初めて“や”ります
一ヶ月。
無詠唱で、超初級風魔法を使えるようになったのにかかった時間だ。
ちなみに、大きく伸びたのは最後の一週間。
何があったのかと言うと、魔物の無詠唱魔法に関する論文を町長が王都大学から貰ってきた、てなことだ。
そりゃあ、研究されてるよね。
障害無しの無詠唱魔法は全ての人間魔法使いにとっちゃ夢だろう。
ここが魔導派の国で良かった。
科学派の国ならこの論文に出会うことなんて無かった。
いや、科学派にドラゴンが行くことはないか。
何にせよ“ウインド”を無詠唱で使えるようになった。
しかし、まだまだこれからだ。
初級風魔法をマスターして、中級に行かなくちゃならない。
それに、魔素の制御にも慣れないと。
発動だけ出来ても、上昇気流をうまく操れなきゃすぐに落ちるだけだ。
さて、それはそんなある日の事だった……。
スライム。
練習に使っていた広場に、やってきた。
「じゃあ、イア、倒してみて」
「……はい?」
聞けば、近くに来たスライムに魔素の流れを作ってここまで連れてきたのはアヴリルらしい。
そろそろ魔物を倒すことにも慣れる頃合なんだそうだ。
誰も倒さないまま成長すると、何も倒せない臆病者になるから、だとか。
そんな事言ったら精神年齢は二十歳になるんだが、どうなのだろう。
アヴリルが知る余地はないか。
転生した事は、アヴリルにまだ、伝えていない。
話すタイミングが無いのと、話す理由が無いのと、元人間の大人なりかけ、と言われたアヴリルが急によそよそしくなってしまわないかが怖いからだ。
名前も気に入ってるし、面倒なことにはなりたくない。
まぁ、いい。
何にせよ僕がこのスライムを倒すこと決定事項のようだし、腹をくくろう。
さて、スライムとは。
まぁ、ご存じの通り地球では最弱の魔物と言われている。
この世界でもさほど強いとは言われていない。
しかし、子供が遊びで街から出て、体を溶かされた状態で見つかった、というのは数年に一度、国で起こることらしい。
そしてその繁殖力と生命力はゴ〇ブリ並らしく、駆除は追いつかないのだとか。
一体何が厄介なのか。
それは、高い耐久力に加え、魔法を使ってくることにある。
主な戦法としては、木に登って獲物の頭を不意打ちで取り、魔法で一瞬の時間を稼ぎ、口と鼻をふさぐ。
相手は魔法も使えない、掴もうとしても掴めない。
必勝ルートだ。
まぁ、今みたいな風に日の元に晒されてポツンと隠れるところもなければ、ただの雑魚だ。
所詮は不意打ちしか出来ない魔物、と言ったところか。
なんて、上から目線で言ってるけど、スライムは初級魔法なら使える。
魔法に関して言えば僕よりも上なのだ。
ドラゴンの威厳はどこへ行った……。
能力を数値で表したって、同じぐらいでは無かろうか。
あれっ?
やばくない?
「良い?能力では劣っていても、魔法は使い方でどうとでも逆転できる。知恵こそが、最大の武器よ」
アヴリルからのアドバイス。
「了解っす!」
よし、やってやる!
スライムと向き合う。
スライムも僕を敵と認めたようだ。
いや、エサと認めたのか……?
まぁ、そんな事はいい。
何にせよ、倒してやる!
スライムを倒すには、体の中心の魔石を砕く必要がある。
心臓のない魔物の典型的な倒し方だ。
心臓がある場合は魔石を砕いても魔法が使えなくなるだけだ。
この二つの別れ方は進化の過程が違った結果らしいが、詳しいことは知らない。
さて、どうやって魔石を砕こうか。
アヴリルは“ウインド”が使えるようになってからスライムを呼んだ。
そして、知恵を使えば倒せる、と言う。
つまりは“ウインド”の使い方を工夫しろってことか。
不意に、魔素の動く気配がした。
スライムが魔法を使おうとしているのだ。
もちろん、無詠唱。
無詠唱で魔法を使う過程はこうだ。
まず、魔石で少し魔素の属性を変更させる。
次に、それを周囲に放出する。
すると、魔素の感応性、伝播性により属性魔素が周囲に出来上がる。
それを最後に操って魔法として打ち出すのだ。
スライムも確かにその動きをしている。
論文を見るんじゃなくて、先に他の魔物を見たほうが早かったかもしれない。
さて、スライムは何を使う?
スライムが出す魔素の色は、青色だった。
水魔法だ。
恐らく、初級攻撃魔法だろう。
“ウインド”と普通に打ち合えば、押し切られるのはこちらだ。
ならば、逸らしてみせよう!
ウインド!
