36Carat Agnus Dei~アニュス・デイ part1
「あいつはどんな思いで、この十二年間を過ごしていたんだろうね……」
死神のローブから覗く片手が、白い簡素な仮面を、悪戯に上に放り投げて弄ぶ。
胸には、スター・サファイアのブローチ。
聖霊たちの眠る、森の一角。
彼は銀の瞳でまっすぐに、天に広がる星空を仰いでいた。
「少しでも運命が狂っていたら、敵対していたのは“私”だったかもしれない………」
――――――――――
――「――――ばっ!!」
「わっ!リュシーっ!!?何するんだいっ!?びっくりしたじゃないかっ!」
白い仮面をつけたリュシーが、道化姿のフェリクスの顔面に飛び出した。
「ふふっ!忘れものよ」
「あ……そうだった。はは!!今日はいやに顔がスースーするなと思ったよ!」
リュシーは仮面を顔から外すと、フェリクスに手渡す。仮面は道化師の顔に、違和感なくすぐに収まった。フェリクスはニヤリとし、「今日もお馴染み、死神道化の出来上がりさっ!!」と、胸を張る。「似合う似合う!」と、リュシーは手を叩いた。
「―――それにしても、店番は良かったのかい?」
フェリクスは小首を傾げる。リュシーは、ベストに黒いスカートという宝石店の従業員姿だったのだ。ニコッと、彼女は笑った。
「たまには開演に送り出してあげたら?って、イレールが言うものだから、それに甘えちゃった」
「おお……っ!そ、そうかいっ!今日は朝から絶好調で行けそうだ!!」
リュシーの笑顔にドキッとしながら、フェリクスは意気揚々とサーカステントを飛び出して行く。
「行ってらっしゃい、フェリクス!」
「ありがとうリュシー、行ってくるよ!!」
その小さくなっていく背中に手を振っていたリュシーだが、あっ、と思いだした顔をして不意に叫んだ。
「クッキーを焼いたからーーーーーっ!後で一緒に食べましょうねーーーー!」
「………っ!それは今朝のお礼だと言って、イレールにおやりーーーーー!」
彼女の持つ袋の中には、どす黒い“何か”が入っている。
フェリクスは、楽しそうに苦笑した。
これは、以前の彼が手にしていた、幸せでありふれた日常
36Carat Agnus Dei~アニュス・デイ
クラウンは、ゆっくりと立ち上がった。
目の前には、結い上げた黒髪を風に揺らす―――エウラリア
「キサマのカードだ。返す」
ヒュン……!―――パシッ!
指ではじかれたそのカードは、クラウンの指の間に、きれいにおさまった。
クラウンは、口角を上に緩める。
「有難いね。お気に入りの一枚なんだ。逆さに吊り下げられて、罪を償っている男……。『タロットNo.12 吊られた男』。La mort inverse(逆さまの死神)……なんて呼ばれることもある私には、なんだか他人事に思えないカードなのさ………」
ヒラヒラとそのカードを示し、懐にしまうと、
クラウンは―――
付けていた仮面をはずし、それを手から離した。
カツンッ……と、軽い音がして、それは地に落ちる。
ニヤリ……
「ほう………久しぶりだな―――フェリクス」
エウラリアは正面でこちらを睨みつける死神に、不敵に笑ってみせた。
サラ……
彼の銀糸のような髪が、月明かりで銀色に光った。
仮面をとったクラウン――本名フェリクスは、端正な顔立ちに、銀の瞳を凛とさせた。死神の黒いローブ、手には逆刃の大鎌が握られて。その刃は、真っ直ぐに、目の前の黒魔術師に構えられている。
「どうやら……こちら側に来るつもりはないらしい」
チャキ…!
エウラリアもレーヴァテインを構え、戦闘態勢に入った。
「あぁっ!当たり前だ!死を絶対的、かつ、平等と成す存在である死神がっ!“死”を覆そうとするオマエの側につくことはないッ!いいやそれ以上に!それは友を裏切る行為だからねッ!!」
ダッ!
「……フン。律儀なヤツだ」
エウラリアも駆け出し、二人は月明かりのもと刃を衝突させる。
「エウラリアッ!リュシーに変わり、私がオマエを止めてみせるッ!!リュシーのため身を捧ぐオマエのその強き想いを受け止め、その刃をその手から振り落としてやるッ!!!」
紅い瞳がギリギリッ!と、吊り上がった――
「では、やってみるがいいッ!!!ワタシに片膝をつかせてみよッ!それができなければ、キサマに待っているのは死だッ!!!!!」
――――――――――
百合とリュシーは光に満ちた温かな空間を走っていた。
「さっき話した通り、百合ちゃんは今、体を失った私の魂を、その体に宿しているの。あなたと私は同じ性質を帯びている。本当は、死した者は、生者に姿を見せることも、声を届けることもできないのだけれど……あなたとは、こんな風に対面して会話もできているでしょう?私の魂は、それほど百合ちゃんに馴染むことができるの。」
リュシーの足先は地面から浮いて、まるで幽霊のように、宙を飛んでいた。
「はい!あ、あの…っ!一応訊かせてください……。」
「うん?何かしら?」
駆けながらも、「重要なことなんです…!」と、百合は言いづらそうに口を開く。
――グワッ!
