第一節「無風のララバイ」
その子が目を覚ますと、そこに広がっていたのは灰色の野原だった。灰色の土、灰色の草、灰色の地平線。上を見上げる、そこにも灰、灰色の光が何もかもを覆い尽くしていて、そのまま何千年も放置された絵が埃を被っているかの様な、単調で、素朴で、痛すぎる灰色。女の子は目を擦った、その動作は只先ほどまでの体の休息を忘れようとするための物か、またいまだ夢の中にいてこれはその物理動作によって覚める物だと言う可愛らしい考え方による物かは本人にも分かっていないだろう、擦っている手に力が無い、しっかりと現実に覚めた者の目的行動ではないからだ。そしてその擦る手が不意に止まる、一瞬の完全静止の後、手は徐々に女の子の顔に対して威嚇をする小動物のように大きく、自分の体を広げた。女の子の目に色が宿った、驚きの色だ、その小動物に対する警戒、自分の手であるという当り前への信頼を忘れた、非現実を目の前にした現実者の顔。そして少女の目はピントがずれる、その小動物の中心を突き刺すように見詰めた視線はその中心を外れ、灰色の向こう側のどこかを探して泳いでいる。そのどこかがどこかにあるはずだ、あるはずだ、あるはずだけれど全てが同じ色をしていてそのどこかなんてものはきっかけさえも掴めなかった、そんな小さく疲れた目を作るとまた少し弛緩した同じく疲れて態度の柔らかになった小動物を、自分の手として無意識に確信、もしくは過信しているもう片方の小動物に静かに愛撫させ、暖めさせ、安心させている。そして彼女の小動物達は、彼女と和解する、彼女の一部としてこれからも彼女と共に有り続け、彼女の為に彼女の掴み取りたい物をふたりで掴み、彼女の触れていたくない物、関わりたくない物から彼女を守る事を動作で宣言した、彼女の瞳は小動物たちに優しく守護された。その小動物の隙間から、母親の背の裏に隠れながら子が恐る恐る見ず知らずの巨人の様な大人である他者を興味半分恐怖半分に確認視覚するのと同じ様な事を目と手の合成動作だけで行っている。目は小動物に完全に愛され保護されながらもまだ不安げに、世界を、灰色の景色を眺める。そして無数回数の世界=灰色が彼女の脳裏に嫌らしく、巨人である他者が笑顔ではないのにこちらを見ている、笑顔ではない表情でこちらを覗き込んでいる、そんな恐怖的象徴の心象映像としてインプットされた、初印象は後々のその事象に対する印象の大方として、その人間のその事象に対する大まかな認識として刻まれてしまう、恐らく彼女はその灰色の世界に対して微笑み掛けられるようになるまで気の遠くなるような時間が掛かるだろう、もしくは気の遠くなるような時間とはイコールゼロであるのかも知れない。でも彼女には、笑顔が必要だ。何故なら、彼女は子供なのだ、全ての世界の笑顔の起点、笑顔が向けられるべき終点、子供なのだから。だが、そんな事は今の彼女には関係が無い、そんな他者の必要とする愛らしさを備えるべき環境に無い、備えるべき環境、そこに居るべき、絶対的守護を与えてくれる強く優しい愛の泉、親がいないのだ、彼女に今必要なのは、もう一度夢に潜り、夢の中の居心地の良い、歌、温度、空気、色、植物の瑞々しい匂い、太陽光の白、雲の白、空の青、そして愛してくれる人の笑顔の口元の白、それらに抱きつき、おわかれを言って来る事だった。
小動物達は、彼女の目を優しく解放してあげた、もう外の悲劇なんてどこにも無いんだよ、君はもう暖かい物に包まれて、揺ぎ無い色とりどりの夢を保証されているんだよ、そう、嘘を付いた。彼女は、眠る前に親にお休みを言うようなタイミングで、場違いな悲しげな笑顔でそれに答えた。白い歯を見せる事の無い、大人みたいな笑顔だった。