スライムが打ち出した水球は、斜め下から起こる風によって確かにその進行方向を変えた。
が、それでも僕の顔ギリギリだった。
まずい、初級と超初級でこんなに威力の差が出るのか。
逸らし続けるのも無理がありそうだ。
そう思ったのもつかの間、スライムは再び水球を放つ!
それも、連続して、途切れることなく。
うわっ、ちょっ、ヤバッ!
“ウインド”だけじゃ到底間に合わないペース。
ジャンプと羽ばたきで機動性を高めてやっとかわせるレベル。
初級魔法なため、魔素が尽きる気配もない。
このままだと、僕の集中力が切れて当てられて終わりだ。
その前に、攻勢に出ないと。
でも、かわしてるのがやっとな今の状況からどうしろと。
考えろ、考えるんだ。
彼我の距離は三メートルほど。
一気に加速できれば近づける。
でも、攻撃が効かなければ、至近距離からの魔法で倒される。
攻撃も、加速もやらなきゃいけない。
“ウインド”で?
それならば。
なるほど。
シンプルだけど、使える。
魔素を練る。
“ウインド”の軌道を、狭くする分、縦に長くして、威力も上げる。
僕の背中とスライムを結ぶように。
ウインド!
生まれるのは強い追い風。加速して、水球の間を羽ばたきで縫ってスライムに接近する!
スライムの上をとって次にするのは。
腕とスライムの魔石を繋ぐ軌道で、魔素を練る。
さっきよりも狭く、威力は高く。
ウインド!
「ーーっ!」
「ーーっ!?」
僕を捉えきれていなかったスライムは、唐突に降ってきた拳にその魔石を砕かれて。
ここに一つ、命は潰えた。
派手に、その体液を撒き散らして。
「うっ」
地に足つけたドラゴンは呻く。
顔にかかった。
……臭い。
……そして何よりも。
この拳が、スライムを潰した感触が生々しくて、気持ち悪かった。
思ったよりも、これは、精神に来る。
……来る。
「すぅー、はぁー」
深呼吸して。
「ゲェェ、うぐっ、ぼぇ、うえっ」
朝食を吐いた。
なんだ。
なんなんだ。
あのスライム、最後の一瞬目こそ合わなかったけど、確かに僕を認知して、意識を向けてた。
本気で、生きたい、って。
“意識”を。
怖い。
怖かった。
実際、一瞬拳は緩んだ。
“ウインド”が発動していたから止まることは無かったけど、危なかった。
気圧された。
なんだよ。
何が“倒す”だよ。
“倒す”じゃねぇよ、やってる事は。
“殺す”だ。
“殺る”だ。
俺は“殺”ったんだ。
ぬるかった。
それの覚悟は、どこにあった。
“殺す”ことを、どう考えてた……?
軽いものじゃない。
そんな、軽くやっていいものじゃなかった。
いま、この手で潰えた命は、そんなに軽くなかった。
「つっっっぁぁあああああ!!!!!」
叫んだ。
ふざけんな。
何が害だから、だ。
何が倒さなきゃ、だ。
畜業をやってる人はどう思いながら家畜を見ていたんだ。
僕らがものを食べる時、どう思っていたんだ。
そこに、どれほどの思いの違いがあったんだ。
大切なのは、なんだ。
命はどう思えばいいんだ。
自分さえ生きていればいいのか?
他の命は消えても、この手で潰しても見ないふりでいいのか?
今まで、蚊を潰した。
羽虫を潰した。
蜘蛛の巣を払って住処から追いやった。
アイツらも、こうだったのか?
僕を、睨んでいたのか?
どうすればいい。
どうすればいい?
これからもこれを続けるのか?
いづれ、人を殺せるのか?
相手の思いを、人生を、命を背負えるのか?
嫌だ。
怖い。
怖いっっっ!!!
「ウォーターフォール」
唐突に、水の塊が落ちてきた。
「ゴバゴボッ、ごはっ!」
僕はアヴリルの方を向いた。
体はきれいに洗われた。
アヴリルが口を開いた。
「お疲れ様。よく頑張ったね」
そのアヴリルの目は僕を通して、過去の自分を見ているようだった。
きっと、いつかに初めて殺した日のことを。
同じように苦しんだ日を。
そうか、これは命を奪う者全ての通過点か。
いや、一生の問題か。
「今日は、帰ろう」
アヴリルはそう言って笑う。
「……うん」
きっとこれは、慣れていいものじゃない。
いつも、何度でも考えなきゃいけないものなのだと思う。
あぁ、そうだ。
悩もう。
この問の答えを、いつまでも。
背負おう。
これから殺してしまうであろう命を。
大切に生きよう。
自分だけのじゃない命を。
明日も生きていることを喜ぼう。
僕の前でもそうでなくても、死んだ人たちのために。
ここに、決意を改めよう。