3.言い換えれば
厩舎でジゼラの出発準備をしていると、兵士の耳に聞き慣れた言い合いが届く。
いつもの…と言ってしまえばそれまでだが、ヴァルトにすがるように進言するのは、副団長であるフェルディナント・ルカーシュ。─ヴァルトと従兄弟関係である彼は、褐色の肌と緑色の瞳をもった美丈夫だ。
今は軽装の簡易的な鎧を身に纏っているが、短く刈り上げた茶髪と柔らかな眼差しで、貴族の淑女を虜にしていると噂である。
ヴァルトより4つ年上の26歳だが、未だ独身を通していた。
「ですから、今は小隊が2隊出ております。今暫く…、せめて食事を取ってください」
「うるさい。2隊出ているのは聞いた。だが、言い換えれば2隊出る程なんだろ?」
2ヶ月の行程でレイグス王国の北方国境付近、スラートまで黄昏の調査に出ていたヴァルト。
国王に報告が上がっている数だけでも、この10年でその数は50倍に膨れ上がっていた。─つまりは、実際にはそれ以上の被害があると言う事だ。
「それは…、そうですが。それでも、ヴァルト様が全てを指揮しなくても、各隊長が隊を取りまとめております。このままでは、お身体を壊されてしまいます」
「うるさい、第二王子じゃあるまいし…。俺はそんなヤワじゃない」
ヴァルトの言葉に反論出来ない部分がある為、フェルディナントは言い方を変える。
だが、それもヴァルトには通用しなかった。─第二王子はヴァルトの3つ年下だが、国王と王妃の第2子の為、ヴァルトより王位継承権が高い。
つまりヴァルトは、国王と側室の子である。
その言い合っている状態で、厩舎に入って来た。
ヴァルトの愛馬の準備をしながら、兵士は気が気でない。
「ですがヴァルト様っ」
「…フェル」
更に言いすがろうとしたフェルディナントに振り返り、ヴァルトは鋭い薄青色の瞳で見上げる。─ヴァルトよりフェルディナントの方が背が高かった。
フェルディナントは息を呑み、それ以上口を開く事が出来ない。─ヴァルトが本気で苛立っているのが伝わったからだ。
「お前は聖騎士団庁舎に戻り、スラートでの俺の報告を纏めろ」
「…はっ」
既に反論など出来よう筈もなく、フェルディナントは渋々了承する。
ヴァルトも不在だった間の仕事が山のようにあるのだが、彼の優先順位は黄昏だった。
そしてヴァルトの愛馬、ジゼラの手綱を持つ兵士に向き直る。
「待たせたな」
「い、いいえ」
声を掛け、ジゼラの手綱を受け取る。
すると、青毛の艶ある体躯をヴァルトに擦り付けるように歩み寄ってきた。
「よしよし、ジゼラ。コーリアまで頼むぞ」
ヴァルトがジゼラと瞳を合わせる。
ジゼラは比較的大きな体躯を持っているので、ヴァルトの頭頂部がジゼラの口先辺りだった。
ブルルン。
大きく頷くジゼラ。─他の馬に比べ、ヴァルトの言葉を良く聞き分ける。
ヴァルトが鐙に足を掛け、軽々とジゼラの背に跨がった。
「行ってくる。後は頼んだぞ、フェルディナント」
「はっ。お気を付けて、行ってらっしゃいませ、ヴァルト様」
「団長、行ってらっしゃいませ」
騎乗したまま、ヴァルトは二人に声を掛ける。
実際にはヴァルトの続く不在に困っているのだが、眉尻を下げたま頭を深く下げるフェルディナントと敬礼をする兵士だった。