゃないぞ」

 松樹は眉を寄せ腕組みをしながら言った。

「これからは中央が大っぴらに干渉して来るだろうからな」

「そうですね。ややこしいことにならなければいいのですが……」

 ギルフォードも表情を曇らせる。

「君を追い出したあの男が関わって来なければいいんだが」

「いやなヤツを思い出させないでください」

 ギルフォードはさらに憂鬱そうに言った。由利子はその二人を交互に見ていたが、敢えて質問することを控えた。それを見越したのか、松樹が由利子の方を向いて言った。

「さあて、そう言うことで、篠原さん、色々思うこともあるだろうが、そろそろ犯人探しを再開してくれないかな?」

「ヤクザに飽きたら、カルト関係のリストもありますから」

 早瀬が生真面目そうに続けた。

「ああ、すっかり忘れてた……」

 由利子は、ゲンナリとしてパソコンの方を見た。


 その頃、葛西とジュリアスは例の河川敷に来ていた。その周辺は大規模な範囲で立ち入り禁止になっていた。葛西が周囲を見回しながら言った。

「昨日の告知のおかげでおおっぴらに出来るのはいいんだけど、やっぱりなんか妙だねえ」

「それよりも、問題はこの雨だわ。仕掛けとったメガローチホイホイがほとんどびしょぬれになって使えにゃーようになっとっただろ」

「さっきまで、かなりの量が降ってたからね。今日は収穫なしかなあ。仕掛ける場所、考えないといけないかな」

「少なくとも今までは全部あかんかったからね」

「これじゃあ、河川敷が僕らの仕事場になってしまいそうだよ」

「そりゃあ、でらあかんわ」

 二人はブツブツ言いながら、最後の仕掛け場所に向かっていた。

「あ、あそこら辺だったね。例の橋の下!」

「急ごう。雨が直撃しない場所だで、掛かっとればええのだが」

 二人は足早に向かった。その時、バタバタとヘリコプターの音がしているのに気がついた。二人は同時に音のする方の空を見上げた。

「今日、この事件でヘリを飛ばす予定とかあったかね?」

 ジュリアスがヘリコプターを確認すると、言った。葛西は首を横に振りながら答えた。

「いや、そんな予定はないはずだよ。多分、民間の飛行機じゃないかな」

「民間? ドクターヘリでもなさそうだで、マスコミ関係じゃにゃあか?」

「そうかも……、いや、多分そうだ」

「俺たちを狙っとるのかね」

「可能性は高そうだね。ここの様子を見に来て僕らの存在に気付いた、そんなとこだろ。防護服に捕虫網だもん、目立つよ。とりあえず橋の下に急ごう」

「無駄かもしれにゃーけど、ためしに走ってみよまい」

「おっけー」

 二人は同時に駆けだした。ヘリはすでに旋回して葛西たちの方に向いている。

「やっぱりそうだ、目当ては僕たちだ! 嫌な予感がする……」

 葛西がジュリアスのやや先を走りながら、振り返ってそれを確認して言った。その時、ジュリアスが叫んだ。

「葛西! 前を見ろ! おみゃーさんの行く先に・・」

 しかし、既に遅しで葛西はメガローチの罠を足で蹴り上げてしまった。

「うそっ、何でこんなとこにあんだよ!!」

 葛西の驚きと疑問を余所に、蹴飛ばされた罠は地面スレスレをかすって飛んで行ったが、着地すると生き物のように震え、罠から異様な音が響いた。

「うわ、ひょっとして!!」

「ひょっとしてじゃにゃーよ。確実にかかっとるだろ!」

「そんなこたわかってるっ! 罠に掛かったまま飛ぼうとしてたってことだよ! やっぱりバケモノだ……」

「よっしゃ! 念のため網で罠ごと捕獲するから、どいてくれーせんか」

「あ、悪い! やってくれ!」

 葛西はさっと右に避けてジュリアスを前に通した。罠はビリビリと音をさせて少しずつ移動をしている。罠の中で何かが高速で動いているのが見えた。

「わあ、翅だわ。成虫じゃにゃーか。本気で罠ごと飛んで逃げようとしとるらしいぞ」

「うわあ~、気持ち悪っ!!」

「なんかおれも、捕獲するのが嫌になってきたわ。だが、そういうわけにもいかにゃーて、行くぞ、葛西」

