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朝焼色の悪魔-第3部-  作者: 黒木 燐
第2章 焔心
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7.現実の火種、妄想の火種



 記事はその後、日曜夜に北部九州一帯と、翌日月曜夜の全国向けに流された、サイキ・ウイルスについての緊急放送の概要に移った。それは、ほぼ正確な内容だった。むしろ、まとめとしてはかなり優れたものに仕上がっていた。

 その後記事は、このウイルス禍についての考察に入った。

 

【殺人ウイルスはどこから来たか】

 だが、以上の緊急報道では充分に説明されなかったことがある。それは、何故そのように危険な未知のウイルスが、いきなり九州の地方都市に出現したかという事だ。

 このような新種の病原体が発生する可能性は、いくつかある。

 旅行者が海外から感染して持ち込む。船や航空機に運ばれて、媒介生物が入国する。国内の急な開発により、密林に潜む未知の病原体が出現してしまう。病原体を扱う機関から漏れ出した。等々。

 疫病の発生地であるF県K市は、多くの芸能人を輩出したことと、ラーメンやヤキトリなどで有名な人口30万の地方都市だ。しかし、近くに国際空港や港があるわけではない。当然密林を切り開くような開発があったわけでもない。過去にこのような風土病の出た記録も無い。さらに、最初に感染したと思われる人間はホームレスで、海外渡航暦のある可能性はほぼ0だ。また、本誌が調べた限りでは、K市どころか日本国内でも、未知のウイルスを扱っているような機関はない。

 それを考えると、何故この地にサイキウイルスのような、激烈な症状をもたらす病原体が、突如現れたのか、まったく推測がつかない。

 過去に一度、日本国内で出血熱が発生し流行したことがあった。

 第二次世界大戦後の1960年、大阪の梅田市でハンタウイルス感染症と思われる病気が流行したのだ。その時はドブネズミが媒介動物になった。

 日本での出血熱流行は、今回の発生が二度目ということになる。しかも、大阪の場合はその後十年において119人の感染者が出たが、死亡者の総数は二人であった。それに対して、今回は発生からひと月も経たないうちに、既に十人以上の死者が出ている。それが、看過出来ない数であることは、自明であろう。なお、2009年の新型インフルエンザA(H1N1)の日本国内発生についてを例にすると、後に爆発的に増えるものの、発生から約1ヶ月までの国内での感染者は約500人だが、死者数は0である…… 

 

 

「なるほど、ラーメンヤキトリはともかく、それなりに勉強はしているようだな」

 高柳が感心して言った。ギルフォードも相槌を打ちながら言った。

「そうですね。この女性は意外とものを書くことが天職なのかもしれません」

「うむ。道さえ間違えなかったら、真犯人までたどり着く可能性もあっただろうな」

「そういう意味では、この女性は連中にとって危険な存在だったということですな」

 と言いながら、九木は組んでいた腕を組み替えて続けた。

「で、干渉された結果の記事が次なわけだ」

「彼女には残念ですが、そういうことでしょう」

 と、松樹が左手で垂れてきた前髪をかき上げながら言った。葛西はみなの顔を見回し、様子を見て口を開いた。

「続けていいでしょうか?」

「おっとすまんね。続けてくれたまえ」

 高柳が言った。

 

【それはバイオ・テロか】

 以上のことを踏まえた上で残る可能性は、このウイルスが人為的にばら撒かれたか、あるいは、非公式な研究室からウイルスが漏れたか、ということだ。先にあげた大阪でのハンタウイルスの局地的流行は、当時、米国が生物兵器研究のため大陸から輸送していたハンタウイルスが、寄港中の大阪湾で漏れたからではないか、との推測もあるのだ。

 そして、緊急放送にもかかわらず、ウイルスの出現について言及しなかったのは、その公表が出来なかったからではないだろうか。

 では、出来なかった理由とは何か。

 本誌は先に書いたように、F県で現在起こっているウイルス禍について、テロの可能性があるという情報を掴んだ。都心で実行する前のシミュレーションとして、地方で実験的に行ったウイルス散布が、テロリストの想定外に広まったものだということだ。