「私…――――――まだ死んでないんですよねっ!?」
きょとん…?
勢いよく、涙目でこちらを見上げて来た百合に、リュシーはそんな表情を浮かべが、
「くすっ!」とふき出して、ケラケラ笑い始めた。
「大丈夫よ!あなたは死んでないわ!ここは、眠りについている百合ちゃんの夢の世界なの。現実の世界のあなたは、ベッドの上でスヤスヤ眠っているわ。」
「ん……?じゃあ起きて、現実の世界に戻る必要があるんじゃ…」
「ええ、その通り。ふふ……早く起きなくてはね。でも……。エウラリアには、私達が彼を救うその最適な瞬間まで、計画通り事が運んでいると思っていて欲しいの。だから今は……百合ちゃんの体を起こすわけにはいかない……」
「あれ?じゃあ、どうするんですか?私の体が自由に使えないんじゃ……元も子もないですよね?」
フルフルと、首を振って、リュシーは申し訳さそうに口を開いた。
「これから…百合ちゃんには、魂だけの存在になってもらうの……でも、死ぬわけじゃない。肉体と魂を繋ぐ鎖は壊れていないから。魂だけの存在、あなたは半現実の存在になるの……大丈夫。全てがおさまった時、きっと肉体にはもどれるから……」
真剣な面持ちになったリュシーは、そう百合に告げる。だが、百合はしっかりと頷いた。
「リュシーさんを信じます!少しの冒険はなんのそのです!」
「ありがとう……強い子」
リュシーは微笑むと、空に両手を広げた。
「じゃあ…現実の世界へ向かいましょう――――――」
いつの間にか、二人の目の前にはドアが立っている。
(これは……現実の世界へ続くドアなんだ……)百合はそう、察した。
――「来たれ……。医神の杖……大地の癒しを体現する者よ
―――――アスクレピオス!」
パァアアーーーッ!
リュシーの手先に光が広がって―――
その手に、
―――銀色に輝く杖が現れた。
その杖は、先端にクリア・サファイアの玉が付き、一匹の蛇と植物の蔦や果実、花々が柄に絡みついた装飾が施されている。リュシーはそれを軽やかに振るった。
「光のもとに、現実の扉を開けよ――――」
再び光が周囲に満ちる。すると――――
「………ここは、聖霊の樹海…?」
「ええ。」
目を開けた百合は、夜空に満月が浮かぶ森の、一角に立っていた。
(そうだ…!私…魂だけの存在になるって…)
体中を見回すと、ごく薄らと透けている。しかし、よぅく見なければ透けてるとは分からない。
「……ごめんね…百合ちゃん」
「大丈夫です!あんまり気にならないですから!」
すぐ隣で聞こえた声に顔を向けると、リュシーは百合以上に透けた姿で、闇に浮かびあがっている。彼女は「ありがとう」と言うと、寂しそうな顔をして話を切り出した。
「私は死んでしまったから…現実の世界では魔法を使えないの。」
悔しそうに、言う。そして、「でもね…」と続けた。
「あなたと私は今一体となっているわ……。これは死して魂のみの存在となった私の、せめてもの抵抗。エウラリアを止めるためのね……」
リュシーは手にしていた杖を――百合に差し出した。
「―――っ!?」
百合は驚いたように彼女を見上げる。リュシーはコクリと頷いた。
「あなたは私、私はあなた。この杖を百合ちゃんも使うことができる……。
そしてまた―――私の魔力も自由に使うことができるわ。
お願い、私の代わりに…この杖を振るって………
そして衝突し合う皆に―――私の、最大の癒しの魔法を発動させるの
今まで十二年間ずっと天の上で……魔力を培ってきた。イレールと私が生み出した、『宝石による心の救済魔法』。本来なら絶望に堕ちた者を救うことはできない……でも、今なら、この十二年間培った魔力なら!それが可能なの!あなたなら!
エウラリアという絶望に堕ちた人の心に、そして、イレールを含め、因縁に追い詰められた人達の心に!
至高の輝きをもたらすことができる!!」
月明かりに――杖は凛と、気高く銀に輝いている。
百合は強さを秘めた眼差しでしっかりと、頷いた。
「はいっ!!任せてください!!!」
「……本当にありがとう。やっぱりあなたは強い子ね…」
リュシーは安堵の表情を浮かべて――アスクレピオスの杖を、少女に握らせる。
魂だけの存在でも、感じる杖の重み。それは百合の心を引きしまらせた。
――「じゃあ行きましょう!急を要するの!クラウン…フェリクスが…!このままでは死んでしまうの!」
「―――――っ!!?」
百合は青ざめる。
しかし―――
「クラウンさんっ!!今行きます!!」
と、固く、杖を握った。