 ジュリアスは、そう言うと捕虫網を振り上げた。が、罠はブンと羽音をさせて一瞬浮き上がってすぐの地面に落ち、また中で騒々しい音がし始めた。

「わあっ! ほんとに飛んだッ!!」

「なんだぁ、こりゃあ~。このあんばいで飛ぶかね、フツー?」

 ジュリアスが驚きながらも網を振り下ろした瞬間、罠の中から黒いモノが走り出た。それは、すぐに飛び立つと、再度捕虫網を持ったジュリアスに向かってきた。

「ジュリー!」

「こいつ、攻撃するつもりか!?」

 ジュリアスはそう言いつつも冷静に網を構え、蟲の動きを目で追った。だが、敵の動きは彼の予想を裏切った。ソレはすぐに方向転換をして、すんでのところでジュリアスの網をかわし、草叢の中に逃げ込んだ。

「くっそお~~~! またか!」

 ジュリアスは網を地面に叩きつけて悔しがったが、後の祭りだった。葛西が気の毒そうに言った。

「ね、手ごわいでしょ」

「手ごわいどころか、あいつの知能はハンパじゃにゃーぞ。最初威嚇で向かってきたくせに、ソレが効かにゃーと判断するや、逃げの一手に出た。昆虫の癖に、しゃれにならにゃーぞ、まったく」

「とりあえず、残った罠を確認しようよ」

 葛西は気を取り直して、今は抜け殻と化した罠に向かった。ジュリアスもそれに続いた。葛西は罠の前にしゃがみ込むと、罠を手に取り中を覗いた。しかし、すぐさまそれを元の場所に戻し、顔を背けた。

「どうしたんだ、葛西?」

「中に置き土産がある……」

「置き土産?」

 ジュリアスは葛西の言分を確かめるために、罠を拾って解体した。そこにはゴキブリにあるまじきサイズの脚が2本取り残されていた。フンらしきものも残っている。さすがのジュリアスも露骨に嫌な顔をして言った。

「収穫は脚2本プラス土産物か。まあ、にゃあよりマシってところだね。ちゃっと採集して、次の罠を仕掛けてちゃっと帰ろまい」

ジュリアスは、さっさと荷物から採取セットを取り出しはじめた。葛西が地面にへたり込んで言った。

「もういやだ、こんなの」

「なあ、葛西。おれたちが相手をしとるのは、生き物だわ。どんなものも必死で生きようとしとるんだで、特に野生生物はいつもガチで命を懸けとる分、人間より手ごわいのはあたりみゃあだろ。さ、これも明日までの予定だ。もうひとふんばりだわ。がんばれ」

「ごめん。ちょっと心が折れかかったよ」

 葛西はそういうと、景気づけに「よっ!」と気合を入れて立ち上がった。件のヘリは既に彼らの頭上を旋回していた。ジュリアスが胡散臭げに見上げて言った。

「しかし、小煩いカトンボだ」

 葛西もそれに続いて見上げながら言った。

「いったいどこのヘリだろう」

「ま、今夜のニュースを見たらわかるんじゃにゃあか?」

「くそ、これからもこんなことが続くんだろうな」

(こっちの苦労も知らないで)

 葛西は、苦々しい思いでヘリコプターの姿を目で追っていた。


 夕方5時過ぎ、帰宅する会社員や買い物客などでそろそろ込み始めた頃、駅前の道路に1台の乗用車が止まり、男が一人降りた。おそらく彼は電車に乗るつもりなんだろう、それだけなら特に珍しくもない光景だった。しかし、なんだか様子が違った。車を降りた男性は、よろけながら路上に降り、フラフラと歩道まで歩くとよろけて膝をついた。そんな男を放って、彼を乗せていた車は無情にもすぐに走り去ってしまった。

「大丈夫ですか!?」

 そういいながら親切そうな年配の女性三人組が男に近寄って行ったが、ヨロヨロと立ち上がった男の顔を見て、息を呑んで後退りをした。男の両目は赤く充血をしており、高熱があるのか顔は赤く汗をだらだら流している。男は立ち上がると、彼女らにはに目もくれず、ゆっくりと歩きはじめた。その様子を数人の通行人が不審そうに見たが、ほとんどの人間は気に留めることなく彼の横をすり抜けて行った。男はフラフラと、しかし迷うことなく駅の方に向かって歩いて行った。


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