第四節「風の無い夜には」
色の無い風景。彼女はそれを知っていた。それは太陽が夕日の中に瞼を閉じた後の風景、吹き曝す風の冷たさが演出する純粋な黒の世界、夜だ。だが彼女はそれを知っているだけで、それとの上手い付き合い方を見出している訳ではない。その黒い広がりは暖かな人工の光に満ちた空間から窓や扉に切り取られた四角形としてしか認識する事は無かった物だし、たとえその黒に長時間身を浸すような事が有ったりしても側には必ず自分に安心感を保証してくれる者がいた、そう、親だ。だから、今の様に誰も自分を守ってくれる者が無くしかもその守ってくれる者が何処にいるのか分からない状態で夜と同格或いはそれ以上に恐ろしく、危険な匂いのする環境に放り出された事は一度としてなかった。そんな事が一度としてでも有って良い訳が無い、子供に、そんな環境を凌げるだけの独立した生存能力が何処にあろうか。まず物理的に独立した生存が無理だと言う事は子供には論理ではない形で刻まれている、何故なら自我の形成が他者のそれの模倣及び取捨に因っているのだから周りに他者がいない、それが既に自我の不安定に繋がるのだ。ここで言う存在しない他者とは実際に周りにいない事以上の意味で言う、つまり精神的に他者の存在が感ぜられない事を言う。子供は昼に遊ぶ事しか知らない、つまり子供にとって見れば世界とは昼だ、昼ならば多少周りに人がいないくらいでの事で自我の存在に危機感を抱く必要は無い、昼の光の空間は必ず自分を保証してくれる何処かの誰かに繋がっている、と思えるからだ。だがしかし夜は違う。夜は家と言う擬似的な昼で昼の民である自分を紛らすか、もしくは家の絶対的主権者、親の導きによって連れ立つ事を許されるある種の禁断領域であり、聖か若しくは邪かその判断以前に、親にしか扱えない、親と比肩する圧倒的強者なのだ。親より他に身を任せられる圧倒的強者を子供は知らない、知らないと言うより知る事が出来ない、夜を独りで徘徊する自分より一回り逞しい子供と言うきっかけが与えられなければ子供はそれを模倣する手段を得られない訳で、模倣しないとなればそれを自分から進んで切り開いていくしか無いのだがそれを切り開く事はまだ親が圧倒的過ぎてする事が出来ない。夜においての親と言う壁を乗り越える事が、子供にとっての最初の関門なのだ。そして彼女は今、この禍々しい世界で他の子供とは違い、例えばライオンの親が子を崖から落として試練を与えるような、人間界より生存競争の厳しい世界では当り前のように行われているこの残酷な教育を受け入れようとしていた。
風も夜も知らない子猫は、恐怖の余り歩く事さえ出来ないだろう。だがしかし風が止めば、そこには恐ろしい事には変わりないがそれでも風を吹かせると言う威嚇を止めた静寂の得体の知れぬ世界が佇むばかりだ。光の昼が何処かに繋がっているのなら、この世界だってしっかりと歩いていけば辿り着ける場所が有るかも知れない。その辿り着いた場所も夜かも知れないけれど、そこになら懐かしい匂いのする風が吹いているかも知れない。今、灰色の風の止んだこの世界で、少女は草原の風を夢見て歩き出す。