 そして本誌記者は、この事件に大きく関わっているウイルス学者を、偶然写真に捕らえた。M記者が、ホームレス以外で始めてサイキウイルスに感染したと思われるA少年の家に取材に行こうとした時のことだ。そこには、何故か先にA家に入り込んでいた『教授』がいた。その時、M記者が急いで激写したものがこの写真である。

 家族をウイルスで失い一人残ったA家の当主は、何故か『教授』の訪問と共に、自殺を図ったということが、後の取材でわかった。

 当主は何故自殺を図ったのか、それは本当に自殺だったのか、『教授』が血まみれの服を着ているのはどういうわけか。本誌はこのウイルス騒ぎの暗部に不穏な『何か』があることを直感した……

 

 その記事ブロックの傍に、さっき問題になったギルフォードの写真が掲載されていた。秋山信之が自殺未遂をした時救命処置をし、その後救急車を見送って門の傍に立っていた時の写真だ。

 それは全体的に砂目フィルターが掛けられているため不明瞭で、さらに両サイドに居る由利子たちの顔にはボカシが入れられ、ギルフォードには目線が入っているが、わかる人が見れば、おそらく推測が可能であろう程度の写真だった。ギルフォードは腕組みをしたまま険しい表情で黙り込んでいる。葛西はその表情に見覚えがあった。スパムメール事件の時の表情かおだ。

(相当怒っているよなあ、ありゃあ……)

 葛西はそう思い気になったがどうしようもない。仕方なく淡々と続きを読んでいった。

 ……テロ関連については、まだ十分な裏づけ資料が無いために今回は詳しい内容の掲載を控えるが、順次掲載していく予定である。

 しかし、もしも、キーマンである『教授』がウイルスの開発に加担していたとしたら、恐ろしいことになるだろう。731部隊やアメリカの炭疽菌事件の犯人と同レベルの危険人物が、ウイルス対策チームに……

 


”畜生、俺をあんな腐れ外道共と一緒にするんじゃねえっ、このクソッタレがっ!!"

 とうとうギルフォードがキレた。一瞬センター長室がシンとなった。ついで、高柳と九木が呆気にとられてギルフォードの方を見た。日本語とのギャップに驚いたのだ。松樹は、ぷっと吹き出し笑いながら言った。

”なんだ、アレックス。おまえ、全然変わってないんだな”

 勢い余って立ち上がったギルフォードは、はっと我に返り、バツの悪そうに顔を赤くしてすわり直しながら言った。

「すみません。つい汚い言葉を使ってしまいマシタ……」

 ほとんど英語の聞き取れない葛西は、ギルフォードが何と言ったか理解できずにぽかんと突っ立っていた。

 

 由利子は大学の図書館で、ジュリアスに付き合って気に入った本を読んでいた。

 しかし彼女は時折、隣に座ったジュリアスが大量の本に埋まって調べ物を続けている様子を眺め、ため息をついていた。

 ジュリアスの周囲に積んだ本が、次々と左から右に積まれていった。

 最初、由利子は面食らってしまい、しばらくジュリアスが分厚い本のページを猛スピードで繰る様子に見とれていた。速読のことは知っていたが、実際にそういう読み方をする人を見たのは初めてだった。しかも、和文英文どころか、独文仏文までこなしていた。

(うわあ、こいつ、本当に天才だったんだ~)

 由利子は感心しながら思った。それでも由利子は、だんだんと読んでいる本に引き込まれ、いつしかそれに没頭してしまった。それで、ジュリアスが本のページをめくる手を止め、「ビンゴ!」とつぶやいたことに気が付かなかった。

 

