6.やはり
「聖なる女神よ。いにしえの契約に従い、不浄を清め、癒したまえ」
ヴァルトは己の左腕に、神聖魔法を掛ける。
だが、切り裂かれた部分が若干塞がったものの、黒い鱗と化した部分は治癒されなかった。
「やはり、か」
僅かに肩を落とすヴァルト。だが、過度な期待はしていなかった。
今まで幾度も、聖騎士団の団員に神聖魔法を使ってきたのである。この魔法は傷を癒す事が出来るものの、魔物化を治す事はなかった。
─自分だけが治癒されるなど、ある筈もないな。
そんな都合の良い力などあれば、誰一人として死する事のない世の中になってしまう。
世界を創ったと言われる女神が、そんな愚行をおかす筈もない。
─女神…か。
大地に腰を下ろしたまま、ヴァルトは空を見上げた。
母親が側室という事もあり、ヴァルトは幼い頃から義兄義弟と一線置いていた。
聖騎士団に一般兵として入団したのも、それがある。王権から離れたかったのだ。
それでも王位継承権を放棄しなかったのは、ひとえに母親の為。王子という自分の存在が、母親の今の地位を安泰にしていると分かっていたから。
王子教育を完全に逃れなかった。そのせいで嫌な目にも散々あったが、一つ助かったのは神聖魔法の会得。
王直系のみに引き継がれる能力は、ヴァルトを傷付けもしたが、多く助けるものとなる。
そして過去の王族もまた、王位継承をしなかった者が神官となり、その力で民を癒していた。
─王子教育の中でデレイネの女神の話を聞いた時には、一笑にふしただけだったんだがな。
自嘲するヴァルト。今ほど、女神に助けを求めた事はないかもしれないと、我ながら呆れたからだ。
全身を黒い鱗で覆った、口の突き出た魔物の姿を思い浮かべる。
トカゲの巨大化したようにも見えるアレが、いずれたどり着く己の姿だと思うと…身震いがした。
─冗談じゃない!あんな姿になど、なってたまるかっ。
「聖なる女神よ。いにしえの契約に従い、不浄を清めたまえ」
ヴァルトは勢い良く立ち上がると、ジゼラに縛り付けてある聖騎士団用の道具袋を取り出す。そして中から取り出した包帯に、再び神聖魔法を掛けた。
細く裂いた布に、神聖魔法の光が染み込む。
そして、それを魔物化が始まった左腕─指先から肘辺りに強く巻き付けていく。
「ぐ…っ」
包帯が触れる度に、腕からは黒い煙が立ち上った。火かき棒で焼いているかのような激痛が走るが、ジワジワと魔物化していく恐怖心よりもマシだと思えた。
この、闇を光で無理矢理押さえ付ける方法は、結果として進行を遅らせるに至る。
「…っ…、はっ…はっ…は…っ」
苦痛を堪えていた為、酷く息が上がっていた。
そして呼吸が落ち着くと共に、2隊の全滅と己の魔物化の恐怖が心を締め付ける。
それでも、ヴァルトは真っ直ぐ前を見た。
─闇を払う方法を、必ず見付け出してみせる。俺が…、完全に魔物化する前にっ。
改めて心に刻む。その為には、夢物語だと嘲笑した女神にさえ、床に額を擦り付けてでも乞おうと決意した。