 葛西は一通り読み終わって、机に雑誌を置いて言った。

「以上ですが、特に読み返すような箇所はありますか?」

「いや、充分だろう」

 高柳がすぐに答えた。

「内容としては玉石混淆だが、石の方が多い。しかも、タブロイド性の高い雑誌だ。今のところこれがたいして騒ぎを起こすこともないだろう」

「で、この雑誌のこっちでの発売はいつです?」

 九木が問うたので葛西が答えた。

「え~っと、あさって……、金曜日ですね」

 それを聞いて、松樹が頷いた。

「なるほど。事件の起こっている地より先に、都心部でこの情報が流れるわけだね」

「ええ、情報の逆転現象とでも言いましょうかね」

「ただしですね」

 葛西が言った。

「同雑誌の電脳版ってのがあるんです」

「ああ、WEBニュースね」

 と、九木。

「はい。販売促進のため、全部は掲載しないようですが、登録すると主要記事がメールマガジンで読めるようになっているようです。もちろん有料ですが」

「なるほど」

「ですから、その記事をコピーペーストして、どこかの掲示板等にアップする可能性もあります。もしアップしたほうが面白半分であっても、本気にする人たちの数は看過出来ないのでは……」

「う~む、やはり対策会議の議題にこれを上げる必要があるか。あまりこういう電波系のお取り扱いはしたくないものだがね」

 高柳が渋い顔で言った。

「だけどね、センター長」

 九木が言った。

「同じ陰謀論めいていても、これは9.11やアポロのような国外の事象ではない。対岸の火事ではなく実際に我々の尻に付いた火なんです。今は小さい火の粉かもしれませんがね」

「うむ、それについては私も危惧はしているんだが……」

「これからは、もっと面倒くさいデマが飛び交う可能性もあります。その対処法も検討しなくては」

「デマに対処か……。難しいな、多分」

 高柳がため息混じりに言った。

 そこで、今まで黙っていたギルフォードが口を開いた。

「ところで、現在わかっている感染可能性者でまだ見つかっていないのは何人ですか?」

「森田健二関係では、ガールフレンドの一人と『コンパでお持ち帰りをした』とかいう女性一人。それから、篠原さんのバッグを狙った二人組の男の内の一人。そして、笹川歌恋の会社の同僚の斉藤孝治。この四人だね。行きずりの女性はもともと正体不明だし、ひったくり犯は行方不明のままだが既にこの世には居ないかもしれない。それに対して残りの二人は名前も住所もわかっているんだが……」

「結局全員行方不明ということですか」

「そうだな」

「感染がわかっていて、隔離を避けるために身を隠していると考えていいですね」

「既に死亡しているのでなければ、そういうことだろうな」

 高柳は憂鬱そうに言った。それを聞いた葛西が不安そうに言った。

「じゃあ、やけになったりしたら恐いじゃないですか」

「うむ。あまり考えたくは無いが、赤視の時に起きる発作のこともあるからね、可能性は無いことも無いが……」

「緊急手配はしているんだ。駅や空港・港湾にも捜査員を張り付かせているし、北部九州の飲食店はもとより、宿泊に利用しそうなネットカフェや風俗営業のホテルにまで手配書を配ってはいるのだがね」

 と、松樹が腕組みをしたまま、これまた渋い表情で言った。 

 

 

「どいつもこいつも、おれを疫病患者扱いしやがって……! ちくしょお……」

 斉藤孝治は、コーヒーショップで一人コーヒーを飲みながら毒ついた。

 彼は、一昨日の月曜に会社を飛び出してから、家にも会社にも戻らなかった。二晩ほどネットカフェに泊まったが、二晩目の早朝、彼を不審に思った店員から通報され、捕まりそうになったところを間一髪で逃げ出した。

 月曜日……あの、窪田栄太郎が自動車に飛び込んで轢死し、笹川歌恋が感対センターに隔離された日の昼前、社内で緊急集会が行われた。その時、調査と説明に来た保健所と感対センターの職員から、窪田と歌恋が例のサイキウイルスに感染していた可能性が濃厚であることが告知された。当然のことながら、孝治は内心愕然としていた。先週の金曜、彼は歌恋を窪田との関係のことで脅し、彼女の部屋に押しかけた。その挙句に、無理やり関係を持ってしまったからだ。

 しかし、その後も孝治はそ知らぬ顔をして仕事を続けたが、不安に耐え切れず、とうとう午後3時ごろに取引先に届け物があるからという理由で会社を抜け出した。その後彼は、ゲームセンターで時間を潰し、結局帰社せず直帰するという電話だけ入れて自宅に向かった。しかし、自宅のあるマンションの周囲に数人の男がうろついているのがわかった。孝治は彼らが警官であり、自分を捕まえに来たのだと思い恐ろしくなった。彼はそ知らぬ顔でマンション前を通り過ぎ、しばらく歩いた後、慌てて駆け出した。

 翌日、会社に休暇届けの電話を入れた。昨日の今日で、会社に行く気力がなかったのだ。しかし、孝治の感染は既に会社の知ることとなっていた。総務の女性から社長へと電話がつながり、ちゃんと隔離された上で検査をするようにと訥々と説得された。だが孝治はそれを激しく拒否し、電話を切った。

(終わったな……)

 孝治はようやく自分の立場を認識し、そのまま力が抜けて座り込んだ。

 

 孝治は三十路を過ぎたばかりの年頃だったが独身で、大学の頃から親元を離れ気ままなひとり暮らしをしていた。

 そこそこにイケメンで二枚目半を気取る彼は、それなりに言い寄ってくる女性も多く、今までガールフレンドには事欠かなかったが、何故かどれも長く続かなかった。

 それでも30を過ぎる頃になると、そろそろ身を固めようかという気になってきた。今まで数人の女性と付き合ってきたが、いまいちこれと言った感じの人とは出会えていなかった。そこに新入社員として入って来た笹川歌恋は、孝治にとって理想の女性そのものだった。最も、彼は女性を好きになるたびにそう思う性質タチではあったが。

 それで、孝治はしばらく歌恋の様子をこっそりと伺うという、裏職場ライフを満喫していた。しかし、ある日彼は、偶然とんでもない事実を知ることになった。彼は、悪友たちと飲んでいた有名繁華街のスナックで、会社ではほとんど口も利かない状態の歌恋と窪田が、カウンターで楽しそうに語らっているのを目撃したのだ。店内があまり明るくないため、二人が孝治に気がつく様子は微塵も無かった。

 11時を過ぎた頃、窪田と歌恋は仲良くスナックを後にした。歌恋は大胆にも窪田の腕にしなだれかかっていた。

「ねえ、ママ、今の二人ってさ」

 二人が戻ってくることが無いのを確認して、孝治は尋ねた。ママは、クスクス笑いながら言った。

「うん、ホテル待ちやろうね。最近二人で良く来るのよね。栄ちゃんも隅に置けないわよネエ。あんな若くて可愛いコとさー、ねー」

「ねー」

 カウンター内に立つ、若い女性バーテンダーが意味深な笑みを浮かべて相槌を打った。

「へえ、そうなんだー。羨ましいねえ」

 孝治はそういうと、心の中でニヤリと笑った。

 本当に軽い気持ちだった。

 女性にもてると自負していた孝治は、これで歌恋が自分に夢中になるだろうと考えていた。少なくともゲームの世界ではそうだった。しかし、現実は違った。事の終わった後には、激しい拒否と非難に満ちた目が孝治に向けられていた。彼は、それでも気楽に考えていた。自分とは初めてだったからなんだ。次からはきっと……。

 だが、現実は歌恋からの拒否以上に過酷だった。致死率ほぼ100%の新型ウイルス感染。

 この酬いを重いと見るか軽いと見るかは意見が分かれるところだが、少なくとも歌恋は相応と思ったことだろう。

 そして、孝治の逃亡生活が始まったのである。

 

 

「ところで、亡くなられた、ユリコの元上司のコガさんに関してはどうでしたか?」

 さらに、ギルフォードが聞いた。由利子が親しかった人のことなので、ずっと気になっていたのだ。

「うむ、彼が掛かった病院に問い合わせたが、風邪をこじらせ肺炎を併発したと判断したということだった。しかも、死因は心臓発作らしい。血液検査のサンプルは既に廃棄されていたよ」

「どういうことですか?」

「そのままさ。私たちが多美山さんに見たような激烈な症状は無かったといっていた。赤視などの症状も無かったらしい。もっとも、急に容態が悪化したということなので、気付かなかった可能性もあるがね。まあ、遺族から解剖を拒否されたので、内臓の状態等内部がどうだったかわからんそうだが」

「触診や問診でもある程度異常がわかると思いますが」

「面倒ごとは避けたかったんだろう。このウイルス感染については、告知前から日本中の病院に知らせられていたんだ。知らなかったはずはないよ。ただね、実際に目の前の患者がそうだと思いたい医者はそんなに多くないだろうからね」

「二次感染は……」

「今のところ無いそうだ」

「心臓発作というのが気になりますね。新たな症状かもしれません。届け出がなく解剖されなかったことが悔やまれます」

「まあ、多美山さんだってここに入院してなければ、もっと早く亡くなられていた可能性もある。そして、それは心臓発作だったかもしれないだろう。同じように劇症化を起こしていた秋山珠江は、感染後3日足らずで死亡しているのだからね」

「何が劇症化の引き金になるかも突き止めねばなりませんね」

「とにかく、カルテなど資料関係は全て送ってもらうことにはしているから」

「まあ、他に方法はありませんねえ……」

 ギルフォードがため息をついて言った。その後、今度は葛西に向かって尋ねた。

「ジュン、C川沿いのアパートで亡くなられた方についての情報はありますか?」

「あ、アパートの管理人さんからの情報で、わりと詳しくわかりました」

 葛西はそう言うと手帳を開いた。

「名前は海老津利和えびつ としかず。年齢55歳。仕事はホテルの客室係でした。ホテルと言っても、いわゆるラブホテルだったようですが」

「おや、男性にしては珍しいんじゃないですか?」

「以前は中堅どころの企業に勤めていたようですが、平成不況の煽りで倒産したらしいのです。今は再就職は難しいですから、仕事を選んでいる場合ではなかったのでしょう。特に年配の方で手に職も特筆すべき資格もないとなると……」

「そうですか……。ユリコが聞いたら落ち込みそうですね」

「やだな。由利ちゃんはまだ若いですよ。特技もあるし」

「ああ、失礼。まだお若いデシタ。まあ、特技については履歴書に書けるかは微妙ですけど」

 ギルフォードが苦笑して言ったが、葛西はそれを無視して続けた。

「で、ご家族の話だと、ある日ついと家を出て行ったそうです。毎月10万円ほどの送金はしていたようですが」

「10万って、そういうところの仕事だったら、給料の大部分じゃないですか?」

「そうですね。家賃や光熱費と食費……必要な経費を引いたほとんどだと思います。しかも相当切り詰めてたと思います。だって、室内には寝具と照明、台所には一口コンロとやかんくらいしかありませんでしたから」

「なんか、やり切れませんね……」

 ギルフォードがため息をついた。

「どうしてだか、ホームレスだったヤスダさんを思い出してしまいました」

「あ、なんかわかりますよ」

 葛西が頷きながら言った。ギルフォードは次に高柳に尋ねた。

「タカヤナギ先生、それでこのエビツさんの感染経路は?」

「これは推理でしかないのだが、おそらく蟲が媒介したのではないだろう。遺体に咬み傷もPox様発疹跡も無かったからね。職場で感染の可能性が高いな」

「職場で?」

「客室係だったのなら、寝具や衣類に触れるだろう? あるいは、もっと言うに憚るようなものの処理もせねばならないかもしれない。そんなところに感染者が泊まっていたら……」

「たしかに、感染リスクはかなり上がるでしょうね」

「ひょっとして、そのホテルに美千代が泊まった可能性も……!」

 と、葛西。それに対して高柳が大きく頷いて答えた。

「大いにあるだろうね」

「で、対策は?」

「アレックス、すでにそのホテルには連絡を入れているよ」

 松樹が言った。

「それに美千代の事件以後、県内及び県周辺の風俗営業を含む各宿泊施設に問い合わせも入れている。実際、美千代が防犯ヴィデオに映っていたホテルもあった。だが、それは今回のホテルではなかったんだ」

「いずれにしても、ホテルの従業員や或いは宿泊者にも感染の危険があることが確実となったんだ。特に客室担当の方には充分な装備で作業出切る様、徹底的に指導すべきだな。室内の消毒も同様だ」

「しかし、まだ表に出ていない感染者が多く居る可能性がありますね」

「感染可能性者が行方をくらませた場合、指名手配することも検討すべきではないですか」

 と、いままで黙っていた九木が口をはさんだ。

「指名手配……?」

 高柳と葛西が同時に言った。

「そうです。危険な病原体を持ったまま逃走することは、もはや犯罪です。リスクは銃を持って逃走するのと同等でしょう。いや、もっと危険かもしれない。銃は伝染や増殖はしませんからね」

「しかし、それをやるとなると、色々と問題が出てきます」高柳が渋い表情で言った。「特に人権派の人たちの反発は必至ですよ。今でさえ、不当な隔離と抗議してきているんですから」

「だが、非常事態です。今のところ、表面的には世間は穏やかですが、これからはどうなるかわかりませんよ。ま、私はもともと部外者ですから、あまり口は挿みませんけどね」

(”充分嘴を突っ込んでいるじゃねーか“)

 ギルフォードがそう思った時、それを見透かすように九木が尋ねた。

「ギルフォード先生、専門家のご意見はどうですか?」

「僕としては……」

 ギルフォードは一瞬眉間を寄せたが、すぐに笑顔に戻って言った。

「不本意ではありますが、ココノギさんの意見に賛成です。ただし、ここは日本ですから、強硬手段をとるにはかなりもめるでしょうね」

「ところでギルフォード君。キング君はどうしているんだね?」

 高柳が思い出したように言った。

「ああ、彼は、ユリコと一緒に図書館にいますよ」

「ほう、図書館デートかね?」

「ちがいます。あいつが図書館に行きたいと言うんで、こんなくだらない週刊誌のせいで行けなくなった僕の代りにユリコに行ってもらったんです」

 ギルフォードが不機嫌そうに答えたので、高柳は苦笑いをしてから言った。

「まあいい。至急、呼び出してくれないか? 彼の意見も聞きたい」

「わかりました」

 ギルフォードはそういうと、電話を取り出した。

 

「ご利用者様のお呼び出しをいたします。ジュリアス・アーサー・キング様~、ジュリアス・アーサー・キング様~。おられましたら、至急ギルフォード教授までご連絡をお願いいたします。繰り返します……」

「あんのクソた~けっ! あれだけフルネームはやめろとゆーとったのに!」

 ジュリアスはそう言って立ち上がると、携帯電話を引っつかんで廊下の方に出て行った。周囲の人たちがクスクスと笑っている。

(ジュリアス・アーサー・キング? すっごい名前やねえ。シーザーとアーサー王が合体しとぉやん)

 由利子は心の中で思うと、喉の奥でクックッと笑った。爆笑したいけど、こんなところでは出来ない。苦しくなった由利子は、気を紛らわそうとジュリアスの読んでいた本に目をやった。ふと、その中の一冊にシャープペンシルが挟んであることに気がついた。

「あら、探し物はみつかったのかな?」

 由利子はつぶやくと、その本を広げた。全部英語であった。由利子は見た瞬間拒否反応で頭が真っ白になった。

「読めないじゃん」

 ふと、そこに掲載されていた写真が目に入った。それは、40~50歳くらいの白人男性で、口ひげをきっちりとそろえた紳士だった。

(いやん、ロマンスグレーで私の好みだし)

 下を見ると、Dr.なんたらと書いてある。しかし、由利子には難解なスペルで上手く読めない。そうこうする内にジュリアスが帰って来たので急いで本を閉じた。何か、見てはいけないような気がしたのだ。

「由利子、引き上げだわ。感対センターに行くがや」

 ジュリアスが近づきながら言った。

「調べ物は終わったの?」

「ああ、終わった終わった」

「じゃ、出ましょうか」

「由利子、その本借りなくていいのかねー?」

「うん。また来てから読むから。静かだし涼しいし、居心地がいいわあ、ここ」

「そうかね。ほたら行こまい。その前にこの本を元に戻さなかんなー。われながらどえりゃー数の本を積みあげたもんだわ」

 ジュリアスは、机の上の膨大な本の山を見てため息をついた。 


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